百年の孤独

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105090012

感想・レビュー・書評

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  • コロンビアのノーベル賞作家ガルシア=マルケス代表作。百年の孤独を宿命付けられたブエンディーア一族と彼らの作った村、マコンドの物語。
    どうしようもない運命に閉じ込められ、同じ名前の人物が時代を超えて同じ言動を受け継ぎ、時間は過ぎ去らず幾度も繰り返し続け、小説としての明確な筋など超えて作者の力量と大袈裟な饒舌に引きずり込まれるような小説。
    読んでいる時の感覚は舞台であるマコンドの空気になって漂っているような感じで、ただこの文体にずっと漂っていたいような早く運命の辿り着く先を知りたいような、読書の愉しみに浸れます。

    こちらのガボさんの自伝で、百年の孤独に反映された実体験や実際の事件などが語られています。
    「百年の孤独」について「すべて事実が元」と言っている。日本人読者としては、ラテンアメリカと日本では、事実に対しての表現方法が違うんだな、という風に受け取っていたのだが、この自伝を読むと、ガボさんが書いているマジック・リアリズムは本当に本当の出来事だったんだなと思います。

    https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4105090186#comment

    ===
    若きホセ・アルカディオ・ブエンディーアはその妻ウルスラと20人ほどの仲間と共に新たな村、マコンドを建設する。マコンドはブエンディーア一族と共に増え広がり、戦争に加わり、繁栄を迎え、そして衰退する。
    政治闘争と戦争、バナナ会社誘致による繁栄と労働組合との衝突や虐殺、鉄道の開通でもたらされる新たな文明、雨季と乾季に苦しむ人々など南米社会の現実描写に、過去と現在と未来を境なく行き来するような構成、そして幻想的描写が違和感なく交じり合った幻想的リアリズム文学。
    近親婚による子供たちは豚の尾を持って生まれ、死者は亡霊となり留まり、錬金術師のジプシーは一族の宿命を予言し、謎の死を遂げた息子の血は道を渡り母親の元へ辿り着き、絶世の美女はシーツを纏ったまま天に昇り、双子の兄弟の運命は互いに交じり合う。
    登場人物はみな迷い星のように孤独で愛が欠落している。自分の周りに輪を描き母親さえ入れない大佐、夫を亡くし50年間家から一歩も出ない未亡人、愛情と先天的恐怖の板鋏で求愛者たちを拒絶し人生を狂わせる女、恋人を失い町を出て死ぬまで口を利かずに過ごす娘。
    そして一族に始めて愛によって子供が生まれた時、ブエンティーア一族はマコンドと共にこの地上から完全に消滅する。
    ===

    ガルシア=マルケスは「百年の孤独に出てくるエピソードのどれ一つとして祖母から聞かなかったものはない」といいます。確かにこの小説の語り口は書き記されたというよりとめどなくしゃべり続ける、という感じ。
    「エレンディラ」の後書きでは翻訳者がラテンアメリカ文学の土壌について触れています。「百年の孤独」での印象的場面に「女性が天に昇る」情景がありますが、実際に女性の匂いに大量の蝶が群がることがあり、それはまるで天に昇るかのようだということ。
    このような「自分達にとっては当たり前だけれど世界では幻術的な情景」を「絶世の美女の身体が透き通りシーツを纏ったまま天に昇る」という目も眩むような描写にしてしまうのが作者の力量。

    この物語の混迷を増徴させているのが同じ名前を持つ一族の者達。男はホセ・アルカディオ、またはアウレリャーノ、女はウルスラ、レメディオス、アマランタと名付けられる。同じ名前の彼らは時代を超え時間の割れた破片が漂うように同じ面影と宿命と性質と執着と孤独とを受け継ぎます。
    それは一族の起源である老いたウルスラでさえ今目の前にいる「アウレリャーノ・ブエンティーア」が自分の息子なのか玄孫なのかわからなくなるほど。
    "答えながら彼女は、死刑囚の独房にいたアウレリャーノ・ブエンティーア大佐と同じ返事をしていることに気づき、たった今口にした通り、時は少しも流れずただ堂々巡りをしているだけだということを改めて知って身震いした"

    "口数の少ない堂々とした老婆は、時の流れがその源に帰っていくような思いをさせられた。入ってきた五人の客のなかに骨ばった顔色のさえない男を見たのだ。韃靼人のように頬骨が高く、この世の初めから未来永劫にわたる孤独が、あばたのように顔を覆っていた。「あら、アウレリャーノだわ!」と彼女は呟いた。再びアウレリャーノ・ブエンティーア大佐を目の前にしているような、そんな気がしたのだ"
    しかし同じ名前と同じ性質を持っていてもそれぞれの登場人物像はしっかりしていて、読んでいるほうはさほど混乱しないし、一人一人に情を持てます。後半になり、序盤からの登場人物たちが死んでいくところの喪失感といったら堪りません。

    そしてかなり冷酷で残酷な内容が語られても、どこか滑稽な語り口には笑ってしまいます。
    "四年十一ヶ月と二日、雨は降り続いた"
    こんなこと一行で書かれたらもう受け入れるしかないでしょう。
    さらに作者の遊び心を感じるのがところどころで登場する他の南米作品の登場人物たち。カルペンティエル「光の世紀」のビクトル・ユーグ、コルタサル「石蹴り遊び」のロカマドゥールの名前がさりげなく登場します。

    またこの当時は死が自然なことだったのでしょう。
    "実際に彼は死の世界にいたのだが、孤独に耐えきれなくてこの世に舞い戻ったのだ"
    "死神に会ったのは、ある暑さのきびしい午後だった。廊下の彼女の脇で縫い物をしていたのだ。すぐにそれと分かった。死神には少しも怖ろしいところはなかった"

    あらすじとか現実を明確にしてしまうのはもったいない、ただ漂っていたいような小説です。


    ===
    「42の矛盾と6つの重大な誤り」
    2020年 1章ずつ読む読書会に参加中。

    1章 P5
    ❐「長い歳月が過ぎて銃殺帯の前に立つ羽目になった時、おそらくアウレリャーノ・ブエンティーア大佐は、父親に連れられて初めて氷を見に行った、遠い昔のあの午後を思い出したに違いない」
    いきなり始まるのだが、アウレリャーノ大佐どうなったが全然語られない!
    ❐鼓さんの翻訳で「怪獣の卵」「恐竜の卵」になっているのが、原語ではただ「卵」だった!
    ❐変人ホセ・アルカディオ・ブエンティーア父ちゃんは錬金術にハマる。
    ❐さらっと不思議なことが出てくる。
    ❐しっかり者のウルスラ母ちゃんは、父ちゃんに振り回されながらも受け入れてしまう。

    2章 P18
    ❐14歳のホセ・アルカディオ兄と、6歳のアウレリャーノ弟は性格は全く違うが兄弟仲は良い。
    ❐人間の根本。戦い、性、生、死。
    ❐若い頃のホセ・アルカディオ・ブエンティーアとウルスラは、同じ村のブルデンシオ・アギラルを殺したことから20人くらいの仲間と村を出て海を目指すが、途中で村を作ってマコンド
    ❐若い頃のホセ・アルカディオ・ブエンティーア父ちゃんは冒険のリーダー、村の差配者。
    ❐ホセ・アルカディオ・ブエンティーアとウルスラの結婚に際し、二人が近親者なので子どもにはぶたのしっぽが生えると警告される。
    ❐長男のホセ・アルカディオ兄と占い女(40歳くらい?)ピラル・テルネーラの性生活。
    ❐子どもができたことに動揺したホセ・アルカディオ兄は、ジプシーの一座とともにマコンドを出る。
    ❐ウルスラも放浪に出てしまう。
    ❐生まれたばかりの娘アラマンタの面倒はホセ・アルカディオ・ブエンティーア父ちゃんがみた。
    ❐ウルスラが他の村との道を拓く。

    3章 P32
    ❐ホセ・アルカディオ兄とピラル・テルネーラの息子、アルカディオ。
    ❐メルキアデスの一族は、人知の限界を遥かに超えてしまったがために、この地球上から抹殺されたということだった。
    ❐マコンドは近隣の村との交易で栄える。ホセ・アルカディオ・ブエンティーア父ちゃんが再び差配。
    ❐グアヒロ族のピシタシオンとその弟が手伝いに入る。
    ❐ニュースは、旅人の歌で告げられる。
    ❐レベーカ推定11歳がくる。変わり者の内向的少女。両親の遺骨の袋がゴロゴロする。
    ❐次第にアマランタとアルカディオの姉になる。「こうして彼女も、他のものと同じようにブエンディーアと呼ばれるのにふさわしい人間、この名前一つを守って生涯それを汚すことのない人間になっていった」P36
    ❐日本は死ぬと骨と灰になるが、南米は土葬なので遺骨の扱いが日本と違うはずなのにレベーカはなぜ土葬の国で骨を持っていた?当時はそうだったのだろうか。
    ❐遺骨がはいっている袋が「信玄袋」って何?!
    ❐口から入る伝染性不眠症に悩まされる。物忘れがついてくる。物忘れ対策として、物に名前と使用方法を書いた。失われた記憶は占いで埋める。
    ❐不眠症により、他人の夢がうろつくようになった。
    ❐こうして彼らは、言葉によってつかの間突き止められはしたが、書かれた文章の意味が忘れ去られてしまえば消え失せてての施しようのない、はかない現実の中で生き続けることになった。P39
    ❐メルキアデスが戻ってきて、写真工房を造る。「実際に彼は死の世界にいたのだが、孤独に耐えきれなくなりこの世界に舞い戻ってきたのだ」P41
    ❐アウレリャーノ金細工。エレンディラに恋する。
    ❐知事に任命されたドン・アポリナル・モスコーテ。政府というものが初めて出てくる。政治のない世界は血族が強かった。ホセ・アルカディオ・ブエンティーアは「敵意にかけて」彼の安全を保証する。
    ❐年月は混じっているのに、曜日は大事。木曜日、日曜日、水曜日は書かれる。→毎週毎週ぐるぐる回っている感じ。→ガボさんの短編で「土曜日の次の日」「火曜日の昼寝」と曜日を題名にした物がある。
    ❐ホセ・アルカディオ兄31歳位?アウレリャーノ23歳くらい?レベーカ16歳位?アマランタ14歳くらい?アルカディオ13歳位?
    ❐ウルスラ家を増築する。
    ❐まだ死んだ者がいない。
    ❐アウレリャーノ、ドン・アポリナル・モスコーテの9歳の娘のレメディオスに焦れる。
    ❐物の名前には名前がなく指を指していた⇒歌で伝える⇒書き記す、写真で残す。
    ❐ウルスラ母ちゃんは変わらない。他の登場人物は変わってゆく。

    4章 P49
    ❐前の章までは中近東やアジアっぽかったのに、4章の初めはヨーロッパっぽくなってどうしたんだろうと思った。
    ❐自動ピアノ調整家のイタリア人美男子のピエトロ・クレスピを巡って、レベーカとアマランタの恋の確執が生じる。レベーカとピエトロが婚約したが、アマランタは「自分の死体で塞いででも結婚式は邪魔してやる!」と宣戦布告。⇒文通をしたレベーカ、出せない手紙を募らせたアマランタの対比。⇒開拓されたばかりの村でもイタリアから自動ピアノを輸入する。
    ❐アウレリャーノは全てのものにレメディオスを感じる。
    ❐子供たちの恋。レベーカは自分を傷つけ、アウレリャーノは他人を傷つける。
    ❐苦しむアウレリャーノがピラル・テルネーラと関係して、子供ができる。
    ❐レメディオスとアウレリャーノの婚約が整う。
    ❐メルキアデスが、マコンドでの一人目の死者で、死者の国で出会ったプルデンシオ・アギラルにマコンドを教える。⇒実はマコンドに来たときから死んでいたのか?と感じていた。⇒死んだメルキアデスは処置をしても腐った(カラマーゾフのゾシマ長老を連想)。不思議なことが起きることと、普通のことしか起きない時があるんだね。
    ❐ともに年をとったホセ・アルカディオ・ブエンティーアと、プルデンシオ・アギラルは仇を越えて互いを懐かしむ。死ぬ人もいて、生き返る人もいる。作者の法則はどうなっているんだろう。⇒彼らは死をそんなに恐れていない、当たり前と思っている。
    ❐毎日が月曜日!ホセ・アルカディオ・ブエンティーアが発狂して栗の木に繋がれる。⇒ホセ・アルカディオ・ブエンティーアは狂ってはいないだろう。
    ❐銃殺隊の前に立たされるのが、アウレリャーノ大佐だけでなくアルカディオもそうだと示唆。その後のアウレリャーノとアルカディオの対比。
    ❐メルキアデスが何かを書き始める。アルカディオの心に留まる。
    ❐結婚が曖昧で子供が増えて、生死が曖昧で、正気と狂気が曖昧で、これはこれで良いと思った。

    第5章 P65
    ❐出てくるキャラクターみんなトリックスター(嘘をついて新しい話を作ってゆく)
    ❐歴史上の保守派と共産党の戦いは1899年から1902年。自分たちの国として立ち上がろうとしたとき。
    ❐社会の革命も起こり、家庭内革命も起こった?死と結婚。
    ❐舞台はマコンドだけでなく世界もあった。
    ❐ホセ・アルカディオ・ブエンディーア兄ちゃんの表現には数字が多い。異国が入ってきた感じがする。
    ❐ニカノル神父。チョコレートを飲み浮遊。
    ❐保守党派 自由派アウレリャーノ、ヘルネリド・マルケス、マグニフィコ・ビズバル。
    ❐マコンドのルールがいつのまにか変わっている。(家を保守派の青く塗る、保守派が兵士を入れる)
    親世代は保守派、子供世代は自由派でルールに縛られない。
    ❐アウレリャーノとピラル・テルネーラの息子は、アウレリャーノ・ホセ。
    ❐投票のズルは、今でもあるよねー。(トランプ騒動とか)昔のほうが物語で読めたけど、今だとあるよねーとおもってしまう。現実が物語が驚いた。百年の孤独にトランプ出てきても不思議じゃない。。(生き返りそうだし)
    ❐アウレリャーノが大佐になり、物語が始まった!という感じ。アウレリャーノの寡黙さと行動力が出てきて、始まった!という感じ。
    この行動力は、ホセ・アルカディオ・ブエンディーア父ちゃんも持っている、まさにブエンディーア!
    5章でついにアウレリャーノが動いたが、すぐに動くのではない、タメがあるのが良い。(30歳くらい?)
    様子を見て、舅の選挙詐欺を見て、仲間の動向を見て、兵士が入ってきたのを見て、ついに動いた!!このタメがよい。
    ❐”ウルスラ”は、女子教育の聖女の名前なので、なにか関係あるのか?
    レメディオスは癒やしが語源?
    ❐ホセ・アルカディオ兄ちゃんが帰ってきてレベーカに「お前も、なかなかいい女になったな」というが、初対面ですよね。(ホセ・アルカディオ兄ちゃん2章で出て行き、レベーカは3章で来ている)ガボさんの言う 「42の矛盾と6つの重大な誤り」の1つ?                                                                                                                                                                                                               
    ❐それぞれの夫婦の愛がさらっとしているが、愛はあるんだろうと思う。ホセ・アルカディオ・ブエンディーアとウルスラ(木にくくりつけられてもそのまま)、アウレリャーノとレメディオス(妻が死んでも遺された心情があまりかかれない。レメディオスが良い子なので、すぐにいなくなってしまって残念)
    ❐『カリブ海では…海賊ビクトル・ユーグが…』のように、他の作品の登場人物が現れてきた。「光の世紀」は読んだことあるけれど、アレホ・カルペンティエルの長編は文章が堅くて若干苦手…。(いくつか読んでいますが)
    カルペンティエルも、ガルシア・マルケスも、カストロ派でしたっけ?
    ラテンアメリカ作家は、親カストロか、反カストロかで分かれるような。(作家関係図が見たい)
    ❐ヘルネリド・マルケスはガルシア・マルケスの関係者のつもり?

    第6章 P82〜
    ❐いままで小出しにされていた「銃殺帯の前」問題が一気に答え合わせ!
    冒頭数行のスピード感がすごく好き。
    ❐アウレリャーノは銃殺を免れ、アルカディオは銃殺された。
    ❐ホセ・アルカディオ・ブエンディーアとウルスラの代の伝説的な話が現実の政治と戦争の話に。
    ❐アルカディオは自分の出生をなんだと思っていたのか?祖父ホセアルカディオブエンディーア、伯父ホセ・アルカディオだと思っている?アルカディオの権力者ぶりはコンプレックス?税金着服など、たしかにブエンティーアっぽくない。
    ❐ニカノール神父生きてたのか!?
    ❐この章は内面描写が多いが、細かい内面描写もあればすっ飛ばされた描写もある。
    ❐アルカディオとサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダに娘、さらに妊娠中。
    ❐死んだ二人の男の書き方が美しい!同じ時間の時計、オルゴール、盥の中で手首を切ったピエトロ・クレスピ、処刑の心理が描かれたアルカディオ。でも作者はピエトロ・クレスピをあまり好きじゃないのかもしれない 苦笑
    それに対して生きたホセ・アルカディオお兄ちゃんは勢力吸い取られて。
    そしてアラマンタは手の傷を生涯背負って生きる。
    ❐家族は、何気なく崩壊しているが、それらすべてを大したことのない、当たり前のこととして慌てないこの生活ぶり。現在だったら相当家庭崩壊だけれど。
    父親発狂で拘束、母親家族を見ているのか見ていないのか、兄家出で奔放、弟幼子と結婚して戦争参加、息子と養女ふしだら結婚、娘恋愛破戒者、孫1暴君で処刑、孫2幼い、曾孫3,4いつの間にか生まれていた。
    しかしそんな家庭崩壊状態をまったく問題ないかのように受け留める時代と人と村の包むような感じが良い。
    ❐マコンドの権力者になろうとしたアルカディオと、いつのまにかそうなっていたウルスラ。
    ❐シリアスと笑いをドストエフスキーは白と黒の反対色の書き方だが、ガボさんはちょっとずらした色という感じ。
    ❐同じ名前を持つこと同じ人間かと思ってしまうが、そうではないのでは。しかし人間としての深みは増す感じ。

    7章 P96
    ❐アウレリャーノ大佐が処刑のためマコンドに戻される。冒頭の「銃殺帯の前に立たされる羽目になった」
    「守ろうと守るまいとそっちの勝手だが、しかしこれが私の遺言だ」
    ❐銃殺を止めたホセ・アルカディオお兄ちゃん格好良かった。
    ❐いきなり寝返ってアウレリャーノ大佐の側近になってるローケ・カルニセーロ大尉
    ❐アウレリャーノ大佐の不死身っぷり
    ❐アルカディオとサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの間の娘はレメディオス。生まれた双子はホセ・アルカディオ・セグンドと、アウレリャーノ・セグンド。
    ❐ホセ・アルカディオお兄ちゃんの謎の死。血が道を辿る場面で私はこの小説は特殊な小説なのだと理解した。
    ❐レベーカ隠遁。数十年後に強盗を撃ち殺した話は短編の『火曜日の昼寝』でも触れられる。
    ❐ヘルネリド・マルケス大佐はアマランタに求婚するが。
    ❐ホセ・アルカディオ・ブエンディーア父ちゃんの死。「王様の葬儀に立ち会う」

    8章 P112
    ❐思春期のアウレリャーノ・ホセと、アマランタの性の遊戯。(年齢差15歳位?)
    ❐国中で戦い真偽不明のあらゆるニュースが飛び込むアウレリャーノ大佐に対してウルスラは「あのこはもうわたしたちのものじゃないわ」というが、実はアウレリャーノ大佐はずっと両親とは繋がっていると思う。戦争描写のなかでもウルスラとアウレリャーノ大佐の対話はある。若者たちはもっと離れてしまっている。
    ❐大佐の17人の子供たち。ウルスラは育てたがっている。なんか良いな。
    ❐自由党と保守党の和解。だがアウレリャーノ大佐は不満。モンカーダ将軍はマコンドの統治者になる。アウレリャーノ大佐と、保守党のホセ・ラケル・モンカーダ将軍との友情なのか敬意なのか。
    ❐小町娘レメディオス、わがままなアルカディオ・セグンドとアウレリャーノ・セグンドは学校に行く年。
    ⇒アウレリャーノ・ホセが10代後半、アウレリャーノ大佐40歳くらいかな。
    ❐アウレリャーノ・ホセが銃撃される。起こらなかった占いの未来が書かれて不思議。⇒20代前半?
    ❐ビシタシオンが死んだ。マコンドに来ていつの間にか20年。
    ❐アウレリャーノ大佐がマコンドに戻る。⇒40後半?
    ❐モンカーダ将軍「我々のような人間にとっては銃殺は自然死と変わらないのだから。ただ気にかかるのは、軍人を憎しみ過ぎたために、彼らをあまり激しく攻撃したために、そして彼らのことを考えすぎたために、連中と全く同じ人間になってしまったということなんだ。これほどの自己犠牲に値する理想なんてこの世にないとおもうんだがね」P125

    9章 P127
    ❐戦いの虚しさヘルネリド・マルケス。アウレリャーノの停戦と自害失敗。
    ❐自分が政権を取ろうとなると、自分たちが攻撃していた相手の政策を取る。P132
    ❐自分の半径3メートルに円を書いて誰も入れないアウレリャーノ大佐。
    ❐アウレリャーノ大佐50歳くらい?
    ❐年金支払われない手続き。P140「大佐に手紙は来ない」
    ❏ブエンティーア一族は正式な手順を拒絶する感じ。男性からの求婚とか。

    10章 P142
    ❐折返しなのだろうか。冒頭が「臨終のアウレリャーノが思い出したのは、だろう」という書き方が最初と同じ。ホセ・アルカディオとアウレリャーノの兄弟が女性を共有するのも同じ。
    ❐アウレリャーノ・セグンドと、妻フェルナンダ・デル・カルピオの長男は、ホセ・アルカディオ。
    ❐アルカディオと、サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの間の子供が、小町娘レメディオスと、ホセ・アルカディオ・セグンドと、アウレリャーノ・セグンドの双子ですよ。
    ❐ウルスラいわく、アウレリャーノを名乗るものは内向的だが頭がよい。ホセ・アルカディオを名乗るものは衝動的で度胸はいいが悲劇の影がつきまとう。
    ❐ホセ・アルカディオ・セグンド:痩せぎす。銃殺が見たい。それにより軍事訓練や戦争を憎むようになる。僕は根っからの保守人間。聖体受領を受ける。軍鶏の闘鶏の腕を磨く。海へ繋ぐ幻想。海から筏をマコンドに着けた。
    ❐アウレリャーノ・セグンド:巨漢。銃殺なんて見たくない。メルキアデスの研究所に興味を持つ。メルキアデスの亡霊と交流する。妄想癖があった。怠け癖と放蕩が出る。兄の振りをして兄と同じ女のところに通う。ともに性病を患い、その女を独り占めする。町一番のアコーディオン弾きになる。ブエンティーア一族の中心になると日常的にお祭り騒ぎ。陽気な性格。
    ❐ペトラ・コテス。双子が共有した女。アウレリャーノ・セグンドは彼女を幸運の源として情婦にしている。
    ❐小町娘レメディオスの恐ろしいような美貌。20歳。
    ❐金細工の魚を作り、得たお金を溶かして金細工を作る。
    ❐ウルスラ100歳を超えている。
    ❐ホセ・アルカディオはウルスラが「お坊さんにしてみせる」
    ❐死人の年のとり方が違う。ブルデンシオ・アギラルやホセ・アルカディオ・ブエンディーアは年を取り、メルキアデスは若返った。
    ❐家の中の出来事なのに、食事など日常的なことが全く書かれていなくて不思議。
    ❐祭りの最中の銃撃。

    11章 P158
    ❐アウレリャーノ・セグンドとフェルナンダの結婚生活。アウレリャーノ・セグンドを”一人前の男にした”ペトラ・コテスとはそのまま。「だってペトラのところに行かないと家畜が増えなくて〜」
    ❐家名にだけ拘る落ちぶれた旧家のフェルナンダのところに軍人が来て、マコンドへ女王の扮装で連れて行かれた。10章のカーニバル虐殺は軍人が仕組んだものなのか。
    ❐息子ホセ・アルカディオは、聖者様の孫で家畜泥棒と女王様の息子なんだからね!→法王になるんでしょ、学校に入る。
    ❐自由党として戦ったアウレリャーノ大佐のところに、旧態依然としたフェルナンダが来るのも不思議。
    ❐ゴッドマザーのウルスラも流石に年を取り衰えてきた。
    ❐フェルナンダへのアラマンタの嫌味はちゃんと文法的に正しいらしい。
    ❐大佐の息子のなかで、アウレリャーノ・トリステが残る。
    祖父の激しい気象と探究心を受け継いだ混血の大男。その後アウレリャーノ・センテーノが残る。幼い頃物を壊す手を持っていた。
    ❐アウレリャーノ・トリステが鉄道を牽いてきた!鉄道が通るってまさにガラっと時代が変わりますよね。→歴史の事実として、鉄道が通ることにより、線路上の時計が同じになり、世界中で「同じ時間を生きている」ことが顕になった。
    ❐アウレリャーノ大佐の子供たちの描写。P119。二人だけが他の子供と違っていた。年の割には大柄なそのうちの一人は、触れるものは何でも破壊する力をその手に秘めている(→センテーノ?)。もうひとりは母親譲りの青い目、カールした髪を伸ばし、霊感がある。大佐の息子たちは、みんな35歳未満で死ぬことが予言されている。炭の十字架が目安。

    12章P173
    ❏百年の孤独といえば!小町娘レメディオス昇天!!
    柳田邦男「犠牲サクリファイス」で、亡くなった息子さんが百年の孤独を好きで、栞が挟んであったのはレメディオス昇天場面だったらしい。
    ❏レメディオスの心を捉えるには、ただ愛を示せばよかったのに、誰もそれをせずに見かけの美しさや匂いにばかり捉えれられてしまった。
    ❏バナナ農場。アメリカ資本が出てきた。
    ❏産業革命入った。
    ❏マコンドの住人は自分達では何もしない。外から来ていやだなーと思うけど何もしない。
    ❏ガボさんは黄色が好き。故郷を表す色。
    ❏軍人の銃殺は軍人として死ぬ。絞首刑は罪人として死ぬ。
    ❏アウレリャーノ大量虐殺と、大佐蜂起未遂。
    旧約聖書のカインは神の印のおかげで命が助かったのに、17人のアウレリャーノは教会の印を目印に殺されたというのは、キリスト教への皮肉?
    最年長者アウレリャーノ・アマドルのみ生存。
    ❏アウレリャーノに関わるのは”水曜日”。灰の水曜日、電車をひいた、アメリカ資本が入ってきた。
    ❏栗の木。人間は100年未満で死ぬけれど、植物はずっとある。

    13章 P188
    ❏法王見習いホセ・アルカディオの留学。
    ❏食べ比べって世界で歴史あるよね。
    ❏豊饒と空虚さが顕著な章。金細工、大食い大会、72人の女学生と72個のおまる、に対して、愛の欠如。
    ❏アマランタの経帷子、アウレリャーノ大佐の金細工は、孤独から抜けるためではなくて、孤独を保つためにやっている行為なのだろうか。
    ❏ウルスラ「サソリなら私の胸にいる」というような表現⇒英語で胸キュンを「お腹に蝶がいる」というのだが、胸にサソリってどんな表現になるんだろう?
    ❏ウルスラが盲目になるが匂いなどで気配を察する。この数行で1年間を表現している。<家族の一人一人がそれとは知らずに毎日、同じところを通り、同じ動作を繰り返してくること、さらに同じ時刻に同じことを喋るのに気がついていたおかげだった。(…)それは、一年のうちに太陽の一がごくわずかずつ移動していき、廊下に座っている者たちがそれとは知らずに、少しずつ場所を変えていかねばならないという事実だった。その時から、ウルスラは、アマランタの座っている正確な場所を知るには、日付を思い出しすればよかった。P190>
    ❏むかしは時間がのんびりしていたのに。
    ❏ウルスラの考察の変更。レベーカは奔放、アマランタはこの世で最も心が優しい、アウレリャーノ大佐は愛が欠如している。
    ⇒本当にアウレリャーノ大佐に愛はなかったのか?読者としては、両親兄妹、幼い妻レメディオスのことは愛していたんだと思えるんだ。
    ❏アウレリャーノ大佐の死。死んだのは火曜日、蜂起したのは火曜日の真夜中。誰も愛さない、愛の欠如。ブエンディーアの象徴。
    精神的な死から始まって、肉体の死。

    第14章 P205
    ❏アウレリャーノ・セグンドと、フェルナンダに第三子のアラマンタ・ウルスラが生まれる。ブエンティーア一族で子供を生んだ女は三人。ウルスラとサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダが生んだのは男二人と女一人。フェルナンダが生んだのは男一人と女二人。なにか変化が訪れたのか。
    ❏アラマンタと死神。
    死んだ人達への手紙を言付かって死ぬ場面が好きだなあ。マコンドの伝達方法は、「物には名前がなく、指を指していた」⇒放浪のジプシーの歌に乗せて故郷の伝言⇒不眠症が流行したときにメモを貼るようになった⇒電報や郵便が通った、になっていったけれど、結局根本は「伝言する」に戻った感じ。
    <死神に会ったのは、メメが学校へ移ってまだ間もないある暑さの厳しい午後だった。廊下の彼女の脇で縫い物をしていたのだ。すぐにそれとわかった。死神には少しも怖ろしいところはなかった。P212>
    <この世で最も愛した人間であるアウレリャーノ大佐の死に際しても、涙ひとつ見せなかった。P210>
    ❏アマランタの死の前に恨みなどから開放されるのだが、キリスト教観とは違う。仏教的解脱に近い。欧米小説では見掛けない書き方。
    アラマンタは自分のやりたいことをやったことがないだろう。経帷子を編むという自分のことをやって開放されたのか。
    ❏<まあおすわり。ブエンティーア一族の者を占うのにトランプなんかいらないよ。P220>
    ❏マウレシオ・バビロニア 黄色い蛾。ガボさんはこの二人にも本当の愛はなかったように描いているのかな。
    ❏「黄色い蛾」言語ではマリポサ。蝶も蛾も両方同じ。夜や暗いところに現れるから蛾に訳したのか。欧米の蛾とはあまり印象悪くない。蝶だとロマンチック、蛾だと不吉。
    ❏フマキラー!?金釘流!?
    ❏母と娘。二人のおばあちゃんからの忠告。
    ❏家にいる女、フェルナンダとアラマンタ。家にいるフェルナンダと外に開くウルスラ。母娘のフェルナンダとメメ。女と女の関わりを感じる。
    ❏父と娘の関係。
    ❏映画館ができてた。以前はからくり屋敷だったのに。
    ❏ウルスラの本当の子供は全員死んだ。
    ❏味気ない学校生活だが、卒業証書で気が楽になった。
    ❏メメは一人修道院から遠くの国の病院で年老いて死に、マウレシオ・バビロニアはベッドから起き上がれずに死ぬ。
    ❏ホセ・アルカディオ・セグンド<なんの愛着も野心もなく、ウルスラ系の迷い星の一つとして宇宙を漂流していたのだ。P200>
    ❏メルキアデスが、アルカディオに羊皮紙を読む。序盤(P58)「不可解なその書物の何ページ分か読んで聞かせる…節付きの教皇回状のような感じがした」につながる。


    第15章 P222
    ❏メメとマウレシオ・バビロニアの息子、アウレリャーノは捨て子ということにされた。川に籠ってモーゼ!?ブエンティーアの女に近づくものは皆不幸に!?ブエンティーア一家で子供を産んだのはメメだけ。(アラマンタ、レベーカ、幼いレメディオスは産んでいない)
    <聖書を信じるくらいだもの。私の話だって信じるわ。P226>
    ❏黄色い蛾。
    ❏家族の話と政治の話。
    ❏唯一現実的なのは1番影の薄いサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダ。
    ❏やはりホセ・アルカディオ・セグンドがアウレリャーノ気質、アウレリャーノ・セグンドがホセ・アルカディオ気質なので、やっぱり入れ替わってる気がする。
    ❏衰えるウルスラ。
    ❏アウレリャーノ大佐がどんどん貶される…。
    ❏ブエンディア一族でマコンドを出て死ぬのは珍しい。だが一生口も聞かず離れた場所で死んだといので心は死んでいた。
    ❏「アルテミオ・クルス」に出てくるカビラン大佐登場。
    ❏トルコ人街ハコブの玉突き場→「この村に泥棒はいない」
    ❏バナナ農園のストライキと3000人の死者。→自伝の「生きて、語り伝える」に、事実と小説への反映の仕方が分かる。
    ❏そういえばホセ・アルカディオ・セグンドののめり込み癖は、初代ホセ・アルカディオ・ブエンディーアらしく、また祖父アウレリャーノ大佐とも気があっていたということで示されていた。
    ❏メメとフェルナンダが列車に乗り、アルカディオ・セグンドが死体とともに列車に乗せられる。百年を遡るようだ。
    メメはこの列車から見える光景は”目に入っていない”のに、羅列しているのが文章としてすごいな。
    ❏<将校は納得がいかない様子だった。その視線は、アウレリャーノ・セグンドとサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダの目には依然としてホセ・アルカディオ・セグンドの姿が見えている位置に注がれていた。こっちを向いているくせに自分の姿が見えていないことに、ホセ・アルカディオ・セグンドも気付いた。P234>
    ❏大きな数字を出すことで、現実のなかの突飛さを表している!!

    第16章 P236〜
    ❏<四年と十一ヶ月と二日、雨は降り続いた。P237>
    百年の孤独を表す文章を挙げよ、と言われたら、冒頭の「長い年月が経ち銃殺隊の…」と、この文を挙げます。こんな事言われたらもう受け入れるしかありません。<事実、雨は上がった。ある金曜日の午後二時(中略)太陽があっけらかんと照りだしたのだ。こうして十年間の旱魃が始まった。P248>
    いやもうどうすればいいの、この小説。
    ❏雨でもだれもマコンドを出ていかない。雨の中で死にたくない。雨が上がったら死のうと考える。非日常で死ぬのは嫌だけど日常で死ぬのは良いのか。
    ❏ヘルネリド・マルケス大佐の寂しい葬儀。
    ❏アウレリャーノ・バビロニアと、ウルスラ・アラマンタが、老衰の進むウルスラをおもちゃにする。
    ❏フェルナンダとアウレリャーノ・セグンド夫婦と、ペトラ・コテス。
    フェルナンダは風習を変えるので物語としては面白くないのだが、<考えてみればその一生は、小止みのない雨の一日といっても良いようなものだったから。P240>の一文には心が締め付けられた。<我が子でさえこれだ。家族のほかの物にはなんの期待も抱いていないが、それでも夫からはもっと大切にされてもいいのではないか。善かれ悪しかれ、秘蹟によって結ばれた配偶者なのだから。彼女をこんなにした、まさに張本人ではないのか。P244>溜まったものが爆発するがお互い通じない。
    ❏フェルナンダにとって扉は閉めるためものだった。アウレリャーノ・セグンドは家中を壊したが扉は壊さなかった。
    ❏ペトラコテスの怒りはパワーに。<一頭の驢馬が目に写った。主人同様に骨と皮だったが、しかしまた、主人に劣らぬくらい元気できびきびしていた。ペトラ・コテスは自分の怒りを餌として驢馬に与えてきたのだ。P249>

    第17章 P250
    ❏ウルスラの死。
    晩年はアマランタ・ウルスラとアウレリャーノ・バビロニアのおもちゃ状態。「生まれたての老婆」という表現。空飛ぶ円盤。
    年を取って小さくなる。「夜のみだらな鳥」「ベンジャミン・バトン」
    でも死後はそれっきり。
    ❏ペトラ・コテスが100歳??アルカディオ妊娠時に40代前半だったためあれから60年しか経っていないのか?ウルスラが何年も前に115歳から120歳だったので、ペトラ・コテスも同じくらいじゃない?
    ホセアルカディオブエンディーア⇒ホセアルカディオ⇒アルカディオ⇒セグンド双子。
    ❏「貧乏は恋の奴隷だ」
    ❏レベーカの死。鳥が死に、怪物が現れ、アントニオイサベル神父が交代させられ、代わりにアウグスト・アンヘル神父が来る。短編「土曜日の次の日」の時期。
    ❏蹄の割れた二本足の獣で、牛ぐらいの大きさで牛のような声を出し、硬いうろこで、翼を切り落とされた傷跡がある、怪物、って何?P257
    ❏P251でウルスラがホセ・アルカディオ・セグンドとの会話で、50年前のアウレリャーノ大佐との会話を思い出す。
    P251<曾祖母の声に気づいた彼は、ドアの方を振り向き、微笑を浮かべながら無意識のうちに昔のウルスラの言葉を繰り返した。「仕方がないさ。時が経ったんだもの」つぶやくようなその声を聞いてウルスラは言った。「それもそうだけど、でも、そんなにたっちゃいないよ」答えながら彼女は、死刑因の独房にいたアウレリャーノ・ブエンティーア大佐と同じ返事をしていることに気づき、たった今口にしたとおり、ときは少しも流れず、ただ堂々巡りをしているだけだということを改めて知って、身震いした。>
    むかしの会話は<「何をぼんやりしているの」ウルスラはほっと溜息をついた。「時間がどんどんたってしまうわ」「そうだね」うなずいてアウレリャーノは答えた。「でもまだそれほどじゃないよ」P98>
    ❏ホームドラマ的。
    ・アウレリャーノ・セグンドが、週に二千枚のくじを手書きして小銭稼ぎ。現実的。
    ・ペトラコテスとアウレリャーノセグンドが、フェルナンダのことを「持てなかった娘のように思っている」
    ・家と女。ウルスラは「人が来るから出入りにより片付く、家ができる」フェルナンダは「窓は閉めるもの。人が来るから掃除をする」⇒なにかがあるから、準備をするというのでは、もう遅いということもある。日々使っているものが生きる。
    ・「妻の側で死ぬという約束を果たすために」
    ・結婚式以来初めて手を取った。
    ❏ウルスラ・アラマンタがマコンドを出てブラッセルに。え、ベルギー?
    ❏サンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエタは密かに現実的。
    ❏入り混じった双子が最期に同じに戻る。
    死んだときの靴。アラマンタは靴を用意して死んだよね。
    ❏メルキアデスの羊皮紙⇒ホセ・アルカディオ・セグンド⇒アウレリャーノ・バビロニア
    ❏翻訳について。外国語を翻訳者が日本語に訳したことにより、日本語を再認識する。

    18章 P265〜
    ❏この章は、「本屋に行く」話だ!!
    ❏アウレリャーノ・バビロニアが、メルキアデスの羊皮紙を読む。サンスクリット語だった。
    ❏メルキアデスが、アウレリャーノ・バビロニアと交流し、消え去る。
    ❏サンタ・ソフィア・デ・ラ・ビエダは家を保とうとするが、寂れる一方の家に敗北宣言をして立ち去る。作者のガボさんによると、サンタ・ソフィアさんはもっと早く死ぬはずだったけれどここで退場になったのは自分でも思いもよらなかったということ。彼女はブエンディーア一族(の嫁)のなかでは一番まともな人ですね(笑)
    ❏フェルナンダの死。長男ホセ・アルカディオが帰ってくる。デカダンス男になっていた。作者ガボさんによると、彼がこんなデカダンス野郎になるのは計算外だったらしい(笑)
    ❏デカダンス男ホセ・アルカディオと、アウレリャーノ・バビロニアの友情。
    ❏アウレリャーノ大佐の私生児の年長者、アウレリャーノ・アマドルが、世界の半分を隠れて逃げ込んでくる。しかしデカダンス野郎ホセ・アルカディオは幼かったため覚えておらずに追い返す。アウレリャーノ・アマドルは、世界の半分を追いかけてきた警官に射殺される。
    さて、アウレリャーノ大佐が戦争に行ったときに、「アウレリャーノの息子たちは、最も年長の者でさえ35歳までは生き延びることはできなかった」と書かれている。だけどアウレリャーノ・アマドルはさすがに40代半ばじゃないか?って思うんですよ。アウレリャーノたちが襲撃された時は、アウレリャーノ・アマドルは若くても20代なかば、当時まだ幼かったデカダンス男ホセ・アルカディオの成長を考えると、20年くらい経ってると思うんですよね。
    ❏ウルスラが隠していた金貨があっさりみつかり、豪遊し、強盗殺人で終わる。ありゃーー。
    ❏デカダンス男ホセ・アルカディオが殺され、金貨を盗まれる。以上!
    ❏第一世代、第二世代のしぶとさに比べて、その後の世代はなんとあっさりとした退場。近代化しているのに個性はなくなっている。第一第二世代は、心があるが、世代が続くに連れて、冷めていく感じ。家族構造も、大家族から核家族に変わっていっている。文明が来ない頃は助け合わないといけなかったが、個人で生きられるようになると家族でいる必要もなくなっていった。
    ❏いままでマコンドから出ていって戻ってきた人は多いが、外に何かを求め、何かをして戻ってくる。だがデカダンス男はなにも手に入れず、マコンドの実家の資産目当てで戻ってきた。あぶく銭を手に入れるがあっさり失う。アウレリャーノ・バビロニアとの友情(金でなく心)をもっと育めばよかったのに。

    19章 P280〜
    ❏<文学は人をからかうために作られた最良の玩具 P288>
    ❏アウレリャーノ・バビロニアの友達の一人”ガブリエル・マルケス”は、ガボさん本人らしい。
    友達アルバロ、ヘルマン、アルフォンソ、ガブリエル。

    20章 P295〜
    ❏<この世も終わりだよ。人間が一等車に乗り、書物が貨車に乗せられるようになったらP296>
    ❏一族の血を絶やすまいとする自然の掟と戦っているウルスラ、偉大な文明の力という夢を追い続けるホセ・アルカディオ・ブエンディーア、ひたすら神に祈るフェルナンダ、反乱の夢と魚の金細工の中で呆けていくアウレリャーノ・ブエンディーア大佐、乱痴気騒ぎの仲に孤独に悩まされるアウレリャーノ・セグンド。彼らの声をまざまざと聞き、はげしい周年は市よりも強いことを知った。現在、昆虫たちが人間から奪おうとしている惨めな楽園だが、未来のべつの動物がそれを昆虫たちから奪い去ったそのあとも、某レトなって会いし続けるのだと確信することで、二人は幸福感を取り戻すことができた。P303
    ❏外から別物もを取り入れないと滅亡に向かう。
    ❏永遠に回転し続ける続ける車輪のよう⇒回転する一族 ピラルテルネラは外からの目線
    軸が摩滅しなければ永遠に回転する。
    ❏作者は”愛”がアウレリャーノ・バビロニアとウルスラ・アラマンタの間だけとしている。他の夫婦や恋人は”愛”ではないのか?何が違うのか?❏愛のない一族だから繁栄し、愛が見つかって滅んだ。
    ❏孤独と孤立は違う 孤独は人に囲まれていてもなる。
    ❏中盤までは登場人数も多く主人公も特になかったが、終盤でアウレリャーノ・バビロニアが忠臣になると、彼が死んだだけ。スケールが小さい、内面的。

    ホセ・アルカディオ兄⇒8歳違いアウレリャーノ⇒3歳違いレベーカ、6歳違いアマランタ

    「僕が驚くのは、この本を出したあと僕が見つけた42の矛盾と6つの重大な誤りについても誰一人指摘する者がいなかったということだ」
    せっかく作者からお題を出されたので探してみましょうか。
    ・ホセ・アルカディオ兄ちゃんが帰ってきてレベーカに「お前も、なかなかいい女になったな」というが、初対面ですよね。
    ・ホセ・アルカディオお兄ちゃんが死んだ後のレベーカは家に閉じこもり、再び出てくるまで彼女の姿を見たのは「くすんだ銀色の靴と小さな花の帽子で郵便局に行った」ときと、「押し入ろうとして一発で射殺された泥棒(その後「火曜日の昼寝」で母と妹が書かれている)P105となっている。11章P168から母と妹を呼び寄せようとしたアウレリャーノ・トリステが家に行き銃を突きつけられるが生きていた。
    ・ウルスラさんの年齢と、ペトラコテスの年齢が同じくらいのはずだけど、合わないんじゃないの。
    ・アウレリャーノ大佐が戦争に行ったときに、「アウレリャーノの息子たちは、最も年長の者でさえ35歳までは生き延びることはできなかった」と書かれている。だけどアウレリャーノ・アマドルはさすがに40代半ばじゃないか?って思うんですよ。アウレリャーノたちが襲撃された時は、アウレリャーノ・アマドルは若くても20代なかば、当時まだ幼かったデカダンス男ホセ・アルカディオの成長を考えると、20年くらい経ってると思うんですよね。


    とはいっても、ガボさん自身が「騎士は物語の必要に応じて何度でも首を切られるでしょう。だったら私も、必要があれば、風にさらわれたことなど忘れて、簡単にマコンドを再建しますよ。自己矛盾を起こさない作家など独断的作家に他なりません。(…)だからマコンドが必要になれば、明日にでもまた再登場させるでしょう。」と言っているので、こちらも本気で矛盾を探しているのではなくて挑戦を受け取った感じです!

  • 魔法が融けて砂漠に一人取り残されてしまった。僅かに手元に残ったのは羊皮紙の切れ端だけ。そこには蜃気楼のようなマコンデという幻の土地に、ブエンディア家という一族が100年という期限を付けられ存在した・・・かもしれないという予言が書かれていたが、それも判読できなくなってしまった。。。登場するいくつもの寓話に、ある時は亡くなった祖母を感じたり遠い親族を思ったり、自分を顧みたりして、読み終えた今、何とも言えない空虚感に襲われている。一見きちがい染みた寓話の中に、人間の業や悲しみが詰まっている。すごい本だった。

  • 南米の( コロンビアらしき )ある国の辺境の小さな町マコンドを舞台にしたブエンティーア一族の歴史を描いた、言わば「 マコンドのサーガ 」。
    綿々と語られてゆく叙事詩。小説というより口承文学の手ざわりがある。ひとつの名前が孫子の世代でも繰り返して命名される。そのため人名や家系の俯瞰図を理解するのが困難になってゆく。だがそれもこれも致し方無し…と開き直って読み進めた。( この版では家系図が掲載されていない )

    読み進めるうちにふと気づく、ブエンティーノ一族の人々は誰もが皆、家族や周囲の人々と普通の関係をつくれずに居る。長い歳月にわたり錬金術の実験室みたいな部屋に閉じこもって羊皮紙の解読を続ける、言わば引きこもりの男も居る。美貌の女性ながら貴族的な家柄出身という過去や生活習慣にこだわり、夫との関係が破綻している女もいる。様々な生きづらさを抱えているという意味で、この家族の多くが不しあわせのようである。
    南米の伝統的なありようが織り込まれているのだが、上述の生きづらさや人間同士の疎外みたいなものに、現代に通じるものを、現代の都市生活者の心の歪みに通じる疎外感や孤立感を感じた。 

    • 淳水堂さん
      葡萄森兄夫さんこんにちは!

      >家族や周囲の人々と普通の関係をつくれずに居る。
      そうですよね。それでもみんなマコンドにいる。出ても戻っ...
      葡萄森兄夫さんこんにちは!

      >家族や周囲の人々と普通の関係をつくれずに居る。
      そうですよね。それでもみんなマコンドにいる。出ても戻ってくる。それでもそれぞれ孤独。まさしく「ウルスラ系の迷い星」ですね。
      2022/01/03
    • 葡萄森兄夫さん
      淳水堂さんこんにちは。 いつもありがとうございます。
      ラテンアメリカ文学読みの大御所淳水堂さんにコメントいただけるとは光栄至極です。
      いつも...
      淳水堂さんこんにちは。 いつもありがとうございます。
      ラテンアメリカ文学読みの大御所淳水堂さんにコメントいただけるとは光栄至極です。
      いつも淳水堂さんのレビューを参考にさせていただいてます。
      2022/01/07
    • 淳水堂さん
      葡萄森兄夫さん

      「大御所」なんて言っていただいて!(〃ノдノ)
      私もいつも丁寧なレビューを楽しく読ませていただいています。

      ち...
      葡萄森兄夫さん

      「大御所」なんて言っていただいて!(〃ノдノ)
      私もいつも丁寧なレビューを楽しく読ませていただいています。

      ちょうど百年の孤独読書会参加中で、読み返しているところだったんですよ。
      みなさんとの語らいで色々知ることも増えたり、他のガルシア・マルケス作品や自伝を読み、最初のときとはまた別の場面が印象に残ったりしました。
      自伝では、この百年の孤独に出ている場面が、実際の経験のもとになっているのでなかなか衝撃でした。
      土壁を食べる女性、学友のための70個のおまる部屋、戦地移動経路に子供を作っている大佐(ガボさんの祖父)、など、これ実体験が元だったの!?ということが多くて。

      それではこれからもよろしくおねがいします。
      2022/01/07
  • 子どもたちを乗せた空飛ぶじゅうたんが窓の外を通り過ぎ、UFOが光を連ねて空を行き、葬式には黄色い小さな花が空から降り注ぐ。
    息子の体から流れ出た血が道路を横切り、母の元へと流れ行き、その死を知らせる・・・・・

    それらの不可思議な光景も、日常的な光景のなかに違和感なく溶け込んでいるように感じさせる圧倒的な語りの力。

    新版には家系図が付されているそうだが、家系図にあたって、これは誰だっけ、といちいち読み取っていくよりも、物語の流れに身を任せて読み浸るのがふさわしいようにも思える。

    アルカディオやアウレリャーノのオンパレードではあるけれど、物語の進行は時系列だし、それぞれの個性がくっきり描かれているので、さほど混乱しないで読める。

  • 大学生時代から松岡正剛で知って、ようやく読めた。壮大なる叙事詩といっていいだろうか黙示録といっていいのか。

  • 読解力の無さが身に染みた一冊

  •  
    ── マルケス/鼓 直・訳《百年の孤独 197201‥ 新潮社》現代世界の文学
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4105090011
     
     Márquez, Gabriel José de la Concordia García
     ガルシア-マルケス 作家 19270306 Columbia 20140417 87 /19821021 Novel
     Tsudumi, Tadashi  翻訳 19300126 岡山 ‥‥ 20190402 89 /0428 訃報
    /東京外事専門学校(現・東京外国語大)卒。68年にアストゥリアス
    「緑の法王」、72年にマルケスの代表作「百年の孤独」、76年に
    ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」、78年ホルヘ・ルイス・ボルヘス
    「伝奇集」などを翻訳。70年代のラテンアメリカ文学のブームを牽引。
    /法政大名誉教授。
     
    …… 1997年、メキシコに移住する。1999年、ロサンゼルスの病院で
    リンパ腫の治療を受けた。
     2004年10月20日、10年ぶりに新作の小説『わが悲しき娼婦たちの思い出』
    を出版する。海賊版の出回りを防ぐために出版直前に最終章を変更している。
     
     2012年6月12日、認知症を患っている可能性があると報じられた[3]。
    同年7月7日、ガルシア・マルケスの弟が「兄が電話で基本的なことを何度
    も尋ねてくる」などと語り、家族として初めてガルシア・マルケスが
    認知症を患い、記憶障害に陥っていることを公言したと報じられた[4]。
     
     2014年3月下旬より肺感染症などで入院し、4月上旬に退院し自宅療養
    していたが[5]、4月17日にメキシコ市内の自宅で死去。87歳没[6]。
     
     上記のとおり、ガルシア・マルケスは、1928年にアラカタカで生まれ
    たとされている。しかし、彼の親兄弟の証言や出生証明書を見ると、
    1927年生まれとする説が有力になっている。この食い違いは、若かりし
    頃のパスポートの誤記が原因とされているが、ガルシア・マルケス本人
    が1928年生まれであるとしているため、主な作品の作者略歴などは1928
    年を採用している。そのため、この項目でも1928年を一応の生年とした。
    (Wikipedia)
     
    (20190429)
     

  • 約3日で読了。電子化してPCの巨大モニターで立って読むスタイル。そのほうが集中できた。小説そのものは、ああ、これこそがラテンの年代記というところ。ボラーニュとも似ている。別のラテンの小説を読んでみたい気もするが今は疲れた。

    感想後日。とにかくめくるめく・・・というわけでもないが、世代交代。でも、3代4代は日本でも同じことか。大江健三郎の万延元年のフットボールとか同じようなかんじ。

    読了。

  • 読みきれず。今じゃないかもしれない

  •  何となくタイトルに惹かれて昔買った本を漸く読了。何故このタイトルになっているのかに関心あったが、今ひとつわからず。書かれた時期にこう云うタイトルが売れそうだったからかも、単に。
     一族の人間が次々登場するが、私にとって印象深いのは3人で、最初の夫婦と次男の大佐。物事に興味をもって自分で考えて取組むタイプで、魅力的。作者もそういうタイプと、与えられた環境に振り回されるタイプなど、書き分けていると思う。次々に登場する人物の性格と行動の必然性が感じられる。

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ガルシア・マルケスの作品

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