- Amazon.co.jp ・本 (361ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105191160
作品紹介・あらすじ
美しい図書館司書に恋をした少年は、ハンサムで冷酷なレスリング選手にも惹かれていた――。小さな田舎町に生まれ、バイセクシャルとしての自分を葛藤の後に受け入れた少年。やがて彼は、友人たちも、そして自らの父親も、それぞれに性の秘密を抱えていたことを知る――。ある多情な作家と彼が愛したセクシャル・マイノリティーたちの、半世紀にわたる性の物語。切なくあたたかな、欲望と秘密をめぐる傑作長篇。
感想・レビュー・書評
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自分は何者なのか、悟り始めたビリー。作家となり、ニューヨークで暮らすようになるが、友人や元恋人たちにエイズ禍が…。大切な人々を病や事故、自殺などで次々と失い、自身も老いを迎えヴァーモントへ戻るビリー。継父の教え子と出会い、その保護者的役割を引き受けたり、セクシャルマイノリティの若者たちのため、政治的活動にも参加するようになる…。若き日には自己のアイデンティティを確立しようと、自分のことばかりにかまけてきた彼は60代になり初めて他者や社会としっかり向き合うようになった。
作家の生涯を自伝形式で赤裸々に描き、性的志向をまず分類化しようとする大衆からの好奇の目や差別、マイノリティであるがゆえの葛藤などを綴った本作はアーヴィングにとって「政治的な」作品となった。
この作品を発表した後、彼の息子が同性愛をカミングアウトしたそう。けして彼のために描かれた訳ではないそうだが、こういった作品がLGBTの人々に寄り添ったものであることを感じる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
性と個人のあり方を詳細に書き込んでいるところがいいです。LGBT、HIV、若き日のことと過去の邂逅。すべて鮮やかです。一般受けはしないですが、素晴らしい作品です。
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アーヴィングが幾つになるまで長編を出し続ける事が出来るかはわからないが、この作品が後期の作品に入ることは間違いがない。サイードが言うところの晩年の作品と言う意味でだ。
彼の物語の語りとしての技量は現代文学の最高峰にある。前作もそうであったがそのための反動としてか、いささか文章は読者の上から語られ始めてはきている。悪く言うところの説教臭さと言うところであろうか?とことんまで文体を追求している村上春樹との大きな違いそこにある。玄人以外には少々退屈になってしまうような語りも存在することは確かだ。
しかし、物語の発展と描写にかけては何処に不満を持てばいいだろうか?
美しき二人のトランスジェンダーのレスラー達。そしてエイズで死に行く友人達の描写は小説の素晴らしさをどこまでも痛感させてくれるものだ。
主要な登場人物はほぼ「一般的な」性規範からは外れるものであることは間違いない。設定だけを要約すれば違和感を感じることは確かだろう。けれども、要するにこれは良くできた物語なのだ。本当に素晴らしい書き手が書いたフィクションはノンフィクションよりもより強固な世界観を持つ -
バイセクシャルであるビリーの回想録は時間も場所もあっちこっちいくのでちょっと混乱した。マジョリティの中でマイノリティがいることさえ黙殺されていた時代から現代の中で忘れていたAIDSの恐怖が生々しかった。彼が投げつけられ言われてきた多くの言葉たちと彼が培った姿勢「僕たちは、すでにこういう僕たちなんだ、違うかな?」「ねぇ君、僕にレッテルを貼らないでくれないか――僕のことを知りもしないうちから分類しないでくれ!」が心に残った。
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最近のアーヴィングの小説には読んでいて思わずはっとして、目がページから離せなくなってしまうような瞬間というものがなかったけれど、この本にはある。最後のアンチクライマックス的な、しかし静かに物語を閉じていく最後も心に残る。
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悩みに悩み様々な人と知り合い、自分のセクシャリティを確立したビリーはやがて小説家になる。当時AIDSは未知の病で為す術もなくかつての恋人達や知り合いが亡くなっていく。アーヴィングは、死を描くのも性を描くのと等しく丁寧に綴っていく。上巻であまり印象が良くない登場人物にも、それぞれに幕引きがあるのがとても良かった。ビリーが教えられ与えられ得た事は、作中の若者達や私達に瑞々しく力強く伝わった。
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難しいテーマに、この人は相変わらず果敢に、軽やかに、取り組むなあ。上巻で思わず付箋を貼った言葉が、最後に毅然と現れてきて、巧いなあ、ちゃんと落としてくるなあ、そして信頼出来るなあ、と改めて感じたことよ。
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全編を通して、静かな小説だったな、というのが印象。
エイズ・パニックがどういうものだったのか知らないけれど、最初期、エイズがどのように出現したのかという風景がここには書かれていると感じた。しかしそれはマスコミなどが暴き立てるような騒々しいものではなく、あくまで一人の人生のある結末、終着点として静かに描写されている。
そこで主人公と他の人々を分けているのは、(避妊具の差があれど)ただ運が良かっただけ、ということなのかも知れず、その人々を見る主人公は、そこに自分の姿を重ねている。そしてその視線を通じて、この小説を読むものもまた、自分の姿をそこに重ねることになる。
この小説に描かれているセクシャル・マイノリティたちの姿もまた、(やや登場人物にそういった人間の比率が高すぎるようにも感じるけれど)、他の場所でなされるようなスキャンダラスなものでは無く、自分にありえたかも知れない生の形だと、静かにさしだされている。
著者の他の作品や、作中で紹介された作品も読んでみたいと思った。
(それにしても、最近はLGBT「Q」と書く、というのは初めて知った。どれくらい一般的なのだろうか)