NHKこころの時代~宗教・人生~ 歎異抄にであう 無宗教からの扉 (NHKシリーズ)

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  • Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784149110547

作品紹介・あらすじ

「私」が救われる「道」を知る

「念仏」「悪人正機」「他力」。法然、親鸞、唯円と語り継がれた『歎異抄』の教えは、なぜ人々の「拠りどころ」であり続けるのか。なぜ私たちは「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるのか。その本質を宗教になじみのない人でも納得できるよう、可能な限り専門用語を排して「最短の道のり」で解説。巻末に『歎異抄』全文を特別掲載。

感想・レビュー・書評

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  • とても良い本だと思いました。浄土宗と浄土真宗について平易簡明に記述されているものの、内容は難しく、私の理解は不十分です。▼最後の高木顕明氏の記述が、我々凡夫の仏教に対する疑問に一部答えている気がします。高木氏は「念仏」を行い、仏の「慈悲」を実践し、そのために最後は死に至りました。▼一方で筆者自身は、『凡夫であり一貫した慈悲の実践など思いも及びませんが、念仏のお陰でかすかであっても慈悲の実践が可能となるのです』、と記しています。▼なるほどと思うとともに、現代において仏教の限界も感じました。

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     「凡夫とは、自我のために欲望を動員し他者のことがあまり見えず、どこまでも自己の優越を主張することに終始する存在です。」自分は凡夫ではないと思っていた私に、この言葉はグサリと刺さりました。
     悪人正機の考えについて、悪人とは単なる善悪ではなく自力で仏となる手立てを持たない人、つまり自己中心を免れない自分自身であると気付かされました。自己実現には自己主張、自己正当化が伴い、自分が悪いという考えを持てないと述べられていました。ここにとても納得し、自己中心的に生き、自己拡大の欲求他者と摩擦して生きる自己を自覚するするとともに、なんとかしなければと思いました。
     しかし、自分では説明しきれないほどの過去からの行為の積み重ねや膨大な因果関係が複雑に絡み合った結果、今の自分が構成されているため、なぜ今の自分がこの状態なのか説明できません。意識すらしません。智慧の獲得とは、その因果関係を全て把握・理解することを目指しますが、それも人間には不可能です。人間は自我を持っているので、こういった因縁果を自分の都合よく解釈します。うまくいっている時は自分の力、うまくいかないと環境や人のせい。まさに自分のことを指摘されているようでした。そういった自己中心的なものの見方を離れ、自分は宿業的存在であると受け入れることで、物事への執着が薄れ、他人にも寛容になれると気づけました。私の罪ではなく、私が罪(自己中心性を免れない存在である)ことを自覚し続けることが必要だと思いました。
     他力について、難しい考え方でまだ十分に理解できていないと思います。五濁に代表されるこの世の不条理を乗り越えるには、自力では限界があります。日常生活で些細な不条理に直面した際でも、心は乱れ、不安や怒りに支配されます。大切な人の死や大規模な災害ならなおさら心は大きく乱れます。自分ではどうにもならない不条理に対して心のゆとりや精神の自由を獲得するために、念仏や阿弥陀仏の救いを拠り所とするのが他力の考え方だと思いました。他力とは生きていく上で抱える自分ではどうしようもない罪の意識や強迫観念、自責の気持ち、悩みから解放され、精神の自由を獲得する考え方なのかなと思いました。二河白道の話にある、阿弥陀仏は川に落ちないようにするのではなく何度川に落ちても救ってくださるという話にある通り、ありありのままの自分で救われるという安心感や温かみを感じられました。

  • 遠藤周作や三木清など多くの作家や哲学者に愛されてきた「歎異抄」。
    多くの日本人が自らを“無宗教”だとする現代、そのメッセージをシリーズ6回にわたって読み解く。

    無宗教からの扉 (1)「“無宗教”から開く“大きな物語”」
    親鸞門弟だった唯円が著者とされる『歎異抄』は、全ての人を差別なく救おうとした専修念仏の思想を親鸞言行録としてつづった書。自己中心的な人間の本質を見つめ「宗教とは何か」を考える上で重要な道標となる。阿満さんは、日本人の多くが抱く“宗教”への誤解や“無宗教”性は、明治以来の天皇を中心とした“国家神道”が一因だとし、「歎異抄」が紡ぐ「大いなる物語」が、不条理な人生を乗り越えるための新たな扉になると語る。
    https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/MPZ247N121/
    無宗教からの扉 (2)「念仏とはなにか」
    シリーズ第2回は、「歎異抄」の核心ともいえる阿弥陀仏の「本願念仏」とは何かを探る。阿弥陀仏という仏が生まれた背景には戦争や疫病が頻発する「五濁悪世」の世相があった。それが、どのような動機と論理で、この世で苦しむすべての人の救済という悲願を背骨に持つ「専修念仏」の思想へと発展していったのか。法然の『選択本願念仏集』や親鸞の『教行信証』という原典も参照しながら、単なる「呪文」ではない念仏の深みを描く。
    https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/1GG5VPQZMR/
    https://www.nhk-book.co.jp/detail/000069110542022.html

    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480062376/

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著者プロフィール

阿満利麿(あま・としまろ):1939年生まれ。明治学院大学名誉教授、同人誌「連続無窮」主宰。著書に『法然の衝撃』『親鸞・普遍への道』『歎異抄』『親鸞からの手紙』『柳宗悦』『『歎異抄』講義』(以上、ちくま学芸文庫)、『無宗教からの『歎異抄』読解』『人はなぜ宗教を必要とするのか』(以上、ちくま新書)、『日本精神史』『『往生要集』入門』『『教行信証』入門』(筑摩書房)、『選択本願念仏集』(角川ソフィア文庫)などがある。

「2023年 『唯信鈔文意』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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