女学校と女学生: 教養・たしなみ・モダン文化 (中公新書 1884)
- 中央公論新社 (2007年2月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018847
作品紹介・あらすじ
旧制高等女学校の生徒たちは、戦前期の女性教養層を代表する存在だった。同世代の女性の大多数とはいえない人数であったにもかかわらず、明治・大正・昭和史の一面を象徴するものだったことは疑いない。本書は、彼女たちの学校教育、家庭環境、対人関係の実態を検証する試みである。五〇年弱しか存在しなかったにもかかわらず、消滅後も、卒業生たちの思想と行動をコントロールし続けた特異な文化の再発見。
感想・レビュー・書評
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- 1910年から戦前までの女子の最終教育機関が女学校だった。
- 1920-1930年頃に全国に女学生文化が広まる。
- 「花嫁学校化」「教養ある女性から軽薄な知」というイメージの変化もおこっていく。 p38
- 教科として国語が人気で、文学を愛好する女学生、「文学少女」は多かった。p64
- 下宿して東京の学校に学ぶ女学生は堕落しやすいとみられていた。跡見花蹊は「下宿生は許さず、通学生は必ず親の家もしくは保証人宅から」と対外的に言っていた。 p129 -
京都大学大学院教育学研究科長の稲垣恭子氏が、主に明治・大正・昭和(戦前)の女学生についてまとめたもの。最後の章では戦後の女子大生についても扱っています。今や絶滅(危惧?)種である女学生の実態を「文学少女」「手紙」「堕落次女学生」「ミッション」などのキーワードで考察しています。当然、ある程度裕福なお家のお嬢様が中心なのですが、日記や手紙からは、当時の女学生が現代のイメージよりもかなりアグレッシブな生活をしていたことがわかります。学生文化は過去から現代へ一本道で繋がってるんだなと思ってみたり。
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【書誌情報】
初版刊行日 2007/2/25
判型 新書判
ページ数 256ページ
定価 本体780円(税別)
ISBN 978-4-12-101884-7
旧制高等女学校の生徒たちは、戦前期の女性教養層を代表する存在だった。同世代の女性の大多数とはいえない人数であったにもかかわらず、明治・大正・昭和史の一面を象徴するものだったことは疑いない。本書は、彼女たちの学校教育、家庭環境、対人関係の実態を検証する試みである。五〇年弱しか存在しなかったにもかかわらず、消滅後も、卒業生たちの思想と行動をコントロールし続けた特異な文化の再発見。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2007/02/101884.html
【簡易目次】
序章 女学生とは
第1章 文学少女
第2章 女学生の手紙の世界
第3章 堕落女学生・不良少女・モダンガール
第4章 ミッション女学生
終章 「軽薄な知」の系譜 -
『ヂアロオグプランタニエ』用に読む
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戦前における女学生による文化、文学、教養をテーマにしたもの。
辛酸なめ子による『女子校育ち』と対になる内容と思われる。
辛酸なめ子の『女子校育ち』が「「卒業したとたん、魔法は解けて全てはなかったことになりました」という一言でくくれるのに対して、こちらは「万年女学生」という言葉が象徴するように、関係が永続し、校内で醸成された関係性がそのまま社会にスライドしていくという位置づけの違いが興味深い。
しかし、本書には残念ながら卒業後の進路や来し方についての記述がなく、なぜ関係性が永続していくのかという点が記されていない。
言わずもがな、ということは分かっているが、単純に「仲の良かったお友達とはいつまでも仲良く暮らしましたとさ」では片づかない女学生の社会的な位置の問題が含まれているように思われる。その点を記述してもらえれば、満腹感もあったと思われる。
もう一点、記述内容の時代設定として1930年代前半頃までは順を追って記述されているが、40年代を飛ばして、いきなり戦後に飛ぶのは飛躍が過ぎると思われる。
本書の女学生文化の対立軸として「良妻賢母主義」という学校側からのバイアスを記している以上、そのふたつの文化の対立を記さないといのは、片手落ちと思われる。 -
女学校文化への憧憬と侮蔑は、そのまま日本近代の姿だというのは分かるが、5ページくらいでいいのでは。この手のデゥスクール論は研究者の資料を披瀝する手際と言うよりも、矢張り、「価値」が問われるのではないか。辟易の感あり。
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タイトルの題材について調べたいなら必携の1冊。ただ後半3分の1くらいは題材を変えてずっと同じ話をしている感もある。