- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121006912
感想・レビュー・書評
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先日読んだ『文系のための理系読書術』(齋藤孝/著、集英社)の中から、紹介されなかったら自分では手に取らないだろうな、という本を読んでみようと思い、本書をチョイス。
解剖学者・発生学者である著者が、胎児の成長を観察する中で発見したことを綴っています。
曰く、人間は受精から出産までの間、母親の胎内で「生物の進化の歴史」をたどっているとのこと。
胎児の成長段階のスケッチも掲載されているのですが、魚類のような姿から数日で人間の胎児の姿に変化していく様子がわかります。
自分が、周りの人々が、みんな各々に母親の胎内で数十億年の進化のプロセスを経て、今ここを生きている。
そう思って周囲を見るのははじめての感覚でした。
また、本書では研究以外の場面で著者が体感したことを、研究で明らかになった発生の過程と関連づけて綴っている箇所も多く、随筆を読んでいるような感じでした。
ミクロからマクロなレベルまで、この世界は様々な循環で満ちていて、人間もその流れの中で生きている。
ものの見方のスケールがぐぐぐっと広がったように感じつつ読了。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
生命の記憶。
個体発生では、進化の過程をたどる。逆戻りや、飛び越えなどはない。これが、生命の記憶をたどっているということ。生命の神秘なのではなく、予定されていること、決まりごとを素直にたどる。永劫回帰ということである。同じ道を通り、出生して死んで行く。
全編を通して、音楽(とリズム)を感じる(他の書評でも同じことが書かれている)。卵に墨を注入する。生命の鼓動、内臓の波動では、生命の共鳴。
左脳=ロゴス
右脳=パトス
交錯
パトス 絵・音楽
ロゴス 文字・ことば
感覚運動器官
19
月の砂漠、椰子のみ、取り合わせが絶妙
96
ジョセフ・ニーダム 発生
魚類⇒両生類=えら⇒肺
研究者としての気持ちが良く表現されている。
146
夢野久作が引用されている。
178
7日間の周期⇒月経の周期、生の原波動
182
螺旋、植物、羊の角、内臓、腸、台風、2重螺旋
197
東洋思想、道、リズムあり
203
遷宮の意味(伊勢神宮)
学生時代「産泊」とても面白い表現あり。
食(世代)vs性(世代) 回帰する。 -
胎児の30~40日あたりの成長を生命の進化に当て嵌めるところまでは理解できるが、三章以降は検証されえない持論展開の嵐。螺旋の成長については、分からなくもないが、世の中すべての事象に適合させるのはさすがに無理がある。人の成長におけるスパイラルアップは、安定性と着実性の観点から納得できる。
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『懐かしさというものは「いまここ」に「かつてのかなた」が二重映しになったときにごく自然に沸き起こってくる感情であろう。』
https://1000ya.isis.ne.jp/0217.html -
三木成夫「胎児の世界」読了。読む前は題名からヒトの生殖から発生に関する総括的な話かと思っていた。しかし、実際には胎内での神秘的な成長と種間でのその共通性から、生命の進化・歴史・周期性、さらには宇宙の摂理までをも解釈する著者渾身の壮大なスケールの考え方に圧倒された。良書。
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身から出たものであれば「錆び」でさえ、どこか尊く思える。
身から出ていない学術本は、どれだけ偉大な発見であってもどこかよそよそしい。
アカデミックに見て何を発見したのかは知らないが、経験から出た著者の言葉は、じかに心情をわしづかみにする。
本を書く意味は、おそらくこういうところにあるのだろう。 -
読み初めはオカルティックでどうだろう、眉唾なものなのではないかと思ったけど、読み進めていくと、生物学者の筆者が実際に研究した末にオカルト的勘と結果が結びついてくる面白さがあった。人間の胎児のみならず、様々な生物の胎児、原初生物を出して論じている。
途中、夢野久作の「ドグラ・マグラ」に出てくる胎児の夢という架空の論文の話が出てくる。その中にもやはり胎児は十月十日の間に長い生命の夢を見ているのだという趣旨の描写があり、この実験が行われる前、昭和の時代から夢野久作はこれを先見していたのではないかと書かれていた。この本を読んだ後に「ドグラ・マグラ」を読むとより楽しめるのではないか、と思った。 -
解剖学・発生学を壮大な宇宙観と有機的に連携させながら解説
複数の知識が合わさっていて、
世の中に対する見方を改めさせてくれる。
とても科学的な内容も文学的な詩的な文章で書かれている。 -
すんません。わたしには最後の方が難しすぎて,何を言いたいのか(というか,言いたいことは分かるけど,なんか科学的なお話ではないような気がする…)という本でした。
本書を手に取ったわけがすでに思い出せないんですよね。本書の次に読んでいるのも同じ著者のものです。先に紹介した『ながいながい骨の話』共々,一緒に読もうと思って手に入れたのですが,それがどうしてなのかを思い出せないんです。おそらく昨年の12月ごろのことだと思うんですが…。
さて,本書の発行は昭和58年で,わたしが勤め始めた年のことです。そんなずいぶん前の科学読み物なのですが,「研究」というものの楽しさというか夢中さというか,新しい発見に向けて実験をしている科学者の興奮する姿がビンビン伝わってくるので,なかなか面白く読むことができました。
人の胎児の発育の変化など,今じゃあ,発生学の本では当たり前に出てくる絵や写真についても,死んでしまっているとはいえ,人の胎児にメスを入れる怖さというか大胆さというか…,著者の迷いも含めて描かれています。科学者という生き物は知的好奇心を満たすために、そうせざるを得ないんですよね。
羊水を満たした、暗黒の空間のなかで繰りひろげられる胎児の世界ーそれは人類永遠の謎をして神秘のヴェールのかなたにそっとしまっておく,そんな瀬会なのかも知れない。この世には見てはならぬものがある。近代の生物学は,しかし,この一線をいともやすやすと乗り越える。自然科学の実証の精神,というより人間のもつ抑え難い好奇心が,その不文律を破ったのだ。(本書,150ぺ)
そして,そこから得た知識は,ヘッケルの「個体発生は系統発生の短い反復である」ということを証明するものでした。 -
ミクロからマクロまで生命にリズムが生まれて波及する。それは空間や時間を旅するように移動を重ねて時折振り返るように反復する。その記憶は自身の経験なのか、それとも受け継がれるDNAなのか。宇宙は自然であり、人の意識の産物ではない。故に誰にも世界を制御できないし必然とも偶然とも解釈できる運命に委ねられる。そもそも意識を積み重ねた記憶は不確かなもので常に変化を遂げていく。諸行無常、万物流転、この言葉にしっくりくるのがこの書籍の読後感である。