母親になって後悔してる

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105072711

作品紹介・あらすじ

子どものことは愛している。それでも――。世界中で大反響を呼んだ一冊。もし時間を巻き戻せたら、あなたは再び母になることを選びますか? この質問に「ノー」と答えた23人の女性にインタビューし、女性が母親になることで経験する多様な感情を明らかにする。女性は母親になるべきであり、母親は幸せなものであるという社会常識の中で見過ごされてきた切実な想いに丁寧に寄り添った画期的な書。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    現代では、子どもを産んだだけでは母親の役目を果たしたとは言えなくなっている。求められるのは「よき母親」だ。何よりもまず子どものことを優先し、自らの生活を犠牲にして全ての労力を子育てに捧げなければならない。
    しかし、本当に子どもの幸せが自分の幸せなのだろうか?子どもを作ることで失われる時間、お金、エネルギー。30歳前後の、人間として一番実りの多い時期にそれらを消費して、上手くいくかもわからないケア労働に一生を捧げるのは幸福な人生と言えるのか?そうした悩みを抱える女性はたくさんいる。しかし、現代社会は彼女たちを「非人間的だ」と一蹴する。

    本書『母親になって後悔してる』は、母親になることで生じるデメリットに苦痛を感じ、悔いの残る選択をしてしまったと後悔している女性たちの声を綴った文章だ。彼女たちは「過去に戻っても母になりたいか?」「母であることに何らかの利点はあるか?or利点があるとき、それは欠点を上回っているか?」という2つの質問に「ノー」と答えた人たちだ。

    母親たちが抱える苦悩の代表例を、本書で出てくるヘレンが端的に述べてくれている。
    ヘレン「私にとって何が難しいかというと、人を育てるという責任感です。『いけない、あの子がやらかそうとしている……』と心配する責任感ではなく、いつもここに(と、頭の後ろを指し示す)居座っている――私の自由は永遠に失われたという感覚です。自由というか……うまく自分のことを説明できているかわかりません。つまり……(母になる以前は)自分にだけ責任を持てばよかったし、パートナーは大人なので責任を持つ必要はありません。つながりがあるだけです――でも(母になると)、もはやひとりにはなれない。おしまいです――決してひとりにはなれず、頭の中に自由がないのです」

    つまり、彼女は「子どもを育てる責任」を背負うことができず、自分の人生が無くなってしまうことへの苦しみを感じている。子どもは不可逆な存在で、産んでしまえば面倒を見るしかない。その命は軽々しく背負うには重すぎて、自分の能力では扱えそうにない。本書の女性の多くは、境遇こそ違えどおおむね同じ考えを持っており、もしやり直せるなら子どもを産む選択はしたくない、と述べている。

    誤解してはいけないのは、彼女たちは「子どもが嫌い」と言っているわけではないことだ。むしろ自分の子どもが愛おしくて仕方なく、産まれてくれてよかったと考えている。しかし、他者への敬愛と自らが被る不利益についてはまた別の話であり、そのギャップが彼女たちの苦悩をより一層強くさせている。

    しかし、そうした怨嗟に対して、人々は彼女らを「道徳的に問題のある落伍者」とみなす。ジェンダーに理解が生まれてきた現代においても、「子を産むのは義務である」という価値観は根深く存在し、子どもの存在を疎むのは倫理に反すると考えられている。しかし、彼女たちの後悔を、母になることに適応できない女性の失敗だと個人化するなら(そしてそのような女性はもっと努力するべきだというなら)、後悔が生じている本質を見失う。
    子どもが出来た後、女性には「変わること」が求められる。「変わる」とはあらゆる意味を持つ。他人に献身的になるように変わる、自己犠牲の精神を持つように変わる、幼子の命を支える存在に変わる……。しかし、そうした要求を「自発的な改善」にすり替えて個人に課すのは、あまりにも無責任ではないだろうか。誰しもに向き不向きがあり、子育てにおいても例外ではない。産みたくないのに子どもを産んでしまった人もいる。

    彼女たちは社会制度の犠牲者だ。一般的に、母親は父親よりも子どもに対して多くの役割を求められる。それと同時に、女性はどんどん社会に出て、出産以上に社会的な貢献をするようにも求められる。子育てに求められるモラルは爆発的に増えた一方で、子育てのコストはまったく下がっていかない。重荷の重量は増すばかりだ。にもかかわらず、母親という存在を神聖視するこの社会において、「母親になんかなるんじゃなかった」という感情を吐露することはタブーであり続けている。

    母親になれば、確かに有意義なものが生まれるかもしれない。他者への思いやりが育まれ、老いたときに子どもがいる喜びを甘受できるかもしれない。しかし、それはあくまで各女性の認識や価値観やニーズや状況の産物なのだ。だとしたら、「産まない」という選択肢は、その事情を知らない第三者から責められるべきではない。にもかかわらず、彼女たちは社会から否定され続けるのだ。

    ――「子どものために自分の人生をあきらめました。そしてふり返って――いいえ、今(だけ)ではなく、当時から――思うのは、母になることで奪われたものは取り戻せないということです。子どもと過ごす時間は楽しいですが、一緒にいる時が最高に幸せだというのは、嘘と欺瞞です。嘘と欺瞞。……子どもを持つ理由なんて存在しません。苦しみが深すぎて、困難が大きすぎて、痛みが強すぎて、私が年を取ったときに母であることを楽しむ(可能性を正当化する)ことができません。それだけです」

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 「母は幸福だ」という嘘
    「あなたはきっと、子どもがいないことを後悔する!」
    これは、親になる願望を持たない男女、とりわけ女性に何度も投げかけられる言葉だ。この断定的な決めつけが、白か黒かの二項対立を示唆していることに、私は違和感を持ち続けている。一方では、「後悔」という言葉を、母になりたくない女性を脅かす武器として利用している。そして他方では、女性が母になったことを後悔する可能性、または母が誰かの親ではない自分に戻りたいと望むという可能性を排除しているのである。

    出生率の高い国、低い国、いずれの国に目を向けても、女性の多くが、出産や子育てをするなかで、「母性」との関わり方について深い苦しみに直面している――そしてまた、後悔が語られることはめったにない。
    私たちは、「母」の神話的なイメージが損なわれないことを望んでいる――女性が血の通った生身の人間としてさまざまな経験をするにもかかわらず。そのため、私たちが日常的に尽力したり苦しんだり気遣ったりする他の多くの役割と同様に、母であることが後悔の感情を呼び起こすかもしれないと認めることには、いまだに消極的だ。母が困難に直面し、それを認識しようがしまいが、母になるのが不幸なことだと感じたり考えたりすることは、期待も許可もされていないのだ。


    2 母になることを義務付けられている
    女性は「すべての生命の母」と認識され、生命の泉であり、人間の生存意欲に深い関わりを持つとされる。女性に対するこの評価基準は、女性を自然界の網に閉じ込めている。というのも、この問答無用の仮定によって、解剖学的に生殖できる可能性があるというだけで、女性は母になることを義務付けられているからだ。他の選択肢を与えられていないのである。
    しかしながら、社会はすべての女性が母になることを希望し、したがって自由な選択によって母になっていると思っている。資本主義、新自由主義の影響で、女性も自身の肉体や意思決定を所有する権利があり、母になることは女性の望みによって決めるものと認識されてきた。
    この2つの価値観、そして「母になることのメリット」――つまりは人格の成熟や、次世代の育成や、社会への貢献なるものが通念化されることによって、母になることは「自分で選んだ道」とされながら、逆に選ばなかった人は「本来与えられたはずの有利な能力を使わなかった怠け者、利己的人格者」とみなされるのである。

    ただし、子どもは必ずしも「選択の自由」によって生まれるとは限らない。時には、私たちがそれ以外の道を持たない/見つけられないという理由で生まれてくるのである。

    ティルザ「私の周りの全員が出産しています。みんな若い女性で、母乳育児とベビーカー、赤ちゃん、おむつ、そういったものばかり。私はそんな環境にいたのです。それに、当たり前のことであり、神聖な、そう、最高に神聖なことだったのです。とにかく無理でした……(子どもを持つことに対する疑念を)口にするなんて。当然のことなので、それについて考えることさえありません。その方向の考えを抱く選択肢がまるでなかったのです。私の意識の中にありませんでした。これっぽっちも」

    なかには、孤独や退屈を乗り越えたいという願いから、または、人生にもっと重要性と意味を与えたくて、母になろうとする女性もいるだろう。こういった理由は深く理解できる。想像であれ現実であれ、女性の選択肢が限られている社会であればなおのことだ。同時にこれらの理由は、多くの女性の母への移行が、必ずしもそれ自体のため、つまり子どもの母になるために行われるわけではないことを示している。むしろ、母になることを通じて自分の立場を改善したいという欲求に端を発しているにすぎないのだ。

    またなかには、配偶者や親から延々と続く説得と絶え間ない威圧によって、母になることを強制されるという女性たちがいる。同時に、「実際の」レイプによって妊娠したのではない女性は、欲望に従って自発的に妊娠したと一般的に考えられている。それでも、女性が同意をするが「意志」に反して子どもを産む場合はある。数知れないほどの女性が、悪い選択肢(誰の母親にもなりたくないのに子どもを産む)と、さらに悪い選択肢(離婚、家から追い出される、家族やコミュニティから非難される)のはざまで、現実的な決定を下すことを余儀なくされているのだ。


    3 「母親はどうあるべきか」の刷り込み
    すべての人間は確かに女性から生まれるが、女性は生まれつきの母親ではない。つまり、女性は人間の子孫の保因者であるが、だからといって、そのことが女性に、世話や保護や教育やこの関係性が要求する責任を負わせることにはならない。しかし、女性の産む能力と育児の必然性を合致させるという考え方は、いまだにかたくなに支持されており、母になる義務が「女性の本質」であるという考えかたも根深い。

    女性はただの母親ではなく「よき母親」になれと指示されている。主流の母親像として、養育は、完全に子どもを中心として、感情的にも認知的にも関与し、時間をかけて行うべきだと謳われている。西洋社会では一般的に、育児はほぼ完全に母の責任だとされる。母は、そもそも自己犠牲的で、際限なく忍耐強く、自分の人格や欲求を忘れるほどまでに他者の世話に献身するというイメージなのだ。

    母がこのモデルに規定された道徳的基準に従って行動しない場合――不可能であれ拒んだのであれ――たちまち「悪い母」のレッテルを貼られる。道徳的にも感情的にも問題のある無法者と見なされるのである。母は、産後の有給の仕事の再開が「早すぎる」と「世話をしない」とされ、職場復帰が「遅すぎる」か一切仕事をしないと「自分をあきらめている」と断じられ、母乳育児をしなくても、母乳育児が「長すぎ」たり「大っぴらすぎ」たりしても、責められる。子どものホームスクーリングを行っても、母が(ひとり親であろうとなかろうと)家の外で長時間働かざるを得なくなっても、ネグレクトだと非難を受ける。
    このように、母は、何をする・しないだけではなく、どんな人間で、どんな状況で生活しているか次第で、世間から「悪い」というレッテルを貼られる。「良い」母親には、母である喜びと満足を感じることが期待され、同じように、怒りと失望と欲求不満を感じて表明する人は、きちんとした母という「本来の運命」にたどり着けない、問題を抱えた女性とみなされる。


    4 後悔する人達の声
    エリカ「振り返ってみて、30年間苦しむ価値があったと、今あなたに言えるでしょうか?絶対に、間違いなく、確実にノーです。ノー。もう一度やりたいか?絶対にごめんです。もしも今、選ぶことができるなら、そうですね、女の子か男の子、どちらでもいいので、ひとりだけにすると思います」
    ――同じことをくり返さないのはなぜですか?
    「どうしてか?お話ししましょう。私は人生で楽な日が一日もありませんでした。決して家庭が困窮しているわけではありません。お金の問題ではないんです。子育てをしていて、楽な日は一日もありませんでした。一切です」

    グレース「くり返しになりますが、要因のひとつは、今ある知識をあの頃持っていなかったことです。私が逆の状況だったら――子どもがいないことをずっと後悔するでしょう。反対方向に戻れないのが人生ですから。でも、もしもユヴァル(夫)と私に今の知識があれば、そうしたら――私たちは素晴らしい人生を送ることができたと思います。」

    ――子どもがいない次の人生の空想は、どんなイメージですか?
    ニーナ「自由なイメージです。他人の責任を負わず、自分だけの責任を負うという自由。他の人のことを心配する必要がなく……自分が正しいと思うことをして、誰にも責められず、不満がない――正直に言いますが、もう私には荷が重すぎるのです。(与えるための)体力がなく、(孫の世話をするために)助け続けることはできません。週に一度、あっちの孫、こっちの孫と過ごしています。それに、お金のこともあります。お金です。とにかくお金。これで全体像が変わります。ナニーを探すのを手伝ったり、直接手伝ったりもできますが……やはり、面倒を見るのが自分の責任だと思い続けていて、まだそこから抜け出すことはできません。もう自由にしていい年齢に達した、といくら考えてもだめなんです。これが私の人生であり、私の選択です――いまだに自分の責任だと感じてしまうのです。罪悪感ではありません。自分を責めてはいないのです」

    シャーロット「話は複雑なんです。私は母になったことは後悔していても、子どもたちについては後悔していません。その存在も、性格も。あの子たちがいないことは望みません。私はただ、母でいたくないだけです」

    リズ「後悔は親としてのことであって、私自身が(母になる)必要を感じなかったのに、こうなってしまったという事実にあります。子どもの存在のことではありません。そこは私にはとても大切な区別です。素晴らしい子なんです」

    ソフィア「(子どもたちに)腹を立てるときでさえ、そしてあなたに話したすべてのことにも反して――私は決して怠慢な母ではありません。とても責任感が強く、常にできる限りの最善を尽くしてきました。本当です……あの子たちが必要とした集中的な世話を。私は苦しんで泣きながら、手を動かしました。……本当に良い母なんです。自分で言うのは恥ずかしいですけれど。子どもたちを大切に思っている母です。子どもを愛し、本を読み聞かせ、専門家の指導を受け、最善を尽くして子どもを教育し、愛情と思いやりを与えています。子どもたちは私のことが大好きです。愛してくれています。あの子たちは、幸せな良い生活を送っていますよ。……ばかみたいですね。なぜって、私はあの子たちを望んでいないんです。本当に、欲しくなかった。なのに、あの子たちはここにいる。存在するんです。」

    女性の大半は、後悔は母になったことであり、子どもがこの世に存在することではないと言っている。母になったことの後悔と子どもを愛することの区別は、ほんの一瞬でも、子どもたちとの間の想像上のへその緒を切り離し、「母」と「子」のアイデンティティを超えた関係を持つことを求めているのだ。
    しかしこの願いは、現在の社会秩序においては通常は叶えられない。母は母であり、常に母としてのふるまいが求められ、そのアイデンティティから逃れることはできない。

    では、母になることと子どもを持つこととを切り離して、個人的な損得のみにフォーカスを当てるとどのような事実が見えてくるか?
    研究に参加した多くの女性は、母になることで以前よりも成熟し、愛情深く、寛大で、思いやりを持ち、忍耐強く、共感できるようになったことに満足していると話した。親という「主流派グループ」に所属することができ、帰属感を得ることが出来たと答える人もいた。
    一方デメリットとして、リラックスができない、自分の時間がない、一瞬の幸せのために何年も苦しむ意味がない、と多くの人が答えている。つまり、女性はいったん子どもを産むと、多くのことを捨てざるを得ないということだ。母になると、あらゆる望むことが奪われるのである。

    それぞれの女性が、母になることで報われたと感じるかどうかは、個人的な経験の結果かもしれない――各女性の認識や価値観やニーズや状況の産物かもしれないのだ。しかしながら、母になった後悔という感情は、社会的にほとんど認められず、それが文化的、心理的に問題があるとみなされるのである。


    5 母親と父親の責任
    子どもをひとりで育てているか、配偶者と一緒に育てているか、あるいは子どもが父親と一緒に住んでいるかにかかわらず、多くの母は、子どもが幼児期をすぎて何年経っても、子どもを象徴的に養い、意識の中で世話を続けている。
    常にわが子に縛られているという経験は、要求の多い現代の母親像の影響であり、「良き母」は、文脈に関係なく、常に母であり続けることを意識の最前線に置いている。しかしこれは、「お世話の時間」――母としてのふるまいを始めとする、主に女性によって行われる感情的な労働――であり、「時計が示す時間」とは異なり、通常は始まりも終わりもないことを示している。世話をすることは、他の活動に織り込まれ、女性は常に、心配する対象――注意を払い、忍耐し、対応を必要とする――を抱え込む。何をいつどのように行うかを決めるのは、時計ではなく、世話をする相手のニーズである。多くの場合、これらは他の活動と同時に発生するため、定量化や推定ができない時間なのだ。

    一方で、父親に求められる責任は、母親の責任よりも大抵軽いものである。一般的に言って、父親は自分の時間の所有者になることを多分に許されており、そうする機会も多い。一方で、母親はこれが少ない。
    「調査から、父親は子どもの誕生後に、職場での残業を著しく増やし、新しい趣味を探すことがわかっている」と、著述家のクリスティーナ・ムンドロスは述べている。「そのため、夕方や週末に関われる時間は最小限になる。もちろん、すべての父親がそうではない。しかし多くは、そばに赤ちゃんがいるとひどく疲れるために、その状況から逃れようとする。このことは社会的に受け入れられている。しかし対照的に、母親が『今日はヨガに行く、明日は友達と飲みに行く』と言ったら、誰もが『彼女はどうなっているのだ』と思うだろう」
    このように、女性も男性も自分のための時間を見つけるのに苦労するのは同じだが、無限に世話が続く感覚を報告するのは、たいていは母である。母は、離れたり休憩したりする機会が非常に限られている一方で、ほとんどの父親は逃げることができるし、実際にそうするのである。そして、たとえ父親が子育てを平等に分担していたとしても、「母であること」自体に、負担を感じ続ける人がいるのだ。


    6 主体としての母
    エリカ「子どものために自分の人生をあきらめました。そしてふり返って――いいえ、今(だけ)ではなく、当時から――思うのは、母になることで奪われたものは取り戻せないということです。子どもと過ごす時間は楽しいですが、一緒にいる時が最高に幸せだというのは、嘘と欺瞞です。嘘と欺瞞。……子どもを持つ理由なんて存在しません。苦しみが深すぎて、困難が大きすぎて、痛みが強すぎて、私が年を取ったときに母であることを楽しむ(可能性を正当化する)ことができません。それだけです」

    このような証言は、家族と母であることの「私領域」には、利益と損失のバランスを取る算段がないという幻想を破壊する。しかし、母である経験にそのような算段を含めることは、母をひとりの人間として認識することにつながるだろう。つまり母を、思考し、感じ、吟味し、想像し、評価し、決定する主体と捉えるのである。

    母であることが「役割」と認識されている限り、利用できる唯一のシナリオは「完璧な母」であり、そこを目指すしかない――それは実際には「理想的な従業員」と言える。なぜなら、役割は成果主義の仕事を中心に考えられており、成長した子どもが「製品」であるからだ。
    母であることを個々の主体(動的で頻繁に変化する)間の関係として認識すれば、すべての母が子どもや母としての自分について同一の感情を持っているという期待を捨てることができる。そうすることで、母であることを、人間の経験や人間関係のスペクトルの一部として――母が自らの母性に左右されずにわが子の人生に影響を与える一方的な絆ではなく――理解できるかもしれない。この見方によって、深い愛情から深いアンビバレンスまで、母であることに関する人間の感情のスペクトルを調べることができるだろう。そして、後悔についても。

    母になって後悔することは、家族に関して感情の論理を省くという社会的命令を再考する機会のひとつなのだ。そのような要請は、女性に主体を放棄せよと要求することであり、最終的には不可能である。なぜなら、感情の論理を持つのは、主体であり人間として生きていることの証拠だからである。

  • 本作は、子どもを持たないことを決めた作者が、母親になって後悔している25人の女性に長時間にわたるインタビューを行い、伝統的価値観や社会通念と照らし合わせて丁寧に検証しながら、彼女たちの肉声をまとめたものである。

    自分自身が妊娠出産を検討する時期を迎える前に、この作品はどうしても読んでおきたいと思った。子どもを持つということは人一人分の命の責任を持つということであり、自分自身の人生を大きく左右する大きな選択となる。その選択に差し当たり、メリットとデメリットを正しく認識しておくことに損はない筈だから。

    普段の読書では、学術書は避けがちだった為、読み進めるのにかなり悪戦苦闘してしまった。テーマそのものだけでなく、宗教的にも、子どもを持ったことの後悔を口にすることは絶対的タブーとみなされていた中で、インタビューを遂行した作者、そして重い口を開いた回答者たちの覚悟は相当なものだっただろう。それほど、インタビューの内容は赤裸々で生々しかった。

    特に印象に残ったフレーズをいくつかピックアップしました。

    "子どもがいれば、たとえ他の面で社会からはみだしていたり少数派であったりしても―ある程度の仲間入りができて、人生が楽になる"
    "孤独や退屈を乗り越えたいという願いから、または、人生にもっと重要性と意味を与えたくて、母になろうとする"
    これらの言葉からは、子どもだけが自分に足りない唯一のパズルのピースのように感じてしまう女性達の気持ちが表れていて、純粋な子ども欲しさとは違う後ろ暗さを感じた。子どもを持っても子育てしにくい社会、子どもを持たなくても疎外感を感じる社会。どこにも逃げ場が無い実情は皮肉なものだ。

    "しかし、常に母である。子どもが母から離れて「垂直方向に」成長するのに比べて、水平方向へと伸びていくのである"
    これはかなり複雑な問題だなと思った。母性は出産した女性に本能として備わったものであり、その本能に理性が呪縛されている状況とも言えるのかなと。 

    "「キャリア」と「子ども」のジレンマについては、しょっちゅう話題になりますがどちらも欲しくない人だって、いるのです。好きなことを続けるために、働いて稼ぎたいけれど、「キャリア」や進歩を望まない人もいます。"
    これは本当にその通りだなと思う。結婚・出産(家庭を持つ)もしくは仕事の二択。後者は、"この人は仕事一筋"もしくは"結婚の適性がない人"というネガティブなレッテルが貼られる。本人は人生に幅広い可能性を見出しているのに、二択しか選択肢を持たない視野の狭いその他大多数から、勝手にマイナスに解釈・評価される。本人が割り切れたとしても気持ちいいものではない。

    「母になったことは後悔していても、子どもたちについては後悔していません。…得られた子どもたちは愛しています」
    実は私自身母からこれと似た言葉を告白された。「生きるということは苦しみを伴うもの。お母さんのエゴで、苦しい思いをさせてしまったことを後悔している。だけど、あなたのことは愛している」と。この告白を受けて、特に衝撃を受けたり悲しいとは思わなかった。子育てを経験してなくても、子育てがしんどかったであろうことは想像できるし、子どもがいなかったら他にやりたかったことができたはずということは理解できるから。作中では、後悔を告白するかしないかの葛藤について触れられているが、大事なのは信頼関係と想像力だと思った。

    その他、「後悔」という行為そのものが持つネガティブイメージや、「同意」と「意志」の達い、「理想」から「平均」への転換と競争社会など、なるほどなと思う考察が沢山あった。
    やはり、結婚や出産という節目を迎える前に読んでおくことができてよかったなと思う。女性にも男性にもおすすめしたい作品です。

  • 著者オルナ・ドーナトは、「私は子どもを持たない」と決意したイスラエル人社会学者であり、すべての女性が母親になりたいはずという社会的期待と、母になることを価値ある経験とする評価に疑問を呈すべく、学術的な活動を続けてきた
    本書は、母親になったことを心の底から後悔している女性たちを研究した報告書である。

    母になることが、女性の心身の健康を脅かす可能性があることは、すでに知られている。
    病気、うつ病、倦怠感、感情の乱れ、肉体的損傷、社会て地位の喪失は、産後の数年に女性が経験することのほんの一例である。
    だが、母は母であることに順応し、受け入れるものと見なされているのだ。

    このことが普通にそして広く認識されていることで、母となったからにはみんなそうだから…。
    と言われると自分は母親には向いてないと思ってしまうのだろう。
    女性が背負うべきものの大きさに誰も気づくことなく、昔から延々と続いてきたことだとあたりまえのことだと。
    だから無理だとは言えなくて、後悔してるという言葉が出るのだと思う。

  •  題名を見て、これは読まなくては…と思いました。私も同じだからです。ただ、そんな事を人に言うと、たちまち袋叩きにされそうで、口にする人などいないと思っていたので、本になっていて驚きました。

     きっと、何を言っているかさっぱりわからない、と思う方も多数いらっしゃると思いますが…。

     この本に書かれていることは、題名通り、母親になって後悔している女性たちの生の声と、作者の調査結果です。女性達が共通して言っているのは、「子供のことは愛してるし大切。でも、母ではいたくない。」ということです。
    なんて勝手なことを!子供が欲しくても授からない人だっているのに…とお怒りの声が聞こえてきそうですが、そう心から思っている女性が一定数いるのが事実なのです。

     [かつて女性が持っていた「誰の母でもない」アイデンティティーは、「母」になるために死ななければならないのだ。]

     私は、たまに映画を見て感動すると、「あー、そういえば私は昔、こういう映画が好きで一人で映画館に足を運ぶ人間だったよなぁ。」と思い出すことがあります。そういえば自分はこういう人間だった…と、出産前の本来の自分を思い出してハッとします。これこそ、母になる前のアイデンティティーが母になって死ぬということだと思い当たりました。


     インタヴューを受けた女性たちの言葉です。

    ●エネルギーが奪われて、体と心と魂が疲れています。他のことをする余裕は一切ありません。以前は文を書いたり彫刻を作ったり、創造するのが好きでした。でも、何も残っていません。インスピレーションも活力も全くないからです。

    ●母になって後悔しているというようなことを言うと、様々な感情が呼び起こされます…。他の人はたちまち跳び上がってこう言います。「待って、あなたは子供を愛しているでしょう。手放すことなんてできないでしょう?」。できるかもしれません。でも、繰り返しますが、それを口にすると、非常にややこしいことになるのです。

    ●私は息子を愛しています。ただ、お母さんでいるのが好きじゃない。

    こう言っているのは、何も育児放棄をしている母親ではないのです。きちんと頑張って子供の世話をして、くたくたになっている人達なのです。

     でも、だから、どうということではないと思うのです。後悔してる。でも、責任があるしちゃんと子供を育てる。でも、母である事は自分に合っていなくてきつい。辛いからそうこぼしたいけど、そんなことを言うわけにはいかない世の中だ。というだけなのです。というか、それだけで留まるしかないのです。同じ感覚の人が世の中にいるんだと思うと少しほっとしました。私は「責任があるし、今世はできる限り子育て頑張る。でも、来世では絶対に子は持たない」と思っています。

     ただこの本は、残念なことに文がかなり読みにくいです。原文を読んでいないので断言は出来ませんが、おそらく翻訳がまずいです。酷い文になると、肯定なのが否定なのかすら何度読んでみても曖昧です。とても読めたものではないので、かなり飛ばし読みしました。でも結局、題名だけで十分でした。なんと言っても、題名が強烈ですからね。


  • 気になってはいたけれど、手に取る勇気がなかなか出なかった本、ようやく読みました。

    後悔しているとまでは言わないけどさぁ、日々大変な思いで生活してるんだわ~
    私はそんな平凡なワーママですが、ハッとさせられるフレーズがたくさん出てきました。

    ママ達にとっては、自分の気持ちが言語化され、俎上に載せてもらえたカタルシスがあると思います。

    また社会が無意識に女性に課している「理想」が、今の時代にもまだまだ存在して女性を苦しめていること、あらためて再認識できました。
    こうしたバイアスを顕在化させることなしに少子化対策は語れないと思うんですよね、政治家さんの必読書に認定して欲しい位です。

    私も産まなければ多分、女性であることにここまでの苦しさは感じなかったと思うんです。
    「男性」と同じように働きお給料をもらう生活を長く続け、このまま定年でも良いと思っていました。
    ただ産まない事が夏休みの宿題のように引っ掛かり続け、結局40歳という年齢で産むことになりました。
    この本について様々な意見があることは想像に難くないですが、私にとっては産前産後の(色々な意味での)辛さを少し、軽くしてくれた本です、感謝。

    読書を続けていると、時々こういう脳天に突き刺さるような本に出会えるんですよね。
    (止められないわけです!)

  • タイトルを見たときに「これは読まねば」とまず思いました。世界的タブーに挑んでいる、ということがタイトルを見ただけで感じられたからです。

    母親になったことに後悔していることと子どもたちを得たことについては別の話である、というのはとても大切な点だと思いました。
    そしてそここそが混同されがちな非難される点になることも。
    私はそこが明確に違う、ということがよくわかるように感じました。でも大多数の、特にお子さんをお持ちの方々にはなかなか理解されにくいことだなというのもわかります。

    母親になったことを後悔しているという、そういうことを言ったこともないし子供を愛してないわけでもなくもちろんお世話しない訳でもない、あるとても良いお母さんの一人に「もしかしたら彼女はそういう考えを持っているのかな」と感じる人がいます。
    もちろん聞くことなんて出来ないですが。
    そして私自身、家族歴や気性・性格を考えた上で自分は子供を持つべきでないと判断して子供を持っていません。それを乗り越えるほど子供が好きだったりそんなことを考える間もなく妊娠したりしていたら多分産んでたとは思うけれどもそこまで欲しいと思ったことは一度もないし、もう持つ可能性もないですが持たなかったことを後悔してないし、やはり持たなくて良かったと思っています。もし持っていたら私は多分それを後悔したかもしれない、と思うので本書をとても他人事として読めませんでした。

    本書は共感よりも反論反感が多いでしょう。私がどうして子供を持たない判断をしたか本音で話した人はごく数人しかいませんが、それでも本当には理解されたと思っていません。本書に登場した23人のお母さんたちは、本当に止むに止まれずインタビューに応えてきたのではないか、と想像します。その勇気を思うと震える思いです。
    私は本書のようなことを言ってくれる人を待っていた気がします。

  • 母親になって後悔する女性たち─母性は自明のものではない | 23人の女性の証言をまとめた社会学者が伝えること | クーリエ・ジャポン(2020.1.11)
    https://courrier.jp/news/archives/187429/

    「母親になると後悔するのか」…ドイツで一大論争に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News(2016年7月7日)
    https://www.afpbb.com/articles/-/3091926

    =TOP= | Mariko Enomoto
    http://www.mrkenmt.com/

    オルナ・ドーナト、鹿田昌美/訳 『母親になって後悔してる』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/507271/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      前篇 「母親」×「後悔」という組み合わせのタブー | 村井理子×鹿田昌美「『母親になって後悔してる』が巻き起こしたもの」 | 村井理子 , ...
      前篇 「母親」×「後悔」という組み合わせのタブー | 村井理子×鹿田昌美「『母親になって後悔してる』が巻き起こしたもの」 | 村井理子 , 鹿田昌美 | 対談・インタビュー | 考える人 | 新潮社
      https://kangaeruhito.jp/interview/752859
      2022/12/15
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      子どもと引き換えに、女性たちが失ったものの大きさを今こそ直視するとき:中真生 | ブックハンティング | 新潮社 Foresight(フォー...
      子どもと引き換えに、女性たちが失ったものの大きさを今こそ直視するとき:中真生 | ブックハンティング | 新潮社 Foresight(フォーサイト) | 会員制国際情報サイト(2022年5月3日)
      https://www.fsight.jp/articles/-/48844
      2023/04/03
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      世界で共感、「母親になって後悔してる」 著者が語る女性の息苦しさ:朝日新聞デジタル(有料記事)
      https://www.asahi.com...
      世界で共感、「母親になって後悔してる」 著者が語る女性の息苦しさ:朝日新聞デジタル(有料記事)
      https://www.asahi.com/articles/ASR3Y5GV9R39UHBI03M.html
      2023/04/04
  • 面白そうなタイトル、読んだらやはり面白かった。
    「母になったことは後悔していても
    子どもたちについては後悔していません。
    得られた子どもたちは愛しています」
    読んでみて、なるほど。

    こういう本が話題になっているのは
    やはり多様性の時代なのかな。

    それより、久しぶりに
    わかりにくい翻訳本を読みましたよ。
    下に二つほど例をあげます。
    単に私の頭が悪いだけなら、ごめんなさい。

    〈彼女たちの後悔は、母が考え、感じ、欲望し、夢を見て、記憶する主体であるということを社会が忘れることを許さないのだ〉(p120)

    「許さない」の主語は誰(何)?
    「彼女たちの後悔」のように思えますが、全体を通して彼女たちは不満は感じていても、それを許さないというものではない。
    前後を読むと、許さないのは「社会」じゃないかと思うのですが、この文章から読みとれますか?

    〈先週、ロイはモーセ五書のテストがあり、
    一緒に勉強してほしいと頼まれて、
    一時間半ほど一緒に座っていました。
    息子が勉強し、私も一緒にやりました。
    大人も楽しめる内容だったので楽しかったです〉(p138)

    ロイって誰?息子と同一人物?
    「一緒に勉強してほしいと頼まれた」のはロイ?私?
    わからない私が変なのでしょうか?

    昨夜読み終わった東畑開人さんの『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』のあとがきを読んで、新潮社の編集者ってホントすごいんだなあと思ったばかり。
    この本の編集者はちゃんと読んだのでしょうか?

    最後に「本書のご感想をぜひお寄せください」とあったので、ここに書いてみました。

  • 面白くて一気に読んでしまった。読みにくさは個人的には感じませんでした。
    語ることをタブー視されている、母親になったことの後悔、それを敢えて語ることの重要性。
    母親たちの生の声が胸に突き刺さりました。
    このような内面を抱えながら母であり続けることは悪いことではないむしろ普通のことなのだという慰めにもなります。
    社会では労働者として活躍することを期待され、家に帰ればワンオペ育児、そんな人生が辛い、後悔してると嘆くことすら許されない、そんな社会的な空気で少子化にならないはずがないなと改めて納得させられてしまった。

  • 去年9月号の雑誌VERYで紹介されていて、図書館で予約。8ヶ月ほど待った。
    夫がタイトルを見て、「絶対子どもには言えないヤツじゃん」と言っていた。たしかにね。自分の母が「母になって後悔してる」って言ってるのを子どもの立場で聞いたら、自分のことをいらなかったって言われてるようでショック受けるだろうなぁ。
    本書では、子どものことは愛している、母になった後悔とは別モノって書かれているんだけど。じゃあ何に対して後悔なのか、っていうところがイマイチ私の中で読みこなせなかった。

    論文なわりには読みやすいとはいえ、読み進めるのになかなか苦労したからかもしれない。
    イスラエル、という宗教的に子どもを生むことが当たり前だとされている社会の話が前提になっている様子なのも、インタビューの母の年齢が書かれてないけど「若いうちに母になっちゃったから、後悔してるんじゃないの?」という目で見てしまった部分もあったからなのかもしれない。

    振り返って考えてみると、私が若かりし頃、職場で父になった人に対して「じゃあこれからはもっと働かないとね!」、母になった人には「子どものお世話があるから仕事はあんまりできないね」って当たり前に言う会社の上司には疑問があった。
    今は父になった人に対してもいちおう育休を推奨しているけど、まわりであんまり取ってる人はいない。専業主婦家庭が多いからかもしれない。専業主婦のほうが保育園にいれられずに大人は体調も崩せなくて大変だと思うんだけど。

    私はフルタイムで「産むことと母乳出す以外は男性でもできるはず」ということで、夫と家事は分担、保育園の送迎も手分けしているけど、それでも私も「子どもがいなければなぁ…」と思うことはある。
    会社で歓迎会や送別会という限定的な飲み会すら参加できないとき。
    子どもの発熱で仕事の予定をキャンセルしないといけなくなったとき。
    仕事をキリよく終わらせたくても、保育園のお迎えがあるから途中で切り上げないといけないとき。
    疲れていても子どもたちに夕食を用意しないといけないとき。
    時間に追われていて、子どもがグズグズしてるとき。
    のんびり本を読もうと思って早起きしたのに、子どもも起きてきてしまって読書どころか家事もできないとき。
    子どもと一緒に寝落ちしてしまって、夫が文句言ってきたとき。
    などなど…

    いや、もう最後のひとつは結婚そのものを後悔するんだけど。

    要はそれって、自分の人生としての翼をもがれてツライ、ってことなのかな。そんなのは甘えだ、って言われてしまう話なのかしら。誰か助けてくれる大人があと何人かいたら解決することなのかしら。
    本書では孫がいる世代の人が「後悔してる」と言っていて、「子どもに振り回されて、今度は孫でウンザリ」みたいなことを実母や義母に言われてしまうと頼れないしつらさ倍増…と思ってしまった。

    これからうちの子どもたちが大きくなるにつれて、子どもの学力のこととか、将来のこととかも考えていくことになるけれど、「親の顔が見てみたいわ」って後ろ指さされるのも怖いといえば怖い。
    そういう怖さは、誰かの人生の責任を負うのがツライ、ってことなのかしら。

    日本の場合は、選べる世の中だからこその苦しさなのかしら。
    自分で選んだ道でしょ、って。
    子どもを生むこと自体も。何人生むのかも。
    自分で選んだことだから弱音は吐けないし、後悔だなんて言えない。
    そんな真面目さも、母になったつらさに拍車をかけている気もする。

    私が男性だったら、間違いなく仕事に逃げていたと思う。
    私は子どもが苦手で、どう接したらいいかわからないし。最初から子育てには向かないだろうなと思っていたけど、保育園の先生とか市町村の児童センターで、「『助けて』って言っていいんですよ」って言ってもらえてなんとかやってる。だから「後悔してることを言える」よりも「助けてって言えることが大事」って思う。

    私自身は、30代後半で結婚し、子どもを持った。
    あと5年早く産み始めていたら、何歳差で何人産むか選択肢は多かったと後悔はある。この5年の間にたいしてなにもやりたいことを考えなくて、ただ時が過ぎただけなのも後悔に繋がっている。
    若い母ではないからか、周りも「できるでしょ」と思うのかあんまり手助けしてくれない感じはする。年食ってる分、体力なくて大変なんですけど…。

    まとまりない感想になってしまったけど…

    娘には将来、「母になる前にやりたいこと色々やったほうがいい」「自分の人生をデザインすることは大事」という話はしたほうがいいのかもしれない。
    一方で、高齢出産のデメリットも説明したいところではある。

    うちには息子もいて、娘にだけ話をしようと思っていたけど、よく考えてみたら息子には「奥さんと一緒に育児をすべし」「奥さんに後悔させてはいかん」と言ったほうがいいのかも。要は「子育てから自分だけ逃げてはいかん」と。

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