緻密な考証に基づく冷徹かつ柔軟な考察、及び繊細で奥深い筆致による、永井路子女史の作品には秀作が数多い。
歴史とは干涸びた遠い過去でなく、現代の我々と変わらぬ血の通う人間の足跡なのだと実感させてくれる。
中でも特徴的な史伝形式の著作は、殊にお勧め。
歴史解釈の検討に当たり、著者自身が小説文に顔を覗かせて叙述する手法が生み出す、世界の広さが快い。
双璧の一つが本作。
弘法大師・空海に比し妙に印象の薄かった最澄の一生を、まさに“史料の上を虫が這うように”丹念に辿った解釈は、じわじわと胸を襲う静かな衝撃がある。
一見素っ気無い史料文の様々な仕掛けや奥行きに唸らされたり、冷徹で尚誠意に満ちた復元の成果に感動したり。
遠い時間の果てより再現された僧の輪郭は、真摯な信仰に溢れ全身全霊で情熱を燃焼させる、生身の人間であった。
歴史的岐路に立たされた求道者は、純朴さ故に正面から傷つき、仏教の裾野の広さに呆然と佇み、それでも悲観も絶望もせず前向きに手探りし続ける。
受戒後も若輩の身の無知・未熟・研究の不備を痛感し、修行に打ち込まんと叡山に登る背が、無垢なまなざしがまざまざと想像できた。
焦燥・情熱・覚悟に痛い程共感しながら。
そして、彼の人生とリンクする、桓武天皇の苦悶の呻きの壮絶さ。
清僧と王者が巡り逢う瞬間のドラマには固執せず、著者は、彼らの魂の触れ合いの真髄に踏み込んでゆく。
新たな宗教的信念に生きる最澄の進言に支えられつつ、淡路での悔過は為された。
『日本後紀』のたった一行の記事が含む、帝王の懊悩の帰結。
復元される光景に、頁を捲る指すらも震えた。
自己批判と変革宣言としての、名誉回復の詔の重さ。
そうして王者に尽くした心情を、愛だと著者は言い切る。
その魂の救済に全力を傾けた法師の姿を、愛情によるものだと。
律令国家体制の原則が緩やかに崩れゆく、鮮やかな終焉でもあった桓武の治世。
時代を形成してきた枠組みが、時代の流れによって軋みを上げ変質する。
やがて、苦悩する王者の不在が、時流の変化が、宗教者たちの間に仮定の余地の無い距離を生み出す。
殉教者とも言える人の、信仰のひたむきさと生真面目さ。
愚直なまでの正直さ、悲壮と紙一重の清廉さは、眩しく哀しい。
最澄と桓武。
歴史の波と闘い敗れて死した二人は、必然の犠牲を払ったにせよ、彼ら自身もまた歴史を回転させる一部であったことは違(たが)わない。
著者の洞察の見事さは、常に深い感銘を与えてくれる。
人物の顔立ちの彫りが目に見えるような描写というのが、小説の手法においても成り立つのだと目を見張る思いがしたもの。