- Amazon.co.jp ・本 (556ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122017726
感想・レビュー・書評
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明が滅亡して清になるあたりの歴史は知らなかったので、(司馬さんの解釈が入っていることを考慮しても)ためになった。明や女真族というよりも、日本に翻弄されてしまった庄助だけど、最後はあれでよかったんだろうか。
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上巻はロマンのある展開でしたが、下巻は明から清への劇的な歴史変動の描写が中心でした。資料が少なくて描くのが大変だったようですが、興味深いテーマで面白かったです。
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久しぶりに司馬遼太郎の本を読み終わる。もう少し周辺を読んでもいいかな。結構うんちく話が挿入されているので、そう言う興味の広がりが出る作家だな。明末から清への移行期の話だった。少数民族である清が広大な中国を支配するというのは確かに面白い話だ。当時の日本にも多くの中国人が帰化して来ていて鎖国ながら人との交流はあったんだな。大分血も混じるし民族って何なんだと考えさせられる。後書きがまた長い。しかもこの後書きを書いた時の中国の情勢と今はかなり違うように見える。特にウイグルあたり。司馬遼太郎は中国や大陸的なものに好意的だが、今の状況を目にしたらどう言う反応を示すのだろう。モンゴルや元についての本も読みたいと思った。
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満洲八旗という言葉は知っていたが小説で生き生きと描かれる騎馬民族・放牧生活の迫力、対称的な明の(長城と都市城壁の内部での)繁栄。「もし人生の敵が退屈であるならば、都の一日は草原の十年にまさる」、しかし明は滅び、儒教秩序を満州皇族が引き継いだ。天下を取る為には「民を食わせること」、そして当り前だが「己が生き延びること」それには我身の周囲は去勢された者で固めるに限る。宦官も科挙も引き継ぎ結局は滅びることになった。一方、江戸時代を通じゆるやかに貨幣経済を発展させた日本は対照的に人間を開発し近代化を準備していた。
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久しぶりに読み返してみました。
素朴な女真族が大明帝国との争いを繰り広げながら、太祖ヌルハチ、大宗ホンタイジの突然の死去で、このまま萎んでいくかと思いきや、李自成による明帝国の滅亡から、美女陳円円を李自成に奪われた恨みで、山海関を開けてしまった一瞬のタイミングを捉えて、次々と明晰な手をうっていく若き睿親王ドルゴンの智謀は実に爽快です。
それにしても、あの時、山海関が開かなかったら、「清」という大国は存在しなかったわけで、ということは、その大領土を相続した、今の中華人民共和国も無かったわけで、誠に歴史の偶然の不思議でありますな。 -
上巻で主役となっていた庄助が、この下巻では歴史の一点景の様に後方に退き、恰も歴史そのものが主人公の様相を呈する。
著者の巧まざる手練手管に、歴史は華々しく躍動し、読者はその渦の中に放り込まれ、時代の空気を共に呼吸するかのよう。
教科書などでは、元―明―清と中国史を教わるが、実際は明と清との間に「順」という王朝が「三日天下」のように存在したことを、この作品で知った。
さらに、順王朝の崩壊には、明の武将の帰趨がキーポイントとなり、その動機が女だったとは。
歴史の「おかしみ」に思いを新たにしたこともこの作品の効用?
それにしても、このころの中国民族(漢人、女真人など)の何と美しく、なごやかなものだったことか(著者特有の小説上の美化かもしれないが)。
そして、現代の中国・中国人に目を転じるに、その頑迷固陋さ、礼節の衰退に今昔の感が一層強まる。民族に成長・進歩という概念があるとすれば、どう表現しよう。
あるいは、これも毛沢東の功罪の一方、罪の一典型かもしれない。-
メッセージ、ありがとうございました。az-azmyさんのご紹介ありがとうございました。心強いです^^
読まれた『韃靼疾風録』は中国ものなの...メッセージ、ありがとうございました。az-azmyさんのご紹介ありがとうございました。心強いです^^
読まれた『韃靼疾風録』は中国ものなのですね。私にはちょっと苦手な分野ですがそのうち機会があれば挑戦してみたいです。
現在、韓国に住んでいて娘は学習の関係から「三国志」(ただし漫画版ですが^^;)を読んでいたり・・・将来は中国・韓国・日本の歴史ものは避けて通れそうもありませんね。2016/09/16
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平戸藩松浦家の軽輩・桂庄助は、領地内の島に漂着した女真人の娘・アビアを祖国まで送る命を受けます。
遥か韃靼の地で、庄助らは、歴史の大転換に巻き込まれていきます。
様々民族の文化や、気質の違いも興味深く描かれ、何といっても話のスケールが大きくて、わくわくします。
こういう話を書ける司馬さんって、凄い方なのだなぁと改めて思わせる作品です。 -
『平戸の人桂庄助の形影にしたがいつつ、韃靼国へゆき、ついには...』司馬遼太郎氏が、あとがきに書いています。作中人物への作者の乗り移り度は氏の作品中でも1,2ではないでしょうか。私も本当に旅させてもらいました。17世紀の平戸、遼東、モンゴル、蘇州、杭州、そして北京へと。大中国史の中で、明から清への大政転を確かにその場にいて体験してしまった感があるのです。政権が非漢民族に渡ることの意味についても、初めて納得の行く形で考えられました。
女真、満洲、満韃子、東韃。ツングース系のひとびと。アルタイ語。膠着語、辮髪。文化と文明。
庄助が手探りで学んで行く一言一言の解釈に、司馬氏のモンゴル語学科卒ゆえの、真骨頂があります。
実際に遼寧省瀋陽は数回仕事で訪ねています。訪問前に読んでおけば良かったと後悔する、中途半端な現地観察の記憶があります。 -
20240323
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女真が明の皇帝を破った李自成を呉三桂とともに破り、清の國を創るまでである。庄助は日本に明人として戻ってきて通詞として生活を立てる。主人公の庄助自体は上巻に比べてあまり活躍はしていない。
司馬ほど勉強していなかったのでこうした女真の清になるまでは良く知らなかった。