内なる辺境 (中公文庫 A 3-2)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (106ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122002302

感想・レビュー・書評

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  • 実は安部公房の小説を読み終えたことがない。丸山健二が評価していることを知ってから何冊か開いたがダメだった。本書もエッセイだからといって全部に目を通すつもりはなかった。ただ、熊田一雄〈くまた・かずお〉氏のブログで見つけた文章を探すためだけに読んだ。私は胸倉をつかまえられた。そのままの状態で結局読み終えてしまった。
    http://sessendo.blogspot.jp/2015/04/blog-post_16.html

  • 定着、農民的なありかたを正当として受け入れつつも、その中で異端を求めてしまう人の性よ。
    平和と争いは常に矛盾せず存在し続けるということか。融解と排除の同居。
    論文では都市の在り方に異端を見ているが、snsの世界を手に入れた現代の人々は異端をどこに見いだすのだろうか?

  • 安部公房 「 内なる辺境 」

    異端に関する連作エッセイ。

    著者の文学テーマ「内なる辺境=異端精神」を 若者の流行、人類の進化、カフカのユダヤ的特殊性 から 論じている。面白かった。


    内なる辺境の意味(異端、正統の拒否、国境の無意味さ、国家に安住しない)や 著者の小説や戯曲の特徴(不条理、シュールリアリズム、気持ち悪さ)の意図 を少し理解できた。

    3篇のエッセイとも最後の文章(締め方)がとてもいい〜自身の文学テーマを諦めていないし、他人任せにもしていない。

    印象に残ったのは「開かれた歴史は 均一性より多様性、定着より移動、保守より進歩、正統より異端 のために用意されている〜異端性と移動本能こそ 未来のパスポートである」

    という言葉なのだが、異端か正統かの二項対立で考えている点において、均一性になり自己矛盾になるのではないかと感じた。


    ドナルドキーン 解説
    *安部公房は 異端を信用し〜異端の毒によってのぞく世界は 覚醒の地獄であると知りながら〜大地信仰という贋物の天国より まし
    *都市という内部の辺境から 国境を破壊する軍勢が現れるかもしれないと思えたからこそ 絶望するのはまだ早いと考えた

    ミリタリィルック
    *若者には 美学的な軍服が異端であり、平和が正統に映る
    *ファシズム=極端に国家、国境、母なる大地を尊ぶ思想→正統
    *パロディとしてのミリタリィルック→異端のパロディ化と同時に正統もパロディ化
    *悲痛な異端の時代は終わり、パロディ化した異端の時代へ

    異端のパスポート
    *定着〜連帯と共同作業が不可欠のため 内側では寛容な法の観念が 外に向かったとたん 残忍性をむき出しにする
    *育ちすぎた国境が 内部で辺境の卵を孵化させた

    内なる辺境=安部公房の主要テーマ=ユダヤ系作家に表現
    *都市は 内なる辺境にすぎない
    *文学にできることは 国家の自家中毒症状を早めること〜一切の正統信仰を拒否し、内なる辺境へ内的亡命する

    「カフカは ユダヤ人の心で書いた〜人類の魂に呼びかける」
    「トルストイは ロシア人の心で書いた〜人類の魂に呼びかける」
    *2つの命題とも 特殊を通じて普遍へ導く
    *2つの命題の違いは 特殊性〜ユダヤ的とロシア的
    *ロシア的特殊性=大地信仰、母なる大地への祈り
    *ユダヤ的特殊性=都市的=内なる辺境
    *ユダヤ人=土地に定着できなかった者→異端の対象

  • 安部公房氏の文章は緻密で厳密ゆえにとても難解だが、彼の小説と比べるとこのエッセイは主張が複眼的や多面的ではないため(シンプルというわけでない)理解しやすい(あくまで小説と比べると)。

    表題作の「内なる辺境」の洞察が極めて安部的だが、ユダヤ人に都市的≒流浪的根源要素を見出しカフカ論からの展開は非常に深淵な考察である(ネジがぶっ飛んでる)。収録作「ミリタリィ・ルック」のナチスの美学的様式とアメリカの実務的様式の違いに着眼するのも安部氏のまったく独自独特の視点といえよう。ほか収録作「異端のパスポート」含め共通したキーワードは「異端」にありそうだ。異端なるものを「比較」「排他」「帰結」で捉えるとどうであるか、主張は首尾一貫しているが、縦横無尽に教養と知識を持って論理展開する筆者に唯々圧倒させられる。

  • 内なる辺境、都市、正統と異端。ユダヤ的なもの。文学の課題に横たわる普遍的な問いのようにも思う。その装いは時代によって言葉は違えど通底する部分があるように思う。さすがは安部公房といったところ。とても勉強になった。

  • 今の時代にこそ必要な本だと思う。移動と定着、異端と正統は、社会経済のグローバル化が不可抗力的に進む世界で、日本人がもう少し真剣に考えるための手掛かりになるだろう。

  • この感想は、読解力の拙い人間が、頭を整理するために書いたものなので、「それ、ちがくね?」ってことが多分に含まれます。

     また、私の立ち位置を揺るがす本が出てきたわ。

     このお話が書かれたのは私が生まれる15年前。バブルも来てない。高度経済成長期終焉あたりに書かれたもの。オイルショックあたりか。

     という時代背景を踏まえておこう。

     多分敗戦からの復興から頑張ってアメリカに追いつこうぜ!って頑張ってる時。でも自分の国以外では結構身近に戦争が起こっている、って事実が頭の片隅から離れない時。

     そこで「内なる辺境」。

     内なる辺境とは、国家における「都市」。なぜなら国は、土地や定住を根拠に(多分…)農民意識=正統性ってものがあるから。農民に対する「都市」。

     それをユダヤ人と、それ以外の国家という構図にも当てはめることもできて、ユダヤ的なものとは、農民的なもの以外の一切であり、都市的なものであり、形式主義的なもの、ユダヤ人とは、自然とは疎遠の存在であり、人工的なものであり、存在させられた、選ばれた異端性を持つものである。


     なぜなら彼らは、国家を持たないから。


      でも。

     「反ユダヤ主義なるものの根拠が、ユダヤ人の存在そのものよりも、むしろ「本物の国民」という正統概念の要請の内部にひそむ、一種の自家中毒的症状だと考えて、まず間違いは無さそうだ。ユダヤ人の存在が、反ユダヤ主義を生んだのではなく、正統概念の輪郭をより明瞭に浮かび上がらせるための、意識的な人工照明として、ユダヤという異端概念が持ちだされてきたらしいのだ。」


     それが、分かったから、なんだってんだと。

     「日ユ同祖論」というものがある。
     日本人とユダヤ人にはどこか共通した祖先があるのではないか。という、なんとも都市伝説的な。

     それは「土地的辺境に住む日本人」と「内なる辺境に生きるユダヤ人」に見る共感ではないかと、最近読んだ本に書いてあった。

     でも日本人はユダヤ人にはなれない。ユダヤ人のような考え方や、知性を持つことはできない。

     では、どう生きたら良いのか。(まぁ、比較してる自体おかしいのかもしれないけれど、知性のあり方を示し続けているのは、ユダヤ人が多い、という点での比較)届かぬ知性のあり方にできるだけ近づこうとするか、ユダヤ人にできないことをしていくか、と。

     あまりにその本を乱暴にまとめましたが、

     ユダヤ人にないものがある。それは「農業」である、と最後にまとめていた。

     日本はそっちに走っていけばいいのかね。永遠に届かぬ知性(都市的なもの)を追い続けるよりも、農民根性結構と土着的なものに落ち着いていくか。

     よく、言ってることがわからなくなってきたぞ。

     私が最近まで読みまくっていた本の内容は、「地方を」「辺境を」「農民意識」を受け入れましょう。身の丈知りましょう。それを踏まえて、みんな仲良く手を取り合って生きて行きましょうって感じだった気がするんだよね。

     それだけだったら、すっきりする。それでいいと思う。

     でも、この本、違った。異端性を諦めていなかった。

     でもでも!日本人が既に「辺境に生きる」=異端なのかしら?むむ?それは言ってなかった気がするぞ?

     わたしは、無闇矢鱈に、「異端」の方にいたがる人間だと思われる。

     でもわたしは、農民根性丸出しの、コンプレックス甚だしい人間であると思われる。

     でも異端にいたがろうとする面が、コンプレックスを助長させる。

     もっと頭良く生きられないものか、と。

     それは≒お金をたくさん稼ぐ≒社会的地位がしっかりしてる

     に繋がる。全てじゃないけど。

     とはいえ、そのように生きられないのだ。
     お金かせごうと、してないから。
     先生やってるのも、「絵描く」ためにお金必要だからってだけ。

     わたしは、みんな仲良く一緒にやってこうよ、とは思わず、自分は自分で異端にいたがるくせに、農民なのだ。

     なんでだ?

     知性がないから。知性にともなって、「稼ぐ」ことをしてないから。

     一箇所にとどまることができずに、異端性を持っていたい私は、およそジプシーか何かなんでしょう。知性の回路には組み込まれていないという。

     だから、知性でお金を稼ぐ辺境性を羨みつつ、その搾取に反抗する農民精神を捨てられないんじゃないかと思われる。


     どうしたらいいんだろう?というのが、私の一番の今の悩みに通じる気がする。

     ここにとどまるべきか、先に進むか。

     先に進む無謀と無知さは、いっちょ前にある恐ろしさを、なけなしの知性が後ろに引っ張る。

     困りましたー。いやほんとに。

  • (1975.07.16読了)(1975.07.12購入)
    商品の説明
    ナチスの軍服が若者の反抗心をくすぐりファシズムがエロチシズムと結びつく。この贋の異端の流行の中で、内なる辺境による現代の異端の本質を考察する連作エッセイ。前衛作家の創造の核心を知る。 

    ☆関連図書(既読)
    「壁」安部公房著、新潮文庫、1969.05.20
    「けものたちは故郷をめざす」安部公房著、新潮文庫、1970.05.25
    「飢餓同盟」安部公房著、新潮文庫、1970.09.25
    「第四間氷期」安部公房著、新潮文庫、1970.11.10
    「反劇的人間」安部公房・キーン著、中公新書、1973.05.25
    「榎本武揚」安部公房著、中公文庫、1973.06.10
    「人間そっくり」安部公房著、ハヤカワ文庫、1974.10.15

  • ユダヤ人文化論とかなり近いものを感じる。

    どのみち、ユダヤ人問題をこのような枠で分析するときの
    限界というものがようやく理解できた。

  • 珍しく新潮じゃない安部公房の文庫本。さまざまな作品の根底にあるであろう、農村と都市つまり「正統と異端」についてのエッセイ。
    この「正統と異端」という点は複雑に入り組んでいて、なんていうか簡単にまとめることができない。
    しかし作品全体をみると、読みやすい文章かつ鋭い切り口なので非常に楽しめる。ページ数も100ページにも満たないので。
    なにかと比較されるカフカについての語っていたりもする点も楽しい。

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著者プロフィール

安部公房
大正十三(一九二四)年、東京に生まれる。少年期を旧満州の奉天(現在の藩陽)で過ごす。昭和二十三(一九四八)年、東京大学医学部卒業。同二十六年『壁』で芥川賞受賞。『砂の女』で読売文学賞、戯曲『友達』で谷崎賞受賞。その他の主著に『燃えつきた地図』『内なる辺境』『箱男』『方舟さくら丸』など。平成五(一九九三)年没。

「2019年 『内なる辺境/都市への回路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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