物語「京都学派」 - 知識人たちの友情と葛藤 (中公文庫 た 84-1)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (398ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122056732

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  • 西田幾多郎を中心として戦前の京都帝大に集った知識人・学徒たちのドラマを描く。京都帝大の成り立ち、西田が京大に招かれるまでの経緯、西田とその周りに集う個性豊かな哲学徒たちの活躍、戦争とのかかわり、戦後の田辺元と野上弥生子の関係などに論及し、最後に京都学派を成立させた要因が考察される。

    いくつか確認しておこう。まず、本書は西田を中心とした哲学系の動向を論述の中心としている。京大東洋学に言及する箇所は一応あるが主題ではなく、その他の領域も対象としていない。戦後のいわゆる「新京都学派」についても同様である。次に、本書タイトルに「物語」とあるが、小説の類ではなく、事実にもとづいて構成される。とはいっても、登場人物たちの研究内容に踏み込んだ記述がなされるわけではなく、あくまでも彼らの人間関係・ドラマを扱うものなので、読み通すのに特別な知識は必要としないだろう。

    様々なエピソードで彩られた本書は、漫然と読んでいるだけでも十分面白い。ただ、本書は現代に対して重要な問いを発してもいる。それは、人文的な知を成立させる「場」とは何か、という問いである。著者・竹田は本書のエピローグ「『ネットワーク』としての『京都学派』」で、「京都学派」の成立・持続の動因として、1.西田ら中心メンバーの世代的特殊性、2.西田・朝永三十郎による「人事の妙」、に加え、3.当時の京都の空間的狭さおよび大学における学生数の僅少、そしてそこから生まれる濃密な人間関係、を挙げる。今日の人文知の困難を考える時、重要なのは3点目、一言に集約するなら「場」の問題であろう。今日、大学は大衆化して久しい。教授や講師は遠隔地から「通勤」するのが当たり前。濃密な人間関係は望むべくもないし、そもそも新自由主義の波にあらわれて、文学部の存立自体が危うい時代である。大学における人文知の存続・発展は困難に直面している。では、我々はどの「場」にそれを求めればいいのだろうか……。

    それにしても、91~92頁に引用される唐木順三の文章、「読者諸君、こころみにこういう情景を頭に浮べてみたまえ。」と始まる、西田が定年退官間近だった時期の京大哲学科の風景の活写は圧巻である。講義に臨むべく西田が錚々たる助教授陣を引き連れ教室に入っていく。それに合わせ京都の各大学で活躍する新進気鋭の学者たち、いずれ名を馳せるであろう学生たちが教室に詰めかける。逐一名前が挙げられていくその面々の豪華さと言ったら。

    すでに遠い過去の話である。だが、かつてこの国でこのような光景が繰り広げられていたことを、我々は記憶しておくべきだろう。

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