言葉の力 -   「作家の視点」で国をつくる (中公新書ラクレ 389)

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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121503893

感想・レビュー・書評

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  • 日本人の話す日本語がおかしい。言語力が低下している。
    所謂「活字離れ」が深刻化していることを警告しながら、どうやって言葉の力を身に付けていくかという本。

    著者は東京都副知事でありながら、『日本国の研究』や『昭和16年夏の敗戦』などで知られる作家 猪瀬直樹。

    巧妙な官僚による「霞が関文学」との戦いは、実に腹立たしく感じる一方で、巧みな表現に騙されてはいけない、こちらのトレーニングも必要不可欠であると危機感を持たせてくれた。

    読んだ方には『突破する力』も是非薦めたい。

  • はじめに ー 国難だからこそ「言葉の力」を

    第一部 「言語技術」とは何か?
        1 日本人よ、世界をとらえる言語を取り戻せ
        2 絵画、サッカー、フィンランドー「言語技術」の実践例
        3 「課題解決力」の身につけ方
    第二部 霞ヶ関文学、永田町文学を解体せよ
        4 言語が国の命運を決める
        5 巧妙な「霞ヶ関文学」
        6 政治家から言葉が消えた
    第三部 未来型読書論
        7 「活字離れ」防止に秘策あり
        8 電子書籍は”黒船”か?
        9 【都庁白熱教室実況中継】本を読んで脳に”筋力”を
        10 【読書案内1】大宅壮一と三島由紀夫
        11 【読書案内2】太宰治
    おわりに ー 作家の視点で国を作る

    自分を説明するとき、他者と自分の関係を考えるとき空間、時間、歴史的に座標軸を持つことがコミュニケーションの前提。
    戦後教育の中で失われた歴史意識。世界を捉える道具は「言語」でしかない。言語の重要性。政治家にも言葉の劣化は起きている。なぜ本を沢山読まなければならないか。それは本=他者だからだ。日本だけが持っていない「言語技術」。一つ一つの答えの根拠を述べ説明する能力を養っていかなければならない。言語技術。どうしたらその力が身に付くのか。例えばツイッターで。流行語を使う事を極力避ける。どんな場面でも正しい日本語を意識して使う事を心がけるという意味であろう。普段何気ない会話の中にも無視式に話していると単語ですませている場面が多い。妻との会話もそうである。日常生活のありとあらゆる場面で言葉は磨かれ、意識せねば劣化していくもの。そしてその技術を補っていくのが言語技術の教育と読書ということになるのではないだろうか。普段の生活の中でもとことん説明する。質問されたら答えるのは当然で、答えを相手に任せてはいけない。判断は自分でするのであるが、なぜその判断をしたのか理由を説明しなければならない。説明すればするほどそれはまた嘘っぽくなってしまうような感じもするが、そうしたらまた考えれば良いのである。自分の考えている事を言葉に表現する力を養う必要がある。

  • 本を読む大切さ、そして正確な言葉使いの大切さを再認識!

  • 正しい、廃れることのない日本語を使う。出来そうで、出来ない技術。

  • 日本語をきちっと話すこと、日本の歴史を勉強することが、
    日本に誇りを持てるきっかけになり、日本のアイデンティティを深めます。

    上っ面だけの人間じゃなく、中身のしっかりした人間になることが、
    グローバル社会では、大切なことになってくると思います。

    東京からでも変わってくれれば、日本は良くなります。

  • 最近よく読む、猪瀬直樹氏の新書。驚くほど読みやすい。多くの社会人に読んでほしい本。

  • 言語力が大切なことは当然ですが、無駄と思える何気ない会話が
    人間関係を円滑にするのですね。
    気付きを得ることの多い本です。

  • 要約(第一章「言語技術」とは何か?)

     言語技術とは相手に物事や自分の意見を説明するための技術。言語もスポーツと同じで基礎的な技術から身につける必要がある。言語の基礎である言語技術の学習は欧米では当たり前。議論をするときにはファクト(事実)、根拠を示すことが重要。

     ドイツの国語教育では以下のようなことが教えられる。
     説明・描写の技術、報告の技術、議事録の記録技術、要約の技術、絵やテキストの分析と解釈、批判の技術、論文の技術、議論の技術、ディベートの技術、プレゼンテーションの技術。
      「なぜ?」という問いに対し、「なぜならば」という答えを10個くらいは考える。そこではじめて、論理的な文章ができてくる。あたり前のこととして訓練されている。

     PISAの読解力テストでフィンランドが上位を占めるようになった理由。 
     もともと、フィンランド人は北国の寡黙な民族だった。それが欧州連合(EU)に加盟した1995年、ヨーロッパの新聞に「フィンランドはEUで何も発言しない」とバカにされた。コミュニケーションして、論理的に思考する力、すなわち読解力を身につけなければならないと、教育改革が行われた。

     日本人はこのPISAのテストで白紙回答率が高い。日本人は説明をするということが下手だ。「××が好き」と述べる場合、「なぜですか」と問われると、日本人は「好きだから」と理由にならないことを平気で言う。根拠を挙げず、あいまいな説明しかできないから、何を言っているのか伝わらない。言葉で説明しなければ、他者との対話は成立しない。

     日本の国語では論理的思考を育成する目的で、説明文や評論文が中心にされるが、ヨーロッパでは逆で、文学作品こそが論理的思考を養うと考えられている。
     物語というのは人の耳に心地良く響く形。物語の構造を理解できるようになるとプレゼンテーションにも活用できるようになる。
     『赤ずきんちゃん』の物語を赤ずきんと狼それぞれの立場から語り直すなど、視点を変える技術を知る。自分の考えはこうでも、相手はこう出てくるに違いないなどと考えることができるようになり、議論ができるようになる。

     風景を伝えるには、形容詞をいくら重ねてもわからない。空間を構成的にとらえて、論理的に説明する必要がある。色や形などディテールの存在感が増してくるので結果的に感性でとらえているな、と思われる。感性だ、感性だと強調しても意味が無い。
     言語技術が芸術と矛盾するというのは大きな誤り。基礎的な技術がなければ個性は発揮できない。

     絵画を見たときに、「とても素晴らしい」とか、「いい絵だ」とか、形容詞は極力使わないほうがいい。「うれしい」「かわいそう」「悲しい」などの形容詞は何も言っていないのと同じ。
     「どんな色が使われているか」「描かれた人物は何をしているのか」「何時ごろなのか」というファクトを並べていく。

     鑑賞している絵画には登場人物が何人いて、背景に何が置かれていて、と説明することによって鑑賞する力が備わっていく。直感的に自分がいいと思ったことが何なのかわかってくる。きちんと相手に説明するこうした力が言語技術。

     具体的な分析例
     ・海辺にあるという根拠→壁の割れ目から灯台が見える
     ・物置小屋であるという根拠→ペンキの缶やモップなど普段使わないものが置いてある
     ・季節が春だという根拠→男の子がカーディガンを一枚着ているだけ
     ・時間が昼間だという根拠→外が明るく、壁の割れ目から光が差し込んでいる 

    感想
     説明するときに具体的な事実を挙げた方が分かりやすいのはその通りだと思った。そしてそれが芸術鑑賞においても有効な手段であり、欧米ではむしろ主流だということが衝撃的だった。感性で捉えた抽象的な文章を書かなければならないとこれまでずっと思っていた。

  • 日常会話にて、「すげぇー」とか「フツー」とか「良い」とか「ビミョー」とか、他人に言われたり、自分が発することもあるけど、こういった形容詞のみで並べられた表現は、心に響かないし、本気で伝えようと思っていない時に使う言葉だと思う(その場がどうでもよい会話モードの時は別として)。
    本気で相手に自分の考えを伝えたいと思うなら、「良い」だけではなく、「どうして良いのか」まで説明しなければならないし、また相手に伝わらないため会話が成立しない。

     猪瀬直樹の「言葉の力」、著者は現東京副知事、小泉政権の時に道路公団民営化に携わった人だが、本職は作家。
    地球一体化時代(要するにグローバルってやつ)において、上記のような形容詞を羅列する日本人の言語技術を、世界基準である論理性を重視した言語技術によりコミュニケーションができるよう改善していく必要があるとしている。

     道路公団民営化の際の官僚とのやりとり等を例に「霞ヶ関文学」についても触れられている。
    前職である公務員を辞める際の、上の人間とのやりとりを思い出す。
     私は有給休暇をほぼ使い切り7月末で辞めたいという意向を持っていたが、「社会的常識」に反するという非論理的な言葉により却下され、結局30日弱の有給休暇を水に流し、6月末で退職することになった。
     その上の人間との退職時期について話し合った際、私はその「社会的常識」について少しでも紐解こうと、
    「例えば、夏季休暇と有給休暇を繋げて1ヶ月近く海外旅行に行く人がいますよね。それは当然ながら業務の状態を見て支障にならない時期や範囲で認められているはずです。私の場合は担当している会議や研修の事務がほとんど6月中に終わります。そのことは係長も納得し認めています。何か違いがあるのでしょうか。」
    と聞いたところ、
    「そんな水掛け論を言ってる場合じゃないんだよ」
    とまたも非論理的な言葉で一蹴された。
     出勤最終日、私は捨て台詞代わりにその上の人間にこの本を紹介したが、まぁ読んでないだろう。

     話が逸れてしまったが、この本では読書の重要性についても触れられており、読書は他人とのコミュニケーションであり、また読書は人間の好奇心や感性を刺激し、未知なるものを克服しようという探究心や情熱を育む、としている。
    言葉をそのまま引用したくなるぐらい言葉に力がある。
    話している時はそうでもなく感じるのは気のせいか。
     ただ、日本人の言語技術(の低さ)について、歴史から説明していたのは圧巻。

  • 最近色々興味がある猪瀬直樹さんの本。

    本を読んで言語技術を磨くことの重要性を再確認。

    こうしたことによって考える事にも繋がる。

    実際にここで書かれていることを駆使して官僚とやり合っていると納得。

    作者の面白さを再確認出来ました。

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著者プロフィール

猪瀬直樹
一九四六年長野県生まれ。作家。八七年『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。九六年『日本国の研究』で文藝春秋読者賞受賞。東京大学客員教授、東京工業大学特任教授を歴任。二〇〇二年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。〇七年、東京都副知事に任命される。一二年、東京都知事に就任。一三年、辞任。一五年、大阪府・市特別顧問就任。主な著書に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『黒船の世紀』『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』のほか、『日本の近代 猪瀬直樹著作集』(全一二巻、電子版全一六巻)がある。近著に『日本国・不安の研究』『昭和23年冬の暗号』など。二〇二二年から参議院議員。

「2023年 『太陽の男 石原慎太郎伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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