レッドアローとスターハウス: もうひとつの戦後思想史

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103328414

作品紹介・あらすじ

西武と団地は、何を生み出したのか-特急電車と星形住宅が織り成した「思想空間」をあぶりだす力作評論。

感想・レビュー・書評

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  • 全396頁の最後の2頁前に出てくる「戦後思想史を一国レベルで語ることの危うさ」がこの大冊の要点だろう.西武沿線の団地の歴史を詳細に述べているが,出てくる事象は様々だ.トクヴィルが喝破したニューイングランドの地域自治の多様さは,ひばりが丘団地と滝山団地に当てはまる.日本という国の政治思想史を抽象概念で一本化して捉えることの危険性は理解できるが,それを具体化した一連が本書だと思った.西武沿線に住んでいたので馴染みのある地名が頻出していたので読みやすかった.

  • 原武史さんの本は、何を読んでも面白い。
    同書は、まさに「空間政治学」を提唱する史の面目躍如である。
    岸信介万歳、アメリカ万歳であった堤康次郎は買収を重ねて西武鉄道を作り上げたが、その沿線に形成されていったのは各家庭が均質な生活を営まざるをえないようなソ連・東欧型の団地であり、住民となった新中間層は結果的に東京で最も共産党の勢力が強くなっていった。
    堤が理想としたロサンゼルスに近かったのは、むしろ五島慶太がレッチワースを理想として戸建て住宅の建設重視して開発を進めた東急沿線であり、こちらはハイ・ミドル階層が住民となることで保守の地盤となっていった。
    このように皮肉に皮肉が重なる形で話が展開してゆくのが同書最大の面白さであるのだが、ひばりヶ丘や東久留米などには全く止まらない特急に、西武が意図せず「レッドスター」と名前を付けてしまったところまでゆくと、もはや皮肉というよりほとんど笑い話にも似た趣が感じられる。

  • 中では触れられていなかったけど、個人的に「西武鉄道100周年記念読書」
    原武史先生のアイデンティティ、原点となった滝山コミューン1974以前、西武線沿線に団地が形成されるようになった1950年代~1970年ごろまでの西武線と団地、堤家と団地の人々について語られた1冊。
    個人的には自分が育った土地であり、親が育った環境である団地に関する考察というのは、4歳?くらいまでの記憶がある公団久米川団地や、都営団地を思い出させる光景でもあり、微妙な懐かしさがある話でもある。
    そして興味のあった団地という居住環境、武蔵野という土地、そしてその開発規模、時代性、それらが組み合わさることで独特の政治思想が地域に誕生するというのは再認識。
    一方で、永江朗が書いたセゾングループは何を夢見たのか? や上野千鶴子と辻井喬の共著本などセゾングループ研究本などと比較すると、西武・セゾングループというのが戦後政治思想などを勉強する上で、興味深いにもほどがありすぎるサンプルとして取り入れられるのではないか? という気がしてならない

    NHK出版本も読む!

  • 新所沢で育った身として、知らなかったことが沢山あった。元々は北所沢だった、駅が初の橋上構造だった、等。米軍の敷地だったり、航空管制塔がある為に、住んでいた時はソ連の核ミサイルの標的になっていると本気で信じていた。さらに防衛医大もあって国の重要な場所だという自負もあった。ライオンズが誕生した時の興奮は今でも覚えている。
    本書は、そんな新所沢の象徴だった駅前の団地の歴史の一端に触れた貴重な記録だ。
    実はこの地を離れてから、既に育った年数以上が経った。今では団地も含め街並みもすっかり変わってしまった。さらにこれも誕生から知っていたパルコ撤退のニュースを聞くにつけ、自分が知る場所じゃなくなっていく寂しさも感じていたので、本書は自分の原点を思い出させてくれた、大変有意義なものだった。

  • 我が国の高度経済成長期に、親米反共主義の堤康次郎の意思に反して、西武鉄道沿線で開発された団地を中心にソ連的住宅と共産主義が台頭していく様をあぶり出していく本書。スターハウスという建物の斬新さはその後は姿を消し、画一的な4~5階建ての集合住宅での公団住宅が造成され、そこには中間階級が入居したことにより、公の住民福祉が満足されない問題を顕在化させることになったことが、よく理解できた。もしかしたら日本人は、江戸の昔から社会主義的思想から抜け出せなかったのかも知れない。

  • 戦後西武線沿線に作られた団地群と、そこから生まれた政治活動や沿線カルチャー、気風を西武グループの歴史と絡めて考察。

    東京育ちの私には、西武と東急の開発ポリシーの違いや、沿線住民の気風の違いなど興味深かった。

    何よりも衝撃的だったのは、自分が子供時代に育った公団団地と、ソビエトの共同住宅が激似だったという、著者自らの体験記だ。

    西武の総裁は極めて天皇、自民、米国礼賛主義者だったのに、その沿線や団地では共産党支持住民基盤が形成され、赤旗祭りや共産系自治会活動がさかんに行われたという。その源泉は、完全に均質な住宅何千棟に世代、階層的にも同質な住民たちが地縁ゼロで集住するという、団地の人口空間にあったのではと。

    コミューンとまで呼ばれる集団を形成した西武線沿線団地群だが、それ以前には結核療養所が何十とやはり共産主義コミューンを形成していたという。

    しかも開通した急行列車はロシアのそれと同名の「赤い矢」号。なんか出来すぎている。

    平成が令和となって昭和がさらに遠くなった今、歴史書として昭和を辿っておくのは良いことだと思う。
    特に、ピークアウトした昭和と氷河な平成しか覚えてない私たち世代にとっては、戦後の復興、高度成長の熱かった昭和の時代の余熱を読み返すことは、大事かもしれない。


  • 西武天皇と共産党

  • 社会
    歴史

  • 戦後一面の原野に突如出現した人工的住居空間「団地」を母体とする思想独特の性格を、歴史的に解明して興味ぶかい。

  • 反共だった堤康次郎が勧めた西武園線沿いの団地はソ連のそれが参考にされた。
    理由として戦後、都心の人口増加に対応するには質より量が重視され、自家用車が普及していなかったため、アメリカのような郊外住宅地の建設が不可能だったためである。

    また、かねてから沿線には結核やハンセン病患者の療養施設があり、彼らを支援する共産系の団体の活動があった。

    ゆえに団地コミュニティに共産の活動が入ってくるのは自然であり、一時期共産の支持が高くなった、という研究。

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著者プロフィール

1962年生まれ。早稻田大学政治経済学部卒業,東京大学大学院博士課程中退。放送大学教授,明治学院大学名誉教授。専攻は日本政治思想史。98年『「民都」大阪対「帝都」東京──思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、2001年『大正天皇』(朝日選書)で毎日出版文化賞、08年『滝山コミューン一九七四』(講談社)で講談社ノンフィクション賞、『昭和天皇』(岩波新書)で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『皇后考』(講談社学術文庫)、『平成の終焉』(岩波新書)などがある。

「2023年 『地形の思想史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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