- Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102132012
感想・レビュー・書評
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<イワン・デニーソヴィチの「すこしも憂うつなところのない、ほとんど幸せとさえいえる一日」>
スターリン政権下のソ連。収容所(ラーゲル)での起床から就寝までの1日を淡々とした筆致で描いた作品である。
午前5時に起床し、野菜汁と粥の簡単な朝食を食べ、酷寒(マローズ)の中でブロック積みの作業をし、作業場近くの食堂で燕麦粥の昼食をとり、再び作業に戻り、作業を終えると点呼を受け、ラーゲルに戻り、野菜汁とパンの夕食にありつき、自室に戻っても外に出されて点呼を受け、ようやく眠りに就く。
そんな1日だったが、営倉へ入ることもなく、作業がよい調子で進み、タバコも買えて、病気にもならなかった。
「幸せとさえいえる一日」。単調なそうした日々は、3653日続く。
パンをいつ食べればよいかを考えて少しでも空腹感を紛らせる工夫をする。ときには粥や野菜汁を係の目をかすめて多く取り、自分が食べ、班のものにも回してやる。ちょっとした工作などの内職をして食べ物やタバコを分けてもらう。手に入れた木ぎれや針金で工夫して道具を作り出す。差し入れの小包をもらったものがいれば、機転を利かせて中身が盗まれないようにし、お裾分けをもらう。
イワン・デニーソヴィチは、目端が利き、器用である。だからといって狡猾すぎることもなく、根は親切で常識的な男である。
そうした男が、ときに暗い気持ちになりつつも、目の前にある、不自由で厳しいラーゲルの日常を、淡々と生きている。
理想家肌の元中佐、映画監督であったというインテリ、信心深い若者、したたかで班員にとっては頼りになる元赤軍兵士の班長。たかりやの「山犬」。脇役たちもそれぞれ個性的で、社会の縮図のようでもある。
読みたいと思っていたがようやく読めた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いつか読みたいと思っていたこちら、ちょうどロシア文学の話をするタイミングがあって、まずは手に取ってみました。上手く言語化できない読了感。ラーゲリの中にいるにもかかわらず小さな幸せを見つけるとか、希望を持つとかそういった陳腐な言葉を選びたくないんだけれど…。当たり前だがラーゲリの生活は過酷なことに加え、ロシアの冬の厳しさもあり、一人一人の生命は軽く、自分の生命に対するメタ視点というか、少し突き放して客観的に見つめる姿勢などもある。その中で淡々と、しかし生命の重さをしっかり宿して1日は過ぎていく。生命の輝きを感じる。やはり食べる描写は特にそれを感じた。帽子を脱ぐ、スプーンを出す、カーシャを掬って、口に運ぶ…。
英題だと"One Day in the Life of Ivan Denisovich"なので、よりそのニュアンスを感じる。最後の「こんな日が、彼の刑期のはじめから終りまで、三千六百五十三日あった。閏年のために、三日のおまけがついたのだ…」に繋がる。
Ой, мороз, мороз...と真冬の風と凍りと空気が思い出される -
強制収容所に入っている囚人の1日。極寒の環境で粗末な食事しか与えられず労務させられているのだが、結論から言うとハッピーエンド。脱出でも釈放でもない強制収容所のハッピーエンドがどんなものなのか。書くとネタバレになるのでここまで。
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過酷な状況にあっても幸福を味わえる。ついてないけどついてる。置かれた場所で人は生きる。
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強制収容所でのイワン・デニーソヴィチのとある一日を、起床から就寝まで細かく綴った小説。
煙草のおこぼれをもらう方法、スープを多く掠める方法、日中の労働がうまくいったときの充実感とか。
零下30度での過酷な労働と生活。
軽妙。
強制労働が生んだ文学としてはすごく読みやすくてところどころ笑える部分もある。
長谷川四郎と石原吉郎が読み返したくなった。 -
現代の、しかも日本人の我々から遠い場所での厳しい時代のさらにら厳しい生活の一日を、主人公の囚人はさらりと、しかし力強く誇らしく語っている。何事も起きないのが1番の幸せという謂れがあるが、まさにその真髄を骨まで染みらされた感じだ。
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旧ソ連の思想犯を管理する強制収容所(ラーゲリ)の一日の生活を淡々と描いた作品。
読んでると極寒のマローズが吹き抜ける中で粗末な粥を食べてるようなひもじい気持ちに襲われる。
そんな収容所の中でもビジネスは存在するわけで、夕食を2人分配給してもらうよう取引を行っていたりするのがなんだか微笑ましい。
繰り返される起床→労働→昼食→労働→夕食→就寝(たまに営倉行きや吹雪などのアクシデントあり)の中にわずかな幸せを見つけなければ精神崩壊するんでしょうね。
字がミクロ級に小さくて苦労した・・・ -
1945年、ソ連。対ドイツ戦争中に思想的理由で逮捕され、
強制収容所(ラーゲル)に収容されたロシア出身の著者の体験に基づき、
主人公イワン・デニーソビッチ・シューホフの、
収容期間3653日の内のある1日を描いた物語。
「もっとも、そんな魚の背骨やひれはひとつ残らず噛みしめなければならない。
けっこう汁が出るものだし、魚の汁には滋養がある。」
たとえ、支給されたスープに魚の骨しか入ってなくとも、
そこから可能な限りの栄養を吸収し、糧にする。
こんな感じで彼は、ラーゲルで与えられる仕事や食事を精一杯味わい、
一日を過ごす。そして、
「一日が、すこしも憂うつなこところのない、
ほとんど幸せとさえいえる一日がすぎ去ったのだ」
と締めくくっている。
しかし一方で、物語の節々から、「家に帰りたい」という願望が垣間見られる。
入所時に刑期は定められていても、いとも簡単に延長される可能性があり、
もはやいつ実現するとも測れない、出所というゴール。
「毎日のように、刑期は何日過ぎて、何日残っているかと、数えたものだ。
が、やがてそれも飽きてしまった。」
「自由になりたかったのは、ただ家へ帰りたい一心だった。
ところが、その家へ帰してはくれないのだ・・・。」
過酷な罰と刑期延長を背後に備え、
悩む暇もなく仕事に従事させることにより、
もはや囚人の出所の願望は薄らいでゆく。
そして囚人は、強制収容所という社会の中で、
上手く生き抜く術を見出すことに明け暮れる。
「ほとんど幸せとさえいえる一日がすぎ去ったのだ」
この「幸せ」は、誰が作ったものなのだろう。
自分と社会について考える機会をくれた一冊でした。 -
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(『世界史読書案内』津野田興一著 の紹介より:)
「かつてのソ連時代に、硬直した社会主義体制を批判する文章を書いたり発言したりした人々のことを、「反体制派知識人」とよんだことがある。著者ソルジェニーツィンは反体制派知識人の小説家。スターリン時代とはどのようなものだったのか。人が人を支配するとはどういうことは。そして人間とは?さまざまなことをぼくたちに教え、そして考えさせてくれる小説である。」
「1962年の暮、全世界は驚きと感動で、この小説に目をみはった。当時作者は中学校の田舎教師であったが、その文学的完成度はもちろん、ソ連社会の現実をも深く認識させるものであったからである。スターリン暗黒時代の悲惨きわまる強制収容所の一日を初めてリアルに、しかも時には温もりをこめて描き、酷寒(マローズ)に閉ざされていたソヴェト文学界にロシア文学の伝統をよみがえらせた芸術作品。」
「旧ソ連の政治家スターリンによる恐怖政治の時代、いわれのない罪で強制収容所に入れられた一人の男の朝から晩までが、国名につづられる。ー10年、3653日の刑期のうちたった1日。そこに人間の本質、人生の心理がつまっている。人はどんな状況に置かれても喜びや楽しみを見出し、誇りをもって生きることができるのだ。ーソルジェニーツィンは1945年、スターリンを批判したとして逮捕され、8年の刑を宣告された。そのときの強制収容所での経験をもとにした作品。」
(『いつか君に出会ってほしい本』田村文著の紹介より)