ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 77
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  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534044

作品紹介・あらすじ

猫が消えたことは、始まりに過ぎなかった。謎の女はその奇妙な暗い部屋から、僕に向かって電話をかけつづける。「私の名前を見つけてちょうだい」。加納クレタは耐えがたい痛みに満ちた人生から、無痛の薄明をくぐり抜け、新しい名前を持った自己へと向かう。名前、名前、名前。名づけられようのないものが名前を求め、名前のあるものが空白の中にこぼれ落ちていく。そして僕が不思議な井戸の底で見いだしたものは…。

感想・レビュー・書評

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  • 第2部のレビューを書く前に、第1部で気に入った文を記した時にもう一つがみつからなかった(忘れた)のですが、第2部の途中で思い出したので、ここに記します。自分のために。

    「好奇心と勇気は似ているものじゃないの?勇気のあるところには好奇心があって、好奇心のあるところには勇気があるんじゃないかしら」
    「そうだね。たしかに似たところはあるかもしれないな。そして場合によっては、君が言うように好奇心と勇気とがひとつにかさなるということはあるかもしれない」
    「黙って他人の家に入ったりするような場合にはね」
    「そのとおり。黙って他人の家に入ったりするようなときには、好奇心と勇気は一緒に行動しているように見える。ときによっては、好奇心は勇気を掘り起こして、かきたててもくれる。でも好奇心というものはほとんどの場合すぐに消えてしまうんだ。勇気のほうがずっと長い道のりを進まなくちゃならない。好奇心というのは信用のできない調子のいい友達と同じだよ。君のことを焚きつけるだけ焚きつけて、適当なところですっと消えてしまうことだってある。そうなると、そのあと君はひとりで自分の勇気をかき集めてなんとかやっていかなくちゃならない」

    ついでに、第2部でも、気にいった箇所をはります。
    「現実というのは幾つかの層のようになって成立しているんだ。だから君はあっちの現実では僕を本気で殺そうとしたかもしれない。でもこっちの現実では僕を本気では殺そうとしていなかったかもしれない。それは君がどの現実をとり、僕がどの現実をとるかという問題になると思うな」

    さて、第2部は「予言する鳥編」
    シューマン作曲の「予言の鳥」からきていると思います。
    これは、シューマンによる「狂気の世界」と私は思っています。
    ですから、この第2部にぴったりでした。

    主人公の夢みたいな、妄想みたいな、狂気のような。
    きっとすごく意味があるのでしょうが、
    充分に理解せずに曖昧なまま読み終えました。

    第3部にはいって、もしそのせいで困ることがあったら
    もう一度読み返しますから、許してください。

    それと、私は加納姉妹は好きです。特に妹のほう。
    第3部でもぜひ登場してほしいです。

  • 1994年5月20日 第三刷 再読

  • 感想は最後で。

  • 続けて第3部も読むけど、リアルタイムではここでいったん区切りがついていたはずなので、現時点で思ってることをまとめておきたいと思う。モヤモヤが多いですが、第3部まで読んだら解決するのでしょうか。
    *女性の強烈な性欲とか性的快感とか、一連のセックスがらみのあれこれは何を象徴しているつもりなのだろうか。そんで、僕とのセックスを通してクレタが生まれ変わった感じになったり、メイをして「あなたが私のために一生懸命何かと闘ってくれているんじゃないか」と言わしめたり、僕がやたらと力を持たされているかのようなのはなんでか。お母さんが小さい子を「ほら、あなたならできるよ!!」と励ますみたいなことか?これは自分が以前はなんとなく「僕」の側に立って読んでいたのが、今回クミコやクレタの側に立って読まずにいられなかったせいかもしれないんだけど、とりわけクレタの娼婦としての人生があたかも「…でしたとさ」というような寓話的語り口で回想されることには不満だし、気持ち悪く感じた。クミコやクレタが体の中に抱えるどろっとした塊とか苦しさって、顔の表面にできたあざどころじゃないでしょう?
    第1部で晩御飯ゴミ箱に捨てた時にも思ったけど、クミコの堕胎の件についてこの人肝心なところがまったくわかっていないように思えるんだが、そういう「男ってわかってないなあ」ってレベルの話ではないはずだし、2部のラストで何かを探し求めようと決意してるけど、根本的にこの人だいじょうぶか?いろいろよくわからない。(いっぽうで、この人の悪い意味でのナイーブさがいまだに自分にもあることは否定できない)(第3部ですっきりさせてほしい)
    *綿谷ノボル(が代表するもの)に対する憎悪や怒りがかなり凄くて、「下品な島の猿の話」とかちょっとこっちが引くほど怒ってて面白かった。「やれやれ」と言いながらアイロンかけてるだけの人、っていう勝手なイメージだけが記憶に残ってたから余計に。その思い込みについては謝りたい。
    *辛島デイヴィッドさんの本に書いてあった、ルービンさんが章ごと省いたという15章、新宿伊勢丹の近くの路上で若いあんちゃんに突き飛ばされるところとか、僕の脆弱さ口ほどにもなさが端的にわかって、いい場面だと思ったけどな。でもたしかに続いてたテンションがふっと緩む章ではある。さらにルービンさんは第2部の最後の章もまるっと省いて、第3部の最初の方もいろいろ変えているらしく、興味深い。
    *体の中からぬるっと何かが出てくる描写とか、上に書いた不満とはべつに、映像的にやっぱりすごいし楽しめてしまうんだよね。
    *札幌で会った奇術師?を東京で追いかける場面は、オースターとかミルハウザーの幻影師のやつとか柴田元幸さんが訳しそうな世界で、スリルがあってよかった。
    *細かいことだけど、最後の章で、クリーニング屋さんについて「この小さな世界では、何ひとつ変化というものはないのだ(P337)」「前衛もなく、後衛もない。進歩もなく、後退もない」とかって続くけど、クリーニング屋さんってお客さんの汚れた服預かって、汗だくになってアイロンかけて、そんな無味無臭のリズムのいい文章でさらっと表現できる仕事ではないと思うんだが、これはそこわかったうえで僕の(悪い意味での)ナイーブさをあらわすために書かれてるのか。まずはクリーニング屋でバイトするべきではないか(って、実は自分も昔人にそう勧められたことあるんだけど)
    *ノモンハンのパートが生煮えだから、そこは第3部に期待したい。

  • 2冊目の読書ノート 1993/9/5~2005/4/30に記載

  • [鹿大図書館学生選書ツアーコメント]
    私が村上春樹さんに出会ったきっかけは大学図書館で借りたことであります。世界の村上春樹、と言われるほど世界的に人気な著者の本を読むことは日本人として誇るべきことだと考えます。多くの国で愛される村上春樹さんの本を大学図書館に置いて欲しいと思い、選書しました。

    [鹿大図書館・冊子体所蔵はコチラ]
    https://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BN10565907

  • 自分も井戸に入って、考え事してみたい。
    メイとの会話、面白かった。
    奥さんとの関係はどうなるのか?

  • 淡々と読めるが、他作品と感じが同じ気がした。

  • 満州やロシアの複雑な話のところは読むのがちょっと面倒になった。
    だんだん混乱してきた。
    私だったらクレタ島行きたいな。逃げたい。

  • クミコは朝仕事に行ったきり、帰ってこなかった。
    間宮中尉の話からヒントを得た「僕」は近所の空き家の古い井戸のなかに降りて約三日間過ごす。クミコとの思い出を振り返り、色んなことを「僕」は考える。

    「僕」は女性を妊娠させ、堕胎手術を受けさせたことが二度ある。学生時代の恋人でもない女性と、結婚三年目のクミコ。

    井戸から出てきた「僕」の頬には何かのしるしのようなあざができていた。そして郵便受けにはクミコからの手紙が届いていて、性欲が高まって浮気をしてしまったと書かれていた。

    「僕」だって夢のなか(?)で、加納クレタと謎の電話の女と二度交わって無性してるし、加納クレタとはクミコと一緒に使っていたベットで交わった。けれどこのままクミコと離婚する気はない。

    何らかの変化が起こると、自分は新しくなり、もう二度と元の場所には戻れない。
    クミコは家に帰らないし、加納クレタはこれまでの名前を捨ててクレタ島へ向かった。笹原メイは学校に戻ることにした。古井戸のある空き家は取り壊された。

    新宿で見かけた男のあとをつけて、殴ったり蹴ったりしている「僕」はいったいどうなってしまうのか。
    謎が増えすぎていて、色んな伏線を回収できるのかを不安に感じながら第三部へ続く。

    ---------------------------------------------

    二度の堕胎手術のときはあっさりしてたのに、自分の顔にあざが出来たときには軽いパニックを起こしてしまう「僕」の態度の温度差に笑ってしまった。それはいくらなんでもひどいよ、オカダ・トオルくん(カタカナで書くと、なんだか元ビートクルセイターズのヒダカトオルみたい)。

    謎の電話の女は、過去に「僕」が堕胎させた子どもの魂なんじゃないかな、と勘繰りながら読んでいたがどうやら違うみたいだった。クミコから切り離された感情(生霊?)みたいなものなのかな。

    約三日間も井戸のなかにいたり、十一日間も新宿駅近くで人の顔を眺めた挙句、何年か前に見かけた男のあとをつけて暴行する「僕」はいったい何と戦っているんだろう。

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    青山ブックセンターで行われた、村田沙耶香さんと鳥飼茜さんのトークイベントに向かう電車のなかでこの本を読んだ。
    イベントは面白い話がたくさん聞けて大満足だった。行ってよかった。

    質問できる機会があったので、「作品を書いているとき、登場人物に感情移入して物語を進めているのか。もしくは自分とは別の存在、というふうに切り離しているのか」と訊いてみた。
    「自分と登場人物は別。感情移入というより、自分が言いたいことを登場人物に言わせている。自分は映画監督のような存在」と答えてくれた。
    すごく丁寧に回答してくれてサインも貰えて、ありがたい気持ちでいっぱいになった。

    村上さんも映画監督のような視点で小説を書いているのだろうか。もしそうであるなら、「僕」や加納クレタから発せられるセリフにどんな想いを込めているんだろうか。「やれやれ」にも想いが詰まっていたりして。

    自分としては、第二部でも「僕」の叔父さんのセリフ(309ページ)に刺さるものがあった。

    ”理屈や能書きや計算は、あるいは何とか主義やなんとか理論なんてものは、だいたいにおいて自分の目でものを見ることができない人間のためのものだよ。そして世の中の大抵の人間は、自分の目でものを見ることができない。”

    社会のなかで暮らすほとんどの人を馬鹿にしたような発言。こんなこと飲み会の席で言ったら、調子に乗ってると思われそうだな。何かを成し遂げたり、結果を出したことのある人だから許されるセリフだ。

    第3部も続けて読む。本当に面白い。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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