とりあえず、上巻のみ読了。
物語がどこに向かうのか、ストーリーの進行軸のようなものを把握しづらかった。長編ということもあり、ねらい、構成や全体像がみえにくいのだ。だが、上巻を読了してようやく、下記のように捉えようという手掛かりを得た。
主人公、20歳の青年アルカージイ・マカーロヴィチ・ドルゴルーキーは、直情的に行動しがちで、少々思い込みが強い。人間的に未熟な面があり、危なっかしい青年だ。そのため、周囲に無用の困惑や混乱が生まれがちで、人間関係にさざなみが生まれる。そうした人間模様を丹念に描くのが本作「未成年」である。思えば、無垢な心を持ったムイシュキン公爵を軸に描いた「白痴」も同様の手法であったと思う。
アルカージイは、没落貴族ヴェルシーロフの私生児である。彼は、幼少時から、姓名を名乗る場面で必ず、敢えて自分が私生児であり、農奴の息子だ、と公言してきた。随分屈折した心情である。このことから、父子の相克と葛藤が主題なのか、と想定しつつ読み進めた。だが、どうやらそれだけでは無い模様。
また、小金をコツコツ貯め続けることで、いつかはロスチャイルドのような富豪になるという、野望と信念が語られる。だが、その後、賭博で大いに散財したりして、その努力もうやむやになり、その線で物語が語られるわけでもないと思わせる。
かように、多様な軸や要素が、入り乱れてゆくこともあり、どのテーマに寄り添いながら、読み進めるべきか、確信をもてないのであった。
上巻の終盤、賭博場でのスリリングが展開から、妹リーザと公爵の「関係」が初めて明らかになる。急加速する怒濤の展開に驚愕である。それまでの何章にもわたって不鮮明不可解だった公爵の苛立ちや言動、妹リーザの行動や表情の意味について、初めてヒントが提示される。下巻、公爵とリーザの関係がどうなるのか。また、アルカージイは、両者の関係にどう関わるのか、期待が高まる。
併せて、父子間の相克。ロスチャイルドを目指す野望の行方。カテリーナへ恋心(?)。それらの縦軸横軸への目配りも忘れるわけにいくまい。
そうか、かように、多数の横軸縦軸を同時に織ってゆくのがドストエフスキーの流儀なのか。大きな器、多彩な人間模様、複数のうねり。こうした独特の話法、流儀を学習しないと、戸惑いだけを抱えて読了するのかもしれない。
余談だが、アルカージイは、社会の底辺から富豪を目ざす理論について言及。若者らしい、渇いた野望である。この部分で、大藪春彦の小説の主人公を想起した。伊達邦彦(「野獣死すべし」)には、ドストエフスキーの血が流れている気がしてきた。