自分だけが読む日記やメモは別にして、作文というものは他人に読まれることを意識しなくてはならない。かく言う自分もSNSにとんだ駄文をアップしてしまうが。
第三者に読まれることを目的とした文章で挙げられるものには詩、小説戯曲などの、文学作品。人と心を通わせる手紙などがすぐに思い出される。
一方で理科系の作文の特徴は、伝えるべき内容が事実と意見に限られていて、心情的要素を含まないことが肝要だ。取扱説明書もその類に含まれるだろうか。これはこれで容易では無い。
本書は理科系の仕事の文書を書く時の作文技術について書かれている。
よく考えたら日本ではこのような作文教育はない。一般的にいい文章だと言う時、多くの人は「人の心を打つもの」を想起する。
それは日本の学校における作文教育が文学に偏向しているからかもしれない。
正確に情報を伝え、筋道を立てて意見を述べる。そんな作文技術も必要だとおもう。文系の人間もしかり。

2015年1月27日

読書状況 読み終わった [2015年1月27日]

社会科学や社会哲学において弁証法イデオロギーが潰えて久しいと言われてるけど、この作品は弁証法的思考の好例ですよね。
ドリームワークスなど非ディズニーアニメは、ディズニーの古典・王道ストーリーに対してのアイロニーないしはアンチテーゼ的な作品で支持を集める。いわば王道くずしです。(正→反)
それを受けてディズニー自身でもそれらを踏まえた作品を作ります。
『魔法にかけられて』は見事なセルフパロディ映画でした。
おげちゃなエイミー・アダムス演じるプリンセスがファンタジックなおとぎ話的世界観を否定する。
魔女や運命の王子様といった王道キャラとプロットを踏襲しながらも、いつものディズニープリンセス物語とは異なる結末を導きます。非常に示唆的でした。
そしてレリゴーレリゴー『アナと雪の女王』には魔女も運命の王子様もでてこない。真実の愛の落としどころなんて、古典・王道へのアンチテーゼをさらにアウフヘーベン(否定の否定)した結果のジンテーゼとも呼べる結末。(反→合)
この展開に思わず膝を打った人は多いんじゃないでしょうか。
この先の展開としてはもう一回捻って古典・王道に回帰するか、さらに推し進めてメタ化していくしかないですよね。

2014年7月25日

読書状況 観終わった [2014年7月25日]

いわゆる一つのコンゲーム映画。エイミー・アダムスさんは可愛くないのに、つねにおっぱい見えそでたまに見える服を着ている。
そしてクリスチャン・ベールの役作りへの執念はもはや現代のデ・ニーロ。そんなデ・ニーロもクレジットなしで出演。ハゲ役だけど多分髪はむしってない。特筆すべきはジェニファー・ローレンス。こんなに人をイラつかせる演技なかなかできません。こんな人いたら目の前のおしぼりをぎゅーッと丸めて全力の4シームで当てにいく勢い。そんな感じ。

2014年7月23日

読書状況 観終わった [2014年7月23日]

かつてこの映画が物凄いブームになり、タイトルが流行語大賞にも選ばれ、失楽園ブームが起こったらしい。オイラ記憶にない、。
さらに心中に使われたシャトーマルゴーも一躍脚光を浴びたらしい。
日本では「この世で添い遂げられぬのならば、せめてあの世で」じゃないけど心中モノの文芸作品はたくさんある。
海外、というかキリスト教圏で似たような作品が見られないのは自殺が宗教的に重大な罪とされるからだと理解しているんだけどさ、旧約聖書を下敷きにしたミルトンの古典と同じ題名をこんなチープな心中モノにつけちゃうあたり渡辺淳一は実はかなりのチャレンジャーなのではないかとちょっと思ったり。
お堅い経済新聞連載の文芸作品原作ですし、という大義名分の元、真面目にこの映画を当時の人はみていたのだろうか。
ラストの心中シーンは我慢したけど堪えきれずに失笑した。

2014年7月22日

読書状況 観終わった [2014年7月22日]

白樺派というと『お坊ちゃんたちの道楽』とか『生活の大変さを知らない理想主義者』といったイメージが世間一般のイメージです。本作は大失恋小説であり、親友との三角関係を描いた小説であり、現代ですともっとドロドロとした内容になりそうなもんですが、そこは白樺派です。性善説に立ったピュアな描写、清く正しく美しいプラトニックな恋愛讃歌に貫かれています。
本作の特徴は冒頭の武者小路実篤自身の自序でネタバレしてることでしょうか。
これががなかったらこの本はまじでつまらなかったかもしれない。この自序が失恋という喪失経験が実は獲得経験の萌芽であると解釈できるし、その個人的失恋を前提として他人の新たなる可能性が開かれるということも示唆している。つまり因果は人知を超えるという達観した視座が加わっている。この一ページあるとないとで恋愛小説の次元がまったく違うものになりました。

2014年7月21日

読書状況 読み終わった [2014年7月21日]

とうとう日本でも海外諸国に倣って刑事免責や司法取引を導入すべく刑事司法改革への方向性が示された。
頻発する検察の不祥事の原因に、捜査モデルが破綻しているからだという指摘がある。
捜査モデルとは何か。この小説を読んでかなりイメージがわいた。現役の法曹関係者によって書かれたこの作品はフィクションという形をとりながらも現場の経験を生かした内容で、ドキュメントあるいはリポートといっても差し支えなさそう。
被疑者を検察の「ストーリー」通りに供述を固める「割り付け」という手法の描写を読んでると、ほとんど恫喝。しかしそのテクニックは理にかなっている。もちろん検察サイドは犯罪を憎む正義感によってそれらを行っているのだろうが。
日本の刑事裁判は、取調官が独特の物語調の記述で文章化した供述調書が証拠の中核を占める。
この小説のように「ストーリー」が事実に反して、無辜の被疑者を犯人とする物語になってしまうのが調書を偏重する「日本型冤罪」の特徴である。
推理小説は後ろから読んでも面白いわけはないのだが、この小説は後ろから読むとあらたな発見があるんです。後ろから読むとあらためて痛感する、冤罪の怖さを、。

2014年6月30日

読書状況 読み終わった [2014年6月30日]

下巻で有りながら時期としては初期の啓示へと遡る。マホメットがアラーの憑依というかトランス状態に慣れてなかったからなのか短い文章が並ぶ。しかし全体的に異常なほどの緊迫感が漲っている。もうこれ以上の言葉は紡げないという呼吸困難5秒前みたいな切迫した状況が伝わってくるかのよう。
さてマホメットの功績は計り知れない。確固たる一神教を確立しアラビア半島に政治的な秩序をもたらし、砂漠の民に倫理観を植え付けた。
しかし、イスラム教最大の弱点はマホメットが最後の預言者であったということだという指摘は正しいと思う。ユダヤ教同様に宗教戒律、社会規範、国家の法律がイスラム教では一致している。コーランが絶対。ゆえに伝統主義的社会を脱却する論拠もなければ立法意志も形成できない。しかしキリスト教はそれが可能だった。
ヨーロッパの近代資本主義、憲法はじめ近代法、近代政治制度などはすべてキリスト教文明によって生み出された。
資本主義とデモクラシーと近代法とが成立し、機能するためには、パウロ的な、人間の外面と内面、行動と内心とを峻別する二分法が必要だったという。偉大なるパウロの発想の素晴らしさはマックスウェーバー先生ご指摘の通りである。むしろマックスウェーバーの著作こそ社会思想史専攻者にとってのバイブル。
イスラーム哲学や哲学者についてまったく知識を持ってないんだけど神学論争はどのようになされていたのかとか、思想はどのような発展を遂げているのか少し興味が湧いた。コーランは何回か読み返してみよ。

2014年6月23日

読書状況 読み終わった [2014年6月23日]

上・中・下巻と文庫では3巻構成。時期的に後期のものほど前に並べるような構成になっているので読みながら年代を遡行していく感じになる。
さらに20年間にわたる啓示の集大成なので、マホメットの人間的成長、社会政治的条件の発展がコーランにも反映される。だから最初と言ってることが違うこともある。「えー、それってマホメットさんの話であってもはや啓示じゃなくね」という突っ込みはこの際なしである。
コーランは親父の小言に近いと誰かが言っていたがまさにそんな感じで若干くどい。もともとマホメットが商人だからか現実主義的な側面がコーランには非常に強い。アラーは簿記の名人だとか、商業に関係する言葉がたくさんでてくる。悔い改めれば元金は保証してやるとか。イスラム銀行が無利子なのはコーランに利子を取るなと書いてあるからなんですね。宗教戒律、社会規範、国家の法律がイスラム教では全く一致している。キリスト教ではこれはありえない。
あとはキリスト教には実体的な天国がないのと対照的にイスラム教では実体的に天国と地獄を説明しているのもおもしろい。そして男尊女卑を否定しない。むしろ明記する。さらには男性についての天国しか書いてないんですよ。天国では絶世の美女とセックスし放題で、しかも女性は処女のまま、みたいな。イケメンの童貞とやれるとは書いてない。結構マッチョな啓典だなぁ。

2014年6月23日

読書状況 読み終わった [2014年6月23日]

旧約聖書、新約聖書は読んだことはあっても、コーラン(クルアーン)は今まで読んだことがなかった。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はいわゆる啓典宗教と呼ばれるが、これら三つの宗教に登場する神は実は同じだという事実を知らない人も多いのではなかろうか。
コーランはマホメットが約20年間にわたりアラーから受けた啓示の集大成である。マホメットが現れたのは6世紀、ユダヤ教は紀元前13世紀、キリスト教は紀元1世紀なのでかなり歴史は新しい。
コーランの文章は旧約聖書、新約聖書を意識的に踏まえている。例の創世記のくだりだって出てくる。後半の記述が違ったりしてるんだけど。モーセとか登場人物がたくさんかぶっているので聖書を読んでいた方が理解は早い。
しかしながら聖書は読み物としてドラマティックでそれなりに読めるが、コーランは読み物としてはぶっちゃけ退屈である。解説にもあるようにアラビア砂漠の砂そのもののごとく無味乾燥としている。
ところがどうして。YouTubeとかで聴けばわかるんだけど、コーランは詩歌であり、神の音楽なんですよ。朗誦されて快く響くこと、それが一つの価値。凛冽たるフロウと律動するライム。アラビアンラップがごとく、ずーっと聴いてるとある種の恍惚感と共に陶酔状態に陥る、かもしれないとさえ感じる。
論理のたどりにくいところや、文脈の乱れ、話がポンポン飛ぶなど、読みにくいけれど教義としてはシンプルでわかりやすいのではないかと思う。近年イスラム教徒が増えてるのも頷ける。心の平安を得やすいんだと思う。

2014年6月23日

読書状況 読み終わった [2014年6月23日]

この映画を今作ったとしたら、クライドがゲイ、ボニーは色情狂と実在のキャラに沿った物語になるかもしれない。途中で仲間になるC.W.モスは、クライドとボニーの双方から夜這いをかけらたっつーエピソードもあるくらいで。
当時はゲイ映画なんてもってのほかだったのでクライドはEDという設定になっています。そして最後には治る。それでもゲイのみなさんの中ではこれはゲイ映画ということになってるらしいですよ。

2014年5月27日

読書状況 観終わった [2014年5月27日]

大ゴケした米国産忠臣蔵リメイク、というか忠臣蔵インスパイアのファンタジー・アドベンチャー。
日本でも文楽や歌舞伎だけでなく小説や映画などで「元禄赤穂事件」は題材にされてるけど、日本の忠臣蔵だって史実とは違うわけで、そもそも時代「劇」なんだからフィクションでいいと思うんです。なので「これ忠臣蔵とちゃう!」て怒るのはちょっと論点違うんじゃないかと。日本にも『元禄霊異伝』『元禄百足盗』『妖臣蔵』みたいな伝奇モノとかあるわけだし。
面白いのが製作環境で、日本人キャストの中にアメリカ人キャストがたった1人というシチュエーション。さすがぼっちが好きなキアヌ・リーブス。
メイキングみてたら最初に日本語の演技を撮ってから、そのあと英語の演技を撮ってるのよね。その方が感情を表現しやすいだろうと。でもなぜかその時はキアヌが拙い日本語で演技をしているのがとにかくかわいい。☆2

2014年4月18日

読書状況 観終わった [2014年4月18日]

暁美ほむらの設定が明かされ、この作品がメタ美少女ゲームの構造と、セカイ系の想像力を有していることが明らかに。メタ時間を生きる暁美ほむらがループしまくるほどに、その中心の鹿目まどかにはカルマが蓄積され、莫大な潜在力が蓄積されるという説明がなされている。最終的に、暁美ほむらにとっては最後の世界、鹿目まどかにとっては最初かもしれない世界で、鹿目まどかは自らが特異点となり世界の全体を作りかえることを望み、ループ脱出へと導く。 平行世界を束ねることで、マルチエンドの全てが収束したと私はストレートに解釈しました。

2014年3月7日

読書状況 観終わった [2014年3月7日]

死のノンストップオムニバスホラー。Aから順番にその頭文字に纏わる単語をテーマにして26人の監督が五分程度の作品を持ち寄った短編集。
一口にホラーといってもジャンルはさまざまだが、実験的かつ挑戦的な映像表現に傾いでいる部分は共通してる。
低予算映画の帝王ロジャー・コーマンも最初の五分でつまらなければ消すって言ってたけど、この場合は五分に一回は山場があるからテンポはいい。しかし長距離一本走るより短距離を全力で26本走る方が辛いということがよく分かりましたよ。途中からどうしようもなくゲンナリしてくる、。続編には園子温も参加するみたい。

2014年1月25日

読書状況 観終わった [2014年1月25日]

ビートたけしの『菊次郎の夏』がすごい好きです。いつもの通り多用される「バカヤロー」は他の北野作品における「馬鹿野郎」とはまったく違う使われ方をしています。それはテレであり愛情であり、ある意味では素直な韜晦でもあります。
さらにくどいくらい意図的にリフレインされるピアノのメロディ。象徴的な画作りが一層この作品を印象的なものにしている。
個人的に本作が好きな理由は雰囲気は違えど上記の映画と共通する魅力を感じたからかもしれない。
心理学的な抑圧状態にまで至っている主人公はちょっとキモいではあるけど、主人公の心情しかり。素晴らしいスコアしかり。圧倒的な画作りと象徴しかり。
とにかくこういう映画好きだなぁ。☆5

2014年1月23日

読書状況 観終わった [2014年1月23日]

この年まで未見でした。というのも、今作のスタッフを再集結させて後に製作した、ジャッキー・チェンのハリウッド進出作『バトルクリークブロー』がクソ映画過ぎて、カンフー映画にハリウッド資本が絡むとクソ映画になるという思い込みを早くに確立してしまったからである。
「燃えよドラゴン」と言えばコレコレ、と誰もが知っているあの名スコアを作曲したはずのラロ・シフロンですらやっつけもいいとこで見る影もないからね。
しかし、である。こっちはほんとによくできてる。
とにかく「Don't think.feel 」なのである。テンションあがる。

2014年1月18日

読書状況 観終わった [2014年1月18日]

当たり前だと突っ込まれそうですが、日銀て全国に支店があるんですね。中学校で習った公定歩合制度がなくなったことも知らないのに、よく為替取引に手を出していたなぁと自分の無識ぶりに呆れました。
よく考え抜かれた手堅い説明を、とんでもなく柔らかい口調でしてくれるので非常に助かります。

2014年1月18日

読書状況 読み終わった [2014年1月18日]

柴田錬三郎akaシバレン先生の同名小説を映画化した東映時代劇。大川橋蔵演じる主人公は父の顔も知らず母に忍として育てられ、豊臣方の怨念を晴らす機会を伺っていた。その母とは石田三成の愛娘。女忍になってから一度家康の寝所に侵入を試みたが、若き日の服部半蔵に阻まれ犯されてしまう。主人公の父は半蔵である。
血を分けた親子の果し合いや母親の複雑な心情が絡み合い展開する愛憎の昼ドラ展開は見応えがある。ところどころにエロシーンが挟まれているので観終わったあとに不思議と満足感が残る。映画はエロとカーチェイスと爆破シーンがあればいいというが、時代劇では派手な殺陣とエロがあればよいのである。

2014年1月12日

読書状況 読み終わった [2014年1月12日]

内容は無茶苦茶で荒唐無稽。これを評価する人は、寓話的解釈とか施して自分なりの分析を披露したい人だと思われる。藤原竜也演じる男は不条理の象徴、みたいな。
台湾の新幹線ロケとはよく考えたなー。カンヌにもっていったのはネタだと思います。

2014年1月10日

読書状況 観終わった [2014年1月10日]
  • 裏窓 [DVD]

  • アルフレッド・ヒッチコック
  • ジェネオン・ユニバーサル / -
  • Amazon.co.jp / 映画
  • 購入する

カメラは一部分を除いて主人公から見たものしか映さない。もしくは主人公自身を映すかのどちらか。要するに主人公が見てないものは映さないというルールに貫かれている。
ルールから外れる一部分に対して「これってどういう事」と分析すると、そもそも殺人事件など起こってはいなかった。という解釈もあるそう。
この作品は数多に存在する「覗きモノ」の原型ですな。
そこまで露骨ではないけど、なかなかの変態映画です。
あと脈絡もなくグレース・ケリーのファッションショーが楽しめる。この辺もヒッチコックの変態センス。
リメイク版ではクリストファー・リーヴが半身不随の主人公を演じてるとか。ちょっとリアル過ぎ。

2014年1月6日

読書状況 観終わった [2014年1月6日]

著者は国内外での劇作、演出、公演活動とともに、コミュニケーションデザインの教育・研究に携わり、日本各地の学校において、対話劇やワークショップを実践するなど、演劇の手法を取り入れた教育プログラムの支援・開発にも力を注いでいる。
演劇の持つ力がなぜコミュニケーション能力の育成に有効なのか。本書で「会話」と「対話」の違いについて説明している箇所がある。自分が学生の時にも同じことをテストの設問にしてきいてきた先生がいた。正答率0%というのが衝撃的だったのでよく覚えている。
しかし、この設問はあくまでも挨拶程度のジャブのようなものであり、気づきのきっかけである。この違いを説明できたからすごいというわけではない。いや、それはそれですごいけど。「これからは自分の頭で考えろや」という先生からのアツいメッセージなのである。
著者の狙いもそこにあると思った。演劇とコミュニケーション、一見関係がなさそうだが、一読の価値アリ。

2014年1月4日

読書状況 読み終わった [2014年1月4日]

再読。ドストエフスキーの自己を含めた卓越した批判精神、そして鋭い観察力は比倫を絶するが、出てくる人間はシニカルな余裕というよりは、自己欺瞞にすら目を背ける傲慢と自虐の極致を両取りしているかのような弱さを併せ持つニーチェ的な「カッコ悪い」人たちである。
一方、主体を重んじる実存主義のようなスタイルはアクティブなところもあって、例えば同じ絶望を論じるにしてもどことなくスタイリッシュで「カッコいい」気がする。何より謙虚だし。キルケゴールやサルトル。カフカ、カミュもそうかもしれない。それでも自分は「かっこ悪い」方にどうしようもなく惹かれるのだ。
自称自意識過剰人間はこれを読めば、自己の過剰さの不徹底ぷりを反省するか、自己の健常さを認識し胸を撫で下ろすこと請け合いである。

2013年12月29日

読書状況 読み終わった [2013年12月29日]

ジェームス・ディーン人気にあやかっただけの映画。とはいえジェームス・ディーンは製作サイドに求められた期待に見事に応えているといえる。思春期特有のやり場のない不満や苦悩、繊細な心情や切なさみたいなのがいっぱいにあふれてます。
一方で、ヒロインやその他登場人物の内面描写や行動、関係性の掘り下げ方が稚拙すぎて、この映画を評価するのはちょっと無理がある気がするなあ。

2013年12月29日

読書状況 観終わった [2013年12月29日]
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