- Amazon.co.jp ・本 (445ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104580064
作品紹介・あらすじ
夫の「優しさ」を耐えられない私(「やさしナリン」)、進路とBITCHで悩む俺(「すっとこどっこいしょ」。)、卑猥な渾名に抗う私(「ンポ先輩」)、"作日の僕"と対峙する僕-(「あまりぼっち」)。出会いと別離のディストピアで個を貫こうともがく七人の「私」たちが真実のYOUTOPIAを求めて歩く小説集。第148回芥川賞候補作「美味しいシャワーヘッド」収録。
感想・レビュー・書評
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舞城王太郎作品では、感動と切り離されているようでいて人とは別の道で誠実さや愛にたどり着く主人公が多く登場するが、本作の主人公たちの世界や人間に対する興味のなさはかなり徹底していて突き放されているような冷酷な印象を受ける。特に「やさしナリン」や「あまりぼっち」「真夜中のブラブラ蜂」の主人公たちは冷たい印象で、「興味ないけど幸せになってね」ではなく「興味ないから」でおしまいにしてしまうようなタイプ。小説を読みながら彼らの思考に触れているとだんだん息苦しい気持ちになる。
最後に収録されている「美味しいシャワーヘッド」という短編がそういう行き場をなくしている息苦しさの逃げ道を作ってくれるような話になっている。本作の収録作のなかで唯一「自分はなにかを失っているのかもしれない」と気づく主人公で、ただ気づいたところでお話が終わる。話の構成としても太宰治でよくある感じで、ほぼ繋がりのないバラバラのエピソードがなんとなく同じ主人公の話としてひとつの題名のなかに収められていて、気の抜ける感じがある。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
面白いとか感動するとかではなく、とにかく好き。
何故、好きなのか理屈をつけてしまうと好きでなくなってしまいそうで怖いので思考停止しておくのがいいなあと漠然と思っているうちに10年以上経ってしまったくらいに好き。 -
舞城王太郎さんの名探偵や殺人の起こる物語はあっけにとられるという意味ではおもしろいけど、一見普通みたいな生活をしている人が意外な思考や行動をしてく話が好きかも。7つの短編、シャワーヘッドはよくわからんかった、他はどれも好き、「すっとこどっこいしょ」のはちゃめちゃな展開たまらん。
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芥川賞ノミネートされてた「美味しいシャワーヘッド」。
いつもの、一本のエピソードをゴリゴリ進めてくのとは違ってちょっとした出来事をぽつりぽつりと散文的に?話していくのが
読み終えた今とても不器用なようで胸に響く。
みんな僕を通り過ぎ、置いていったけれど、生きてる。続いてる。
最後に読んだシャワーヘッドが謎に一番心を動かされた。
とっ散らかってて別にモチーフで纏まってたりとかもしないのに。
なんていうか佇まいみたいなものが切ないんです。文学って。
シンプルにおもしろかったのは「やさしナリン」「ンポ先輩」「あまりぼっち」辺り。
そうそうこれこれみたいな、大切にしたくなる、いつものやつ。 -
「添木添太郎」と「真夜中のブラブラ蜂」がお気にいり。
黒い馬が恐ろしすぎる。 -
美味しいシャワーヘッド:第148回芥川賞候補
いつから舞城の作品を読むとこんなに息苦しく感じるようになってしまったんだろう?
舞城が変わったのか、それとも自分が変わったのか?
正直な話、どの話もあまりに説教臭すぎて読むのがつらく、また、文体も自己模倣というか、そのフランクさが過剰すぎて、どんどんとただ雑な文章に近づいて行っているような気がしてならない。
しかし振り返ってみれば舞城の話が説教くさいのは今に始まったことではない気もするけれど(特に「純文学」として書かれた作品について)、しかし文体の幼稚化に伴ってメッセージばかりが前面に出るようになって、その正義感のおしつけがましさのようなものに読んでいてげっそりしてしまった。
特徴的だった文体も、今では多くの作家が似たようなテイストで書くようになったこともあり、そこからの変化を求めているからなのかはわからないが先述したが「幼稚化」したようにしか感じられず(多用される「……!」という安易な表現など)、これが舞城の進んでいく方向性なのだとしたらちょっとそれはどうなの、と思わずにはいられない。
「美味しいシャワーヘッド」は四度目の芥川賞候補作だがこれもエピソードが有機的な繋がりをしているとは思えず、今までの自分の作品の出来の悪い模倣にしか思えなかった。今後もこの方向性なのだとしたら受賞は厳しいのではないかと感じさせられた。
あとこれはまた別の話だが先日村上春樹の作品を読んだこともあってか、やはり舞城はハルキ・チルドレンの一人なのだな、ということを感じさせられた(特に「ンポ先輩」の世界観など)。
最近はリアルタイムで作品を追えていないため、『淵の王』などは未読なので、そちらで挽回してくれることを期待している。ただホラーっぽいから読むのに抵抗あるんだよなあ。『深夜百太郎』とか完全にだしね…。 -
今までになく市井の人を描いているというか、身近さがあった。
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舞城さんの本を読んだのは実に数年ぶりで…それこそ一つの前の職場にいた頃、一番読んでいたのは大学生から社会人になりきれてない、22の壁を越えられなかった頃だったと記憶しています。
出版年の頃にはもう今の仕事だったわけですが、その時期にこれだけぶれない話しが出せるんだから本当に凄いなと。
著者の作品は大学時代の私の「最先端」であったので、今となっては少し懐かしいものがあれこれとでてくるのです。
ガラケー。某巨大掲示板。絵文字。フォントによる表現。などなど。
懐かしさと少しの痛み(恥ずかしさとか)を伴う時代感覚と、古さなんてなにものですか読んでりゃわかるでしょおもしろいって、という感覚が同時にきて、斯くして私は夜中にひとりで笑い転げる始末でした。
短編集です。
スマホとかなかったころの最先端です。今でもスマホがわかんない世代と、産まれてからこの方ネットが常時接続だった世代の、丁度合間の世代には息苦しくなるくらいの感覚です。
ラノベを息をするように消費し、全く同列にさして疑問も挟まずディケンズとか芥川とか読んでた世代がごろごろしてました。あのころはネットもゲームも読書も結構私的な経験だったんじゃないか。
だからそれをのぞき見るような本書は悲しくても笑っちゃうような短編ばかりなのです。
すっとこどっこいしょ、はすごい秀逸なんじゃないか。
冒頭のやさしナリンでは「くそがっッ…」て思いながらいろいろユルして行けそうな気になって、最後までよんでまたもどって「くそがっッ…」てなりました。
いつだって自分の掌からとびたったようでそうでないものがたりに。 -
面白い!「美味しいシャワーヘッド」にはガツンと一発くらった。すごいことになってきた感じ。