歴史の終わりを超えて (中公文庫 あ 51-1)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122034648

感想・レビュー・書評

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  • 2015.7記。

    「雑学としての思想、エンターテインメントとしての哲学」

    浅田彰氏は、(良い意味で)つまりはエンターテインメントとしての哲学を追求している。相応の読書体力があれば読めてしまい、目くるめく豆知識を速射砲のように繰り出し、難解な思想を文脈で何となく理解させる(理解した気分にさせる)ことに長けている。そして活躍の場は微妙にカジュアルな雑誌の「対談」。

    「・・・近代資本主義国家は、さまざまな分裂を内包せざるを得ないがゆえに、それを裏打ちする統一性の幻想を生み出す必要があり、そのために過去の断片を適当につなぎあわせて国民的統一性のイデオロギーを捏造するわけです」(P67)
    「自由民主主義と資本主義の勝利によってモダンな世界が普遍化するかに見えた瞬間、ポストモダンな『ネット』とプレモダンな『島々』への新たな分極化が生ずる。現代の世界のなかなかよくできたカリカチュアと言うべきでしょう」(P57)。

    ・・・まあこんな感じ。が、文脈の中ではすっと入ってくる。そして実学的にも「米国というスーパーパワー後の真空地帯に宗教の原理主義が生まれる」といった預言も適切になされている(本書は1990年代初頭に出版らしい)。

  • 80年代末〜90年代前半の対談録。議論の水準は非常に高いこともさることながら、対話される議題はほとんど現代に通じていて、色々と考えさせられた。

  • 「歴史」とは異なるイデオロギーを奉ずる者たちの闘争の歴史であり、それが終われば「歴史」も終わる。つまり冷戦の自由主義、資本主義の勝利によって歴史は終わったと述べたのがフランシス・フクヤマの「歴史の終わり?」と題された論文。この見解を通して当時、そして未来の世界情勢について浅田彰が世界の知識人11人と対談した本書。

    相変わらずとんでもない知識量を誇る浅田彰がインタビュアーとして素晴らしい働きをしていて相手の思考を引き出している。本書の場合立ち位置上それで良いんだけどもっと自分の事を主張する形があってもいいんじゃないかなーと浅田彰に関しては思うんだけど。

    リオタールとの対談でマイケル・ジャクソンを国家=民族を超えたものとしてとらえていたのは面白かった。「We Are The World」もそういうことだろう。
    そしてやっぱサイード好き。

    当時「経済的手段による非経済的目的の追求」を掲げポストモダンを具現化する社会として日本が注目
    されていたらしいが、ロトランジェとの対談の表題にもあるように「アメリカは退屈で死に、日本は虚無をぬくぬくと生きる」が現実となってしまった今後どうなっていくんでしょうね。
    大事なことはそれぞれが稚拙であれ破綻していようと知ることと考えることで、その努力が後々大きな差になって出てくるはず。

    「認識においては悲観主義者、意志においては楽観主義者であれ。」


    どうでもいいんだけど対談の日本語訳って誰がしたんだろう。良い訳だったと思うけど載ってなかった。

  • 偉大なるの知識人たちを相手に、完全に対等(あるいは押し気味)に対話を行なっていく浅田彰に知性に圧倒される。

  • \105

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著者プロフィール

浅田彰(あさだ・あきら)批評家、経済学者、京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。1957年兵庫県生まれ。著書に『構造と力』、『逃走論』、『ヘルメスの音楽』、『映画の世紀末』他、共著に『天使が通る』(島田雅彦氏)、『ゴダールの肖像』(松浦寿輝氏)、『憂国呆談』(田中康夫氏)他、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』他がある。

「2019年 『柄谷行人浅田彰全対話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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