- Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102022016
作品紹介・あらすじ
精神と肉体、芸術と生活の相対立する二つの力の間を彷徨しつつ、そのどちらにも完全に屈服することなく創作活動を続けていた初期のマンの代表作2編。憂鬱で思索型の一面と、優美で感性的な一面をもつ青年を主人公に、孤立ゆえの苦悩とそれに耐えつつ芸術性をたよりに生をささえてゆく姿を描いた『トニオ・クレーゲル』、死に魅惑されて没落する初老の芸術家の悲劇『ヴェニスに死す』。
感想・レビュー・書評
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『ヴェニスに死す』は、映画とずいぶん印象が違う。
2作とも面白かったが、充分理解したとはとても言えないので、少し置いて再読したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
表題二篇が収録された本作。『ヴェニスに死す』が読みたくて手に取りました。
初老の芸術家アシェンバハは旅行先のヴェネツィアに滞在していたところ、同じホテルにポーランド人家族が居るのに気付く。その家族のなかに美少年タージオ(タジュ)を見つけ、一目で心を奪われてしまう。アシェンバハは遠目から海辺で姉たちと遊ぶ少年をじっくりと眺める時間が至福となり、次第に少年の後ろを付けたり、視界に入ることに喜びを感じるようになる。
アシェンバハの行動は傍から見れば変態的です。自分の子どもほどの年齢の少年に熱を上げ、自らを滅ぼす道へ突き進んでいきます。
ではアシェンバハにとって少年に出会ったことは破滅の始まりだったのかと聞かれるとそうには思えません。アシェンバハは少年に“完璧な美”を見出すことになりました。それは芸術家にとっては本望であり、不思議と純愛に映ります。
陶酔、耽美。そんな妖しげな世界観に引き込まれる作品でした。 -
厳めしい文学者、貴族の称号を持つグスタフ・アシェンバハはある日の散歩途中、突然旅への誘いに見舞われた。理性的な彼は芸術に倦んで、疲れたからだ。はたして、内面の旅でもあり、ヴェニスへ導かれる旅の始まりだった。
映画「ヴェニスに死す」を私は先に観た。よくわからなかった。
その後、ヴェニス、すなわちヴェネツアを訪れたことがある。まるまる2日間、街を、路地をさ迷いサン・マルコ広場でゆっくりとし、リド島にも渡った。
行ったと行かないではかくも認識がちがうものものなのか。当然だが文学「ヴェニスに死す」は描こうとしているころのものが、ヴェネツアの風物と深いかかわりを持っている。
行った人はわかるだろう、水に浮かんでいるまぼろしのような古い建物、丸い屋根。あの運河の臭気、ゴンドラのまがまがしさ。100年経っても変らないその姿。
「ヴェニスに死す」だから、最後は死ぬのだが何ゆえにか?文学の香ただようミステリーと言ったら失礼だろうか。芸術もミステリアス。
ギリシャの時代から極めてきた美の究極はどこにあるのか。感性は理性をも覆うのか。若さに老いは脆いのだろうか。 -
ヴィスコンティ映画で広く知られている小説。
今回のコロナウイルス禍において、カミュの『ペスト』が再評価されていますが、私が思い出したのは、この本でした。
ヴェニスにコレラが蔓延し始めますが、観光客の足が遠のくことを恐れた街はかん口令を敷き、ひたすら隠蔽します。
それでもまことしやかに、コレラの危険がささやかれるようになり、少しずつ人が減り、街に消毒液が巻かれるようになっていくヴェニス。
美しい保養地が、次第に死都の様相を見せていく不気味さが描かれています。
久しぶりに再読してみると、これまでずっと規律に沿って厳格に生きてきたドイツ人作家アシェンバハが、ヴェニスの海岸で出会った少年タージオの美しさに魅せられ、生命の輝きに惹かれていくていく様子が丹念に描かれています。
雲が立ち込めた薄暗い場所から明るくまぶしい場所へ。
観念的な世界から美しさの世界へ。
理性を捨て直感を選ぶ考え方へ。
ヴェニスという風光明媚な観光地と、そこで見た蠱惑的な美少年。
その二つに魅入られた老作家は、死をもってしてもその刹那、輝く幸せの中にいたのだろうと、改めて思われる内容となっています。
独特な内容で、読む人にとっては、耽美的と思われるかもしれません。
この老作家の行動は、実際にはかなり変質者のそれなのですが、格調高い文章効果か、犯罪的要素は特に感じられません。
主人公はただ少年を「完璧な美」として眺める喜びに浸っているだけなので、むしろ純粋な賛美に思えます。
最初に読んだ十代の時には、同収録の『トーニオ・クレーゲル』の方が刺さりました。
自分には持ちえない、持って生まれた美しさと華やかさを持った人々への劣等感と憧れが詰まった作品で、同じコンプレックスを持ったことがある人は、傷口をえぐられるような痛みを感じることでしょう。
それでも私は十代でこの本に出合えて心が軽くなったので、ほかの悩める青少年たちにも勧めたいです。
ノーベル文学賞受賞者で、『ブッデンブローク家の人々』『魔の山』など読み応えのある大作を世に残した作家、トーマス・マン。
この本は薄いので、彼の作品を何か読んでみたいときに、程よい長さです。
表紙絵の美しさ。
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私は哀しくも文士ではいし、まさしく「市民気質」な人間であるから、作者に共感することが難しい。創作活動に身を捧げる人には刺さるものがあるのかもしれない。
感性と理性、美と倫理、陶酔と良心、享受と認識との間で捥がく主人公が描かれる。
『トニオ•クレーゲル』→芸術家でありながら、後者にすがり生きていく。(文士はあなたの要件を解剖し形式化し、そいつに名をつけ、口に出し、挙げ句の果てにいっさいをどうでもいいものとして片付ける)
↔︎
『ヴェニスに死す』→美しい少年に陶酔し(前者に身を捧げ)、死ぬ。(美のみが感覚的に捉えることができる、たった一つの精神的なものの形式である)
芸術家として大成するためには、自己の世界観と感覚に没入し、孤独である必要があるだろう。しかし人間は1人では生きていけない。孤独の末に書き上げた作品を享受し、価値を与えるのもまた大衆であるからだ。
天才的な芸術家はいつの時代にも報われないような気がする。ショーペンハウアーの幸福論を読破した後で読んだので、多少理解が進んだ部分はあったと思う。
魔の山に至るまで、これら二つの対立概念に翻弄されていたのがマンの作品らしい。
せっかくなので今から映画を見てみる。 -
訳が古いうえ、やたらと長い分も多く、非常に読みづらい。芸術や芸術家、美やらなにやらについての思想、思索がくどくどと書かれている部分は難解で、理解できないことも多々あった。
「トニオ・クレーゲル」はまだすんなり読めたものの、「ヴェニスに死す」に関しては上記の思索が多く、理解できないので、何度投げ出そうと思ったことか。ドイツ文学に対する印象が悪くなった(笑)。 -
とても良い本 特にトニオ・クレーゲルは学生にすすめたい