「親の顔が見てみたい!」調査: 家族を変えた昭和の生活史 (中公文庫 い 106-2)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (343ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122053540

作品紹介・あらすじ

お菓子が朝食、昼食はコンビニ弁当…衝撃の献立・食卓の崩壊は歴史的必然だった!一九六〇年以降に生まれた主婦を育てた母親たちの生き方・しつけ・時代状況等を徹底調査。

感想・レビュー・書評

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  • 本書のターゲットは「母親」である。特に「新人類」と言われた世代(いわゆるバブル世代ですね)の母親たち、彼女たちがどのような社会的状況に揉まれて生きてきたか、そしてその結果がどのように現在の社会に反映されているか、ということをアンケートやインタヴューをもとに検証されているわけです。

    インタヴューから引用されるひとつひとつのコメントを読んでいくと「ウッソォ、アホちゃうん」と思わされることばかりなのだけれど、それらを枝葉として追っていった幹の根本には思わず納得せざるを得ない結果がボーダイにまとわりついているのにうわああああああ、だったのでした。

    オカンらはまず、幼少時から価値観の変遷とともに暮らしてきたのですね。小学校になるやならず「教科書の墨塗り」ということをやらされ、社会的価値観を根本から覆される。十代になると「男女平等」が一般化したした社会の中で、女も働いて自分の収入を得、自分のためにそれを消費して遊ぶことさえできる青春を謳歌して、見合いではなく「自分の選んだ人」と結婚して「家付きカー付きババア抜き」という家父長制から独立した核家族の中で「専業主婦」という一般市民としては前代未聞に優雅なご身分をゲットしたわけです。

    そしてそのささやかなお家の中では戦後日本の牽引車のひとつであった栄光の白モノ家電に取り巻かれ、従来の家事労働は歴史の彼方に追いやられてしまいました。余った時間は子どものため、あるいは自分の社会的存在維持のために使われるようになりました。

    でも、いいことばかりだったのでしょうか?

    まず圧倒的な「モノ」の威力の下、家電でも何でも「新しいもの=是」という価値観が生じました。何でも新しいモノが出たら買う。買わないと「遅れてしまう」。これはもの凄くネガティヴな価値観となったのです。何を、どの程度持つべきか、そういうことを考える間もなくあらゆるモノはモデルチェンジを重ね、シーズンごとに新しいモノが出る。何とかそれに追いつかないと「人並み」ではなくなるのです。

    でも、「人並み」の「人」って誰?

    何かに急かされるように、彼女たちはモノを買い換え、子どもに習い事をさせ、自分はカルチャーセンターで「社会勉強」をし、余った時間は子どもを構う。受験についてくる「過保護ママ」の走りは彼女たちでありました。

    結果としてどうなったか。
    オカンたちは自らの価値観を育てるゆとりを持てなかった。だから自分の意見というものに自信がない。故に子どもに伝えるモノが無いのです。子どもの好き嫌いは「意志の尊重」として見過ごし、経験者の知識よりハウツー本の「情報」がより勝る。社会的義務にも「敵/不適」で対応し、モノゴトの得手不得手は「遺伝」で決まる。彼女たちはこういうポリシーの下で子どもを育ててきたわけです。

  • 同著者の別本も同時に読んだからちょっと内容が混濁してるとこがあるかもしれないけど、どちらにせよ現在の家庭の食卓の変化を調査した本。研究資料としてもすごく価値が高いが普通に読むだけでもおもしろい。他人の家庭の日常的な食卓を覗く機会なんて考えてみればほとんどないから驚きの連続だった。
    今の家庭の食卓がここまでひどいのか…と驚くと同時に各時代の社会に食卓がすごく影響を受けるということがよくわかった。アンケートに書かれていた主婦たちの言い分も様々、その親世代の経験や考えていること、子供に求めている事も様々。
    当たり前で何の疑問も持たなかった家庭の食卓がいかに複雑なルートを経て現在に至っているか、改めて目を向けてみる価値はあると思う。

  • 伝統的な食文化ってなんだろうか。
    確たる根拠も無く、漠然とイメージとして抱いていた「一昔前の健康的な和食」「伝統の食文化」という概念が覆された。
    価値観やライフスタイルが根底から180°転換するような体験を何度も経験してきた親世代が育てた娘たちは、
    親から何も受け継がぬまま「習慣能力」を身に着けずに大人になり、「情報処理能力」のみに頼った生活をしている結果が、現在の食習慣を招いているのだという。
    非常に身につまされる一冊だった。

  • 498.5
    図書室だより

  • 原題は『〈現代家族〉の誕生―幻想系家族論の死』という挑戦的なものだった。簡単に言えば、最近の親は…という批判は文脈として当たらないというもの。団塊世代が今の若者を批判する資格などなく、むしろ、彼らこそが、カレーライスや電化製品を嬉々として持ち込み、いわゆる伝統習慣を破壊してきたということが、実際の聞き取りによって明らかにされている。小題の付け方も判りいい。目次をざっと眺めれば、現代家族の変遷と問題点がすぐにわかり、うすら寒い気もする。これまで読んだどの家族論よりもさっぱりしているが、明快に事実を語っている。

  • 岩村さんの本を読むのは2回目です。以前に「普通の家族が一番怖い」という現代の家族の食卓や生活習慣に焦点を当てた調査結果をまとめたものを読んだことがあります。この本はこれらの家族の変容の実態を現代の主婦の親の年代まで遡って独自に調査し、歴史的な資料を使ってその原因を明らかにした内容になっています。その内容は世間一般の思い込みで作られた現代のおばあちゃん世代のイメージとは相反するものになっています。 私の年代はこの調査対象の1960年以降生まれの主婦からやや上の年代になっているのですが、私の母親の年代はまさにこの調査の対象となった年代に当たります。読んでいて確かに母親の言動には思い当たることが多くありました。子供時代にひもじい思いをして家庭の味を知らずに育ち、戦後の高度成長の時代に家庭を築いた彼女らは、時代の流れによってこれまでの生活様式を捨てた、新しい専業主婦たちだったのです。 そしてそれだけでなく、彼女らは自分たちの世代から娘たちへの文化の継承をも伝えることもしない、教えようとしない世代だったのです。 無理に手伝わせない、いやなことはさせない、親が代わりにやってあげる 。そんな母親に育てられた娘世代の母親が作る食事とは・・ 一部写真が載っていますが、朝食がカップ麺とプチトマト。またはふりかけごはんと野菜ジュースだけ!なんて組み合わせでももう珍しくないのかもしれません。

  • 現代の食卓が崩れているといわれているが、実は今になって突然崩れたわけではない。それは以前からそう思っていた。「昔はよかった」というけれども、戦後のある一時期に子供時代を送った人たちはそもそも伝統的な食生活を送ることなく育ってきているし、また戦後どっと入っていた欧米文化を積極的に取り入れた世代だったのだ。自分の母親がまさにその年代の人間で、本書に書かれているような事例はうちでもよく見かけた光景ばかりだ。そして振り返ってみれば、私が用意している食卓は、いわゆる「崩れた」ものであるわけだ。私だって本を見ればたいていの料理は作れるけれども、それを日常生活で継続する習慣はないのだ。
    「崩れている」と表現すればマイナスの方向だけれども、必然的な変化としてとらえるしかないのではなかろうか。
    食卓だけが時代を遡ることは無理だと思う。生活のすべて、社会のすべてが変化している中では、食事も捉え方考え方を変えていく方が現実的なのではないかと思う。
    「食卓の崩壊は、今のおばあちゃんたちの世代から始まっていた」まさにそのとおりである。

  • 自分(30代半ば)の母親世代が、今私たちが「昔から」存在している思い込んでいる食文化の大半を創生してきていた、という事実は驚きであった。そしてまた、その母親世代がサラリーマン、専業主婦 など社会の変化に合わせて食文化も変化させてきたという話は、非常に興味深いものがあった。

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著者プロフィール

1953年北海道生まれ。法政大学卒。大手広告会社勤務等を経て、現在大正大学客員教授、日本能率協会総合研究所客員研究員。1960年以降生まれの人びとを対象とした20年に及ぶ継続的な調査研究に基づき、現代の家庭や社会に起きるさまざまな現象を読み解くことをテーマにしている。著書に『変わる家族 変わる食卓』『「親の顔が見てみたい!」調査』『普通の家族がいちばん怖い』『家族の勝手でしょ!』『日本人には二種類いる』など。第2回辻静雄食文化賞受賞。

「2017年 『残念和食にもワケがある』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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