天平の女帝 孝謙称徳

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  • / ISBN・EAN: 9784103737155

感想・レビュー・書評

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  • 初めて読んだ作家なので、どう評価したらいいのか…。
    突っ込みどころはたくさんありました。
    でも、すごく面白かった。
    昨日、仕事があまり忙しくなかったら午後から休暇を取って、一気に読み上げたい!と思うほど。
    結局休暇は取れずに今朝読んだんですが。

    数少ない女性天皇の中で、二度皇位についたのは彼女だけです。
    孝謙天皇。称徳天皇。同じ人。

    仏教に帰依し、日本の各地に国分寺を作り、仏教王国をめざした聖武天皇の娘は、藤原氏の血を引く母(光明皇后)の意向で、藤原氏の血を引く男性天皇が出てくるまでの繋ぎとして天皇になります。
    そして一度母の看病に専念するために、藤原氏とつながりの深い男性に皇位を譲って上皇となります。
    が、母の死後病に倒れた上皇は、看病にあたった僧・道鏡を寵愛し、彼を天皇にしようと画策しますが事はならず…と、教科書には書いてあります。
    しかし真実は一体どうだったのか。

    てっきり女帝の生涯が書かれた作品だと思いました。
    が、女帝が崩御され、彼女に追放された和気広虫(っていう名前の女官)が都に戻ってくるところから話が始まります。

    一年ぶりに戻った都の様子、特に藤原氏の政治的な立ち回りに、折々思い出される女帝との日々を差し挟むことによって、女帝がどのような思いで天皇としての日々を送っていたのかが浮かび上がってきます。

    繋ぎの天皇ですから、結婚して子どもを作るなんてことはできません。
    しかし人の気持ちはそうそう割り切れるものではないのです。
    あくまでも恋する乙女であった孝謙天皇時代。
    挫折を知り、天皇として国や民を安んじることの大切さと責任の重さを痛感した称徳天皇時代。

    それを、女帝のいちばんそばに仕えていた広虫の視点で語られます。
    腹心の部下であったはずの広虫は、なぜ都を追放されてしまったのか。
    教科書に書いている一文には納まりきらない、互いの思いのすれ違いがそこにはありました。

    女帝は毒殺された。
    誰に、なぜ?
    これが一本の筋になっているのは確かですが、これはミステリではないので、割と早いうちにトリックはわかります。トリックがわかると犯人が、そして動機もわかります。
    しかし、このトリックで毒殺するくらいなら、この時代ですから呪い殺すでよかった気もします。

    「宇佐八幡宮神託事件」と「道鏡事件」についての真相(あくまで作品中の)に至るまでの流れが、実在の人物たちを使って、全く別物に見せていく手腕に、目からウロコがぽろぽろ落ちました。

    けれど、道鏡が弱い。
    人物造形がゆれている。
    徳の高い僧なのか、俗物なのか。
    女帝に対しても、一族のものたちの振る舞いに対しても、首尾一貫していないような気がします。

    で、藤原氏。
    「国」や「民」に責任を持つ天皇と違って、彼らは「藤原氏」の栄光しか考えません。
    称徳天皇が崩御されたときに権力を持っていたのは北家の藤原永手(ながて)。
    この人のことは知りませんでした。
    しかし彼が急死した後に勢力を伸ばしたのが式家の藤原良嗣(よしつぐ)。
    そして弟の雄田麻呂(おだまろ)。
    聞いたことがない名前だったのでてっきり架空の人物かと思ったら、のちの藤原百川(ももかわ)でした。
    他の勢力に対して一致して藤原家を守りますが、藤原家の一人勝ちになるとその中での勢力争いが始まる。
    実に生々しい一族です。

    藤原氏のために存在した孝謙天皇は、称徳天皇となって藤原氏のためだけではない国を作りはじめます。
    そのためには、男女ともに働きやすい朝廷であること。女性天皇への道を作ること。
    うーん、この辺も弱い。
    が、いま書かねば、という思いで書かれたことだとは分かります。

    “一度書かれて皆の目に触れたものを、後世の者の都合でそう簡単に書き換えることなど、できませんよ”

    書き換えられてしまった女帝の生涯。
    今までの歴史とは全く違った物語でしたが、これもありかと思わせられました。
    こういうのが歴史小説の醍醐味だよねえ。

  • 凡作。苦労して読み終えた。世評芳しくない孝謙帝を見直すきっかけを与えてくれるかと淡い期待をしたが残念ながら至らなかった。文章は読みづらい。治世中は「謀反や騒乱が繰り返され」、「労役や徴税で民は疲弊」、だが「偉大なる女帝陛下」は具体的に何を成したのか…?「この国は独裁ではなく合議を旨とする」と書かれた次の頁では「女帝がよしとされればすべては通る。女帝の意思がこの世の真理だった」…?支離滅裂じゃないですかね。陳腐な犯人探しやファンタジーも混ざって著者の妄想についていけなかった。…あれじゃ、不特定のターゲットを殺しちゃうでしょ。

  • 2016.8 いやまぁ読みにくいこと。人名に苦労しました。

  • うーーむ、、、。
    最後まで読めなかった。
    玉岡氏の作品は好きで、他のものは全部読んでいるのだが、どうもストーリーに対する興味が続かずページをめくるのが苦しくなった。
    奈良に都があった頃の宮廷が舞台とあって、関心もあって読み始めたが、
    宮廷が舞台だからこそ登場人物が不必要に多くて関係が分かりにくく、名前も難解で覚えにくい。
    またいずれ時間が腐るほどあるときに再挑戦したい。
    2016/08

  • 2度も皇位についた女帝を描く。
    読み応えがあった。
    皇太子から帝になった女帝がいたとは、驚き。
    回想から浮かび上がる女帝が、人として魅力的。
    その政治手腕も先進的。
    女性に天皇は務まるのか? 
    女性の力も活かす社会とは? 
    テーマもタイムリー。
    複雑な人間関係で、前半はやや入り込みにくかった。

  • 2016/08/14完讀

    ★★★☆

    第一次讀這位作者的書,感覺是文章相當工麗,這本書裡的孝謙(称徳)天皇從未真正登場,時值下一代的光仁朝(桓武父),其實都是在各個穿插角度與回憶中登場,由女官、即被真備女兒由利、和気広虫(因為宇佐八幡神諭事件,即道鏡登基事件,被流放到九州)、和養女澪穿插帶出整段故事,也可以看到天皇人亡政息後水面下的政治鬥爭和歷史發展,能夠這樣多角度切換且閱讀中並未有不順暢感,相當可以見其工。這是一位寫作技巧相當不錯的作家。

    而這部作品的重點放在,純潔的女帝一心一意為著萬名和女性的地位思考,然而被反動勢力毒死(看起來應該是藤原百川),生前遺詔草案裡就提出想要將女性入朝為官制度化,待遇與男性平等,也希望天皇並無男女之分,女性天皇也能有一般女人想要追求的幸福,而這本書也提到伊勢齋宮制度剝奪內親王的幸福,必須用家族的血才能換回回京一事。甚至,天皇最遠大的夢想,竟然是指定姪女酒人內親王為下一任女帝,讓她繼續研議讓男女平等的理想制度化。然而天皇的遠大思考,卻在死後草案和遺詔等都被抹除,寵愛道鏡也被抹黑,男人們意圖靠貶低女帝治世,來確立今後男性的天下。另外,一直忠心耿耿保護女帝的是隼人一族,在這裡也有令人相當印象深刻的描寫。

    這麼一部相當有野心挑戰歷史既見,並且技巧工麗的小說,然而必須說它還是栽在說服力不足。道鏡的人物塑像我覺得前後仍有矛盾(前面感覺很無欲,後面又想染指天皇,這是....?而且這一段衝突的心態描寫,又讓前面作者自圓其說的天皇想讓カケル登基,所以讓道鏡先登基過渡,広虫因為違背這個心意才被流放,這裡好像又有點矛盾)。然而最大的致命傷應該說是女帝本身的塑形太過聖賢,但問題是搞了半天她到底做了什麼治政,根本缺乏任何交代(歷史空白太多,但更是小說家可以發揮之處。這是小說不是史書,我希望她有更多勇氣幻想),尤其是她和淳仁天皇之間那裏帶得相當潦草,另外她嚴格的治政(喜歡改別人的名字這點跟中國歷代的勝者一樣)也故意被矇混過去的感覺;雖然作者並未否定,也提到過,但完全不給解釋,而這和她塑造出來的聖潔慈悲的人物塑像頗有矛盾。確實人是矛盾的,但面對並刻畫,這就是小說家的任務不是嗎?作者為了挑戰男人所寫的正史的努力我頗為贊同,但是對於關鍵的天皇本人的塑形反而令人更抱疑慮,如此美化其實未必可以讓讀者增加同感。而裡面說到的女性復權運動,由利後來被暗殺了,而広虫不是被託宣說其實是她和她弟毀掉這個機會,倒底是怎麼一回事?最後儘管広虫高升,但這件事不了了之,有給人虎頭蛇尾的感覺。這是故事的主軸,但卻只用由利被暗殺草草象徵這個制度的頓挫。當然你可以終結在無法抵抗男性勢力的時流,然而還是希望有個妥善的交代。

    再者,雖然我覺得作者提到的女帝被男性政治人物和史家抹黑的機率相當高,畢竟女性常常都是被妖魔化的存在,也如作者所說只要寵信誰馬上就被映射男女關係,因此在作者的眼光裡這場性別戰爭是女性失敗了,同意詔書的井上皇后也被冤獄給抹除,由利也被毒殺,之後沒有人再提到男女平權這件事並且考慮制度如何設計。然而,這本書的問題又恰恰回到這個出發點,就是太從男女二分的角度切入,導致女帝被過度聖潔化而失去說服力,不像人,而像純潔的美少女和聖人。我寧可她寫一個任性的媽寶也好,沉溺於愛情看不見四周的女人也好,而這個女人同時霸氣也剛烈,充滿自信但是也因為這樣而會犯錯。而她具體的治政到底做了什麼,我想知道的不只是性別戰爭。再者,這裡不斷提到身為女性的、人並みの幸せ,對結婚異常的憧憬,甚至結婚才等於幸福這個其實是上世紀70年代才出現的幻想恆等式,這種想法當時女性真的具備嗎,我真心地感到非常懷疑。人類對於婚姻等於愛情或幸福這樣的想法,其實在漫長歷史中只不過佔幾十年罷了,應該是70年代日劇推波助瀾的結果。女帝不能結婚就代表不幸福嗎?身為女人的幸福難道就跟結婚一定畫上等號嗎?如果她曾經和藤原仲麻呂有過什麼(坦白說隼人換個角度來說根本是壞了人家好事也說不定。不過這本書為了凸顯女皇的清純,很徹底地把仲麻呂寫成大爛人,至於真相如何當然不得而知),或者是道鏡,那或許也不奇怪,比起男性有後宮來說,而號稱處女女王的伊莉莎白女皇也不是沒有面首。而不能結婚就代表不能戀愛嗎?而戀愛,這又回到70年代的日劇迷思,是否是女性這個生物最重要的東西?我想這個因人而異,然而作者站在對戀愛=結婚=幸福,戀愛=女人生命最重要的事的兩大70年代才出現的迷思,說女帝或齋宮單身很可憐,這點我反而覺得古人是不會有這種感覺或想法的,這就有點像在譬如說,奈良時代的某人覺得她的隱私被侵犯了!這種感覺,問題是那個時代可能還沒有那種感覺,上面的迷思,是日本的感覺,也不是現今全世界的感覺,結婚等於義務或後嗣這件事佔的歷史之久則是根本不用說了。當然這裡無意討論女性是否一定要有戀愛,是否結婚對象一定是所愛的人,我關切的問題是,把現代人的價值觀拿來放在古人身上實在太像把鹿頭接在虎身之上的感覺,讓這本書的說服力被削弱,比較像是現代女性的借題抒發,如此讓這位奈良時代的女帝塑形更加不安定。齋王很可憐,跟後來出家的親王一樣,我想是當然是因為為鞏固權力的制定的或許有些不人道的手段,但在當時可能多數人連戀愛這個字都不知道的時代,指著她說很可憐就是因為不能戀愛,這實在說不過去。年復一年被困在自己未必喜歡的寺社的佛事神事中,被剝奪某些政治權力,被迫和家人分離,甚至是遠離自己住慣的都城等等,或許這些對當時的他們才是殘酷的。

    日本是一個極度性別二分的國家,這裡的女性作家當然都很擅長寫女性,然而因此也要小心掉入性別想像的陷阱,這本書就是一腳栽進去的感覺。看得出作者的功力,但可惜關鍵的女帝卻對我來說欠缺關鍵的說服力。是本娛樂性高而好讀的作品,但以嚴格的名作眼光來檢視的話,可惜也只是一本在許多不錯的書中又一本不錯的作品而已,真的感到可惜。

  • 内容が思っていたのと違っていて大変残念です。
    女帝の幼少時から崩御までを知れると思って手に取ったのですが…。
    物語の始めに陛下は崩御され残された部下達の話が紡がれていくので、途中で読むのを断念しました。
    日本の歴史が好きな人、皇族に興味ある人には良い本で面白みがあるでしょう。

  • 古代小説が面白いという日経の文化系記事がキッカケで読んだ本、2冊目。

     今度は、女性の労働環境を考えさせる一冊だ。女帝孝謙・称徳(重祚)天皇は、一般には「僧の道鏡に傾倒したため、男によろめいた女帝」という醜聞が思い出されるが、著者は「それを覆したかった」と筆を執る。
     女帝に仕える高級女官和気広虫の目線で物語は綴られ、朝廷内で様々な役割を担う女性官僚の活躍が描かれる。著者は古代史を学ぶ上で「能力があれば女性も評価されるシステムだった。男社会で奮闘する女官の姿は、現代に重なる。女性の読者に共感して読んでもらえたらうれしい」と語る。

     つまり、道鏡事件スキャンダル、その後の女帝の死の真相を暴くことと、古代を舞台に女性労働力のあり方を考えさせる二軸を描いている。そこが、ちょっと中途半端で冗長になっていて残念。
     ミステリー的に“道鏡事件”の真相に迫る迫力にも乏しく、一方、女性にとっての働きやすい職場環境を実現させたいという女帝の遺詔を成文化する作業も最後はどうなったのか?というところで終わってしまってスカっとしない。
     そもそも作者も、広虫と共同戦線を張る女官由利(吉備真備の娘)を評して、「しょせんは由利も女。もろいばかりに情と熱とに流されてしまう、女なのだ」と、そこで“しょせん”を使っちゃいけないんじゃないと思うほど、根柢のところでは女性登用に対しての諦念が見て取れる気がして凄味に欠けるところが、ちょっと惜しい。

     とはいえ、確かに古代史は資料も少なく、歴史考証も諸説紛々、自由に現代の意図や解釈を、皇統の歴史においてでさえも投入できる面白さは大いに感じることができた。もっともっと自由にダイナミックに描けると思ったけど、天皇家のスキャンダルや、女帝の政治思想なんだもんなぁ、けっこう頑張って創り上げてるのかもしれない。邪推だが、本書が書き下ろしなのは、どのメディアも連載として取り上げるにはタッチ―だと感じたからか、あるいは著者が掲載媒体サイドの圧力を回避し自由に筆を振るいたかったがためか、と。
     古代史を描いた水木しげるの著書も、そういえば書き下ろしだった(大和朝廷から皇族に繋がる歴史の正当性の担保のために神話は利用されているという主張が入っているからね)。

     閑話休題。
     日本にはかつて男女の差のない律令が定めた官人制度があり、それは当時手本とした中国にもなかったこと(中国は宦官制度という世にも恐ろしい、人を人とも思わない制度があった)。男性と女性が協働する仕組みが大和朝廷の中にあったということを自覚するのは、現代の労働環境を考える上で大いなるヒントになる。

     また、女性の天皇という可能性も。

     本書は、最後に
    「この後、この国において、数百年間にわたって女帝の即位はない」
     と語り、
    「男たちの政権はその後、久しく続いて行くが、人々が求める平和で安らかなる日本に落ち着くには、歴史はまだまだ、時間を必要とするようである」
     と締めくくる。

     女性の活躍と、女帝もありじゃなかろうか?という問いかけが、他の作品でも女性の活躍を描く著者の思いではあるのだろうが、孝謙・称徳時代の混乱を克明に描いた本書を読むと、やはり女性天皇の存在は多くの問題を孕むと思わざるも得ないところ。

     著者はいう(誰もが言うことだが)
    「歴史は繰り返す。それは人が歴史から学ばないからだ」

     はてさて、学んだが故の現在もあると思う。遠い記憶の彼方に霞む古代史に、現代の思考、主義主張を自由に羽ばたかせることが可能なように、歴史も現代の“都合”でどうにでも解釈できるだろうし、利用もできるもの。学ばないのではなく、学んではいるが、それでも繰り返す、繰り返せざるを得ないところがあるのが人の世なんじゃないかな、と思いながら読む歴史。 やはり面白いな、歴史は。

  • タイトルにある「孝謙女帝」が主人公かと思ったが、主人公は女帝に使える和気広虫だった。
    その意外性もおもしろかったし、年甲斐もなく道鏡にべた惚れして政治を疎かにした女帝というイメージも崩れ、謎解きのようなところもあり、いろいろなおもしろさがある小説だった。
    孝謙女帝とは、いったいどんな人物だったのだろうか。わかるはずはないけれども、気になった。

  •  タイトルからは、ヒロインは女性として初の天皇となった孝謙天皇のように見えますが、物語の主役は和気広虫と吉備由利という二人の女官です。
     ちょっと前の新聞の書評欄で出口治朗氏が紹介していたので興味を惹いて手に取ったのですが、正直なところちょっと期待外れといった印象ですね。称徳天皇崩御の謎解き的な要素が読者を物語に引き込む導線だったのでしょうが、そのあたりの脚色に今一つ感があります。

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著者プロフィール

◎玉岡 かおる(たまおか・かおる)作家、大阪芸術大学教授。兵庫県三木市生まれ、神戸女学院大学卒業。15万部のベストセラーとなった『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で‘89年、文壇デビュー。著書には『銀のみち一条』、『負けんとき ヴォーリズ満喜子の種蒔く日々』(以上新潮社)、『虹うどうべし 別所一族ご無念御留』(幻冬舎)などの歴史大河小説をはじめ、現代小説、紀行など。舞台化、ドラマ化された『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞受賞。『姫君の賦 千姫流流』(PHP研究所)は、2021年、兵庫県姫路市文化コンベンションセンター記念オペラ「千姫」として上演。2022年5月『帆神』で新田次郎文学賞受賞。

「2022年 『春いちばん』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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