- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106105548
作品紹介・あらすじ
自由、権利、民主主義……信じる者は救われない。「アベノミクス」という虚栄、「民意」という幻想、「憲法」や「皇室」への警鐘……「民主主義の断末魔」が聴こえる。稀代の思想家が国家のメルトダウンに迫り、隠された真理を説く。
感想・レビュー・書評
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2012-2013年「新潮45」連載。戦後の日本は、自由、民主主義(平等)、物的な幸福追求(経済発展)、平和主義を追い求めた。自由、平等、経済発展、平和主義といった価値観は一皮むけば自己利益の全面肯定であり、利己心と欲望の解放である。規制緩和やグローバル化を促して不安定な状況を生んでいる。日本停滞の原因は決断のできない政治家と責任をとらない官僚と言われている。しかし政治とは決して政治家と官僚の行為だけではなく、国民の意識、価値観、メディア、文化など全てが政治に関わるものではないか。
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佐伯先生、憲法に対する無知と、論理のひどさはやばいな。。自分より極端な論理に共感しつつ、「ここまでは私も言いませんよ」と中庸かのように装う。笑 そこは素直にうまいなと笑った
二章の、丸山眞男の批判したものは、丸山眞男のエピゴーネンによって維持、補強されたって話はやや同意。
最も物笑いなのは、歴史主義を語るくせに、目前の歴史(もはや戦後は「60年以上」続いている)を「無視」するか、「無効」と叫ぶ。戦後に色々問題点はあろうが、その歴史をスルーして、文脈や伝統、歴史を語れるほど短い期間ではない。佐伯先生の本は好きだが、戦後を語ると、特有の情念が出てくるのは問題だ。保守とは、ゆるやかな変化を志向するものであるはず。バーキアンとして、そこは見過ごせない。
佐伯先生自身の言葉を、佐伯先生は裏切っている。
「社会秩序を大きく変えないで、少しずつ変えていくというのが保守の立場です」(『学問の力』)
目的のためなら、目の前の現実を無視してもいいというのが保守なわけないだろう。保守は常に変化についていけない人々に寄り添う立場であるはずなのに。
ほとんど自民党シンパになっている。どうしてしまったんだろうか、佐伯先生は。 -
ちょっとロジックがわかりづらいかな.
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佐伯先生の語り口や切り口は面白い。本著もキャッチーなポイントから民主主義について論理的解説を試み、そういう考えもあるか、という着想を多く与えてくれる。残念なのは、テーマ一つ一つの掘り下げが深まる前に、話が進行してしまう事。新潮45への寄稿を纏めたものとの事で、その点は仕方ないのか、テレビショーの感。
山本七平が言っていた民衆を操作する空気について、民主主義における民意について。日本国憲法の有効性。石原慎太郎の考察、などなど。面白テーマずらり。雑誌寄りか、と思えば合点がいくのだが勿体無い。それなりに、である。 -
経済学者・思想家である佐伯啓思が、月刊『新潮45』の連載「反・幸福論」の2012年7月~2013年6月発表分をまとめたもの。同連載の新書化は、『反・幸福論』(2012年1月刊)、『日本の宿命』(2013年1月刊)に次いで3冊目。
連載の時期は、民主党政権の末期から第二次安倍政権への移行を挟んでいるが、時論に留まらずに、著者が「まえがき」で「ひょこひょこと時々の状況に応じてムードが変わること自体が問題というほかありません。そして、それこそがまさに今日の民主政治の姿なのです。・・・私には今日の日本の政治の動揺は、「民主主義」や「国民主権」や「個人の自由」なる言葉をさしたる吟味もなく「正義」と祭り上げ、この「正義」の観点からもっぱら「改革」が唱えられた点にあると思われます」と述べる通りに、現象の根底にある、民主主義、日本国憲法、国民主権、天皇制等のテーマに踏み込んで論じている。
もともと雑誌の連載ということもあり、整然とした論理展開により結論が提示されているわけではないが、本書の政治面での主張を極めてシンプルに整理すると概ね以下のようなものと考えられる。
◆日本には責任の所在を明確にしない「空気の支配」が存在し、石原慎太郎も維新の会もそうした空気により支持されたものである。
◆ルソーが唱えた民主主義の出発点は、「共同防衛」と「憲法(根本的規範)の制定」であり、日本が民主主義を標榜する限り、他国に防衛を任せることは矛盾するし、主権者ではないGHQが作った日本国憲法は、内容云々以前に無効である。
◆「国民主権」の民主主義は、主権者と統治者が同一の国民という根本的な矛盾を孕んでいる。「共和主義」の伝統のない日本には向かない。
◆日本は、権威としての形式上の主権が天皇にあるという形をとるほかはない。
現代日本の問題を考える上で、多くの視点やヒントを与えてくれる。
(2014年6月了) -
「日本の宿命」の続編。最近の時事問題を、日本人のもつ精神・文化と現代社会・西欧文明とのずれに着目して、相変わらずシニカルに論じている。全体を通してしっくりと府に落ちる感じがするのは、自分も現代社会、特に金融資本主義に強い違和感を感じているからかもしれない。
なお、著者は「民主主義と国民主権は、「神」のような権威をどこかに想定しておかなければうまくいかない」というが、神を持ち出さなくても共通の価値観・モラルや共通の利害があれば、何とかやっていけるように思うが、甘い考えなのかなぁ。
経済学は科学ではないとの指摘、その通りだなと思う。科学を装っているから高尚で信頼のおける正しい理論のように無条件に考えてしまうが、将来予想しているようでいて実はあと知恵なんだろうなぁ。 -
タイトルからは良く判らないが、政治や経済の「本質」に切り込んだ内容。
連載をまとめたものらしい。 -
アベコベノミクスって、おぃ。
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日本の「正義」を考えると、民主主義とか民意とか、国民の多数が考えて述べることが適当なのかもしれない。その結果、かつての民主党政権やアベノミクスは「正義」となった。しかし、ちょっと考えると民意を唱えるのは国民の多数ではなく、民主党や自民党だ。
木に止まったセミのごとく、ひたすら「ミンイ、ミンイ」と鳴いていれば「民主主義」ができあがる。実は独裁者こそが民意を語り、国民を代表することができる。それが著者の言う「正義の偽装」だ。
こうした欠陥をはらんでいる民主主義ではあるが、現状ではその体制を選択するしかない。それもまた、大きな矛盾。
「正義」とは考えれば考えるほど、ループしてしまうものなのだ。