第一阿房列車 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101356334

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  • 『阿房(あほう)というのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどとは考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事はないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。』

    明治生まれの鉄道オタク、元祖「乗り鉄」と言っても過言ではない、内田百閒の代表的なエッセイ?阿房列車。
    旅行の記録なら「紀行文」と考えるかもしれないが、汽車に乗って移動することに重きをおいて、観光は二の次、三の次、どちらかというと興味がないので紀行にならないのだ。

    そもそも早起きが苦手だから、朝早い列車は避ける、宵のうちに早く着きすぎると持て余すから、丁度良い時間に着くために、途中で別の列車に乗り継ぐなど、本当に列車に乗りたいのかしらんと疑うほど。
    同行するヒマラヤ山系(本文中では説明がないが、内田百閒の愛読者の平山氏)とはずまない会話をし、ヒマラヤ山系の「どぶ鼠」のような容姿に呆れ、それでも宿屋に着くと酒盛りをする、それなら東京にいても同じじゃないかとも思えてくる。

    しかし、そもそも用事がないままに汽車に乗ると最初に断っているから、用事がないなら移動していても、していない時と同じになるのは当たり前かもしれない。

    と、そんなふうに感じながら、明治生まれの還暦を過ぎた御仁が列車の車窓を眺めながらの独り言のようなエッセイを読み終えた。

  • 一度読んでみたかった内田百閒さんの随筆。今で言うところの「乗り鉄」であり、国鉄職員の「ヒマラヤ君」と一緒に、日本国中を旅して回る。ただ、目的を決めないことがルールになっていて、誰と会うとか、どこにいくとか、何を見るとか、そいういうことは一切ない。行って温泉宿などに泊まり、飲み食いして帰ってくるだけ。その旅の記録と洒脱な会話が面白く、こんな旅もいいなあと思う。そろそろ旅に出ようかなあ。

  • 著者の語り口が飄々としていて、果たして旅を存分に楽しめているのだろうかと思いながら読んでいました。

    ヒマラヤ山系さんも気ままな著者に連れ出され、そんなに楽しんでいるようにも思われないのですが、それでも毎回お供するということは、それなりに楽しいのだろうと思いしました。

    横手の小鯛は例外ですが、旅の楽しみの一つの食事も外ればかり。(毎回大量に飲むお酒は美味しそうで、宴会も楽しそうに見受けましたが。)そんな感じでも再々列車に乗って旅に出るのは、やっぱり著者なりに楽しいからなのだろうと思いました。

  • 計画嫌い




  • 「内田百けん」が列車での旅を綴った紀行集『第一阿房列車(だいいちあほうれっしゃ)』を読みました。

    「井伏鱒二」の『駅前旅館』に続き、昭和の匂いがぷんぷんと漂う作品です。

    -----story-------------
    「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」。
    借金までして一等車に乗った「百けん先生」、世間的な用事のない行程を「阿房列車」と名付け、弟子の「ヒマラヤ山系」を共づれとして旅に出た。
    珍道中のなかにも、戦後日本復興の動きと地方の良俗が描き出され、「百けん先生」と「ヒマラヤ山系」の軽妙洒脱な会話が彩りを添える。
    読書界の話題をさらった名著を新字新かな遣いで復刊。
    -----------------------

    『阿房列車』シリーズは、全3巻(全15編)の紀行集となっているらしく、、、

    第1集にあたる本作品は1950年(昭和25年)10月から翌年10月までの以下の鉄道旅行記が収録されています。

     ■特別阿房列車
      東京 大阪
     ■区間阿房列車
      国府津 御殿場線 沼津 由比 興津 静岡
     ■鹿児島阿房列車 前章
      尾ノ道 呉線 広島 博多
     ■鹿児島阿房列車 後章
      鹿児島 肥薩線 八代
     ■東北本線阿房列車
      福島 盛岡 浅虫
     ■奥羽本線阿房列車 前章
      青森 秋田
     ■奥羽本線阿房列車 後章
      横手 横黒線 山形 仙山線 松島
     ■解説 伊藤整
     ■間のびする旅の極意 森まゆみ

    「内田百けん」は、鉄道に乗ること自体を目的として鉄道旅行を行ったらしく、目的地で観光をしたりすることはなく、むしろそれを嫌うような傾向にあり、鉄道に乗って終着駅到着後にすぐ引き返したりと… 鉄道に乗って移動すること自体を目的とする旅を行ったようです、、、

    また、鉄道に乗車する際には借金をしてまでも一等車への乗車を志向するが帰路は三等車に乗車したり(中途半端な二等車には乗りたくない!)、旅の本筋と関係ない回想が長々と挿入されたり、早起きはしないから朝御飯は食べないし、昼間から風呂には入らないし、名所旧跡へは行かないし、登場人物を辛辣に指摘したり… と、癖が強く、偏屈で理屈っぽい性格が如実に表現されているので、好き/嫌いが分かれる作品でしょうね。

    でも、包み隠さず、素直な気持ちを表現したエッセイとして受け留めることができれば、そのユーモアが理解できるにつれて、徐々に笑いながら読むことができると思います… 私が実際そうだったんですよね、、、

    序盤は戸惑いながら読み進め、中盤以降は気持ちが同化して愉しんで読めました… 不思議な魅力を持った作品ですね。



    『特別阿房列車』は、記念すべきシリーズ第一作で特急「はと」での東京~大阪の往復旅行記、、、

    戦時中に廃止されていた東海道本線特急列車が本格復活したのを機会に、汽車旅行好きの「百けん」が「戦前以来久方ぶりの長旅」として挙行した旅ですが、借金による旅費調達と、東京駅構内での右往左往するという旅立ちまでのエピソードが長い長い… 旅行記というよりも、阿房列車という鉄道に乗るための企画を思い付き、実行に移すまでの経緯を描いた作品という感じでしたね。


    『区間阿房列車』は、東海道本線(御殿場線経由)静岡まで普通列車での旅行記、、、

    国府津駅で列車に乗り遅れた「百けん」と駅員との間で繰り広げられる珍問答が印象的でしたね。


    『鹿児島阿房列車』は、鹿児島・八代への旅行記、、、

    土地勘のある中国地方の情景は懐かしく感じますね… 「百けん」の故郷である岡山を通り過ぎる場面や、尾道から呉線経由で瀬戸内海を眺めながら広島へ向かう場面、そして、広島へ立ち寄る場面等が、特に印象に残りました。

    広島駅到着後に、当時、出汐あたり(母校の近くなので懐かしい… )にあったらしい上大河駅近くの宿までの移動に利用される宇品線は、既に廃線になっているし、私が物心ついたときには、貨物専用の路線だったような気がしますね… 広島のことを思い出しながら読みました。


    『東北本線阿房列車』は、かつての大学教授時代の教え子(「百けん」流の呼び方では「学生」)のいる盛岡に立ち寄り、青森県の浅虫温泉へ至る旅行記、、、

    盛岡には当時でも朝9時前上野発の青森行き急行で日着できたが、朝寝坊の「百けん」は早起きを嫌い、昼に上野を出る仙台行き準急で福島市まで行って一泊… 翌日の昼過ぎに福島に到着する青森行き急行に乗り込んで盛岡に向かうという、2日がかりのマイペースぶりを発揮します。

    うーん、1日旅程が延びてもポリシーは変えないんですよねぇ… 今回も偏屈ぶりが前面に押し出されていましたね。


    『奥羽本線阿房列車』は、浅虫温泉から東京までの帰路を描いている旅行記、、、

    青森の街で床屋を探してふらつき、秋田では名物・ハタハタに絡んだ珍問答を繰り広げ、横手からは横黒線(現・北上線)の途中駅まで寄り道するなど脱線の連続… 最後は仙山線経由で仙台・松島を経て食堂車で杯を交わしつつほろ酔いで帰京。

    今回は珍しく(初めて?)お土産(熨梅、なめこの缶詰め、方言を染み出した手拭)を持ち帰った旅行になりましたね、、、

    「ヒマラヤ山系」がお土産に持ち帰ったこけし人形は、誰も受け取ってくれず… 読者にこけし人形の引き取りをアナウンスしていましたが、いったい、どうなっちゃったんでしょうね。

    なかなか笑えました。


    ちなみに、旅に同行する「ヒマラヤ山系」とは、、、

    当時国鉄職員で「百けん」の文学上の弟子だった「平山三郎」のことで、本名をもじって「ヒマラヤ山系」と呼んでいたようです… この二人の微妙にずれた珍妙なやりとりも、本作品の魅力なんでしょうね。

    当時は新幹線も民間航空会社もなく、時間をかけた鉄道の旅… 現代では失われてしまった旅の魅力があったのかもしれませんね、、、

    のんびりと時間を使い在来線を利用した旅もイイかもしれないなぁ… と感じた一冊でした。

  • 特に何の目的も持たずに長距離列車に乗る旅を綴った物語。
    目的が無いだけに大きな出来事も起こらず単調ですし、文章や感じも古くて少し読みにくいのですが、現代との違いが生々しく感じられて面白い。
    内田百閒という人は偏屈で惚けたオヤジながら、何とも憎めない雰囲気を持つ魅力的な人ですね。

  • 戦後直後の乗り鉄の旅。
    近代文学的な淡々とした展開で、読むのに時間がかかった。

    「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」
    「今度は用事はないし、一等車はあるし、だから一等車で出かけようと思う。 (中略) しかし用事がないと云う、そのいい境涯は片道しか味わえない。なぜと云うに、行く時は用事はないけれど、向うへ着いたら、着きっ放しと云うわけには行かないので、必ず帰って来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行ではない。そう云う用事のある旅行なら、一等になんか乗らなくてもいいから三等で帰って来ようと思う。」

  • 用事もないのに列車に乗って遠くへ行くのは阿保のようだと言って、そうして乗る列車を阿保列車として旅するのがこの本である。ヒラヤマ山系君を相棒に大阪や鹿児島、東北を旅する。なんとものんびりしている。移動する時間は午後から。起きられないから午前中いっぱい、宿で過ごしている。乗り継ぎで2.3時間待つことも。プラットホームのベンチでぼーと待っている。

  • 用事がないときに用がないところへ列車に乗っていくというエッセイ。内田氏のどこかひねくれているように見えてある意味筋は通っている物の見方もさることながら、毎回お供に選ばれるヒマラヤ山系氏がこれまたいい味を出していて面白い。山系氏がもし普通の人?だったらこんな旅は3分で物別れに終わるのだろうが、どこかぼんやりしているが知り合いも多くそこそこドラマを運んでくるこの塩梅が、物語のような面白さを発揮しているのかも。

  • 内田 百〓@6BE1【著】

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