未来をつくる言葉: わかりあえなさをつなぐために

  • 新潮社
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本棚登録 : 824
感想 : 67
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103531111

作品紹介・あらすじ

この人が関わると物事が輝く! 気鋭の情報学者がデジタル表現の未来を語る。ぬか床をロボットにしたらどうなる? 人気作家の執筆をライブで共に味わう方法は? 遺言を書くこの切なさは画面に現れるのか? 湧き上がる気持ちやほとばしる感情をデジタルで表現する達人――その思考と実践は、分断を「翻訳」してつなぎ、多様な人が共に在る場をつくっていく。ふくよかな未来への手引となる一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 前半は出てくる専門用語?が難しく感じられた
    でも、7章あたりからぐんぐん面白くなった
    言葉やコミュニケーションは、自分の感覚や思考を言語化するためのツールと思っていたけど、わかりあえなさを繋ぐためのものでもあるのか
    大前提が覆る視点だった
    人生経験を積んでから再読したい

    最近他の本で読んだ環世界が、ここでも出てきたのが面白かった
    論理的な文章って、これのことなのでは?と感じた

  • 環世界(ユクスキュル Umwelt)
    - これは生物にとっての固有の世界。人間だけがその環世界を超え、拡張することができる。
    - 言語の多様性はすなわち、世界認識の多様性(フンボルト)
    - 「身体は原初の文脈(コンテクスト)である」

    ウェルビーイング
    - 「衣食足りて礼節を知る」「貧すれば鈍する」のこと。人間的、文化的な振る舞いをするために、「貧しない、衣食足る」環境を作りましょうということ。
    - しかし、足るというのは難しく、足るを知らなければ足らないのである。足るを知るのは主観的であり、他社が提供することは出来ない。じゃあ衣食足らせることは誰にもできないか?コレも違っていて、例えば生活保護は「生きていくために最低限必要な衣食足る」事が義務なのだ。マイナスをゼロに持っていく行為。しかしゼロでは礼節を知るに足らない。コレ以上は主観の問題でしか無い。

    生物の「進化」とは?
    - 一定の多様性を許容することとなる。「強すぎる個に揺さぶりをかけながら変化を促し続ける」
    - 一定確率の「異個体」→平時には死滅するが、有事には生き残り、他が死滅する。
    - つまり進化とは、遺伝子交換やノイズによって一定生まれる異個体が、たまたま環境変化に適合したから生存し、その異個体がスタンダードとして生き残ったということなのだろう。決して徐々に足が伸びたりエラが出来たりしたんじゃないと思う。突然変異なんだろう。
    - 自分のテーマとして自然法則をアナロジーとして企業活動に当てはめることなのだが、本書の指摘は厳しい。
    - これを人造的な人間社会に無理に当てはめないこと。企業に「生物多様性」を当てはめると破綻する。人間社会は自然の摂理(平衡状態)とは隔絶して存在している。が故にサステナとか騒ぐのだろう。

    守破離とアウフヘーベンの違い。
    どちらも「型」ではあるが、そこには日本的と欧米的な違い
    - 守破離
     - 主観的経験、つまり「これだ!」という域に達する感覚は自分にしか存在しない。「今年の漢字」なんていうのがあるが、漢字(表意文字)による意味体現は客観者に様々な解釈を与える一方で、その主張をあえて提示しない「でしゃばりな奥ゆかしさ」という構造を持っている。つまり「守」においてすら「これを守るべし。ただしその意図はおまえさんが気づきなされ」ということだ。だからこの世界は道と呼ばれ、道は常に己の後ろにしか現れず、「こういうことだったのか」という過去形で語られる。
    - アウフヘーベン
     - 前提「有意義な主張は、明確な構造の上にしか宿らない」。フレームワーク的思考。身体知ではなくあくまで客観的。他社採点方式とでも言おう。アルファベットは一文字で意味をなさず複数を一定の規則に従い連ねることで意味を成す。つまり「なにかを主張したければその文法をまもりなさい」ということであり、「言いたいことはわかるが作法が異なる」なら×なのだろう。
    - けだし、会社においては弁証法的な理屈の組み立てが求められるべきであるのだがなぁ。この感覚は、経営を投資家に説明するのに似ている。経営はpassionなんですよ!って言っても苦笑いされるだけだから、その理屈を構築するしかないのだ。しかしロジックにパッション混ぜると結着が弱い部分がどうしても生まれる。busi夢nnessみたいな事だ。
    - (というか弁証法はドイツ語では・??)


    メタローグ(ベイトソン) : 思考整理のための疑似対話形式
    - 対話はつまり、「重なり合わなさ」が故に建設的となり、価値を生む
    - そして、自他の境界がゆらぐような「重なり合い」は場となり、対話ではなく共和となる。
    - ゲマインシャフトとゲゼルシャフトに置き換えると、対話はゲゼル的、共和はゲマイン的なことだろう。じゃあゲマイン的な共和は建設的ではないのかというとそうではなくて、能の事例で出たように、その場にいる皆において、その境界が消えて一つの存在となる感覚、これが重要で、そのツールは飲み会でも運動会でも宗教でも何でもいいわけである。

  • 対話と共話、共在感覚。また新しい物差しを得た気がする。

  • パターンを理解する
    言語が環世界をつくる。
    共話と対話。
    ベイトソン→対象の自律性。
    コミュニケーションとはお互いの分からないを互いに受け止め、それでもなお共にあることを受け入れるための技法。

  • 安定のドミニクチェンさん。最初、それほどでもないなあとか思って読み進めるうちに、モンゴルの話とか、環世界とか、ベイトソンのメタローグとか、共話とか、むっちゃ楽しそうな言葉が並ぶわけですよ。特に、共話。モダンってのが西洋的な知性だとしての東洋的なものみたいなのを日本人としては追いかけるわけなんだけど、その追いかけ方自体は西洋のアプローチだったりするという自分があるわけですが。で、イノベーションとか創発とかを考えた場合にはこの共話的な概念がいいんだよね。ブレストってのはこの共話をシステム化したものだと思うんだけど、そんな言葉のあり方は実は日本語にはデフォルトで内蔵されているということを再認識したりしたのだった。

  •  ドミニク・チェンという人の構成要素が分かる本である。コネクティング・ドッツという言葉があるがまさにそれである。
     「タイプトレース」というアートを作ったり、発酵に興味を持ちぬか床を作っているという話は知っていた。その共通点が見いだせずずっと謎の人だった。この本を読むことで共通のものから派生していることが分かる。
     本書では「環世界」という言葉がたびたび出てくる。他者を理解することはその他者(モノの場合もある)の「環世界」の理解である。筆者はそのために様々な試みをしているヒトだと考える。
     筆者は生物・無生物を問わずあらゆるものが相互作用することに関心を寄せている。どのような部分が共通なのか。どこが異なるのか。相互作用を行うと何が生じるのか。それを探究している。
     対象の一見広い様に見える。実際のところは筆者にとっては同じこと、相当に重複が大きいことなのだと思う。なのでスイッチをしているという感覚もないのだろう。ずっと続けているうちに巨大な構造を為していたということなのだと思う。
     その探究がアートと呼ばれる実験装置による調査・研究の場合もある。自分の子供が仏語を学ぶ際に行ったとある試みの場合もある。ぬか床を維持したり、それを支援するロボットを作ったすることにつながっている。
     言語に関しては、ウィトゲンシュタインによる「論考」もある。筆者としてとりあげているのは「サピア=ウォーフ仮説」とノーム・チョムスキーやスティーブン・ピンカーによる生成文法、「普遍文法」である。前者について強い関心を持っているようである。
     後者は前者を批判しているが、個人的には両立しているものなのだと思っている。見ている角度が直行しているから交わらない。そんなものではないだろうか。
     つまるところ、①生成文法により母語を獲得する、②その母語を使って間世界を生成する、の2つ為す存在が生き物(機械等、的なものも含む)なのだと思われる。テクノロジーとヒトの研究することがこれらを知ることに直結していると筆者は考えているのだろう。

  • 『#未来をつくる言葉』

    ほぼ日書評 Day594

    帰りの新幹線「ぷらっとこだま」という特殊な環境下においてこそ、通読できた感あり。

    糠床に声を与えるNukabot(ヌカボット)、「そろそろ掻き回してね」とか発話するのだそうだ。こんなものを考えつくのも、さらに実際に作ってしまうのも、不思議である。

    日本語の「曖昧さ」を積極的に捉える「共話」という考え方は興味深かった。うなづき、合いの手等が、英語に比べ2.6倍も多いのだそうである。

    等々、興味深いフレーズを味わうには、我々の日常はあまりにも世知辛い。

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  • 本書を読んで思ったことが2つある
    ひとつは学者だけあって様々な文献から引用している言葉に対しての注釈の多さ この〇〇から引用という文字を全部抜いたらかなり薄い本になってしまうのではないかと感じた
    もうひとつは、著者は英仏日の言葉を自由に操れるバイリンガルではあるが、日本語もおぼつかない私にはその切り替えはどうしているのだろう?という疑問
    おそらく各国で名詞はもちろん、事象においては絶対にこれというのはなくて微妙にニュアンスが違うのだろうと思う その違いをどのように埋めているのかを知りたいと思う
    そして本書は、学者先生が書いた本らしく堅い言葉が多用されているがけして読みにくくはない
    同じ言葉を使っていても分かり合えないことは多い そのわかりにくさを埋めるために言葉はあるのかもしれない

  • いろいろな知識が得られたような気がします。言語、哲学、アート、デジタル、生物、異文化、といった各領域を横断して読み進めて行く際に、著者の身体性や経歴と結びついている構成となっているのが興味深いと感じました。

    なんとなくベイトソンの下りが個人的には好きでした。

    私は文体について詳しくわからないのですが、一種の外国語を翻訳したような独特さもありながら流麗な印象を受けました。また、キーワードの環世界を元に他者とのわかりあえなさを知りながら新しい知見へと発展させるための余白として見ている視線に著者の優しさが伺えたように思います。

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著者プロフィール

情報学研究者。

「2023年 『高校生と考える 21世紀の突破口』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ドミニク・チェンの作品

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