「心の傷」は言ったもん勝ち (新潮新書 270)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106102707

作品紹介・あらすじ

「心に傷を受けた」と宣言したら、あとはやりたい放題。詳しい検証もなく、一方的に相手を加害者と断罪する-そんな「エセ被害者」がのさばっている現代日本。PTSD、適応・パニック障害から、セクハラ、痴漢冤罪、医療訴訟まで、あらゆる場面で「傷ついた」という言い分が絶対視されている。そう、「被害者帝国主義の時代」が到来したのだ。過剰な被害者意識はもうたくさん!現役精神科医が示す処方箋。

感想・レビュー・書評

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  • ここで言われてる辺縁、いわゆる中腰のことですね。言い方は違うけど、何でも白黒はっきりさせられる訳が無いという考え方、共感できました。本作者はどちらかというと、何でもかんでもうつ病で片づけてしまうのはちょっと…っていうスタンスだと思ったけど、それは僕自身の考えとも合致するから、素直にうなずける部分が多かった。冤罪の話とかにまで言及されてるけど、そっちもやっぱり同意見だったし。という訳で、新たな知見を得るという意味ではそんなになかったけど、自分で思っていながらなかなか言語化するのが難しいと感じる部分が、非常によく著されていたという点で、自分的には高く評価できます。

  • 2008年07月22日 03:21

    躁鬱病に各種ハラスメント、解離性障害にPTSD・・ 最近になってぐっとメジャーになった病名や現象。

    私には「言ったもん勝ち」とまでは言えません。でも、若干疑問を抱えてたのも事実。

    「もう全部いやだ」と沈み込んでる人に、「がんばれ!やりとげろ!!」と無理強いすることがいいとは思わない。
    けれど「がんばれとは言わないよ、今はゆっくり休みなさい、自分がいいと思うまで」と甘やかすのも違うと思う。

    ~ハラスメントもしかり。「~された!許せない!」と憤慨する人に、「何言ってるんだ!社会においてそんなことも我慢できないのか!女は、部下は、そういう扱いをされるものなのだ!」
    これはおかしい。
    かといって、「そうだ!じゃあ訴えてしまえ!社長に直訴だ!飲み会?世間話?こっちが嫌な思いしたら全部ハラスメントなんだよ!」といきまくのは、なんというかくだらない。コミュニケーションというものを理解していない。

    だから、いわゆる「空気を読む」ことが重要になると思う。
    この言葉を嫌いな人がいるから、言い換えるとすれば、「配慮・思慮・分別をもつ」。あと、「中庸」な態度で何にでも接すること。

    自分のことしか考えられない、自分だけが被害者だと思いこむ。
    それは心の病じゃなくて、ただ社会性を身につけてこなかったせいではないだろうか。

    この本は若干過激だけど、ひとつすごく納得したのは、
    「(体の)病気になった人を責めはしない、でも”普段から体調に気をつけ、免疫力を高めることはできたのではないか”とアドバイスはできる。心の病も同じで、普段から精神力を鍛えることはできる」
    という内容の部分。

    心の傷はいつ受けるかわからない、そうよく言われる。ならば私はいつそうなってもいいように、使ってあたって、しなやかな精神を鍛え上げたい。

  • 「心の病」は体の正直な反応なのだから無条件に守られるべき。それが当たり前となりつつある世の中において、ともすれば時代錯誤な精神論ともとられかねない、しかし誰もが抱いたことがあるであろう思いがはっきりと述べられている。

    「病気になった個人を責めることはないけれど、『ちょっとくらいのストレスや不安に負けないように、普段から精神力を鍛えましょう』と言うことは可能」との一文にははっとさせられた。

    疾病利得について読んで、アドラー心理学の目的論を連続した。幅の広がった「心の病」は、都合の良いシェルターと化してしまっている面があることには大いに共感した。第三者の目に見えない症状であるからこその複雑さをもつ心の病との向き合い方について考える契機となる一冊だった。

    しかし、第7章での体罰についての論には反対だ。言葉で言うのでは不十分で、気合いを入れるのには暴力を用いるのが適切なこともあるとの論は、教育の放棄であり、暴力の美化である。暴力に訴えず、如何にして生徒に思いを伝えるかが教師の腕の見せ所ではないか。

  • これだけウツが流行っている昨今に本職の精神科医がこういうショッキングで衝撃的な本を出すとは勇断であるとは思う。本業に差しさわりが無ければ良いけれど。

    それとこの本の主張は一理はあると思うものの、それを恣意的に利用して本来治療が必要な患者さんを攻めることになりやしないか。一章でもその影響を危惧する箇所がないのは編集者のミスではないか。

  • 精神的に弱い現代人の問題を一刀両断という印象を受けた。小気味良いと思う反面、それは言い過ぎでは? と思うこともあった。精神医から見た人の弱さについての考察を期待して購入したのだが、セクハラを含めたハラスメントに関すること、医療訴訟の脆弱性など新たな視点を得られた。「被害者帝国主義」の章では、被害者・病人を世間が保護するという優位性を生かした(未必の故意を含め)行為に背筋が寒くなる思いがした。

  • 自動車のハンドルには必ず遊びがあります。その遊びの部分がないと僅かにハンドルを切っただけでも大きく自動車が曲がってしまい危険です。そのために遊びがあるわけです。

    道路交通ルールを守ることは重要ですが、50キロ道路で完全に50キロで走行することに意識を取られすぎては逆に危険で状況に応じて周りの車の流れに乗ることが大切だど教習所で私は当時習いました。

    当然の話であまりに50キロピッタリで走ることに意識をとられ危険運転になってしまっては本末転倒だからです。

    私は最近の私の周辺の社会では遊びの部分がなくなって四角四面というかルールや概念でがんじがらめというかそんな空気がますます強くなっていっているように思います。

    様々な概念が生まれることは物事を考えやすくすることに便利ですが、なまじ概念、つまり輪郭がはっきりしすぎてしまうために、良いこと、悪いこと、好ましいこと、そうでないものがはっきりしてしまうのです。

    ルールや法律を作ることは大切ですが、それらが出来るとそれらを守ったか守らないかが問われてしまいます。

    理想的にはルールや法律などなくても常識を守りながら誰しもが平和に暮らせれば良いのでしょうが、それが困難なためにどうしてもルールや法律は必要となるわけです。

    ルールや法律から著しく逸脱することは個性でもなんでもなく、ベートーベンは革新的な芸術の創始者ですがしっかり”型”を守っていました。その中で限界までぶっちぎったところにベートーベンの最大の魅力もあるわけです。

    参考:書籍 中嶋聡(医学博士、精神科医) 著 「心の傷」は言ったもん勝ち

    辺縁の考察 | デジたろう http://digitaropiano.luna.ddns.vc/digitaropiano/?p=1164

  • このタイトル。そりゃそうだ。「痛み」なんてものは主観なんだから、構造的に言ったもん勝ちである。
    だから何だ?気にするなって?唾つけとけば治る?そんなふてぶてしさを感じるタイトルではあるが、著者の姿勢はそこまでは居直っていないように思う。
    同じシリーズからでている「法令遵守が日本を滅ぼす」(これもすごいタイトルだ)にも通じる「厳密な線引き万能主義」とも言うべき価値観に対するアンチテーゼと受け取った。

  • うつ病のあたりはいいとして、セクハラに関する記述は、無神経極まりない。
    このくらいはいいだろうという考えが世の中をおかしくしているし、「性癖」は直らない。
    一生この人は、我慢する女性の気持ちはわからないんだろうな。読み終わったらこの人に対する気持ちは軽蔑に変わっていました。

  •  ここ十年ほどの間に、「心の傷」を原因とする診断名が激増と言ってよいくらい増えています。それは、今まで認知されなかった症状を症状として認知したという側面もありますが、同時に従来なら「当人の甘え」として片付けられていたものまでが症状としてカウントされるようになった、とも言えます。

     本書は、前者のことも念頭に置きつつ、それでも後者のものも取り込まれていないか、と疑義を呈する書。
     三章ではセクハラについて述べていますが、確かにここでも被害者の言ったもん勝ちで反証が容れられにくいという構造が指摘されており、これは精神疾患の愁訴と構造的に重なる部分が多いと言えます。
     なお、付け加えて言うと、セクハラをはじめとする各種ハラスメントの語は、ややもすると軽度の事例に濫用されるきらいがあります。本来、各種のハラスメントは、地位を利用してなされるシャレにならない事例に適用されるべきものです。が、それが人口に膾炙する中で本来その対象にない程度のものにも用いられ、結果として相対的に重度のハラスメントの被害が軽く見られてしまう、ということが生じています(例えば本来なら強制わいせつとされる事例が「セクハラ」と言われた途端、そこまでのことじゃないような印象を持ってしまう、など)。

     四章では医療訴訟について触れられていますが、本当の意味で患者の権利を確立するのに資するか疑問のあるインフォームド・コンセントが、医師の無謬責任を負わせるかのように機能していることを指摘しています。本章を読むと、完全なインフォームド・コンセントを医師に課す一方で、患者が自己決定権を行使して悪い結果が生じた時も、そのリスクと責任が医師に帰責されるような構造が指摘されています。これはこれで実際の判決を読んでみないと何とも言えない部分がありますが、患者の権利擁護ばかりに着目して医療現場に過度の責任を負わせて疲弊させ、医療システムそのものを衰弱させるようなことは厳に警戒しなければならないでしょう。(個人的には、医療事故についても航空事故の際の「事故調(事故調査委員会)」のような真相解明組を目的とする組織を作り、民事・刑事裁判より先にそこで専門的に検討すると共に事故事例・情報を集約すべきだと考えています)

     第六章では"「辺縁」を生かす"として、裁量権・グレーゾーンをもっと復活させようという提案がなされています。
     確かにそれはわかるのですが、その裁量権が広汎すぎたり暴走したりと妥当性が限定される方向で先例が集積されてきたという経緯もあるはずです。本書の言わんとしていることもわからないではないのですが、一部の引用を合わせて考えると「昔の方が気楽で良かった」と言ってるようにも思える部分があり、その辺が少し残念かな、と思いました。

     少し首をかしげる主張もありますが、手厚い保護がややもすると過保護を生むという問題構造を考える上では一読に値する本だと思います。

  • 「心の傷」は言ったもん勝ち、であり、このような風潮を生みだした昨今の現状にモノを申したい。

    特に第三章セクハラは犯罪だろうか が好きだった。
    女性専用電車と人種差別の話。考えさせられます。

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