日教組 (新潮新書 397)

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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106103971

感想・レビュー・書評

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  • 面白い。
    謎の悪の組織「日教組」は物心ついたころに知った。この組織が戦後日本をおかしくしたとか、国旗や国歌を踏みにじる教員がいるとか。
    ただ、本当に日教組に所属する教員がみんな共産主義者なのかというとさにあらず。実態に切り込んだ上で、現在もある程度の力を持つ日教組に対する処方箋を提示する。

  • 日教組というイデオロギーを知ろう!アンチ寄りな本です。ただ内容はちゃんと広く浅くだと思う。無理に中性的よりもこのくらい偏見を素直に出している方が読みやすいです。

    ただ流されやすい人は読むのに注意は必要。右に流れる。


    _____
    p3 学力テスト
     1964年に日教組が潰した。階級意識を生み出す学テは社会主義の敵を生み出すしくみ。

    p53 日教組はGHQの出した法に従っていただけ
     戦後の文部省は戦前の日本を完全否定する教育をする姿勢を見せなければいけなかった。「新教育指針」に則って日教組は教育活動をしただけ。
     聖職者である教師を労働者と考えるのは間違っているというのも、文部省が労働協約を結んで労働者としたんだから。
     政治活動をする日教組は政教分離を知らない。というのも当初政治活動は許されていた、それを文部省が後だしジャンケンで封じた。
     色々ある。悪いのは日教組だけではない。当然教育の柱を決める文部省と政権に一番の責任があるはずだ。

    p60 日教組の組織率減少
     1958年から減少し始めた。勤務評定の闘争でストライキを起こしたりして、世間からの見られ方も変わった。子供をないがしろにして自分たちの賃金闘争を繰り広げる教員への不信が広がった。

    p62 学力テスト②
     詳しく書いてある節

    p76 教育の神性
     教師が聖職者だったのは天皇が神様扱いされていたから。天皇の勅令(教育勅語)という神のお言葉を臣民に伝道する聖職者ということだったのだろう。戦後手のひら返しをします。
     丸山眞男は教師という疑似インテリゲンチャが日本にファシズム(全体主義)を蔓延させたという。

    p79 敗戦
     聖職者である教師にとって、敗戦は神の死であった。一億総手のひらを返しです。教師には新たに「民主主義」という唯物史観的絶対原理が与えられ、日教組という「教団」の代わりを作ることを認められたのである。
     新たなる…光!

    p80 平和教育
     教員は戦後平和教育に熱心だった。というのも、戦時中、若者を戦地に後押ししたのは教師たちであった。p84のデータでは青少年の義勇軍訓練所への入所動機は教員の勧めが一番だったとある。
     その罪滅ぼしである。反省しているのだから良いじゃない。もう二度と子供たちを戦地に送ってはいけない。
     …自衛隊も??

    p91 ピューリタンの体罰
     アメリカにおける体罰容認の根拠はピューリタンの宗教観である。「人は本来的に弱く、罪を背負っており、真の道徳的・自律的行為は成しえない」だから愚かな人間を成長させるには人格者である教師の愛のむちがあるくらいでないとダメなのである。という理論。

    p92 日本の体罰
     明治時代1879年の教育令の時代から体罰は禁止と法律にある。昔は体罰なんて当たり前だったというのは、「昔は法律なんかあってないようなものだった、それがよかった」というようなものである。おさるさんだね。
     日教組のせいで体罰がなくなったというのも微妙らしい。時期的に1970年代から減少するが、日教組の組織率が下がり始める時期と呼応する。単に戦前の体罰教師がやめていったからである。

    p98  人権は神なくしてはありえない
     人々に人権があるのはなぜか。それは神が与える絶対的な権利だからである。だから何人たりともこれを冒せない。というのが天賦人権論である。
     社会主義者が人権を言うが、唯物史観で言えば神なんてないのだから神家という用語を使うのは変だよね。
     1952年に日教組が作った「教師の倫理綱領」には人権について書かれていない。代わりに科学という言葉が多用されている。

    p112 八分の一理論
     田中角栄の権力理論。国政選挙で過半数をとる、自分の党で主流派(政権に近い派)が過半数をとる、主流派で自分の派閥が過半数をとる。つまり国会議員の八分の一が自分の派閥の人間なら首相になれるのである。

    p161 明日から使えるいじめ対処法
    ①いじめの認知は被害者、親、友人、加害者、誰からの報告でも「この事態を心配する人からの報告」で統一する。
    ②教員は複数人のチームで対応する。
    ③複数の加害者と複数の教員が一対一で別室で話す。(加害者の話の矛盾を見つける)
    ④15分後に加害者を一人で残し教師で集まり、情報共有・矛盾点の分析を行う。
    ⑤ ③④を繰り返し加害者にいじめの事実を認めさせる。
    ⑥加害者に対し泣かせるまで対処する。
    ⑦すぐには謝らせず、罪の意識を覚えさせる期間を作る。(すぐに謝ると加害者はスッキリして反省が足りなくなる)
    ⑧一週間後に加害者に謝ることを「許す」。(そう簡単に罪の清算ができないということを意識づける効果かな)

    これは日教組の先生が実践しているいじめ対応である。日教組の先生に偏見を持つ人は二元論でしか物を見れない視野の狭い人間である。日教組に加盟するくらいまじめな先生がダメなわけがない。ダメなやつもいるというだけ。

    p176  かんがえるろう
     管賀江留郎『戦前の少年犯罪』という本が面白そう。戦前の子供たちはさぞ優れた倫理的人物ばかりのように思えるが、凶悪犯罪もあったという事実をまとめている。作者名からしてふざけているが、一見の価値はあるかも。
     「戦前教育は戦後教育より良かった」という印象はデータでは確かにそう読み取れるかもしれない。殺人・強盗など凶悪事件が最も多いのは1960年台の子供たちである。それから減少するが、反比例して窃盗・横領など経済犯罪が増加し続ける。戦後教育では正義というものを教えられないのだろうか。
     まぁ昔の統計がどこまで現代と同水準なのかは怪しいが…。

    p185 法の穴
     地方公務員法には政治活動の禁止が乗っているが、罰則規定はない。公務員法は倫理的に縛っても罰則で封じるという手段は講じない片手落ちなのである。だから日教組の先生はやったもん勝ちでガンガン政治活動する人がいる。この状態を見て見ぬ振りしたのが自民党55年体制である。

    p192 国旗国歌問題の本質(慣習と法制の愚)
     この問題が噴火したのはなぜか。1989年の竹下政権下で学習指導要領が変えられ、「国民の祝日などに儀式をなど行う場合には、児童に対してこれたの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し国歌を斉唱させることが望ましい」とあったのを「入学式や卒業式にはその意義を踏まえ、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」となった。
     法律で国旗・国歌を規定した場合、例えば共産党なんかが政権を握れば速攻でそれらを変える法律を作るだろう。それが国民の慣習で決まっているものなら、法律で権力者に縛ることはできなくなる。
     法律の落とし穴。無理に決めようとするから反発が噴出したし、君が代・日章旗を失う危険性も生まれた。

    p196 反共=軍国主義というロジック
     日本において共産党は戦時中ファシズムと闘った唯一の勢力だった。だから戦後共産党は奮った。そのせいで反共=軍国主義への回帰を求めるものというロジックができてしまい、反共アレルギーができてしまった。

    p198 日教組を維持した方が票を稼げる
     自民党がなぜ日教組を本気で潰そうとしないのか。
    ①反共アレルギーがでて、軍国主義への回帰だと誤解を騒がれるから
    ②日教組という嫌われ者がいたほうが、選挙相手のネガティヴキャンペーンに利用できて、浮動票確保につながる。

     特に②が納得。いいこと聞いた。

    p205  選挙とバイト
     選挙活動でバイトを雇ってはいけない。公職選挙法違犯になるのであくまでボランティアになる。このボランティアをどこから捻出するか、教団の会員か、後援企業の社員か、後援組合の組合員か、のどれかだろう。こういう選挙に必要だから日教組も政党との繋がりから免れない。

    p219 ハードルを下げると優秀な人材は集まらない?
     民主党の政策では「教員免許更新制の撤廃」「教員資格に大学院卒を加える」というものがあった。これは明らかな既得権益者保護政策。大学院卒の資格は風前の灯になっている教員養成系大学の延命政策である。
     ハードルを下げると教師の質は落ちるのか。参入障壁の撤廃は競争により質の向上が見られるのは経済現象の基礎である。教育に経済理論をあてるのはタブーみたいな考えがあるけれど、これは経済どうのではなく、単純な意見である。大学院卒業したからって優秀とは到底思えない。それどころか、まさか教員になるのに経済格差を発生させるとか、それこそ悪である。

    p234 検非違使の放免・目明し
     どちらも平安時代と江戸時代の、警察機構が犯罪者を釈放する代わりに働かせるというしくみ。悪い奴というのは言い換えれば能力のあるやつであることが多い。これを生かす方法である。
     筆者は日教組もこのようにうまく使えばいいと考えている。毒を以て毒を制す。
     組合にいる保守派層の人々を決起させ組織の正常化を図るということか。

    ____

     やはり組織が大きくなると運営に多大な労力が生まれ、自己矛盾や腐敗が生まれてしまう。日教組も全部が悪いなんてことはない。しかし、社会主義的イデオロギーの押し付けになっているところはいけない。教育は中立でなければいけないのだから。
     なにが中立なのかという答えのない議論を吹っかけられるかもしれないが、答えは「あんたと私の意見の中間だ」である。

     2014年、第二次安倍内閣がきっと大きく教育を変えるだろう。自民党が長年なぁなぁにやってきたツケを今こそ清算する時なのでしょう。

     日本はぶっ壊れてしまうだろう。まぁ、今が必ずしもいいわけではない。新しく作っていく、その心が大事なんだ。

  • 分かりやすく説明されてる。

  • 私には難しい本でした。思想背景や政党との関係を歴史を追って知ることはとても骨が折れます…一回読んだだけではよく分からなかったので、いつかまた読み返したいです。

    いくつか気になった点を羅列。
    ・幹部は密教信者
    ・保守政党である自民が日教組を非難しないのは、政治の道具だから。選挙前、両者はプロレスの関係に。また、日本型リベラリズムは共産主義に寛容だから。

  • 常に批判の矢面に立たされる印象の強い「日教組」ですが,私自身はその実態をあまりよく知らないので,大変参考になりました.日教組ばかりではないのですが,現在の日本の教育に,極めて深刻な問題が残されているのは事実だと思います.とは言え,この書が出されたのは民主党政権時代であり,現在は自民党政権に逆戻りしているため,冷静な目で見守っていけばよいと考えられます.

  • <印象に残った内容>

    戦前の教師=国家神道の教えを布教する聖職者
    →戦後、役割がなくなり、アイデンテティを失う。そこで出て来た考えが、「民主主義」
    戦後の教師=民主主義の教えを布教する聖職者(※ここで言う民主主義の内容が極端に左に偏っていると筆者は主張)

    <分かったこと>
    ・強い思想性を持った団体であったということ。
    規模が小さくなっているとは言え、
    ・民主党とのつながりが現在もとても強いということ。
    ・教育委員会がコントロールするのが難しいということ。

  •  日教組の結成から現代に至るまでの歴史を記述した本書は、共産党・社会党との関わりや政治に関するその影響力を詳しく説明してくれる。
     戦後、教職員組合を造ったのは、文部省である。文部省が発表した「新日本建設ノ教育方針」に納得しなかったGHQは「新教育指針」という日本の戦後教育のあり方を決定づける指針を出す。文部省は、これはGHQの意図に沿っているが、日本を民主的平和的な国家にするためとし、「押し付け」られた文書ではないとしている。その中で、①教育制度を民主化とすること ②教育の内容に民主主義を取り入れること ③生徒の人格を平等に尊重し、個性に応じる教育を行うこと ④自主的・協同的な生活および学習を訓練すること ⑤教師自身が民主的な修養を積むこととしている。そして、⑤の中に教員組合が勢力を増していくことが健全な発達としている。こうした流れを受けて、共産党系・非共産党系の組合に加入する教員が爆発的に増えていく。
     当初は戦後民主教育の信者として邁進していくが、敗戦から数年後、戦後民主主義者とは別の過激な日教組幹部が力を持つようになる。そして、1952年、日教組は教職員組合自らが決めた教師の指針「教師の倫理綱領」を発表する。一見、「新教育指針」と矛盾のないように思えるが、「科学的真理」「労働者」という部分が当時、科学的社会主義と自称していた共産主義を指していた。つまり、「教師の倫理綱領」の制定により、日教組は共産主義団体であると明確に規定することとなる。
     とはいうものの、日教組には共産党支持グループや内部対立はあるが政治理念が一致する多数の社会党グループが存在していた。そして、教師聖職論を中心に、主流派と非主流派に分岐していく。常識論に歩み寄る非主流派、暴走する主流派、そして60年代後半からは新左翼が流入してくる。なので、日教組を考える際、一枚岩で考えてはならない。
     そして、政治的にも自民党の55年体制が自社対立構造を擬した自社なれあい構造であったことにより、自民党も日教組となれあいになっていた事実がある。「日教組のが日本の教育をダメにした」という話があるが、それを助長させた政治的責任も大きいと思う。
     

  • 評価に値しない。

  • 部落差別をはじめとするあらゆる差別問題に真正面から向き合った経験のない保守の学者が書いた本を、日教組組合員である私がひととおり一読したということを前提に感想を述べると、納得できる部分、納得できない部分、自分の認識と異なる部分が出てきて、私にとっては波の激しい展開で構成されているなというのが率直な感想である。

    この著者が部落差別問題や在日朝鮮人差別問題に真正面から向き合ったときに、自分自身が綴ったこの文章をどうふり返るのかが非常に興味深い。
    もし自身が「教育評論家」と称するならば、ぜひとも上記の差別問題に真正面から向き合っていただきたい。
    そしてまたもう一度、日教組について論を展開してほしい。
    それが、日教組組合員である私からの提言である。

  • 積読している間に政権が自民党に戻ってきてしまった。
    この間、結局教員免許更新制は継続しているし、全国学力調査は悉皆に戻ったし、あまり大きな変化はなかった(ようだ)。「心のノート」は復活しそう。

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著者プロフィール

教育評論家。中央教育文化研究所代表。元東京都職員。1995~2005年まで、都内公立学校に出向経験がある。著書に、『いじめの構造』『日教組』『戦後教育で失われたもの』『誰が「道徳」を殺すのか』(以上、新潮新書)、『なぜ日本の教育は間違うのか』『自治労の正体』『左翼老人』『売国保守』『税をむさぼる人々』『左翼商売』(以上、扶桑社新書)、『校内犯罪(いじめ)からわが子を守る法』(育鵬社)など。

「2022年 『左翼の害悪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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