- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101456218
感想・レビュー・書評
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☆山本周五郎賞
1935年(昭和9年)の冬、40歳の江戸川乱歩はマンネリ化した自分の作品に辟易し、連載をほっぽりだして異国情緒漂う麻布の<張ホテル>に逃げ込んだ。 <張ホテル>のボーイである美貌の中国人青年華栄や、滞在中の人妻ミセス・リーなど、乱歩の心を妖しく惑わす人々。その中で乱歩は「梔子姫」を書き始める。それは、久しぶりに乱歩の胸の底から熱く湧き上がってきた物語であった…。
ここでの乱歩は、その俗人染みた趣味や癖が細やかに書き込まれ、おどろおどろしい探偵小説の売れっ子作家とは程遠い、臆病で自信なげな四十男として描かれている。そして、<張ホテル>という不思議な空間に包まれ生み出される「梔子姫」は、この小説の主筋と絡まり合いながら、濃密で妖しげな物語となっており、久世氏独特の作風が惜しみなく発揮されている(ような気がする)。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
謎の美しき中国人青年と、探偵小説マニアの人妻に心乱されっぱなしな乱歩さん。妄想逞しく、変態じみてます(笑)しかし、散りばめられたエッセンスと文章がなんとも耽美で浸れます。
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昭和9年1月。極度のスランプに陥った40歳の江戸川乱歩は麻布の「張ホテル」に身を隠す。迎えたのは中国人の美青年のボーイ。知り合いになった無邪気で可憐で探偵小説に憧憬の深いアメリカ人の人妻。開かずの間のはずだが明かりがつき女の声がする隣の二〇一号室。いつの間にかいる灰色の猫。乱歩のいる部屋宛に届く「永遠の怨み」、「復讐」の花言葉を持つポインセチア。怪奇幻想と夢が入り乱れる中で、乱歩がこのホテルで書く小説内小説『梔子姫』のエロティシズム。所々に滑稽な描写もある謎めいた小説。乱歩作品も数多く引用されている。
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乱歩ファンが乱歩を主人公に乱歩作品を書くというすさまじい実験作。特に作中作での描写が妖艶ですごいのだが、乱歩はもちろんポー、クイーン等の解説と、未来からの予言(既に今は過去)の段で幾度と無く現実に引き戻されるのが難点。乱歩作の短編(除く少年探偵団)は9割方読んだよ、と言う人にオススメ。ジャンルむずかしー。
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江戸川乱歩――彼の人生は妖氛が漂う艶美なものであった。
異常と囲繞のはざまでクルリクルリとさかしまに踊る。
そして蟲が食んだような色硝子と探偵小説に暮れる日々。
はてさて世界との逆説にいかなる怪奇を送るのだろうか。
私はそれを彼の死後、いつまでも待ち続けるつもりだ。
楽しみだ。蒲公英の綿毛のように飛翔するのだろう、きっと。 -
久世輝彦さんの傑作中の傑作です。
1934年の冬、極度のスランプに陥った乱歩は行方をくらまします(事実)このことに着想を得た著者は、この間に乱歩がホテルの一室にこもり「梔子姫」という新作を書き上げたという話を作り上げました。ただこれだけの話です。ただこれだけなのに久世さんはものすごく面白い話にしてしまいました。
乱歩の人物描写が秀逸ですが、それ以上にすごいのが「梔子姫」という小説です。乱歩が書き上げたことになっていますが、もちろん久世さんのオリジナルです。妖艶で奇怪なストーリーは、もう言い切ります! 乱歩以上にすごいです!
もう亡くなってしまわれたのが残念ですが、久世さん以上に、妖しく美しく日本語を編み出せる作家はたぶんいません。 -
もうこんなペダンティックな文章で書かれた新しい小説は二度と読めないと思うと、残念というより悶え苦しむほど口惜しいのです。
まさしく自らの嗜好と性癖と偏向に呪縛されたイマジネーションの産物以外の何ものでもない、ピーンと張ったひとすじの妖しい耽美的感覚は、至上の喜びであると同時に戦慄の恐怖でもあるのです。
5年前の2006年3月2日、久世光彦は心不全で忽然と逝ってしまいました。享年70歳。
実際にひどいスランプになったことがある江戸川乱歩ですが、はるか80年を経た後年、自分が主人公にされて、環境の変化を求めて麻布の張ホテルで缶詰になり、そこで探偵小説狂いの人妻や謎の中国青年に悩まされつつも幻惑味たっぷりの新しい短編小説『梔子姫』を書く・・・・・などというまことしやかな物語をでっち上げられるとは、まさか夢にも思わなかったことでしょう。
二度目に読んだ時には久世光彦の息遣いが聞こえてきて、三度目には煙草の匂いがしてきました。そういうふうにして、著者というものは本の世界の中に永遠に生きるものなんだなあ、というより、私って他意識過剰なのかもしれません。 -
3年も前に買っていた本書を何故今まで読んでいなかったんだろう、私…。
当時久世氏が亡くなって間もなかったことと、乱歩への思い入れが強いことが理由かとは思うのだが、とにかく読み始めてすぐに何故もっと早く読まなかったんだろうと自分を責める気持ちでいっぱいになりましたね。
作家・乱歩を描いた作品としても素晴らしいし(自身の年齢や作品に対する鬱屈、周辺作家に対する思いやちょっとした逸話、ポーへの思い、同時代の海外ミステリについて等々、大変に興味深い)、単純に昭和初期の中年ミステリ作家を主人公とした奇妙な小説として読んでも面白いし、乱歩作として書かれる作中作『梔子姫』がまた実にいいのです。
ああ、でも、ある意味では今読んでよかったかもしれない。乱歩の感じる中年の悲哀みたいなものが、この歳になるとかなりリアルに身に迫ってくるから(^_^;)
まぁ、本作中の乱歩の年齢である40歳は、1934年当時は今の我々が感じるよりずっと老人に近いイメージだと思われますが。最近は30代を中年というと嫌がられるような世の中で、30~33歳までぐらいはまだ青年として認められるような風潮でありますが、数十年前には29歳でも中年とか表現されていたものですがねぇ…。
そういえば、『ブラック・ジャック』で、15歳の時に事故に遭って以来55年間意識不明だった男性が、B.Jの手術を受けて見事成功し、意識を回復したとたんに数分の間にみるみる老化し、本来の肉体年齢に達したと同時に老衰で死ぬって話があって、発表から数年だか10数年だか経って読んでたときには何とも思わなかったんですが、文庫になって読んでちょっと驚きました。だって、15+55って70ですよ?今のご時勢で、70歳で老衰で死ぬってリアルに受け止められます???でも、発表当時は全然自然な話だったわけですよね。こういうのを考えると年齢って何なんだという気になってきます。
……って、気付けば本題から何億光年か遠ざかってしまいましたね(>_<)
まぁ、あんまり作品に触れると味わいを損ねるので…という言い訳をしつつ終了(^_^;)
あ、でも、思い出して追加。
本作は、どうも乱歩に対して意地悪い見方をして、滑稽に描いている節が見受けられる(といっても決して悪意ではなく、嫌な感じではないのですが)のですが、中でもひどいなと思いつつ、つい笑ってしまったのが、乱歩が同宿のアメリカ美人妻と会話するシーンで、「禿げてるくせに甘えて訊ねてみた」というところ^^; いいじゃないか、禿げてても甘えたって!(笑) てゆーか、禿げで甘えん坊のスケベオヤジって結構ありがちなイメージじゃないか?あ、ここで「スケベ」って形容をつけてしまうのが私の禿げに対する差別意識か?f^_^;) って、ほんとステレオタイプなだけだと思いますがね。髪の薄い皆さん、何かはからずも暴言を吐いてしまって、ごめんなさいm(_ _)m 私自身の好みから言うと、別にハゲでもヅラでも特に思うところはありません。 -
1934年冬、乱歩が失踪する。失踪先は麻布のホテル。乱歩はそこでエロティシズムにあふれた短編を書き始めていた。と、いう設定で久世光彦が乱歩になりきって描いていく。