幸福について―人生論 (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784102033012

感想・レビュー・書評

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  • まだ若いからこの調子で人生がずーっと続くと勘違いしてしまう

    あっという間に年取って死ぬまで、後悔がないように生きねば

  • 職場や友人などの人間関係の悩ましさについて、あれやこれや愚痴っていたら、「これを読むといいよ。きっと今のお前に響くことがたくさん書いてあるから」と、父が私に差し出した本。。。差し出されて、即効で数ページ流し読みしてから、ぐいぐいと世界に引き込まれ、まるで、たった今の私のためにあるような本ではないかっ!と、うなづいたり、開眼したりしながら夢中で読んだ。初めて出会った、自分にしっくり来る哲学書。この本に響いた人たちとなら、本当の意味で親しくなれる気がする。

  • 哲学書を読む楽しみは、個人的に二つあります。

    ひとつは自分が何度か考えたことのある問題を、名のある哲学者たちも考えたことがあったのだと発見すること。

    もうひとつは自分がこれまで一度も考えたことがない問題を指摘され、世界の見方が一変するときです。

    本書は前者に当たります。

    幸福は「モノの所有」と「他者との関係」では規定できません。

    欲しいモノを手に入れたとしても、手に入れた途端、また新たに欲しいモノが出てきます。いて欲しい人と望ましい関係を築いても、また別の人との関係を望むようになります。

    しかも病気になってしまえば、欲しいモノや築きたい人間関係以前に、ただただ健康であることを望むようになります。

    モノの所有にしても人との関係にしても、常に相対化されてしまい、際限がありません。幸福であることの絶対的な条件を考えるとき、人やモノなど、自分の外部の状態によっては幸福を規定することはできず、外部がどんなに理想的な状態でも幸福であるとはいえません。

    ショーペンハウアーは、幸福を、享楽が大きいことではなく、苦痛がより少ない状態だと指摘します。苦痛を少なくするには、社交的であるよりも孤独である方がよく、才能に優れた人なら、孤独であっても退屈とは無縁で、自足することができると説いています。

    才能無き身ながら、共感することが非常に多い本でした。また、本書がよく売れているのも、社交に違和感を感じ、孤独を好む人が増えているからでしょうか。

  • アバタロー氏
    1851年一般向けエッセイ「余録と補遺」に集録
    世界が苦しみで満たされていることを認めた上で、人として理想の生き方、現実的な幸福の手に入れ方について示した

    《ショーペンハウアー》
    1788~1860年ダンツィヒ生まれ(ポーランド)
    ドイツ哲学者
    父はビジネスで成功、家族で1年商用旅行
    貧困や格差があることに衝撃を受けた
    医学部から哲学部に移り、カント、プラトン、インド哲学を研究
    著作は売れなかった
    講義時間をヘーゲルの講義に故意に合わせ聴講者が集まらなかった
    1851年63才「余録と補遺」で脚光を浴びた
    ニーチェ、ワーグナーに影響を与えた

    《感想》
    良書で同感の内容だった
    戦争や災害が身近になってきた今、悪いことがないことや普通に暮らせていることが一番だ
    彼は比較や名声を重視するなと言っている割に、ヘーゲルと比較して大学講師を辞任したり、本が売れなく苦労していた
    生活していくには多少名声も必要だ

    ・1840年代歴史
    デンマーク戦争、パリ2月革命
    ・ヒルティ(1891年):キリスト教、ストア哲学
    ・アラン(1925年):ストア哲学、合理的ヒューマニズム
    ・ラッセル(1931年):現実主義、平和主義

    《内容》
    〇運勢に差を生じさせる3つのもの
    ・その人は何者であるか(品性人柄人間性)
    これが重要、比較するものでない、努力次第で高められる
    ・その人は何を持っているか
    ・その人はいかなる印象を与えるか
    この2つは重要でない

    〇不幸を呼ぶ承認欲求の切り離し方
    ・教養の獲得をあと回しにして内面を磨いてこなかった
    知的な暇つぶしで精神的満足が得られないと人間は生理的欲求といった低次元の欲求を満たす以外なくなってしまう
    裕福な子供がお金を使い果たしてしまう原因は退屈にある
    ・名声を得る事に執着するのではなく、名声に値するものになろうと考えを改めるべき

    〇人生の幸福を測る、真の物差しとは
    ・「ニコマコス倫理学」に集約できる
    賢者は快楽を求めず苦痛なきを求めるということだ
    ・幸福な人生とは、あまり不幸でない人生
    悲劇や苦痛をどれだけ回避できたのかを注目して、自分の人生そんな悪いものではなかった
    未来や過去を憎み現在に集中せずに生きるのは愚かなこと
    ・人間は異様なほど退屈を嫌がる
    老年に近づくほど他人事ではなくなる
    幸福になるためには何かをする、何かを成し遂げる、学ぶといった活動がかかせない
    最大の満足が得られる方法は、自らの手で何かを作り上げるということだ

  • 30歳を過ぎた頃に読むと、その後の人生が変わるかもしれない本だと思う。それ以前に読んでおくのも良いと思うが、それが本書に記されていることを行動として起こせるのだろうかと思ってしまう。30にもなれば、人生についてある程度の見解が開けてくる。その中で本書に出会うことで、さらに人生に幅を持たせ人間らしい人生を歩んでゆけるのではないかと思う。ただ著者に真似て言うならば、読んだからと言って変われるひとばかりではないと言うことだと思う。

  • 幸福は人間の一大迷妄である。蜃気楼である。だがそうは悟れるものでない。
    この悟れない人間を悟れないままに、幸福の夢を追わせつつ、救済しようというのである。
    人生はこの意味で、そのまま喜劇である。戯画である。ユーモアである。
    したがってこれを導く人生論も諷刺的、ユーモア的にならざるをえない。
    本書は厭世哲学者といわれる著者が、豊富な引用文と平明な表現で人生の意義を説き幸福を教える名随筆『処世術箴言』の全訳である。

    ショーペンハウエルと言うドイツの哲学者が書いた人生論。
    訳も良かったのだと思うけれど、面白い。
    1788-1860の生涯であったショーペンハウエルの書いてある内容が、
    今の現代でも大いに為になる内容が書かれている。
    時代が変わっても人間の本質や世界は変わっていないのかもしれない。
    騎士道の話についても、今の時代と全く関係のない内容なわけでは無い。

    幸福には二つの敵があり、その二つは苦痛と退屈だと言う。
    富裕層は退屈により幸福を阻まれ、
    貧民は苦痛により幸福を阻まれる。
    うんうんと頷ける内容が沢山ありました。

    人間の三つの根本規定と訓話と金言は読んで損は無いと思います。
    今後も再読をしたいと思う。

  • 「夢や希望を持ちなさい」と、孤独を退屈の象徴としてしか認識していない中身の空っぽな大人は言う。
    彼らは気付いていない。
    継続している幸福、殺し合いをしてまで人々が求めてやまなかった「第一の幸福」を、既にこの島国の人々が手にしていることに。

    彼らは虚ろな夢を世間にばら撒き、面倒な事に、社交性の中にも礼儀を要求する。
    彼らの脳ミソは、買収されている。植え付けられた欲望に振り回されている。

    それが、礼儀という虚飾に塗りたくられた世間の正体。
    とまどえる群衆が幅をきかせる社会。

    孤独の中に自由を見つけ、自分だけの誇りを持ち始めると、礼儀の馬鹿バカしさ、煩わしさ、誠意の無さに誰もが気付くだろう。


    だからこそ、下らない世間からは不死身になってしまおう。
    礼儀は所詮、玩具の金銭。
    倹約する必要は無い。惜しんだ所で、それは何とも交換出来ない。
    けれど、誇りを犠牲にしてまで礼儀を行う必要もまた無い。
    それは、玩具ではなく本物の金銭を差し出すのに等しい。


    求めるべきは、第二の幸福。「瞬間の幸福」。

    「健康」という言葉は使うときになんとなく気恥ずかしさを感じる。けれど、第一の幸福(継続する幸福)を実感するのには絶対に必要不可欠な要素で、また、孤独と正面から向き合う必要性を自らの内面に認める優れた個性を持つ人間は、自然と健康を管理する事の大切さに気付くだろうと思う。

    「人は死をもってして初めて、正確なモノサシを手に入れる」事が出来るのだから、例えば、1時間が長いのか短いのかは、その人の人生の長さと比較してみないと本当の意味では解らないはずだ。
    解らないことだらけの世の中なのだから、人間の一生とは怯えふるえて縮む程大事なモノではない。

    とやかくうるさい人々が何をわめこうとも、第二の幸福を捕まえる準備を、「礼を誇りと共に兼ね」ながら独り続けていこう。

  • 【第一章】人間の三つの根本規定 まとめ
    一.人のあり方人柄。
    →健康、力、美、気質、道徳的性格、知性
    二.人の有するもの、あらゆる意味での所有物。
    三.人の印象の与え方。
    →名誉。人からどう見られるか

    【フレーズ】
    ・内面的な富をもっていれば、運命に対してさほど大きな要求はしないものである。
    ・平民も奴隷も征服者も 本音を吐かせりゃ、昔も今も、人と生まれて最大の幸福は 人柄に帰する
    byゲーテ 西東詩集

    【格偉人達の"物"に対する考え】
    ・ソクラテス
    →「私に用のないものがずいぶんあるのだな」
    ・ホラーティウス
    → 「持たぬ人は多いけど、見向きもせぬ人は少ない」
    ・人生の幸福にとっては、我々のあり方、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである。
    ・人柄のもつ価値は絶対的な価値だということができる。
    ・道徳的性格のみは、時の力でも如何ともしがたい。
    【どういう生き方が理想的か】
    ・与えられた人柄を最大限に活用するだけである。
    したがって柄に合った計画だけに努力を集中し、柄に応じた修行の道に励み、他のいっさいの道を避け、柄にぴったりとくる地位や仕事や生き方を選ぶことである。
    ・富の獲得に努力するよりも、健康の維持と能力の陶冶とを目標に努力したほうが賢明だということも明らかである。
    ・人の有するものよりも、人としてのあり方のほうが、我々の幸福に寄与することがはるかに大であるにちがいない。

    【第二章】人のあり方について まとめ
    ・どんな場合にも肝心なのは、人のあり方、したがって人の本来有するものである。
    けだし人の個性は終始一貫どこまでも人につきまとい、人の体験する物事はすべて個性に色どられるからである。
    ・健全な身体に宿る健全な精神が、我々の幸福のためには第一の最も重要な財産である。だから我々は外部的な財宝や外部的な名誉を得ようと努力するよりは、以下の維持増進にうんと力を入れた方がよかろう。
    ★『優れた性格と有能な頭脳と楽天的な気質と明朗な心と健康そのもののような頑丈な体格、要するに健全な身体に宿る健全な精神』
    ・種々の財宝のうちで最も直接的に我々を幸福にしてくれるのは、心の朗らかさである。なぜかといえば、このような長所は他の何物を持つまでもなく、この長所そのものによって報いられるからだ。
    ・だから何よりもまず高度の完全な健康を得て、そこから朗らかさが花と咲き出るように心がけるがよかろう。
    ・日々適当な運動をしなければ、健康を維持することができない。
    →「生命は運動にある」アリストテレス
    ・全般的に見て、我々の幸福の9割が健康に基づいている。
    →むしろ健康よりも一切を軽く見なければならない。

    ★孤独について
    ・内面の空虚から生ずるのが、ありとあらゆる種類の社交や娯楽や遊興や奢侈を求める心である。これがために多くの人が浪費に走り、やがて貧困に落ちるのである。こうした貧困を最も安全に防ぐ道は、"内面の富"、精神の富である。なぜかといえば精神の富は、それが優秀の域に近づけば近づくほど、退屈のはびこる余地を残さないからである。ところで思想の汲めども尽きぬ活発な動き、内面の世界、外面の世界の千差万別の現象に触れて絶えず新たに湧き起こる思想の流動、思想の時々刻々に異なった結合を生み出す能力と、これを生み出さずにはいられない衝動、といったようなことのために、緊張の弛緩した数刻の刹那はともかくとして、優れた頭脳は全く退屈知らずである。
    ところが他方、高度の知性は高度の刺激感覚を直接の条件とし、意志、ひいては情熱の人一倍の激しさを根本としている。このような結びつきのために、すべての感情が他の人よりははるかに強く、精神的な苦痛はいうまでもなく肉体的な苦痛に対する感受性が高まり、どんな障害に対しても、いやほんの邪魔がはいったというだけでも、人一倍我慢ができない。そのうえ、想像力が旺盛であるためにいっさいの想念が強烈となり、したがって自己の嫌悪する想念も強烈なために、右の傾向がいやが上にも高められる。

    才能に富む人間は何よりもまず苦痛のないように、痛めつけられることのないように努め、安静と時間の余裕とを求める。
    そのために静かでつつましやかな、しかも誘惑のなるべく少ない生き方を求め、したがって、いわゆる世の常の人間というものに多少近付きになってからは、むしろ隠遁閑居を好み、ことに精神の優れた人であってみれば、いっそ孤独をすら選ぶであろう。それはそのはずだ。人の本来具有するものが大であればあるほど、外部から必要とするものはそれだけ少なくて済み、自分以外の人間というものにはそれだけ重きを置かなくてもよいわけである。だから精神が優れていれば、それだけ非社交的になる。

    ・凡人は娯楽と社交を求め、何よりもまず自己から逃れたい一心がはたらく。孤独の状態にある時には、各自の本来有するものが正体をあらわしてくる。この世では孤独と共同生活とのいずれかを選ぶかということ以外に格別の生き方もないからである。

    ★人間の内面にこそ湧く"幸福の源泉"
    ・内面の富を十分に持ち、自分を慰める上に外部からはほとんどあるいは全然何物をも必要としない人間が、1番幸福である。
    ・今独りになっているのはどういう人物かということが物を言うわけだ。
    ・優れた豊かな個性を持ち、とりわけ豊かな精神を持つということは、それが最も輝かしい持ち分からどういう展開を成し遂げたにしても、このような人間としては、最も幸福な持ち分に違いない。
    ・それに必要な条件は、独立と余暇である。
    だから、そういう人は他の人とは違って、享楽の外部的な源泉に頼る必要がないだけに、節度・節約によってこの条件を獲得しようとするであろう。
    ・すなわち、あらゆる外部的な快楽のために自己の安静と余暇と独立を無くすことこそ、愚の骨頂である。
    「幸福は余暇にある」アリストテレス

    【第四章】人の与える印象について まとめ
    ・他人の目を気にすることほどくだらないものはない。
    ・結婚は互いに利害関係が一致すればすれば良く、それは打算的でよろしい。
    ・妻に不倫された男性は、男性が妻の有責を責め、少なくとも離別を持って罰することを要求する。
    ・幸福は思想そのものにあった。
    このような幸福は自分の手から奪い取られるということがない。この幸福は「我々の手元にあるもの」これに反して、単に名声の幸福は「我々の手元にないもの」である。

    【第五章】訓話と金言 まとめ
    ・最も幸福な運勢の人は、精神的にも肉体的にもそう極端に激しい苦痛を知らずに一生を過ごす人であって、最大級の激しい喜びや大きな享楽。授けられた人ではない。
    →苦痛は積極的・肯定的に感じられ、したがって、苦痛のない事は、人生の幸福を図る物差しである。苦痛のない状態にあって、しかも退屈がなければ、大体において地上の幸福を達成したものと見て良い。

    ・どんなに心が痛んでも、今は過ぎたこととしておこう。どんなに辛くても。はやる心を沈めよう。未来の事は神々の懐にある。と考えること。
    「その日、その日を一生と見よ」セネカ
    ★つまり、この唯一の現実的な時をできるだけ楽しいものにすること。

    ★幸福のためになる金言★
    ⚫︎すべての物事を局限(制限)すること
    →苦悩は積極的だが、幸福は消極的だから。
    ⚫︎自ら孤独になり、自己に満足する生き方(思想を持つ)をすること
    →孤独を愛さない者は、自由をも愛さないということ。
    →精神の孤独に応じて身体的にも孤独(妻子のないこと)であれば、それこそ願ってもないことである。
    →健康の次に最も貴重なこの地上の財宝は、孤独のうちにのみ求めることができる。
    →人の本来有するものが多ければ、その人にとって他人の有する価値はそれだけ少ないわけである。
    →知的水準の高い人は、孤独によって2つのメリットを与えられる。1つは自分自身を相手としていると言う利益であり、もう一つは他人を相手としていないと言う利益である。
    →我々の苦悩のほとんど全部が社交会から生じるものであり、健康について我々の幸福の最も本質的な要素を出す精神の平成ということが、ちょっとした社交の為にも危うくされ、したがって相当程度の孤独がなければ存立し得ないものなのだから、それだけの理由から考えてみても、社交会を必要としないほどのものを、本来は神に備えていると言う事は、大きな幸福である
    →従って早くから孤独になじみ、まして孤独を愛するところまで来た人は、金鉱を手に入れたようなものだ。孤独によって、人間はいわば原始人アダムとして、自己の本性に合致した原始的な幸福に立ち戻らされるわけである。
    →ことに若い時から孤独に馴染んできたのであれば、孤立して自己自身を友とする習慣が加わってきて、第二の天性となっている。
    ⚫︎無駄な酒飲みや社交を求めるべきではない
    →人間が社交的になるのは、孤独に耐えられず、孤独の中で自分自身に耐えられないからである。そういう人の精神には、独自な運動を自ら掴むだけの原動力が不足している。だから、酒を飲んでその原動力を高めようとする。こうした方法でついには本当の呑んべえになってしまうものが多い。そうなると、かえってそのために外部からの不断の刺激が必要になる。それも最も強烈な刺激、すなわち自分らと同類の呑んべえによる刺激が必要になる。
    →この世で1番悪いものは、何といっても社交会だ。社交好きと言われるフランス人でありながら、ヴォルテールでさえも「この地上には口を聞くだけの値打ちもないような人たちがうようよしている」と言わずにはいられなかった。
    ⚫︎計画は、これを実行に移す前に、ゆっくりと再思三考するがよい。
    ⚫︎既に不幸な事件が起きてしまった場合、したがって、今更どうにもならない場合、こんなにならなくても済んだかもしれないとか、ましてやどうしたら未然に防げたかだろうかなどということは、考えてもみないくらいにすれば良い。そんなことを考えたりすれば、かえって苦痛を増して、どうにもやりきれなくなるかもしれない。その結果は、自分で自分を苦しめるばかりだ。すべて何事かが起きるのは、必然に起きるのだから、防ぐことはできないのだ、と言う大哲理を洞察して、宿命論の立場にのがれるがよい。
    ⚫︎朝の時間を有効に使え。
    →朝は1日のうちでは青春時代に相当し、全てが朗らかで清々しく、軽快である。
    ⚫︎適度な筋トレと運動を習慣とし、心身が疲れたらしっかり労わろう。
    ⚫︎他人との接し方について
    →多くの個性に接することをいつまでも避けていられる人は幸福というべきである。
    →人の行為に腹を立てるのは行く手に転がってきた石に腹を立てるのと全く同じ愚かさである。
    →相手によっては、「性質を変えるわけにはいかぬが、まぁ利用してやろう」と考えるのが、いちばん賢明な場合が少なくない。
    →知り合ったばかりの人間を非常によい人間だと思ったりしないように、細心の注意を払うがよい。
    →何事によらず気取ったり、ぶったりするな。
    →なるべく誰にも腹を立てぬがよい。けれども人の性格は変わらないものだということを常に確信しておけ。
    →「愛しもせねば憎みもせぬ」「何も言わず何も信じない」
    →怒りでも憎しみでも言葉や感情に表すのは、無益である。危険である。愚かである。笑止である。低級である。だから、怒りでも憎しみでも行為に表す以外に、決して表してはならない。言葉や表情に表すことを完全に避けていれば、それだけ完全に行為に表すことができる。
    →どんな出来事にも、いきなり大喜びをしたり、わめき苦しんだりせぬがよい。我々にとっては、何が有利か何が不利かの判断に欺かれることがあり得るからである。自分のわめき悲しんだ出来事が、後から見ると、自分にとって真にに最善のものであったり、大喜びした出来事が、最大の苦悩の元になっていたりする事は、ほとんど誰もが経験することだが、これは事物の変化と判断が我々を欺くことに伴う結果である。

    【第六章】年齢の差異について まとめ
    ⚫︎人付き合いが煩わしくなくなる
    →青年時代には、ドアの呼鈴が鳴ると楽しい気持ちになったものだ。どうやら来てくれたようだな、と思ったからだ。ところが後年になると、同じドアの呼鈴にも、私の感じをむしろ多少恐怖に似たものになった。さぁ来やがったぞ、と思ったからだ。才能のある優れた個人は才能があり、優れていればこそ、本当に人間の世界から属してきっていない。
    人間世界に対して2つの感じ方がある。
    青年期にはしばしば人間界から見捨てられているような感じがする。ところが後年になると人間世界を逃れているような感じがする。前者は嫌な感じである。この感じは人間世界を知らないことに基づいている。後者は心地よい感じである。この感じは人間世界を知っていることに基づいている。
    老年期になると、現実世界からは何一つ得ることができないのだということがわかり、この洞察にすっかり安住してどんな現在でも、どうにかこうにか我慢ができさえすれば、これを享楽し些細なことにも喜びを感じるのである。
    →何らかの意味で優れた人すなわち人類の6分の5を占める才能の貧しい分類にはともかく、属さない人は40歳を過ぎれば人間嫌いの徴候をまず逃れることはできまい。
    →独自の認識、すなわち独創的な根本見解の素材は既に青年期に集められる。すなわち、優れた精神が自己の使命に従って世間に寄与するのは、つとに青年期に収集したものである。けれども、自己の持つ素材を使い壊すのは後年なってからである。したがって大抵の場合優れた著述家が傑作を発表するのは50歳前後ということが知られるであろう。
    →青年は空漠として捕まえどころのないものを求める。欲望と憧れに胸を膨らませている。この欲望と憧れのために、青年は幸福に欠くことのできない平静を奪われる。
    →老人になってもまだ研究力があり音楽や芝居を好み、総じて外部のものに対するある種の感受力が残っていれば、幸せである。

  • 結構へそ曲がりで面白い。

    ==========
    2013年11月に読んでいながら気づかずに再読・読了してしまった衝撃!!!!
    前回犬の耳しなかったところを加筆。
    ==========

    [more]<blockquote>P8 幸福論という言葉そのものがバナナの叩き売り式の美辞麗句に過ぎないのであってみれば、論述の価値も条件付きの価値以上のものであろうはずもない。

    P17 一個の人間の自己自身としてのあり方、たった一人になってもどこまでもつきまとい、誰からも与えられたり奪われたりすることのないものこそ、その人間のひょっとしたら所有するようになるかもしれない何ものよりも、まして他人の目に映じた自己のあり方などよりも、本人にとって本質的であることが明らかだからである。

    P78 人の有するものの中に妻子を入れなかったのは、人が妻子を持つというよりは、むしろ妻子に持たれているからだ。それくらいなら、友人をその中に数えることができるように思う。けれどもこれもまた、持つ人自身が、友を持つと同じ程度に、他人の持ち物になっているのである。

    P164 名誉には概ね公正な審判者があって、嫉みのために損なわれることがないばかりか、誰にでもまず信用貸しの形で名誉があらかじめ授けられているのに反して、名声は他人の嫉妬羨望に対抗して闘い取らねばならず、その栄冠は自分にとって断然不利な審判者たちの構成する法廷から授けられる。

    =========
    (名声は名声を求める人を避け、名声を顧みぬ人に従う)名声は得るのは難しいが、維持するのはやさしい。この点でも名声は名誉と反対である。名誉は誰にでも授けられる。信用貸しさえもされる。

    P195 生活に対していろいろな要求を掲げ、自己の人生の幸福を広範な基礎の上に立たせようとする生き方はなるべく避けるように注意するがよい。他の建物はすべて土台が広ければ一番安定しているのに、人間の幸福という建物は、この点では逆になっている。【中略】総じて自己の一生に対して万端の準備を整えるということは、それがどういったことであっても、もっともよく見られる最大の愚行の一つである。

    P197 旅人の目には、歩むにつれて、諸々の風物が遠くから見たとは違った姿を取り、近づくにつれていわば変化するのであるが、総じて人生もまたその通りである。中でも我々人間の願望はその通りである。はじめに求めていたのとは全然別なもの、いやそれに勝るものを見つけることがよくあるものだ。

    p201 我々の注意は一部は現在に、一部は未来に注がれるが、いずれか一方が他方を損なうことのないように、両者の適正な振り合いを得るということも、処世哲学の重要な点の一つである。あまりにも現在にばかり生きている人が多い。軽率な人たちがそれである。あまりにも未来にばかり生きる人もある。小心な苦労性の人たちがそれである。
    =========

    P206 すべて物事を局限するのが幸福になるゆえんである。我々の眼界、活動範囲、接触範囲が狭ければ、それだけ我々は幸福であり、それが広ければ、苦しめられ不安な気持ちにさせられることもそれだけ多い。

    P220 寒さの厳しい時などに人々が押し合いへし合って身体を温めるが、社交はこれに似たもので、人間が互いに触れ合って精神的に温め合う働きだと見ることができる。けれども自ら多いに精神的な温かみを持つ人は、このような集団を作る必要がない。【中略】「非常に非社交的だ」ということは、まずそれだけで「優れた特性を持つ人だ」ということになる。

    P234 長期間の継続的な隠遁と孤独のために、人間の気持ちが敏感になり、何でもない出来事や言葉にも、甚だしきは単なる顔の表情にも、不安や侮辱や名誉の侵害を感ずるというのが、つまりその欠点である。ところがいつも世間の慌ただしい動きの中にいる人は、そんなことは一向気にもとめないのである。【中略】社交界にはいっても自分の孤独をある程度まで持ち続ける習慣をつけるようにお勧めしたい。

    P236 人の嫉みは、その人がいかに自分を不幸と思っているかを示すものだ。他人の言動に絶えず注意を払っているということは、その人がいかに退屈しているかを示すものだ。

    P243 寝る前とか、まして夜中に目が覚めた時の観念は、大抵、夢とほとんど同じくらいに事物をひどくゆがめたり転倒させたりしている。朝になると、こうしたお化けどもは、夢と同じく、一斉に退散してしまう。

    ============
    p248 我々の考え事を分類する整理箪笥を備え付けて、一つの引き出しを開ける時は、他の引き出しは全部閉めておくようにしなければならない。

    P260 睡眠は死の断片である。睡眠は死からの負債である。睡眠は性を維持するために氏から借金を刷る。あるいは死そのものが元金の支払だとすれば、睡眠は死の当座の利息である。利息が巨額に規則正しく支払われれば、元金の支払いを請求されることもそれだけ遅くなる。
    ============

    P269 われわれは人の愛を得ようと努めるか、人の尊敬を得ようと努めるかのいずれかを選ぶ立場であるといえよう。

    ===========
    p271 他人の話が真実・適切であるとか、美しくて洗練されて機知に富んでいるとかいうことには、理解も感覚も持ち合わせていないくせに、たといどれほど微かにでも、どれほど間接的にでも、彼らのケチくさい虚栄心を傷つけそうな事柄とか、何かの意味で彼らのこの上なく貴重な自我に不利な反響を及ぼしそうな事柄とかに対しては、繊細きわまる敏感さを持っている。彼らの傷つきやすいことと言ったら、つい知らずに子犬の足を足を踏んでキャンキャンいう悲鳴を聞かされるみたいなものだ。【中略】しかし他方、こういう人たちは、うれしがらせて味方につけるのも容易である。
    ===========

    P274 相手が男でも女でも、そんな相手はいなくても結構やっていけるのだということを、時折感じさせるのは、賢明の策である。【中略】「人を重んじない者は重んじられる」という気の効いたイタリアのことわざがある。

    P279 「赦して水に流すのは、自分の得た貴重な経験をむざむざと捨てるようなものだ」その人がそれほど大事な人間なら、何を言ってもまずどうにもならないのだから、それについて言うべきことはあまりない。小言をいうなり言わぬなりしてことを水に流すほかないが、しかしそれはもう一度やってくれと頼んだも同然だということを覚悟したほうがよい。

    P285 「ばたばたするのは、釘の抜けた蹄鉄」(スペインの諺)

    P291 知性や分別を見せるのが社交界で人気を取る手段になるなどと思っている者があるとすれば、そんな人はまだまだ生っ白い素人だ。それどころか知性や分別によって憎しみや怨みをかき立てられるのが、絶対多数の人間である。

    P296 鑞の天性は堅くて脆いが、少し暖めればしなやかになって、どんな形でもとることができる。

    P338 生命力の点からいえば、36歳までは金利生活者みたいなものだ。今日支出した分は、明日になるとちゃんとできている。けれどもそれからあとは金利生活者が資本に手を付け出した恰好である。【中略】だからこそ年齢とともに所有欲が強くなる。</blockquote>

  • 頭に思い浮かんだことをダーッとすべて書きなぐったような面白い文章。文章を書きながら思考が猛スピードで止まらずアドレナリンが出ているのが伝わる。凄く独りよがりな感じで、私は結構好きだった。たまにこの没入感に浸る為に手に取ります。

  • 人生とは、幸福とは何かについて。学生時代のおすすめ本だったが気がするが、やっと読んだ。学生時代にはわからなかっただろう価値観かなあ。「他人の生涯に起こった痛快な出来事を羨む人は、そのことの重要性を認め得る才能を持っていると認識すべき」「主観と客観の両面で考えること。景色が美しくてもレンズが曇っていれば劣悪なものとなるし、その逆も然り」「ことさらに民族や文化を主張することは、個人の特性に欠けることを表しているようなものだ」

  • 格言の引用を多用し、皮肉を交えて処世術を考察する本。

  • 三ヶ月ぐらいかけてゆっくり堪能。徹底した厭世ぶり。人が幸福なのは不幸でない状態だとする彼の考え方は自分のそれと同じため、読んでいて気持ちよかったです。
    快楽や物質や名誉を得るよりも苦痛を回避するべき。それはこの本に書かれていることであり、自分が普段実践しちゃってることです。そのため筆者によれば自分は幸福なはずです。そうなのかな。ふむ。そうなのかもしれない。
    でもでも顧みれば自分が失ってしまったものはあまりにも多い気がします。幸せなぶぶもあればそうじゃない部分もありますね。幸せなんてやっぱり定義しにくいですね。
    なかなか興味深かったです。
    ショーペンハウアーの孤独は言い訳がましいな。

  •  休日の読書として、古典をとりあげた。

     ショーペンハウエル『幸福について』。まあ、人並みに幸福だとは思うが、小人物などで、つならないことに気をやむ傾向にあり。

     この本を読んで気に入った言葉。

    (1)青年期の立場からみると、人生は無限に長い未来である。老年期の立場からは、極めて短かった過去である。(p334)

    (2)不合理なことが民衆の間に、あるいは社会において語られ、著書に書かれて堂々ととりあげられ、すくなくとも論難の対象とはなっていないことがあるが、およそそういう不合理に接した場合、絶望的になって結局いつまでもこのままなのだろうと考えるのはよくない。そうではなく、問題はあとになってぼつぼつ再検討をうけ、正体を明らかにされ、熟考を加えられ、論究の的となり、大抵の場合結局正しい判断がくだされるのだから、問題のむつかしさに匹敵するだけの期間がたてば、かつて一人の明敏な頭脳が直ちに看破したところをついにはほとんどすべての人が理解するようになるのだということを知って、それで心を慰めるがよい。(p272)

    (3)「幸福に生きる」ということは、「あまり不幸でなく」すなわち我慢のなる程度に生きるという意味に解すべきものであることから、幸福論の教えが始まるのでなければならない。もとより、人生は本来、楽しむべきものではなく、克服し始末をつけるべきものなのである。(p184)

     いずれも奥が深い。なまじっかのやすっぽい幸福論とは違い、厳しいが、人生、その厳しさを克服し続けることが幸福だということで納得した。

  • 誰しも、他人の目を気にしながら生きてしまうものです。若ければなおのことではないでしょうか。ただ、他人の目を気にすることによる弊害はどんなことがあるのか、気にするにしても、自分のなかでぶれてはいけない部分はどこなのかを再認識させられました。
    ショーペンハウアーの言うとおり、幸福というものは自分のもの、生活というものは、自分自身のためのものなんですよね。

  • 内容がぎっしり。読み切るのに時間がかかった。
    人生について、人間について。考えを改めさせるような話。
    今でも読み返すと為になる。ずっと持っていたい作品。

  • 青空をかばんに入れて持ち運びたいというよこしまな理由から購入。読んでみたらショーペンハウアーのいやみな感じにはまる。

  • まだ全部読んでいないけど、幸せについて考えさせられる。苦痛と退屈・・・うんうん。

  • 痛いけれどもかつての青春のバイブル。

  • こう考えておけば人生すべてが良く見える。いい意味で。

  • 爆笑必至!!
    ショーペンハウエルの凡人向け論考!(らしい)
    つまらない悩みはこれで一蹴できるでしょう。

  • 1年以上かかって、ようやく1人旅をきっかけに読みを終えることができた。大学に入って哲学に興味を持って哲学書になるものを初めて購入したのが本書であるが、結論から言うと私はそこまで哲学には夢中になれない。この本は数多の古典的な哲学者に比べて比較的平易だし、自分の好きな哲学者だからスイスイ読めるかと思いきや読み進めていくと疲れてくるし、イライラしてくる。理由としては、論理的に解決することが不可能であると思われる課題に立ち向かっていくという哲学の本質上仕方のないことだが、どうにもこうにもややこしすぎる。そしてややこしいのに解決しきったとは言い切れない。ここが哲学の特徴であるが、自分はこの点が少し馴染めなかった。哲学に関してはガチガチの入門書ぐらいが自分には会う気がする。

  • 大人になるにつれ、幸せについて考えることが増えて、でもそれがうまく言葉で定義できず、哲学者の力を借りようと思い読み始めました。自分の考えてる幸せと答え合わせもできてとても良かったです。重なる部分もあれば、そうかな?と思う部分もあり、読むのに少し時間がかかってしまいましたが個人的にはとても学びがあった本でした^^バイブルとして何度も読み返したい。

  • じぶんには何もない、退屈であるということが
    不幸を生む
    だから自分がどんな人間で何者になろうとしてるのかをよく理解すること

    ギリシャ哲学者 アリストテレス
    生命には動きがある
    いかなる生命も運動を本質とし、絶えず動きながらそんざいしている
    人間が手持ち無沙汰になりなにもすることがなくなると
    恐ろしいほどの退屈さに襲われる

    幸福になるには
    何かをする何かを成し遂げる何かを学ぶという活動が欠かせない
    自分の持つ能力を活用してほしいとか、その能力で成し遂げたいと願っている

    その活用方法は自らの手で何かを作り上げることをするが良い

  • 中年にもなり、会社生活定年も見える年になると、自分の生きざまを振り返り、哲学に教えを請いたくなるものだ。
    ずいぶん前のWBS スミスの本棚で紹介されていて、その後すぐ購入した。その番組後、この本は注目され一気に注文が殺到したとも聞いた。ずいぶん温めて、読んだもんだ・・・
    さすがは哲学者、どう生きるかを教えてくれる。
    ・幸福になるというのはなるべく不幸にならないということ。大きな不幸がない人は幸福だという。
    ・真の勝者は、名誉を争う諍いで攻撃されたら、無視する。
    ・不合理なことに絶望するのは良くない。後々、問題は再検討を受け、論究の的となり大抵結局正しい判断が下される。
    ・なるべく誰にも腹を立てぬが良い。人の性格は変わらないものだ。
    とは言え、ショウペンハウエルさん、結構偏見じみた考えもしてるのよ・・・
    ・見た目と虚栄に取り憑かれたフランス人 とか
    ・貴族男子が貧しい女性と一緒になると、金、持ち物を持って行かれるだけだからやめた方が良い とか
    老人になると、人生の積み重ねた学びや好色の衰えから、孤独に向き合えるようになる、とか・・・
    時代的には許されないようなコメントもしているけど、それもこれも含め、ちょっと偏屈哲学者が人生語った著として、また読み返したい。

  • 難しいことを、厳しい言葉や面白おかしく書いてあって
    とても面白かった。
    流し読みしてしまうところもあるし、グッと引き込まれてしまうところもあるし、
    読むときどきで、自分にひっかっかりが変わってくるのかなとも思う。
    時々また読み返したい。

  • これ、どっから読んでも幸福論の定義が分かり易く述べられていて、寝る前読んだら良い夢見れそうです。装丁も良いし(^^)

  • おすすめでいただいた本。

    幸せとは?

  • 10年クラ前に読んだけど
    内容が思い出せず…また読みたい。

  • 『読書について』に続いて読了。
    これは巷に溢れた自己啓発本とは一線を画する。少しでも曲解すれば無為に孤独な人生を送ることにもなり得る、ある意味危険な本かも知れない...。

    僕なりの解釈で超簡単にまとめると、「バカは群れをなすことで人生の退屈を紛らわせる一方で、教養人は精神的享楽を享受することで孤独を愛し、より幸福な人生を送ることができる。」

    教養人は有象無象の群れに交わるよりも、精神的享楽を享受する自分と最大限向き合うことのできる孤独な環境に意義を見いだす。言わば、教養人はバカよりも幸福を見い出せる環境を多く持っている。

    身の回りや世間、そして自分を見つめ直すとこの主張には残念ながら納得させられる。「孤独」がネガティブな意味を持つ社会である続ける限りこれは真理だろう。

    教養を身に付けることの大切さを新たな視点から教えてくれた一冊。



    【メモ】

    精神的に非凡な個性を絶えず楽しむ人は一般人の求める享楽の大部分は無い ソクラテスは奢侈に興味なし
    財を得る努力はするのに教養を得ようとはしない
    下等な人間は社交的 賢者は外部を必要とせずとも充足
    低級な頭脳の持ち主が退屈 知能があると時間を活用 →暇を過ごすための動機(奢侈)を無理やりつくる
    再生力の享楽(飲食 睡眠 休息)・刺激感性の享楽(遊歴 乗馬)・精神的享楽(考察 音楽 学習 読書 瞑想 哲学)
    精神的享楽は人間特有なもので溌剌として有意義
    →知的な生活が目的になり身辺は手段
    逆に精神を求めず、虚栄を求めて幸福なる者はそれでok
    貧しい出は出世する
    金を持っても精神的享楽がなければ退屈
    誇りは内的に自己完結、虚栄心は他者評価から自己是認
    知的無能に道徳的邪悪が加わる
    アリストテレス「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」消極的享楽より苦痛を積極的になくす方が幸福
    時が経てば経験で幸福と享楽が遠目に見えても近づけば消える蜃気楼だとわかり、苦痛と苦悩が現実性を持つこ
    喜びの象徴は本質ではない 偶然性が喜び(街中?)
    肉眼には対象を小さく、心眼には大きく見せる
    苦痛を伴わず我慢できる程度の現在は享楽すべし
    未来を憂いて現在を蔑ろにするのは愚劣
    人間が社交的になるのは孤独に耐えられず、孤独の自分に耐えられないから キケロ「自分自身に依拠し、自己のうちに一切合財である人は完全に幸福」
    1人でいる時間が自分のあり方を自由に過ごせる
    妬みは人間自然の情で敵 セネカ→ 自分以上の幸福を見て苦しむものは決して幸せになれない
    自分にないものでなく、自分にあるものを見つめろ
    人間は能力を使用されることを求めてやまない→最大の満足は何かを作ること!
    幸福の目標が映像(生活 環境 住宅…)は辿り着いても消える→抽象的概念、教養のみは信頼できる
    健康が1番幸せ→筋肉は緊張させ神経は緊張させるな
    月並みと話す時は自ら低くして人と交わる
    人間は主観的で人の言うことを聞けばすぐ自分のことを考え、自分の個人的なことと関係あればさらに気をとられ話の客観的なテーマを把握する力の余裕がない
    条件が全て同じでないため他人の模倣はせず独創であれ
    他人を矯正することは困難
    抑揚をつけて話すことは感情に向かうこと→教授は違う
    時の作用と物事の変わりやすさを耐えず念頭に→幸福にあっては不幸を、晴天にあっては荒天を…

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