- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106106415
感想・レビュー・書評
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資本主義に、ついてフォーカスしている本かと思ったが多岐にわたっており、結論は最後の章まで全く書かれていなかったように、感じる。
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各章が(ほぼ)独立しているので、別々に読んでも支障ない書籍。
個人的にはピケティのテーゼの解説、つまり、資本主義は成長していない、成長した時期は戦後30年程度でそれは戦後復興によるもの、まして況んや市場原理主義以降の成長率は年率1~2%程度の低成長が続いている、というのが目をひきました。
働けど働けど・・・と言った状況をデータで示してくれたと思います。
あとは、欲望の話。
忘れかけていた『欲望と資本主義』を思い出す内容で、かつそれを補足するようなことが書かれていてよかったです。
全体を通して、ポスト資本主義の人々の立脚点を、無宗教の日本で作ろうとしている力作だと思います。 -
資本主義も、万能じゃないはずなのに、なぜそのものさししかないんだろう?
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読了。
飽和の概念が無いという一点に於いて、資本主義の永続性にはずっと前から否定的なのだが、一方で、それに代わるシステムの提示を誰も出来ない、という点では本書も同じ轍を踏む。
唯、個人の自由や能力主義を最大限に発揮させようという今日の新自由主義的な政策が、かえって、社会を19世紀風の階級社会へ逆戻りさせようとしている、との論には同意。
グローバリズムの果てに、経済ブロック化があり、限られた資源を巡り大規模な戦争に至る、という不幸な過去を、繰り返さないだけの叡智を人類は得たと信じたい。 -
アメリカ発のグローバリゼーション、資本主義を鋭く切り込む内容は、論旨明確でわかりやすい。ただ、じゃあどうすればいい、と言う具体的提起が、聞きたかった。それは別著になるのかな。
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新潮45の連載をまとめた本。資本主義をどうこうというよりも、自由主義とか、成長でなんとかしようというのではこの先どうにもならんのでは?という本。解決策が書かれていない感は強い。
ピケティーや他の本もたくさん引用して書かれていて、確かにというところも多いが、、、
本としては、原発の話から始まるのも?
連載ものゆえ仕方ないが、、、
目次 さらば資本主義
まえがき
第一章 今こそ、脱原発の意味を問う
ゴジラを平和利用する?/脱原発は気楽な選択なのか?/「近代」を支える前提とは?/「アルキメデスの点」を探す
第二章 朝日新聞のなかの"戦後日本"
朝日新聞からの依頼/朝日のあざとさ/「絶対的被害者」なるもの/歪んだ戦後認識
第三章 失われた故郷をもとめて
巨大ショッピングモールの哀しさ/正しい偏見のもちかた/すでに失われたもの/奇妙な安らぎの正体
第四章 ニヒリズムへ落ち込む世界
悪夢の21世紀/奇妙な世界に生きている/疑わしき「アメリヵ近代主義の福音」/サヨクもウヨクもない社会/事態を混乱させる「専門家」
第五章「グローバル競争と成長追求」という虚実
あまりにおかしな総選挙/「アベノミクス」成否の真相/たいへんに危険な道/敗北主義の読弁/「成長しなければ幸せになれない」という幻想
第六章 福沢諭吉から考える「独立と文明」の思想
明治日本で最高の書物/目的は独立維持/ナショナリティの正体/貿易も戦争も国力の発動である/「かざりじゃないのよ、文明は」
第七章 トマ・ピケティ『21世紀の資本』を読む
所得格差ではなく資本格差/格差拡大の原因/金持ちがますます富むメカニズム/「格差が階級社会を再現させる」衝撃/「資本主義はさして経済成長を生み出さない」
第八章 アメリカ経済学の傲慢
現実とはまったく無縁な分析/「科学っぼく見せる」数学的粉飾/論理の奴隷になってゆく/科学たりえない経済学/「グローバル・スタンダード」の押しつけ
第九章 資本主義の行き着く先
不等式「r>g」の意味/そもそも資本主義とは何か?/「フォーディズム」という革新/
欲望は経済成長をもたらさない
第十章「がまん」できない社会が人間を破壊する
ITと金融の革新がもたらしたもの/「価格破壊」と「消費者絶対主義」という大罪/
衝動が支配する社会と「自己実現」の市場/「空疎な個人主義」と「即席の欲望充足」
あとがき -
タイトルひかれて手に取るが、タイトル勝ちな感じ。中身はイマイチぴんとこない。
その中でも心に残った点
やはりここでも、現代人は消費意欲が低いので、いくらアベノミクスで経済戦略を取っても、効果の程は疑わしいと。
成長しなければ幸せになれないと言う思い込みから、自分自身を解放させることだ
まだ読んだこと無かったので、ピケティの概論が読めたのは良かったかな。やはり資本からの利潤率を重んじるべきか。 -
著者は、アメリカニズム、西欧近代主義に対して否定的な論調で首尾一貫している。「新潮45」連載ものの5冊目となる本書にも、その意味でこれまでのものと比べ特に目新しい視点はない。とは言え、アベノミクスがグローバル競争に勝つためにケインズ主義と市場原理主義(新自由主義)という矛盾する経済政策をとり続けていることとその危うさ、構造改革は需要は無尽蔵に有ることを前提とした政策であること(したがって、総需要が低下しデフレ化しつつある状況下で採るべき政策ではないこと)、ピケティの本が示しているのは、新自由主義的な政策が経済格差を拡大させ、階級社会を招来してしまうことであるが、実は資本主義がさして経済成長を産み出さないことを前提として書かれていること、などなど、著者の視点で様々に解説されていて読みごたえがある。
第八章「アメリカ経済学の傲慢」では、ピケティの本を引用しながら経済学を数学的粉飾に満ちた「偽装科学」とこき下ろしていて、読んでいてスッとする。全く同感。感覚としては当たり前の現象について、現実とは解離したシンプルなモデルを設定して数学的に解析して評価される。経済学って一体全体世の中の役に立っているのだろうか。著者はまた、経済学者の弊害は、暗黙裡に、「効率性の達成」や「経済成長の追求」を無条件でよしとする価値観を持ち込んでいることだという。ピケティ曰くフランスでは経済学者はさほど尊敬されていないとのことだが、日本もそうあるべきと思う(経済学者には申し訳ないが)。
第九章「資本主義の行き着く先」では、資本主義を飽くなき利潤を求めて経済成長を目指すシステムとして捉え、植民地開発の「外爆発」から「フォーディズム」の「内爆発」へ、さらに「内爆発」もその対象が人間の外部(人間の道具)から内部(人間そのもの)へと変化し、人間そのものをイノベーションのフロンティアにしている状況で、もはや資本主義による経済成長は目指せない、脱成長主義社会へと移行することが必要、と説いている。脱成長へ、また競争社会から共生できる社会へ、というのはその通りだと思う。
ただ、脱成長社会での社会の活力の源泉は何になるのだろう。働くモチベーションはどうするのか。私欲を刺激して競争を促すシステムそれなりに優れていると思う。低成長時代、富の奪い合いをやめて共生を目指すとしたら、どんな社会になるべきなのだろうか。オランダやアイスランド、北欧など、アクセク働いてあるイメージのない安定した国が参考になるのかもしれない。
第十章「「がまん」できない社会が人間を破壊する」では、現代の我々の多くが感じている閉塞感、無気力感を、「消費者絶対主義」とIT革命のもとでの「即席の欲望充足」という観点から説明している。すなわち、ネットを使えば何でも躊躇する間を与えずに瞬時に手に入ってしまうことが、購入を「がまん」することや欲しいものを探す苦労、買う勇気や気恥ずかしさ、といった感動の素を失わせている、としている。子供の教育面においてより深刻な問題かもしれない。 -
解決案なし。存在価値もなし。