殺人犯はそこにいる (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (509ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101492223

感想・レビュー・書評

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  • カバーが強烈で思わず…
    (二重になってるんで、キャンペーン用なんかな?)字ばっかりいっぱい書いてある。
    これ、ノンフィクションやん!
    冤罪事件の!
    ええ感じに出来てる!
    「北関東連続幼女誘拐殺人事件」を中心として、著者の清水さんの調査報道などで起こるエピソードなどを語る。
    「足利事件」を無罪へと導いた著者やけど、そんな事より、まだ、どっかにいる犯人に注目してるのが、凄いというか本質を突いているというか…
    警察に至っては、誤魔化し、誤魔化しの連チャンで、何してるの?って感じ。
    それにぶら下がる御用記者も!
    何かズレてるんやな。
    ホンマは、そんな立場とかプライドとかより、「犠牲者を増やさない=犯人探し」でしょ!
    確かに間違いを認めるのは、キツいのかもしれんけど、それを認めて前へ進む事で進化する。
    人は誰でもミスるけど、それを次回に活かせるようする。再犯防止や!
    普通の仕事でも、そうやねんけどな。PDCAとかで、繰り返し改善していく。
    しかし、改善しても、失った生命が返って来ない…
    それがツラい…(T . T)

  • 『殺人犯はそこにいる』清水潔著

    ●本書の特徴
    半径10キロ。
    パチンコからの誘拐。
    幼女対象。
    数年ごとに発生。
    合計5件。

    うちひとつが足利事件。幼女誘拐殺人事件。
    17年勾留された容疑者は『無罪』。

    冤罪を証明、獲得した裏側を積み上げた報道者の清水潔氏。
    彼が、なぜ、冤罪かもという判断にいたったのか?
    そして、真犯人は、いまどこにいるのか?

    ●読了して
    仕事とは志をもって為す事と起きかえるという言葉がある。
    今回のこのノンフィクション、清水潔氏の書き下ろしは、彼の真実にたどり着くという筆舌できないほどの執念が溢れてかえっている。

    力強く。
    何度でも何度でも折れず真実へ向かう。

    この本は、報道のみならず、多くの分野において示唆を与えつづけるテキストとして残り続けるものと予感する。

    #読書好きな人とつながりたい。

  • 文庫も持っているがAudibleで再読(14h27m)。
    読了まで5日間。

    群馬県太田市と栃木県足利市という隣接する2市で5人の少女が姿を消した。犯行の手口に共通項が多いことから同一犯による連続事件ではないかと疑われるが、そのうちの1件「足利事件」だけが"解決済み"となっている。テレビ局の報道特番企画をきっかけに、一連の事件に疑問をもった著者が取材・検証を始めた……

    《感想メモ》
    ●「一番小さな声を聞け」
    これが著者の清水潔さんの第一の取材ルールなのだという。
    今回の場合の「一番小さな声」は5人の女の子達の声であり、被害者家族の声だった。彼らの声を掬い上げ、真相を解明するために、清水さんは気が遠くなるような地道な取材を積み重ねた。
    5件の事件を同一犯による連続事件として扱うためには、まず「足利事件」の"犯人"菅谷さんの無罪を証明しなければならない。そのためにはDNA鑑定結果の壁を突き崩さなくてはならない。警察の再捜査を促すために冤罪が疑われる別の事件「飯塚事件」の調査にも手を広げなければならない。素人の私の感覚からすると、小石を富士山の高さまで積み上げるような調査だ。「一番小さな声を聞け」が信条とは言え、一人の記者がどうしてここまで力を尽くせるのか、不思議に思うほどだ。
    徹底的に証拠と一次情報にこだわる清水さんだが、本書ではある不思議なエピソードも紹介している。取材開始初期に、5人の女の子たちが清水さんの夢に出てきたのだという。文庫で読んだ時、私は多分その箇所を何となく読み流していたと思う。しかし、Audibleで再読してみて、このショッキングな夢が清水さんにとっていかに大きな原動力になっていたかがよくわかった。執念の取材の根底にある清水さんの熱い思いが始終伝わってくる。まるでテレビのドキュメンタリー番組を観ているような臨場感と迫力。こういうジャンルを読み慣れていない人でも、あっという間に引き込まれてしまうと思う。


    ●捜査と証拠
    足利事件の犯人とされ実刑判決を受けた菅谷さんは、事件当時、自身の「週末の隠れ家」に多数のロリコン系アダルトビデオを所持していたとされ、それが菅谷さん犯人説の一つの重要な要素になったようだ。しかし、清水さんが再度調べてみると、証拠品として押収されたアダルトビデオの中に「ロリコンもの」は1本もなかった。行きつけのレンタルビデオ店でも、そうしたジャンルは借りていなかったそうだ。清水さんがこのことを当時の捜査関係者に問うた時の返答は噴飯ものだ。
    現場の担当者の思い込みや印象で捜査が進み、伝言ゲームで捜査方針や報道の方向性が決まっていた。おそろしいことだ。

    こうした印象や「刑事のカン」や伝言ゲームで真実を見誤ることのないよう、客観的証拠として重要な役割を果たすのが科学捜査であったはずだ。しかし、清水さんが調査を進めたところ、当時の科捜研のDNA型鑑定に問題点がいくつも見つかった。当時のDNA"型"鑑定というのは、世間で思われているほど精度の高い絶対的証拠というわけではなかったようだ。
    また鑑定の精度が上がった現在においても、たとえ全く同じ鑑定結果でも、それがどのような筋書きの中で、どのような位置付けで用いられるかで、証拠としての重要度は変わってくるだろう。時には、検察/弁護側どちらの有利に転ぶかまで変わってしまうかもしれない。
    あくまで互いに補完し合う証拠の一つのはずなのに、「DNA(型)一致=犯人」という絶対的で短絡的な認識が司法の場にも社会にも浸透していることに危機感を持った。


    ●人を裁くことの難しさ
    現在は裁判員制度で誰しも人を裁く立場になり得るが、警察・検察側が整えた証拠と、弁護側の証拠、日々専門性が高まる科学捜査の結果をもとに、予断を持たずに有罪無罪を見極めることなど、私に本当にできるだろうか。
    そして、万が一誤審で無実の人が有罪になってしまったら?無実の人に死刑が執行されてしまったら?長い年月の後に誤審が発覚したら?
    無実の人間にとっても被害者や家族にとってもあまりにも残酷で取り返しのつかない事態だ。そして真犯人は逃げ得で社会でのうのうと生きている。まさしく「殺人犯はそこにいる」かもしれない。
    せめて関係者には誠意を持って冤罪被害者に謝り、間違いを検証し、真犯人の捜査を行ってほしい。これは当たり前の感覚だと思う。この足利事件においては実際には何が起こったか。冤罪判決前後の関係者の対応はどうであったか。ぜひ多くの人に読んでほしい。一人でも多くの人にこの本を知ってほしい。

    ただ、清水さんの気迫に満ちた取材の過程を読んでもなお、というより、読んだからこそ、"警察の捜査は全て間違いだった!清水さんの出した結論が正解だ!"とすぐに飛び付くのに躊躇してしまう私もいる。これは清水さんの物語だからだ。警察側の物語である"菅谷さん犯人説"に疑いもなく皆が飛び付いた結果何が起こったかを本書で知ったからこそ、全ての情報に対し少し懐疑的になってしまう。


    ●事件や司法を考えるにあたって
    何か重大事件が起こったり、加害者に対する量刑や処遇に一般的な感覚からすると違和感がある場合、法のしくみや裁判の在り方を見直すべきという議論がしばしば起こる。
    また、本書を読んでいて、被疑者や遺族に対する警察・検察の対応、マスコミ報道の在り方に「おかしいでしょ」と思うところが多々あった。
    警察やマスコミの情報の出し方ひとつで、あるいは世間やネット上の無数の匿名意見が醸成する「空気」によって、異様に思えるほどの被害者叩きや遺族叩き/加害者・家族叩きが頻繁に行われていることにも胸が痛む。

    事件を報道で知る私は第三者だ。明日被害者側になるかもしれないし、加害者側になるかもしれない。無実の罪を着せられて被告席に立つ可能性だってあるし、裁判員として判決に関わることになるかもしれない。適正な捜査とは?適正な裁判とは?適当な量刑とは?少年法の在り方とは?死刑制度の是非は?こうした問題を考えるときに「もし自分が被害者だったら」と被害者の立場に思いを寄せる視点と共に、自分自身があらゆる立場になる可能性を持っている第三者なのだという視点を忘れてはいけないと思う。

  • 「桶川ストーカー殺人事件・遺言」の著者でもある清水潔さんが書いたノンフィクションである。
    清水さんは2007年より「足利事件」の追跡を開始し、確定していた無期懲役囚・菅谷さんは冤罪ではないかとの疑問を持ち、捜査の矛盾点や謎を継続報道。DNA再鑑定をすべきだと提起し続けた。
    2009年、日本初のDNA再鑑定により犯人のDNAとの不一致が判明。
    菅谷さんは釈放された。
    清水さんは文藝春秋において数ヶ月にわたりレポートを掲載。
    菅谷さんの釈放時にも迎えのワゴン車に同乗していた。
    何故こんな冤罪事件が起きたのか。
    清水さんはひとつひとつ丁寧に検証し、自身で取材をしながら真実へと迫っていく。
    「ルパン」と呼ばれる真犯人。
    実は清水さんによってすでに警察には情報が流されている。
    しかし、少しも事件解決に向けた捜査は進展していない。
    これは何を意味するのか?
    警察の威信とは何だろう?
    人間がすることだ。科学捜査における信憑性も時代とともに変化する。それは仕方のないことだろう。
    だが、間違いに気付いたときにどう対応するのか。
    そこにすべてがかかっている。
    腐った組織は隠蔽工作に走り、自浄力のある組織は反省すべき点を反省し二度と同じ過ちを繰り返さないよう努めるだろう。
    はたして警察はどちら側の組織なのだろうか?
    清水さんを突き動かしているのは「怒り」なのだと思う。
    突然奪われた未来、冷酷な犯人によって断ち切られた未来。
    残された家族の慟哭など犯人は理解できない。できないからこそ、こんなにも残酷なことができるのだ。
    「ルパン」もこの本を手に取って読むのだろうか?
    せめてほんの少しでも後悔の念があるのなら、逃げきろうなどということは考えないでほしい。
    罪を犯した者は相応の罰を受けるべきなのだから。

    清水さんの思いは「あとがき」に詰まっていた。
    大抵のことなら取り返しがつく。何とかなる。やり直せる。私はそう信じて生きている。
    だが「命」だけは違う。唯一無二。
    どれほど嘆こうが取り戻すことなどできない。
    一日も早く真犯人が逮捕され、真実が明らかになるよう願っている。
    けっして許してはならない悪もこの世にはあるのだから。

    【足利事件とは?】
    1990年5月12日、足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児が行方不明となる。
    翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された。
    犯人として菅谷利和さんが逮捕され、起訴され実刑が確定して服役していた。
    しかし、遺留物のDNA型が再鑑定により判明。
    再審で無罪が確定した。

    【北関東連続幼女誘拐殺人事件とは?】
    ・1979年8月
    足利市の八雲神社境内で遊んでいた近所の5歳女児が行方不明となる。
    6日後、渡良瀬川近くで全裸でリュックサック詰めにされた状態で遺体となって発見される。
    リュックサックは市内業者の特殊仕様によるもので数十個しか販売されていない。

    ・1984年11月
    足利市パチンコ店より5歳女児が行方不明となる。
    1986年3月8日、自宅から1.7km離れた場所で白骨死体として発見される。

    ・1987年9月
    群馬県新田郡尾島町で8歳女児が自宅近くの公園へ遊びに出かけたまま行方不明となる。
    1988年11月27日、利根川河川敷で白骨死体の一部が発見される。

    ・1990年5月(足利事件)
    詳細は上記にて記載

    ・ 1996年7月
    群馬県太田市のパチンコ店で4歳女児が行方不明となる。
    未だに何も発見されておらず失踪事件となっている。

  • 自分の全く知らなかった世界だった。
    殺人事件の冤罪なんて、この世にあるとは思っていなかった。それはきっと警察への信頼や、科学的証拠が絶対的だと思い込んでいたからだ。
    菅谷さんは冤罪で釈放されたが、まだ事件は解決しておらず、何らかの事情があり真犯人もまだ捕まっていないそう。
    しかしこの本を読んで、清水さんの伝えたいこと、訴えたいことは分かった気がする。

    ノンフィクションなので、読後は少し重いが、たくさんの人に読んでほしいと思った。

  • 途中で怖くなった。
    読み進めると更に怖くなった。
    読み終わったら吐き気がするくらい嫌になった。

    ノンフィクションは手にする事はないのだけど、友達が貸してくれたので読んでみた。
    ミステリーや警察モノ等々が好きでそこそこ読んできたけど、やっぱり楽しかった。だけど現実は小説よりも…冷たくて重くて怖くて救いがないのだと思った。
    この大きな壁に清水さんはこれからも立ち向かっていくのだろうな。陰ながら応援したい。

  • ノンフィクション。
    「刑務所のは、まずいですねえ」 脱帽。
    本来、求められるジャーナリズムの姿が清水記者の活動から見えてくる。形容できない気持ちになった。
    また、怒りを覚える自分に十分納得できる。本書は傑作。
    だからこそ辛い。ご遺族の方の傷は決して癒えない。本当の意味での解決は無理だろう。
    だがしかし、犯人はそこにいる。
    いいか、逃げ切れるなどと思うなよ。

  • 本書の筆者が書いた、「桶川ストーカー殺人事件-遺言-」を衝撃を持って読んだが、それに続く本書にも、大きな衝撃を受けた。「桶川」と同じく、傑作ノンフィクション。
    本書にも、ブグログ上に多くの感想が寄せられており、私自身の感想も、それらとほとんど同じだ。簡単に箇条書きにしておきたい。
    ■素晴らしい取材力。取材の「質」も勿論高いが、取材「量」がすさまじい。
    ■殺された、あるいは、今も行方不明の少女たちのためにアクションを起こし続けた、とご本人は書かれている。少女たちのために、検察・警察に真犯人探しの捜査を開始してもらいたくて、テレビ番組を作成し、雑誌に寄稿し、検察幹部に会い、国会議員にも働きかける、等、思いつくことは全てやられている。すさまじい活動量。執念の仕事人だ。
    ■しかし、それでも、今でも真犯人は逮捕されていない。捜査自体が行われていないのであろう、今後、真犯人が捕まることがなさそうなことに、憤りと失望を感じざるを得ない。
    ■筆者の必死の行動をきっかけに、冤罪で懲役刑となっていた菅家さんが無罪となったことは嬉しいことであるが、しかし、そもそも、このような出鱈目な冤罪が起こること自体に、構造的な問題があるはず。また、菅家さんへの償いはどうなっているのだろうか。

  • 書店員さんが、より多くの人に読んでほしいということで表紙を隠し「文庫X」という形で本屋さんに並んでいた本書。
    読み終えて思ったのはやはり、ひとりでも多くの人に読んで、知ってほしいということでした。

    TVやネットから日々流れていく情報量が多すぎて、何となく事件というものが軽く感じられるようになってしまった気がします。でもこうして活字で読むことによって、よりリアルに事件を知ることが出来る。

    筆者である「清水潔」記者の執念。ここまで調べて追及して書くということがどれほどのことか。

    この事件のことは当時ニュースをみて知っていました。同じ年頃の姪がいたので、気にしてみていた事件でした。それでも私の中では「連続女児誘殺人事件・犯人逮捕」で「終わった事件」でした。
    しかしそれは、警察やマスコミによる「操作された情報」だったのですね。

    ここ数年私はマスコミの情報はすべてが事実ではないと感じ、そのまま信じないことにしています。
    TVドラマや映画でも、警察や裁判所の「正義」にたいしての揺らぎを取り上げるものが多くなっています。
    それらが真実であるならば、私たち一般人は何を信じ誰を頼り暮せばよいのか・・・。

    冤罪で牢獄生活をさせられた人がいる。人生を台無しにされた本人とその家族に誰がどんな償いをしてくれるというのでしょうか?
    真犯人がほかにいるのに、捕まえることも牢獄へ送ることもしてくれない警察、裁判所、国に対して被害者の家族は何を信じどう生きてゆけばよいのでしょうか?
    そして何より被害者の幼い子供たちの未来を奪った犯人が今も普通に生活をしているという事実はどう解釈をすればよいのでしょうか?
    この事件に本当の意味での結末はあるのでしょうか?

    せめてこの本が、この国が住みよい平和な国であるための一石になることを願います。

  • わたしは想像してみた。ある日、身に覚えのない事件のことで突如として逮捕されてしまうことを。取調室で何時間にも渡ってお前がやったのだろうと責め立てられ、認めるまで食事も、眠ることさえ許されない場面を。
    果たして自分はやっていないと貫けるだろうか。
    そして、自分や身近な大切な誰かがそのような局面に出くわすことは本書を読む限り、ないとは言えないのだ。

    本書は足利事件を追い、それを連続幼女誘拐殺人事件だと断定し、そして真犯人を追うノンフィクションだ。
    当時の報道はテレビで観た記憶がある。
    犯人として服役していた菅家さんの無実が証明され、釈放された映像はよく覚えている。だがその裏側にこのようなことがあったとは。

    わたしはノンフィクションを読むときには文章に書かれたものをそのまま飲み込むことはなるべくしないようにしている。書き手がいる以上そこに書き手の想いが入ってしまうであろうし、物事を一方からしか見ないことは危険だと思っているからである。
    本書については特に、身内に警察関係者がいるので気をつけて読み進めた。
    それでも、読みながら怒りや焦りを抑えきれずにいた。
    こんなことが現実に現代の日本で起きているのか。

    著者である清水さんは何度も繰り返し訴えている。これは警察の捜査への批判ではない。冤罪の恐ろしさを訴えるための文章ではない。ただただ、幼い少女たちの命を奪い、遺族の悲しみを、冤罪で捕まった人の人生を踏みにじり、未だに野放しになっている真犯人を捕まえてほしいだけなのだと。
    清水さんは独自の取材でおそらく真犯人はこの人だと割り出し、捜査当局へ情報提供を行っている。
    にもかかわらず、未だ未解決事件であるということが恐ろしい。
    もちろん安易に逮捕はできないであろうと思うが、捜査が進展していないことが恐ろしいのだ。
    今ではDNA鑑定の精度も当時の比ではないほどに進歩しているであろうに、再調査すら恐らくはなされていない、もしくはされてはいるが放置されているのである。

    多くのマスコミ関係者、警察関係者、司法を扱う人々に、そして一般市民にも読まれるべき1冊だと心からそう思った。
    1日も早く、真犯人が捕まることを、そして遺族や冤罪で人生の多くの時間を刑に服してきた菅家さんが心休まる日が来ることを祈るばかりである。
    そしてこのような本をしたためることを決断した清水さんには賞賛と尊敬の念をおくりたいと思う。

著者プロフィール

昭和23年生。皇學館大学学事顧問、名誉教授。博士(法律学)。
主な著書に、式内社研究会編纂『式内社調査報告』全25巻(共編著、皇学館大学出版部、昭和51~平成2年)、『類聚符宣抄の研究』(国書刊行会、昭和57年)、『新校 本朝月令』神道資料叢刊八(皇學館大學神道研究所、平成14年)。

「2020年 『神武天皇論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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