日本の歴史13 - 江戸開府 (中公文庫)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122045743

感想・レビュー・書評

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  • 他の巻と比較して読みやすい。日本史上よく知られた出来事が相次いで起こった時期だったこともあるが、著者の文章の上手さにもよるのだろう。

    本巻は主に関ヶ原の戦いから徳川家光死去までである(三河一向一揆など、家康の青年期の出来事についても触れているがほんのわずかである)。

    本巻のタイトル通り、関ヶ原後の幕府設立から家光の時代までの間に、江戸幕府の支配体制が固まったことが本書から十分に理解できる。この約50年が文字通り「江戸開府」なのだろう。

  • 中央公論の歴史本第13巻。織田信長が本能寺の変に倒れ、天下統一を受けついだ豊臣秀吉も朝鮮出兵の後、秀頼を残して死んだ。秀吉恩顧の家臣だった石田三成は徳川家康と関ケ原で戦ったが、小早川秀秋らが寝返ったことが東軍勝利のきっかけを作り、徳川家康が天下を統一する。天下の覇者となった家康は信長や秀吉の失敗から学んだのか、長期支配体制の確立をめざす。そして唯一のしこりとなって残っていた豊臣氏をも方広寺の鐘銘問題で難癖をつけて大阪冬の陣、夏の陣で滅ぼす。1615年豊臣氏滅亡の年に諸大名統率の法令である武家諸法度を発令する。その後2代目秀忠に将軍を譲り、自らは大御所となって政務をとる。本書では3代目家光の治世までが書かれているが、次巻も江戸時代の鎖国についての内容になるようである。詳細→
    https://takeshi3017.chu.jp/file9/naiyou32601.html

  • 秀吉死後、国政を担う五奉行の一人だった家康は、関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍を破り、江戸開府へと繋げていく。そもそも東国経営を始めたのは、秀吉による国替えによるものだったが、経営手腕に長けていたものと思われる。このことが、江戸幕府の基礎となっている。家康は早期に将軍の地位を秀忠にゆずり、将軍が徳川氏により代々継がれるものであることを示した。大阪の役も、宗教統制も、貿易統制も、全ては徳川氏による支配を確立するための施策であったことがよく分かる。

  • 60年の忍耐、江戸の内大臣、関ヶ原の戦い、覇府の建設、大御所と将軍、強き御政務、大坂落城、貿易と禁教、黒衣の宰相、大名統制、消えゆく人々、公家諸法度、島原の乱、将軍家光とその周辺、徳川300年の基

    全26巻なので、あと13冊。

  • 「日本の歴史」シリーズの巻13「江戸開府」は1974年初版なので、少し古い学説に基づいて書かれていると思いますが、それでも登上人物が非常に生々しく描かれており、まるで小説を読むように面白かった。
    始まりは戦国時代の松平氏の系譜から、家光までの50年くらい。徳川3代がそれぞれどのように国を築いていったのか、基盤を固めていったのかよくわかりました。

  • 徳川氏の政権獲得過程を、史料批判を加えながら家康・秀忠・家光それぞれの逸話を数多く叙述していて、読みやすく面白い。今から40年以上前に出版された本書だが、今日でも近世初期の政治史を理解する上で十分読みがいがある。特に、幕府制度が確立したとされる家光期において、家光とその家臣達の関係に迫りながら、幕府の統治機構の整備について明らかにしている点は、単調な制度を具体的にイメージできる上で大いに参考となる。

  • 長い忍耐と苦難ののち、関ケ原の一戦に勝って天下の覇者となった家康は、長期支配体制の確立をめざす。朝廷や豊臣氏への強圧、大名統制、致富策、多彩な人材登用をおこなう一方で、譜代の忠臣や実子さえも改易するなど、個人から組織への施策が着々と進められてゆく。

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著者プロフィール

専修大学文学部教授

「1993年 『今村力三郎「法廷五十年」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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