- Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020758
感想・レビュー・書評
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明治~高度経済成長期あたりを中心に、唱歌、校歌、社歌、それにうたごえ喫茶などの背景にある時代背景やイデオロギーを語る。
度々筆者が言及しているのが、現在の価値観だけで捉えてはいけない、ということ。全体主義的と思えたりヘンテコな歌詞だと思えるものも、当時の社会情勢からするとそれが当然だった可能性がある、と。また、例えば戦後のうたごえ喫茶は左翼的な政治活動と結びつけて考えられがちだが、「そういう人達もいた」というくらいに捉えた方が良いようだ。
しかし筆者がいくらフォローしても、昔の唱歌が政治的プロパガンダの色合いが濃い感は否めない。実際、明治政府は日本を近代国家にしていく過程において「日本国民としての統一感」「品性のある国民」づくりの一環として唱歌を制定してきたようだ。
他にも、昔は当たり前のように卒業式で歌われてきた「仰げば尊し」は色々思想的な物議をカモスコトガあって今ではあまり歌われなくなってきているという話などが興味深かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いま私たちがくちずさんだり、郷愁を覚えるなどと形容する唱歌や校歌といったものが盛んにつくられた近代においては、それらには国家のような大きな力による大衆の啓蒙や知識づけ、扇動……いってしまえばプロパガンダ的な要素があったということを論じている。論文の構成で、ですます調で書かれているような感じ。
唱歌に啓蒙的な要素があるとは以前にも聞いたことがあるし、たとえば年号の語呂合わせとか電話番号をメロディー化するとか、要は覚えるためにキャッチーなフレーズにしたり歌にしたりすることで、覚えるというより身にしみ込ませていくのが人間ってものなんだなと思った。そう考えると、詩でもなく曲でもなく「歌」っていうのは面白い媒体?媒介?だよね。
唱歌とか校歌、そのほかこの本で触れている社歌とか労働歌、うたごえ運動で親しまれた歌とかはみんなで歌うもの、つまりみんなが知っているものでもあるわけで、だからこそ、啓蒙とか意識の醸成とかの目的遂行に役立つ。最近はみんな、自分の好きな歌を独りで聞き、独りで聴く方向に向かっているから、こういう歌の特性って薄くなっていくのかも。 -
常識や紋切り型の論理を疑ってみようという方法論で論考が進められている。
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日本人はどうして歌うのか?
歌の力は大きい。だから、歌の力は利用できる。でも、やっぱり残る歌には残るだけのプラスアルファがあるのだ。 -
うたごえ運動についての章が、よくまとまっていて、背景など理解でした。今の時代に合わせ、変化している部分変わらない部分あるなあと…