- Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104702015
作品紹介・あらすじ
数量化できない微妙な物質の質感=クオリアをキーワードとして、意識の問題に切り込み続ける気鋭の脳科学者が提示した新しい概念「仮想」。心とは何か。どこから生まれてくるのか。小林秀雄を出発点として、漱石、一葉、ワグナー、柳田国男、三木成夫…幾多の先人の痕跡を辿りながら、近代科学が置き捨ててきた「心」の解明へと迫る、脳科学の最到達点、画期的論考。
感想・レビュー・書評
-
小説を読むのは大好きだ。でも、たまにはまとまった論説を読みたくなる。そんなときのために、100円か200円で売っている論説文を何冊かストックしている。
このようなレベルの本が、こんな値段で読めるとは。素敵な世の中だ。
茂木先生はたぶん天才肌で、書いたり話したりしている間に頭の中の論理や閃きが先へ先へいくもんだから、僕のような凡才にはなかなか難解な文章に思える時がある。それでも、読んでいるうちに文体に体が馴染んできて、すんなり読めるようになってくるから不思議だ。
グッとくる言い回しや主張に付箋を貼っていたら、30枚以上になってしまい、とてもまとめられないので、あとがきの一部を抜粋。
「現代は、知の王権空位の時代である。社会の部分問題を扱った、ちょっと気の利いた言説はあっても、主観的体験の起源から、宇宙の物理的成り立ちまでを含めて、世界の在り方全体を引き受ける志は痩せ衰えつつある。近代において知の王座についていた科学は、『今、ここ』の因果性に局限化した説明原理は提供するが、私たちの意識の起源も、仮想の世界の存在基盤も説明し得ず、単なるテクノロジーの知と化している。デカルト以来の近代主義は方法論的困難に陥り、今終わりを迎えつつあるのである。」
「志」が痩せていることが問題だ、というのが、文中に引用されていた小林秀雄のアツい講演にリンクしていてグッとくる。
また、上の文章は、デカルトを否定しているのではなく、デカルトから始まった西洋哲学がデカルトより狭い世界を扱って安住していることに疑問を呈している、そこにグッとくるのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「クオリア(数量化できない物質の質感)」をキーワードに、茂木健一郎が「心」について考察した小林秀雄賞受賞作。科学的世界観の視点では人間の主観的経験に対して本質的洞察を提供できないということに注目し、脳という空間的限界から解放された「仮想」について考察されています。「私たちは、脳内現象としての世界全体を引き受けているのである」…読み終えると、今まで当たり前だと思っていたことが奇跡のように感じられるはず。茂木健一郎の著書は数多くありますが、これは間違いなく必読書です。
-
愚直という言葉が似合うと思った。ストレートな言葉を好み、歯に衣着せぬ物言いでズバズバと脳のメカニズムについて、そして心が私たちに見せる現実と仮想という現象について切り込んでいく。その言葉は時に哲学や文学や民俗学といった学問に急接近し、ジャンルを縦横無尽に越境する。知的冒険のスリルが味わえる反面、その語り口が時に粗暴に働きやしないかともヒヤヒヤしてしまうが、彼の勇敢さや進取の精神は見習わないといけないなと思う。そして、果敢に敵を作って満身創痍になるスタイルも(いや、これは見習う必要はないかもしれないかな?)
-
自分が現実だと思っていることは、現実の写しであり、現実自体ではない。
小さい頃、何となく「見えてる世界って自分の目を通してしか見えないから、もしかしたら実物は全然違う色をしてるのかな?」と思ったことがある。私という意識を作り上げ、視覚や聴覚やその他の感覚を処理し、感情を生み出すのは全て脳の活動だ。脳という有限の物質から無限の仮想を生み出すのである。また自分の視点でしか世界を見る事が出来ない、ということを自覚すると、自分以外は全て仮想だということに気づく。そう考えた時、今まで自分が思っていた現実は現実ではなく、現実の写し=仮想ということにハッとさせられた。しかし当たり前といえば当たり前だ。例えばバッグ1つ選ぶにしても、持ち手がある入れ物であれば目的にかなった実用性は満たされるのに、色やデザインが持つイメージ、そのブランドを持つことによる他人からの評価など、様々な「実態のない仮想」に惑わされている。
仮想を枠組みにはめることで物事はとても分かりやすくなるけど、途端に思考は固まってしまう。何事も本質を見ようと努力をしないと。
当たり前に起こっていることも複数の視点から疑えば、退屈な毎日が違って見えてくる。 -
なるほどこいつぁ偉い奴だ。
単にロマンチックなもじゃもじゃじゃないんだな。
神や魂や未生の記憶といったテーマを、いちリットルの脳からなるべく飛び出さないように、丁寧に考えていく。
それでいて気がついたら素晴らしい飛躍を遂げている。 -
この本は前から気になっていた。一気にではなく1章1章時間をおいて読んだ。じっくり吟味して読んだということではない。書いてあることが一つ一つわかったという訳でもない。漠然とした読後感から思うことは、ひょっとしてこの人も自分と同じ発想を持っているのかもしれないということだ。
浅はかながらも大学時代に思い至ったことがある。読書から人が感銘を受けるということはどういうことなのか。それは本を読むと作者の考えや表象がそれを読む自分にそのまま伝わるという訳ではあるまい。読者は作者の意図したものそのものからダイレクトに影響をうけることはあり得ないと。読書から感銘をうけるということはむしろ既に形成された自分の中のものを刺激することに他ならないのではないかと。
とりあえずこの本を読み終えて今印象にあるのもこのことだ。茂木健一郎は「断絶の向こう側の他者の心」と表現している。日頃我々は人の心は容易にわかるものだと錯覚している。世の中もそういう錯覚のもとに出来上がっている。しかしいったん突き詰めて考えると自分と他人の考えを共有させることを保証するなにものも存在しない。
それにも関わらず人と人は共感し合えることがある。それななぜなのか。クオリア(質感)という考えはそのあたりから発生するものなのだろうか。 -
読んでいると没頭してしまう本と、気づいたら全然別の事を考えてしまっている本があるけど、この本は全く頭に入ってこない。
-
脳科学、数学、文学、哲学‥あらゆる学問が目指すところが仮想である。