- Amazon.co.jp ・本 (605ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101338132
感想・レビュー・書評
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2002年
上・下巻の感想をまとめて。
前半は著者の独白?の様なスタイルで始まり それがとにかく長い。
ここの部分は「ふーん」と言う感じでかなりチンタラ読んでいたが
上巻の後半から下巻の終わりまでは凄いスピードで読んでしまった。
比較的出てくる地域になじみがあったと言うのも大きいけれど
何より久しぶりに「新鮮な小説」を読んだ気分になった。
他と何が違うとは上手く言えないけれど 見た事無いタイプの小説。
裕福だからと言って全ての人が幸せになれるとは限らない
成り上がって全てを手に入れたからと言って幸せだとは限らない。
あとなんとなく水村さんが書く文章は色っぽいな と思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
おもしろくて一気に読んでしまった。嵐が丘がベースになっているけれど、それだけではありません。終わった後また読み直したくなりました。恋愛小説、ニューヨークでの日本人の生活、軽井沢、戦前戦後のお金持ちの優雅な暮らしなどに興味がある人は読んでみてください。上下間ともウィリアム・モリスのパターンが表紙でそれもいい。
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89点。自分が小説をあまり読まないのは物語に対する興味がないからだ。さらに物語に対する読解力も理解力もない。しかしこの『本格小説』は物語で東太郎という男の半生を描いた小説だ。なのに面白かった。
とか言って下巻も読まずに上巻の感想を書くのも如何なものかとは思うが、実は上巻の半分くらいは著者自身による「本格小説の始まる前の長い長い話」という前書きなのだ。この未だ小説が始まってない前書きこそが非常に重要で、特に文庫版ではP225〜P232の部分は熟読されたい。
まとめちゃうと私的な体験(事実)を盛り込んだ小説が私小説である一方、本格小説とは「作り話を指すもの」である。さらに著者は日本語で書かれた私小説というものの持つ真実の力に注目する。
じゃあミックスしちゃおうじゃないの、と。ミックスした理由は私小説を書こうとしていた著者の実存的な理由に他ならないわけだが。
日本でもっとも質の高い私小説が量産されていたのは近代だ。そこで題名は『日本近代文学 本格小説』やってやるぞ感がかっこいい。
先の前書き部分では私的な内容を語りながらも物語の主人公である東太郎が登場する。
著者は人から聞いた「小説のような話」を小説化(作り話)しながらもこの前書きを配置することで私小説的が持つ真実の力も両立させようとしたのだ。
つまり、日本語の「私」は西洋の「I」のような、個々の人間を超越した抽象的な「主体」という意味をもちえなかったと語る著者は、小説内でメタフィクションの構造をとることで本来日本語においては埋没しがちな主体を、著者が物語を語る主体として小説に「翻訳」することで『本格小説』化を試みたのだ。
客観的に日本の文学と日本語を眺めてきた海外暮らしが長い著者だからこその感受性だし、真摯な挑戦的態度が好きだな。
下巻が楽しみだ。 -
去年初めて読みその時面白くてすぐ読み終わったのに、全く話を忘れていたのでもう一回読み直した。
最後ちょっとびっくりする話をそういえば思いだした。
嵐が丘の日本版ということらしいけど、スケールは違いすぎる。 -
ニューヨークで、運転手から実力で大金持ちになった伝説の男の数十年にも及ぶ悲恋の物語。
愛するということに切なくてやりきれない気持ちになります。
読後も余韻の残る物語でした。所々に差し挟まれた写真が想像力を一層広げてくれます。 -
軽井沢に行きたくなりますね
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軽井沢などを舞台とした作品です。
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この物語は完全なるフィクションなのか。