妻の超然 (新潮文庫)

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著者 : 絲山秋子
  • 新潮社 (2013年2月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101304540

妻の超然 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の三篇からなる中編集。

    恥ずかしながら私、「超然」という言葉を知らなくて。
    読む前に意味を調べました。

    で、「超然」とは、『物事にこだわらず、平然としているさま。世俗に関与しないさま』という意味とのこと。

    夫の浮気に超然といようとする妻。
    超然とした態度を恋人に罵倒される男。
    そして病気に対して人生に対して超然としている作家。

    それぞれがそれぞれの問題に対して、どこか悟りを開いたような、一種諦めのような、そんな状況が描かれています。

    でも、なんだろうなー。
    それって、自分の本当の感情を抑えようとしてるだけなんじゃないかなー。なんてことを、読みながら思ったりしました。

    私は、夫が浮気したら怒り狂うだろうし、恋人から理不尽な要求をされたら喧嘩になるだろうし、病気になれば毎日ほろほろと泣いて過ごすだろうし。
    それが、一般的な人間の素直な感情だと思います。

    でも、ふと思ったのは、感情を露わにして生きて行くのは楽なんだよなー。ということ。
    「下戸の超然」の彼女のように、そして怒り狂い喧嘩をしほろほろ泣く私のように。

    超然でいること。つまり何事にも無関心でいることって、多分、きっと、すごくエネルギーが必要なことなんですよね。

    無関心でいつつ、でもどこかで期待もしつつ、だけどその期待を裏切られた時、大きな傷を負わないように、心のバランスを保っている。それが「超然」なのかなー。
    というのが、絲山作品三作目の私の解釈でした。

    それにしても「作家の超然」はすごく難しかったー。
    勉強して出直してきます

  •  『妻の超然』『下戸の超然』『作家の超然』の三作品が収録されている。
     表題作の『妻の超然』は多少ユーモラスながら、最も近い他人である夫との距離のあるコミュニケーションと、つかず離れずの友人、そして敬愛する料理の先生との部分的な共有を持った関わりを三人称で描く。『下戸の超然』は酒の呑めない男性の一人称である。これらは作家自身とは全く別の世界に生きる人物のフィクションで、それは「小説」というものの形態としてはごく普通のものなのだが、最後の『作家の超然』では主人公である作家を「二人称・おまえ」で描いてある。
     前二作を読んだ後に、この『作家の超然』を読むという順番にも意味がある。状況を距離を置いて見るように三人称で描かれた『妻』は、夫との関係をあれやこれや考える。それをまるで観察するかのように突き放す。一人称で描かれた『下戸』は独身男性の恋人や職場の友人、実家の家族との関係を客観的な目でもって主観的に描いてある。これらは作家自身とは違った生き方をする人の「孤独」について坦々と描いてある。
     そこで三作目の『作家の超然』に読み進むと、「おまえ」と呼ぶまるでもう一人の「自分」が冷徹に畳み掛けるように語る。「孤独」を飼いならし、「超然」と居ようとし、仕事をこなしていく日々と、良性の腫瘍の摘出手術を通して、これでもか、というほどの自身への「客観視」がある。そこには、前の二作で描かれた虚構でありながら、作家“ではない”別の世界を描くことによって、より輪郭が明確化された「作家」の内的世界と外の世界の隔絶と孤独が現実感を持って現される。
     もちろんこれもフィクションであり、現実の作家自身ではないのだが、その仕事「文学」の状況と自身の立場を客観的に彫り出す。「良性腫瘍」という異物を摘出するという身体の痛みを伴う出来事と、作品を描くということの共通性を感じた。そして、その産みだされる「良性腫瘍」は、前二作では子を持たない妻と独身男性という“産みださない”状況との違いを明確化し、文字通りに「身」を削る。
     絲山作品において毎回感じるのだが、ロマンチシズムやメランコリックなセンチメンタリズムの「湿気」を排除した「孤独」のありようが、追い込んでくる凄みと、誤魔化しようのない人の持つ当然の「孤独」を描きだしている。

  • 「そうやっていつまでも超然としてればいいよ。私は、もう合わせられないけど」とは帯文。
    帯読んだ時は言う側で思っていたのに、読み通した後は完全に言われる側の心地だった。
    そういう視点の転換が、純粋に、本読みの楽しさ。
    絲山さんの小説が本当に好き。
    3編入った中編集なんだけど、ひとつ読むごとにこの本の良さが上がって行く気がした。「作家の超然」が1番。

    物語の後ろに作家の物凄く大きな引き出しが透けて見える。
    がさがさと取り出される色々を、小皿みたいな自分のキャパシティで受け止める感じ。
    これまでに読んだ物語が、芋づる式に(ほんとにじゃがいもを掘り起こすみたいに)想起されて、楽しくなった。

  • 世評は高い作品ですが、どうも楽しめませんでした。
    とても文学的。でも、私にはチョット過ぎるようです。
    裏表紙に『「超然」とは何かを問う傑作中編集。』と書かれている通り、「超然」がテーマなのでしょうが、その「超然」と私の相性が悪いのでしょうね。
    まあ、そういう事も有るさ、と読了。

  • 楽しみ読み進めました。
    読みやすいのですが、「超然」というテーマに沿って書かれた短編という挑戦をしているのに、楽しみながら読み進めることができるもので、作家としてのチャレンジ精神にも感服します。
    文体がとてもリズミカルで読みやすいように感じるんですよね。毒もあるので読んでていてスッキリするんです!
    しばらく絲山秋子さんの本を読み漁ろうと思っています。

  • 馬込の豆腐屋の娘である妻とニアミスしているような気に

    絲山さんの話がやっぱり好きだ。

    「一人グーグル」とか、第一球「一体、どういうことなの?」とか。しっくりくるなぁ。わたしに。

    そして、TOTOの営業として全国を駆けずり回った経験から来る、土地土地の描写。

    今回たまたま住んでいた街が出てくるものだから、そのイメージが瑞々しく脳裏に広がりました。

    路地、坂道。西馬込はあかるく、馬込はどこか、ツートーンくらい、暗い。

    日当たり以外にも、その土地、場所の明るさ、暗さがあると思っていて、ネットでは確認できないその道々の照度こそを、私は内見で確認しているような気がする。

    そのことに気付かされてくれたのが、馬込と西馬込というふたつの街なのであった。

    そんな私が、馬込の豆腐屋の娘である妻とニアミスしているような気にながら、読み進めていきました。

    三作入っているけど、言葉遣いとかがやっぱり、女性主人公ものが好きだわと、後2作の男性主人公作品を読んで思いました。

    はぁ、またイッツ・オンリー・トーク読もっと。

  • 妻、下戸、作家と3つの超然が含まれた作品集。
    絲山作品に触れるのは3作目(登録はしておりませんが、「エスケイプ/アブセント」を読んでおります)ですが、あれ?こんなに軽い文章を書く方だったっけ?と驚いた。
    しかし読み進めていくうちに、行間からにじみ出る主人公の冷ややかさがあり愕然とした。
    あー、これが絲山節なんだな、とすとんと腑に落ちました。
    プロの方に申すのも大変おこがましいですが、やはりある意味すごい作家さんです。

  • 2016年、11冊目です。

    絲山秋子の小説です。
    彼女の作品は、過去「沖でまつ」「逃亡くそたわけ」などを読みました。
    我々のそぐそばにある日常を舞台に、僅かに周りの人との間にある齟齬が、
    歩む道筋に大きな影響を与えていく。でもそこでたどり着いた先は、
    渇して無意味なものでなく、少し心が軽くなる着地点にたどり着きます。

    「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」の3つの小編から成っています。
    「妻の超然」では、50歳前後の子供のない夫婦で、夫が若い女と浮気を
    している。妻は気付いていて、夫との関係を”超然”と捉えて知らないふりをしている。
    しかし、最後に、超然といって相手の考えていることを考えることをせず、
    同じ時間を生きようとしない自分の生き方は、”超然”ではなく、”怠慢”なのではと気づく。
    確かに、超然や諦観は、ある種の無関心から成り立っている精神状態だと思う。
    ”超然”という言葉の解釈やその役割は多様だが、思惟するにはいいきっかけだ。

    「下戸の超然」は、お酒を飲めな男性の生き方を、恋人との出会いと別れの流れの中で描いている。
    私自身も”下戸”であるため、作中の主人公の心境には、共感できるところも多い。
    会社生活で苦労した点も類似している。私の場合は、加齢による病気もいくつかあり、
    多種類の処方薬を服用するようになったので、飲み会の席でも、
    ”酒飲んだら死んでしまう”といって、お酒に口をつけなくて済むようになりました。
    主人公は、下戸であるが、彼女が酒を飲むことには全く抵抗がない。
    それを非難することもしない。彼女は積極的なボランティア活動をしており、
    下戸の彼を引きだそうとするが、彼自身は、そういったことに感心も無く、彼女に合わせようとも思わない。
    この辺りが下戸の超然立つところなのだろが、
    「恵まれない子どもたちに幸せなバケーションをプレゼントする」という彼女の参加する
    ボランティアの目的には文句のつけようがない。
    けれども「疑いようのないこと」というものに僕はなにかうつろなものを感じてしまうのだ。
    これが、主人公の下戸である彼の超然なのだと感じた。

    最後の「作家の超然」は、主人公である作家が、首の腫瘍を摘出する手術の前後で考える
    人間関係や社会と自分との関係性を描いている。
    ちょうど私も手術直前に読んだので、なにか他人事のような気がしませんでした。
    こんな一説がある「今は、病気がおまえを生かしている」。
    まさに、自分でなく、これからは”病気が自分というものよりも優先されるものになっていくんだ。
    まさに超然かもしれないですね。

    おわり

  • 収録されている「下戸の超然」がいい。美咲の危うい感じとか、二人の関係が壊れるぞ壊れるぞってゾクゾクさせられる感じとか。巧いなー。

  • 超然という意味を知らずに、ばかものがおもしろかったので読みました。
    それぞれの超然とする様はみっとも無いような、意地っ張りのような居心地の悪さがとても読みやすかったです。

    伝わるとすればせいぜいそれは愛想だろう。

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妻の超然 (新潮文庫)の作品紹介

結婚して十年。夫婦関係はとうに冷めていた。夫の浮気に気づいても理津子は超然としていられるはずだった(「妻の超然」)。九州男児なのに下戸の僕は、NPO活動を強要する酒好きの彼女に罵倒される(「下戸の超然」)。腫瘍手術を控えた女性作家の胸をよぎる自らの来歴。「文学の終焉」を予兆する凶悪な問題作(「作家の超然」)。三つの都市を舞台に「超然」とは何かを問う傑作中編集。

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