- Amazon.co.jp ・本 (567ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102010198
感想・レビュー・書評
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ドストエフスキー自身のシベリア流刑の体験を元にした作品(だと思う)。
刑務所内での人間関係、人間の性格など、今後の作品に活かされていると(訳者あとがきを読んで知ったが)あって、感慨深く思った。
途中退屈になりながらも、長い作品を読み進めていっての最後の言葉、その開放感には、胸を震わせるものがあった。
自由な現代に生きながらもどこかにある息苦しさに、響く一言だった。
読み終えてじわりと来た。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この本は表面上は『妻を殺した貴族の監獄の記録』と言うことになっていて、小説の形を取っているのだが、実際はドストエフスキー自身の監獄の体験記と言う形のドキュメンタリーである。
ストーリーと言うものはほぼなく、監獄の情景や人間の、密度の濃い描写が延々となされるため、読み続けると疲れるかも知れない。しかし時々手にとって少しずつ読んでみることで、19世紀ロシアの『滅び去った民衆』、つまり『最底辺の人々』の暮らしぶりに自分を共鳴させることができる。
その意味で、『カラマーゾフの兄弟』よりも現代に流行ってもいいと思える一冊。格差社会の現在の日本の中で、我こそは最底辺だと自称する自虐的な人たちが最近増えているが、そう言う人に読んで欲しい。選りすぐりの最底辺の人たちが屈強に生きる様が、そこには描かれている。
しかし、分かりやすく『最底辺』と言う言葉を充ててみた訳だが、それはあまりに表現力不足で、囚人達に失礼と言うものかもしれない。
『地下室の手記』とともに後の五大小説の母胎となったと言うことはあまりにも有名。これはどちらにも言えることだけど、読んでひたすら暗くなる、と言うわけではなく、陰鬱な描写の中にも突拍子に明るい描写が混じっていたりして、思わず噴出してしまうシーンすらあったりする。ドストエフスキーの小説は多くはこのような特性を備えているので、意外と読後感は悪くないと思う。
罪を犯し監獄に入れられても、人生はまだまだ続くのだと言うことを学んだ。人間はつまるところそこで死刑にされるなり、あるいはこれはシャバでも獄内でも同じことであるが、病気やら自殺やらと言った要因で、要するに死ぬまで生き続けるのであり、その結果人生は続くのである。『滅び去った民衆』と言う表現が出てくるが、社会的に破滅したとしてもまだまだ人は生き続けるのだ。 -
実際、わが国にはいたるところに、その境遇や条件のいかんを問わず、常にある不思議な人々、温順で、間々ひどく勤勉だが、永久に貧しい下積みから浮かび上がれないように運命によって定められている人々がいるものだ。これからもおそらくあとを絶たないだろう。彼らはいつも素寒貧で、いつもきたない格好をして、いつも何かにうちのめされたようないじけた様子をして、年じゅうだれかにこきつかわれて、洗濯や使い走りなどをやらされている。(本文より)
<a href="http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20010118/p1" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20010118/p1</a> -
思想犯として逮捕され、死刑を宣告されながら、刑の執行直前に恩赦によりシベリア流刑に処せられた著者の、四年間にわたる貴重な獄中の体験と見聞の記録。
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人間観察の面では芸術といってもいいでしょう。ただし、活字好きでないと途中でくじけます。暗く・重く・卑屈な感じがどうしてもありますから。
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ドストエフスキーの入門編としては入りやすいと思う。もっともつらい拷問は何か?ある種ドキュメンタリでもある作品。
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学生の頃一度よんだきり。読み返して、これはとびっくりして死の家は「生の家」であり精神の故郷だったんだと遅れて気がつきました。
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読むのに疲れた。主人公っていらんかったんじゃないかな?妻殺しってどうなったのかな・・。
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ロシア+監獄+死の家というタイトルからして、陰気で鬱々した内容かと思ったら違った。舞台は刑務所なのに何故か上品で、ほのぼの日常物と言えるような小説。
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イサイフォーミチとかのエピソードおもろい。