- Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122052284
感想・レビュー・書評
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名だたる著者の、猫にまつわる短編集。
その時代の日常も感じられ、描写の巧さに当時の生活も感じとれます。
また、雌猫のお産に触れた作品もあり、生き物を飼うにはしっかり知識も必要だと、責任を伴うと改めて思いました。
当時の原文の記載になっており、言葉を読む愉しさもあります。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1955年出版の『猫』を底本として、クラフト・エヴィング商會の創作とデザインを加え再編集したもの。
底本の筆者たちははいずれも、明治・大正の生まれ。
描かれる風景も、縁側のある木造の民家をほうふつとさせる。
それぞれの時代の、動物とのふれあいや関心が描かれている。
有馬頼義 『お軽はらきり』
自分で手術した猫。
猪熊弦一郎『みつちやん』
猫を連れて疎開し、農村で問題を起こす。
猫の世界にも戦争があった。
井伏鱒二『庭前』
蝮と猫の攻防。
大佛次郎
『「隅の隠居」の話』
不細工で孤高のおじいさん猫の話。
『猫騒動』
どう見ても「うちの猫が外で作った」猫が乱入して大喧嘩!
そっくりで見分けがつかな~い!
尾高京子『仔猫の太平洋横断』
米国滞在から帰国する船待ちの日々、立ち寄ったレコード屋さんの子猫たちに一目ぼれして…
坂西志保『猫に仕えるの記』『猫族の紳士淑女』
正直なところ、猫に「飼われて」いる。
彼女のところに通うにも飼い主に同行させる箱入り君と、ろくに子育てもせず、楽しいことだけして優雅に暮らし、気がつくと、いつの間にか孕んでいる貴婦人猫。
瀧井孝作『小猫』
よその子猫をたまに可愛がるくらいがいいかな…
谷崎潤一郎
『ねこ』
犬はジャレつく以外に愛の表現を知らないが、猫は技巧的。
『猫――マイペット』
美しいだけの猫はすぐ飽きる。利口なのがよい。
『客ぎらひ』
呼ばれて返事をするのが億劫な時、猫は聞こえたという合図に尻尾だけ振ってみせる。
自分も、客の長話に飽き飽きしてきたとき、返事をせずに尻尾だけ振っているつもりになる。
壷井栄
『木かげ』
優雅な猫をもらって育てたが、近所の身元正しい雄猫たちの求愛を撥ね退けて、庭先に来る汚いどら猫とねんごろに。
『猫と母性愛』
一番の出来そこないの末っ子を溺愛した母猫と、いつまでも乳離れできないその子猫。
寺田寅彦『猫』『子猫』
貰われてきた三毛のメスは、家の姉妹に愛玩されすぎて、ストレスでやせてしまう。
あとから貰われてきた猫は、行儀悪く野性的だが、なんとか仕付けた。
月夜に、二匹並んで庭を眺める後ろ姿を見ると、不思議な気持ちになる。
柳田國男『どら猫観察記』『猫の島』
民族学者らしい、猫にまつわる言い伝えなどの蒐集と考察。
牛馬犬などの家畜と明らかに違い、猫は人に飼われていない。
人がいなくても生きていける。
人は人で、そんな猫に、信頼できぬ部分や油断ならぬものを感じて、「化ける」「復讐する」といった言い伝えを残すのだろう。
クラフト・エヴィング商會『わすれもの、さがしもの』 -
著者たちと猫の距離感が心地いい。どの時代にも猫に飼われる人間はいるのだなぁ。
個人的に坂西志保と寺田寅彦がお気に入り。 -
タイトルからして猫好きな人が手に取る本、なのに求めるような内容では決して無いと感じました。飄々とした猫さながらの話もあるんだけど、ちょっとツライ話もあって、なんかそれをここに入れなくてもいいのにって思った。アイコンとしての猫好きならあれなんだけど、猫と共に生きてる人にはわかりすぎてツライ。時代がちがうから猫との距離感が違うんだろうけど、そにかくそう感じました。
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犬か猫かと訊かれたら猫派の私。作家の猫愛はとっても伝わってくるのだが、現代の猫好きさんには辛くなるような猫描写もあり。よくぞ集めに集めたり、ってかんじ。
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13人からなる「猫」に関するエッセイ(や、物語)。猫好きにはたまりませんが、昔と今では猫に関する考え方や接し方もまた、社会的ありようも変わったなと考えさせられたりもします。
●私は猫に対して感ずるような純粋な温かい感情を人間に対して懐く事の出来ないのを残念に思ふ。さういう事が可能になる為には私は人間より一段高い存在になる必要があるかも知れない。それはとても出来さうもないし、仮りにそれが出来たとした時に私は恐らく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私は矢張子猫でも可愛がって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れ憚り或は憎むより外はないかも知れない。(「子猫」寺田寅彦より) -
猫文学史(あるのか)に残る名アンソロジー!
ほろりとしたり笑ったり、しかし背景にあるのは猫と人間と戦争の話でもある。
なにげなく猫が隣にいる生活のなんと泰平なことよ。
「月が冴えて風の静かな此頃の秋の夜に、三毛と玉とは縁側の踏台になつて居る木の切株の上に並んで背中を丸くして行儀よく坐って居る。そしてひっそりと静まりかへつて月光の庭を眺めて居る。それをじつと見て居ると何となしに幽寂といったやうな感じが胸にしみる。そしてふだんの猫とちがって、人間の心で測り知られぬ別の世界から来て居るもののやうな気のする事がある。此のやうな心持は恐らく他の家畜に対しては起こらないのかも知れない」
寺田寅彦
「猫」 -
昭和29年に中央公論社から発行された「猫」というアンソロジーをクラフト・エヴィング商會がアレンジして復刊されたもの。今でも知られる有名な文豪たちの作品も混ざっていてなかなか豪華な随筆集。
かわいい本。元の本はどんな感じだったのだろうとネット検索したら、元の本の装丁もすてきだった。 -
最後の詩はかわいい。
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作家と猫の相性というものがひたすらに良い。
それぞれがただ眺める・触れるだけで、こっちまで安らぎを得られる気分。読みにくい部分もあるけれども、およそ1世紀前を生きる作家でも共感をもって読み進められて楽しい気持ちになる。
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「船の狭いベッドで寝ていると、毎朝のように仔猫に起される。バリバリと爪を立てて、カーテンの上によじ登り、ベッドの上に上ってくる」(p.68)
「現在私の家には人間が二人、猫が三疋いる。猫が主で、人間は従であるから、家の問題はもちろん三対二の多数決で運営されている」(p.81)
「妻が抱き上げて顎の下や耳の周りを掻いてやると、胸のあたりで物の沸騰するやうな音を立てた。猫が咽喉を鳴らすとか、ゴロゴロいふとかいふ事は書物や人の話ではいくらでも知つて居たが、実験するのは四十幾歳の今が始めてである。これが喜びを表はす兆候であるといふ事は始めての私にはすぐにはどうも腑に落ちなかつた」(p.132)
「私は夜更けて独り仕事でもやつて居る時に、長い縁側を歩いて来る軽い足音を聞く。そして椅子の下へはひつて来てそつと私の足を撫でたりすると、思はず「どうした」とか「何だい」とか云ふ言葉が口から出る。それは決して独り語ではなくて、立派にわてしの云ふ事を理解し得る二人称の相手にさういふ心持で云ふのである。相手は何とも答へないで抱き上げてやればすぐにあの音を立てはじめるのである」(p.140)