そして二人だけになった―Until Death Do Us Part (新潮文庫)
- 新潮社 (2002年11月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (557ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101394312
感想・レビュー・書評
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再々々読くらいです。
でも、読むたびに驚きがある。
(私が長期記憶を保持していないからかもだけど)
森博嗣作品の中でも、かなり好きな一作。
A海峡大橋に秘密裡に作られたバブル。
そこに集まった6人の人々。
しかし二人は偽物。
本人の振りをしているだけ。
そこで起こる殺人事件。
一人・・・また一人・・・殺されていく。
疑心暗鬼。
渦巻く謎。
これは・・・そんなミステリでありながら、
なんだかとても美しさも感じる話なんです。
森博嗣作品は多くがそうなんですが。
張りつめられた精神の、
社会に併合するため、深く深く沈み隠された「核」の精神の美しさ。
そういうものを感じさせられます。
再読してみて、
ああ、この部分、こういう精神が、
「彼は実は〇〇であった」
という部分に通ずるものがあると感じました。
そんな僅かな諦めのせいで、僕はとても気楽になった。立派な仕事をする自分、社会との関わりに生き甲斐を見つける自分。そんな幻想から、逃れることができたのだから。僕は、以前よりもずっと陽気に振舞えるようになっていた。毎日が、わりと楽しかった。ただ、もちろんそれは、外面的なことに限られる。僕の本質が変化したわけではない。おそらく、深海魚みたいに、光の届かないところまで潜ってしまっただけのことで、どこかで、ひっそりと、僕の幻想はまだ生きていたかもしれない。
そう、きっとその精神は生きていた。
光の届かないところで、夢を見ていた。
それが、発現した。
そんな一作。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
トリック?と呼んで良いものか、物語の鍵となる部分だけはかろうじて覚えていたものの、細部にいたってはほとんど忘れていたのが現状、という2度目の読書。
ここにいたるまでにすでに15冊の本を書いていたということと、まだデビューから3年ほどしか経っていないということ、そしてこれが90年代に書かれたにもかかわらずその内容がとても前衛的(というか未来を予見したものというべきか)だったことに、軽い目眩を覚えました。
最近の森博嗣作品を読んでいると、やけにスケールがでかいというか、妙に派手なロケーションではありますが、なるほど、そういうことのためかと最後は納得いかせるあたりがさすがです。
ネタバレをせずにどうやってレビューを書けば良いのか悩みますが、衝撃のどんでん返しがやってきます。そこから読み進めていくと、頭の中は必ず、これまで読んできた箇所に意識が飛んでいくはずです。
あれ?え、じゃああそこは、どういうこと?
え?じゃあ、あれは、読んだままじゃなかったっていうこと?
え?え?どういうこと?じゃあ、あれは?どうなってたの?え?もしかして、あれも?
それを確かめるためには、たぶん、読み終えたすぐ後にまた初めから読まないといけないのだとは思うのですが、なにせラストが秀逸すぎて魂の抜けた殻のような状態になってしまうため、しばらく無気力状態に。
読んだ後にどれだけ残り香を残せるかが、名作の分かれ道だと思うのですが、これは名作ルートをまっしぐらです。
そして蛇足ではありますが、森博嗣初心者の方々は、これを読んだ後に水柿助教授シリーズをお読みになられると、森博嗣という方の振り幅の広さを体感なさると楽しいかと思います。
そういえば、昔、森氏のブログか新書のどちらかで「森先生は二重人格なのですか?」との質問に対し、森氏は「失礼な。そんなに森は単純ではありません」とお答えされていて、しびれました。 -
10年以上前に読んだ作品だが、先月帰省したときに実家で見つけたので、再読した。この作品はシリーズではなく、単独の長編で僕としては森作品の上位に来る面白さだ。
この作品と、百年シリーズ2作の計3作だけが新潮文庫から出ているようだ。最近ではこの作品も講談社から出ているのだろうか。
久しぶりに読んだが、かなり忘れていて読み進めるうちに所々思い出し、最初に読んだ頃のことを思い出しながら楽しんだ。しかし、結末はなぜか思い出せなかったな。
とにかく面白かったので、読み始めたら止まらない。日曜1日かけて最後まで読んでしまった。そう言えば、最初に読んだ時もそうだったなと...。
まず、引用に特殊相対論が出て来ることが心憎いというか、こういうやり方は結構好きなので魅力的だと思った一因であろう。さらに、結末がなんとも言えず奇想天外というか、意表をつかれたものだったので、二度楽しむことが出来たのかもしれない。しかし、こんな印象的な結末なのになんで覚えてなかったのだろう。まあ、これ読んだのは10年以上前のことなので、詳細は思い出せなかったのかもしれない。それとも結末読むまで思い出したくなかったのか。
これを読み終わった後になぜか、サリーとビリー・ミリガンを思い出した。 -
森博嗣『そして二人だけになったそして二人だけになった ― Until Death Do Us Part』読了。
海峡大橋を支える巨大なコンクリート塊内部に造られた「バルブ」と呼ばれる閉鎖空間に6名の男女が閉じ込められる。密室と化した「バルブ」内で次々と起こる殺人の結末は・・・・・・。という王道の本格ミステリの体で物語は進行していくが、段々と状況は奇妙に歪んでいく。読ませる展開とミステリとしての完成度は見事、しかし魅力的なのはこの物語の真相についてだろう。客観的な事実とはなんなのか、相対性理論が引用されるこの物語はそれ自体がそういった見方を試されている。
舞台や設定の面白さは素晴らしい。トリックについても絶妙。違和感を感じさせる展開や会話は謎を呼び、常に先が気になるようになっている。だが問題は賛否両論ある結末についてか。深く語ることはできないが、解釈が何通りもある物語は多々あるが、解釈が片っ端から瓦解する物語はそうそうない。それが成立する筆力はおそらく無二のものだろう。 -
入りやすい
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私にとっては森作品の原点です。この作品を読んで、森博嗣の作品をすべて読まなければ、と心に決めたのものです。
トリックも、構成も、文章も、どんでん返しも、すべて美しい作品だと思います。随所に挿入されているマザー・グースの詩も大好き。 -
巨大密室空間バルブ内での話、臨場感ある描写、壮大で面白い
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さくさく読み終えた。
はずだったのだが、ラストのどんでん返しにより、わたしの理解力をはるかに超えた内容に一旦思考停止。
ネットで解説を読み、ようやく腑に落ちた…ような、そうでないような。
真実や、何が正しいか、何が本物かなんて本当は誰にも分からなくて、正解はひとつじゃない。
ただ、自分がそう思うのなら、きっとそれが正解。
森先生のそんなメッセージが聞こえたように感じた。 -
自分で自分を殺すのではなく
自分の人格に、別の人格の自分を殺させる
「大人になる」
ってことだって
きっとたぶん
「大人の自分」が「こどもの自分」を殺しただけのことかもしれない -
…何にも云えねえ…。
何を言ってもネタバレになりそうな気がします。
まず最初に見取り図があって、まさかの新本格?と思っていたら、やはり森博嗣。着地点は全然違います。
見取り図を見たときは、「十角館の殺人」とか「インシテミル」を思い出したんですけどね。
四角くない部屋は掃除が大変だって。
で、あんなこととかこんなこととかがあって、さあ、二人だけになりました。
さて、どちらが犯人でしょう?ってなると思うでしょう?
私には犯行の不可能証明はできないので(だって理系ミステリだもの。私の知らないトリックなんていくらでもあるはず)、誰がこの犯行が可能かという視点で犯行を見ていたのだけど、誰でも可能なんですよ。見事に。
誰もが怪しくて誰もが可能。そしてみんな死んでいく。
救助を待っている間に殺されてはかなわないので、密室から脱出を図るのですが、そこからが怒涛の展開。
どんでん返しに次ぐどんでん返し。
結局どんな事件だったのかというと…これがまた解釈はいかようにでも。
もちろん作者の意図する解決というのはあるのでしょうが、多分作者はそこに重きを置いていないと思うのです。
考えて考えて、これが真相だと思えばそれがあなたの(私の)正解でいいと。
真相って、その程度のものだと。
大事なのは、自分の頭で考えることなのではないかと思います。
だから、あちこちに考える手がかりがちりばめられています。
英語のタイトル(Until Death Do Us Part)から考えるのもよし、各章のタイトルに使われている相対性理論から考えるもよし、「ロンドン橋落ちた」から考えるもよし。
私はこの作品、森博嗣版「姑獲鳥の夏」と読みました。
なんでかと書くと、やっぱりネタバレになってしまうので、書けません。
この本読んだ人と直接語り合いたくてしょうがない。
隔靴掻痒の極みで申し訳ないです。
でも、すごく濃密な読書ができたことは間違いないです。