動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 (中公新書 2176)
- 中央公論新社 (2012年8月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121021762
作品紹介・あらすじ
人間は動物をどう捉えてきたのか。古代から近代に至る動物論の系譜を辿り、二十一世紀の倫理的な課題を照らし出すスリリングな思想史。
感想・レビュー・書評
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欧米の動物関係の本を読んでいると、ときどき「動物に魂はあるのだろうか?」という問いかけが(多くの場合は過去形で)出てくることがあって、?と思っていた。その後いろいろ本を読んでみると、どうも昔デカルトが、動物には魂?はなく、感情も感覚も知性もなく、いじめると悲鳴を上げるのは機械が反応しているようなものである、という謎の説を唱えたのが発端らしいことがわかった。
著者は哲学者。本書は動物に魂があるか、というあたりの議論(動物霊魂論と呼ぶらしい)の変遷を思想史として教えてくれる。大変おもしろかった。
動物は一種の機械に過ぎない(動物機械論)というデカルトの主張には、もちろんデカルトなりの論拠がある。なるほどデカルトという人はこういうものの考え方をするのか、という意味では興味深い。
ちなみにぼくには無理無茶としか思えない。同時代にもそう思った人がいて反論しているが、それに対するデカルトの反応が、相手の指摘に直接応答するのではなく、原理原則論に立ち返って自分の主張を繰り返す、というタイプで、こういう話し方するやつ時々いるな、と思ったら、たぬきおやじ系の政治家だった。この件についてはぼくもデカルトと議論してみたいが、議論にならず途中で面倒になって、どうでもよくなっちゃうような気もする。
一方、動物機械論は同時代にそれなりの支持を集めたらしく、動物を冷酷に扱う連中が増えたようだ。本書にはデカルトの支持者が犬をけとばす逸話が出てくるが、デカルトは今頃、天国で犬に尻を噛まれているんじゃないだろうか。機械に噛まれるんじゃ、文句も言えないな。
動物に魂があるか、という議論は、魂とはなにか、という議論に発展していく。動物が魂を持つことを認めるのなら、その動物を殺して食べていいのか、という疑問も出てくる。動物機械論はそれに対する免罪符でもあったのだろう。動物を食べることについての哲学界の議論があるのなら、ぜひ聞いてみたい。
さて、「○○は××なのか」というタイプのタイトルの本で、結論が出ている本って読んだ記憶がないのだが、本書は例外だった。ラストで言い切っている。それ哲学なのか?とちょっと笑ってしまったが、この先生の授業を受けてみたくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フランスを中心とした<動物論>を俯瞰する試みは面白かったのだが、著者の態度に問題があると感じた。引用している<動物論>に対し、「字数が多くなる」「紙幅の都合」「(内容が膨大なので)ここでは詳しく論じることはできない」といったことを繰り返し、肝心な部分が説明されない曖昧な状態にしており、各論を理解せずに書いているのではないのか?といった疑念がつきまとう。また、「動物に魂はあるのか?」に対する答えが「命を大切にしましょう」になっていて解答になっていない。一応は魂の有無について触れているが、著者自身のその考えに至る過程、根拠、哲学を明らかにしていないため意味を成さないものとなっている。結局のところ、著者の曖昧な態度、引用文献に対する理解不足の疑念から、魂の有無を論じた<動物論>が存在しているという事ぐらいの内容になってしまっていた。
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非常に厳しい評価ですが、的確で私はこのような評価が好きです。
ただ、新書というレベルを考えれば、これ以上難解な内容になると、私などはとても読...非常に厳しい評価ですが、的確で私はこのような評価が好きです。
ただ、新書というレベルを考えれば、これ以上難解な内容になると、私などはとても読めません。
こんな私でも、この本を読んだことで、あなたのレビューを読むことができました。
sahakuさんのおっしゃることは、私も薄々感じていましたので、このレビューを見て、やっぱりか!と膝を打ちました。
下らないコメントですみません。
sahakuさんの書評をこれからも時々楽しみに拝見させていただきます。2013/01/06
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とても衝撃的な内容だった。難しい箇所も多くあり内容を大まかに説明することはできない。しかしそれでも読み進めた先にはきっと多くを得ると思う。
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やや癖があるが、こうしたテーマを新書で読めるのは貴重。
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動物に魂があるかどうかの話をしていない(0_0)
話しているのは「人間が」動物の地位についてどう考えてきたかということ。それにペタッと「魂」というサブテーマを貼ってあるような感じだった。
メインテーマは動物機械論。この動物機械論というのが、動物たちの喜びも苦痛もすべて単なる機械的な反応であり、意に介する必要のまったくないもの、というかなり人でなし感ふんぷんのゲス理論。マルブランシュ許せない。
序章。著者が以前は昆虫についてほとんど機械のようなものだと考えていたこと、ゆえに昆虫は「死んだ」ではなく「壊れた」と述べても良いのだ、と自分の講義で発言して反感を買ったエピソードを読んで、自分もこの人無理だわと思った。
(その後自分でも違和感を感じて考えを変えたことも書いてある)
続いて第一章でまずアリストテレスを引用して霊魂(魂)の定義をするんだけど「アリストテレスは『霊魂論』でものをそのものたらしめる本質的なものを霊魂とし、さらにそれだけじゃなくて、ものの存在を生みだす要因(始動因)でありその存在を意味付ける目的(目的因)でもあるとしている」と述べたあと
となると、こうもいえるはずなのだ。
Aという生物がいる場合、Aの霊魂はAの運動がそこからくるところのそれ(始動因)であり、Aがそのために存在するところのそれ(目的因)、なおかつ、AがまさにそのゆえにAであるところのそれ(形相因)なのである。
と言い換える。
???
言い換える必要あった?
なんでわざわざこんな難しくいう必要あるの、と言いたくなるところはここだけじゃない。
さらに、頻繁に、この先は私の仕事じゃないので、本のバランスが崩れるので、紙面の都合があるので、と話を切り上げまくるし、著名な哲学者たちの著作と思想の紹介に徹するばかりでほとんど持論やまとめを出してこないのでおい哲学者仕事しろ、という気持ちにもなる。
サラッと切り上げるのは理由があって、「本書が行う中心的作業は、特定の思想家の思想を掘り下げることではなくある概念(動物は機械のようなものである論と、いやいや魂あるよ論)の命運とその消長をラフに描くことであり、それ以上のものではない」と終章付近で著者自身が述べている。
でもそれを踏まえても、この哲学者風を吹かしつつ本題に迫ってくれないフワフワ感にものすごく読む気力を削られ続けるので、もしかしてこの人持論がないのかしらと思ってしまう。
さらにさらに。
最終章になってタイトルのことを思い出したのか、著者自身が動物に魂があると思ってるのか否かについてやっと言及するんだけど、その段階になってこの人はするりと哲学者の皮を脱ぎ捨てて、何の根拠も考察もしめさずに「あ、ぼくは動物に魂はあると思うよ!あるある!だからみんな動物を大事にしようね」と言って終わるのである。
たまたま人気アニメの銀魂をちらっと見たときに、オバQのような宇宙生物について「こんな思想もないもの(宇宙生物)を好きも嫌いもなかろう」と言っているのを見て、ふと、思想=魂と言えるのではないだろうか、と興味をもって読んでみたけど、この本ではその手がかりすら見つけられなかった。
いろいろ突っ込みどころがあり、テーマとズレてると感じる部分も多いが面白くはあった。斜め読みでいいから3回くらい読んでみると、第一印象に惑わされずに内容を楽しめるのではないかと思う。 -
新書文庫
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届きました。
(2015年10月08日)
アマゾンに注文しました。
(2015年10月05日) -
結論に唖然、デカルトに踊らされて寄り道しすぎ