二百年の子供 (中公文庫 お 63-2)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 13
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122047709

作品紹介・あらすじ

タイムマシンにのりこんだ三人の子供たちが、この国の過去と未来で出会う、悲しみと勇気、時をこえた友情。ノーベル賞作家がながい間、それもかつてなく楽しみに準備しての、ファンタジー・ノベル。新たに文庫の読者のためのあとがきを付す。

感想・レビュー・書評

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  • 必要があって読んだ。
    大江健三郎ゆいいつのファンタジー・ノベルだそう。この『二百年の子供』というのはやはり、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』にかけているのだろうか。

    大江作品の例によって、彼の家族がモデルのようだ。長男で障害をもった音楽家の真木、そして長女あかり、次男の朔。この3人(+犬の「ベーコン」)が主人公だ。

    作家である"父”は「ピンチ」の状態にあり、治療もかねて妻とともにアメリカの大学にいる。
    時期的には、『静かな生活』と同時期だろうおそらく。

    3人は夏休み、父の故郷である四国で暮らすことになる。その森にあるシイの木のウロがタイムマシンとして機能するという設定だ。
    そのなかに横たわり、3人は過去や未来を行き来する。
    大江作品によく登場する、一揆のリーダーであるメイスケさんにも会いにいく。

    とはいえ、何か明確な目的を設定し、それを解決するという物語では、もちろんない。なのにこの面白さは何なのだろう。

    本書のなかで明るく輝いているのは、真木による、啓示のような言葉だ。それをひとつひとつ拾い上げていくのが本書を読む大きな醍醐味。

    そもそも、自分がよく知っている、自身の人生を、家族を、小説にしてしまうというふてぶてしさ。これには恐れ入る。もちろん、方法的に、かなり意識的にフィクションという現実を創造しようとしている。
    私は勝手に大江作品を「超私小説」と呼んでいる。

    今回はファンタジーという手法で、家族を素材にどのような小説という現実を作り出そうとしたのか、その試みに対する興味は尽きない(下世話な関心も含めて)。

    大江健三郎はタイムマシンをどのように扱っているのか。そこに注目して読んだ。
    まずこの時間旅行は、3人が同じ対象を「想像」し、夢見ることによって実現する。その触媒として祖母の描いた絵が使われる。

    タイムマシンで過去に行ったところで、そうした事実込みでの過去であるため、未来は変わることがない。安易に、未来を変えられるというセカイ系みたいなものには傾かない。

    が、未来を変えることはできないが、それでも良きものに変えようとする意志。そこにこそ人間にとって何か大切な宝があるというメッセージが底流しているように感じた。

    挿絵は舟越桂という豪華さ。人物たちはみな、現在をか、過去をか、未来をか、どの時を見据えているのかわからない眼差しをもつ。

  • 日本の学校教育の中で、自分の思いを言葉にして伝えること、やりたいことやなりたいものに向かって行動することを学ぶ機会はあるでしょうか?
    この物語を読んで、登場する子どもたちの姿に触れることが、おおいに学びになると思います。小学校高学年から中学生のみなさんに、ぜひ、夏休みに読んでほしいです。

  • 冒険を始める前と終わった後で
    ムー小父さんの秘密
    タイムマシンの約束
    「三人組」が同じシーンを思いだす
    おばちゃんの絵に案内される
    タイムマシンの別の約束
    メイスケさんの働き
    ウグイの石笛
    戦争から遠く離れた森の奥で
    人生の計画
    百三年前のアメリカへ行く
    メイスケさんからの呼びかけ
    中間報告
    未来に少し永く滞在する
    永遠のように暗い森
    タイムマシンの最後の約束

    著者:大江健三郎(1935-、愛媛県内子町、小説家)

  • 唯一のファンタジーということで、子供向け?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、いやいや、この頃の大江作品のトーンを深く引きずったような深さがあります。暗く沈みそうになるのを必死で堪えるような。。。
    そのような「もがき」みたいなものこそが、希望の兆しであることを感じさせてくれる話です。
    息子が、小学生高学年ぐらいになったら読ませてあげたいと思いました。

  • 大江さんが3人の子供に向けて書いたファンタジー。大江さんがどのように自身の子をみているか、何を伝えたかったのか、がよくかかれていると思う。新しい人よめざめよ、など光を中心にした作品は多数あるが、今作ではあかり、さくおうも同様に愛しているということが伝わってくる。特に最終章のさくおうとの対話は、自身が本当は伝えたかったこと(現実には伝えられなかったかも知れないこと)が率直に書かれており、胸をうたれた。愛溢れる心温まる作品。

  • 中学校の頃家にあって(多分ノーベル賞受賞せいで)読んだ時に、なんともつまらなくて困惑したのだけど、駅のホームでヒカリさん(この本では名前違ったけど忘れちゃった)をお父さんがタックルする部分だけなぜか如実に覚えていた。今ならば知っている人たちに劇をやらせた、的に楽しめたけど、子供に勧めるか、あるいは誰か友人に勧めるうるか?というと、やっぱりNO。

  • ファンタジー・ノベルと銘打っているが、大江氏の作品だ。そんな生易しいものではない。とても難解であった。
    タイムマシンが登場する物語は無数にあり、時間旅行者は旅行先の人々とのコミュニケーションに苦しむ。本作もコミュニケーションの難しさが描かれているという店では他の作品と同様なのだが、他の多くの作品では、科学をベースにした文明の違いが難しさの原因ではあるのだが、やがてそれらを超えた、時代が異なっても共鳴できる「価値観」を見出し心を通わせる、という内容であることが多い。それに対して、本作は、「価値観」違いそのものがコミュニケーションの難しさの原因と描かれているのだ。このあたりの表現はとてもリアルで、荒唐無稽な話にもかかわらず、深く心に響いてくる。

  • すっごいのんびりしたファンタジー。
    いや、のんびりではないのかもしれないですけど、これまでの大江健三郎と比較すればすっごいのほほん。

    しかし父親の影が薄い割にその存在に重きを置かれているし、子供たちは3人で補い合って勝手に成長してるし、なんだか良い父親になれなかった作者自身の、長い言い訳めいた感じを受けました。

    11.01.19

  • もう一度読み返したい本です。

  • 最も印象に残っているのはベーコンという名の犬。夏休みをゆるりと過ごしているような気分になれる本。

  • 大江健三郎ではこれが一番すき

  • 著者の唯一のファンタジーということで読んでみた。大江健三郎は高校生のころ「飼育」、「芽むしり子打ち」、「死者の奢り」とどれも何かとても新鮮な感動で読んだ覚えがある。そこで全部読破だと意気込み新潮文庫の上から順に読み出したのだが、作家の知的レベルに到底太刀打ちできずだんだんと読むことが苦痛になり、ついには活字を見ても何だがさっぱり理解不能で断念した。 確かに読むことができた。何が書いてあるか文章としてはわかった。ファンタジーとして作家がレベルを落としてくれたのかもしれない。だが、残念なことに何も感じなかった。 たぶん「新しい人」ということがテーマで、過去の事件があってそれを踏まえて現在をどう生きるかで未来をつくることができる。そんなことが言いたいのかなと、稚拙な読解力で思う。誰もが「新しい人」になる可能性を持っている。過去の人も新しい時代を作ろうとした「新しい人」だったのだと。 でもやはりなんだか違う。なんだろう。 唯一「空の怪物アグイー」はこんなに愛情を持って育てられたのだなと思った。05・5・4

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著者プロフィール

大江健三郎(おおえけんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。さらに在学中の58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、64年『個人的な体験』で新潮文学賞、67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、84年「河馬に噛まれる」で川端賞、90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。

「2019年 『大江健三郎全小説 第13巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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