黒猫と歩む白日のラビリンス (ハヤカワ文庫JA)

著者 :
  • 早川書房
4.01
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本棚登録 : 357
感想 : 32
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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150314491

作品紹介・あらすじ

大学図書館に"降る"本は天才詩人の呪いか――現実と現代芸術が交差する五つの謎に、新たな日々を歩み始めた黒猫と付き人が迫る

感想・レビュー・書評

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  • 短編集
    相変わらず楽しませてくれる作品
    灰島教授が出てくる作品も含まれているとは…
    黒猫シリーズを読むと読書をする際に背筋が伸びる気がします(笑)

  • 過去の叶わなかった恋が今にもつながっている。
    そのどこかで繋がりあっている約束が今も根底に流れているような気配がある。
    その中で付き合いだした黒猫と付き人が言葉も交わさない約束をしていることは輝いて見える。

  • 本の雨の夢からの自殺未遂、服を「皮膚」と表現した叙述トリック的な黒猫の姉の話、あいちトリエンナーレ、覆面アーティスト探し、偽物だっていいじゃない、の短編集。関連するポー作品は鋸山奇譚、黒猫、群衆の人、悪魔に首を賭けるな、実業家。

  • 現代芸術をテーマに話が進む。
    芸術と言っても、絵画だけでなく、詩や服飾、パフォーマンス…。アートと芸術の違い。
    深く考えたことなかった分野だったからそういう考え方があるんだと新鮮な気持ちで読んでた。贋作とオリジナルなんてわたしには見比べることはできない。きっと贋作でもら感動しそう。何が真実なのかなんてわからない。

  • 冷花のはなしが特に好き。
    黒猫の「弟」の顔が見られるのも良き。

    「結局人生は行動が全て」と黒猫は言う。
    「言葉は揮発性」とも言う。
    はんぶんは賛成。
    黒猫にとって言葉は、大切なことを伝える手段ではないのかな…と思ったり。


  • なかなか深い内容で、特に贋と偽は、考えさせられたし、好きな一編に。

    『たとえ黒猫の脳内が苺パフェでいっぱいでも、苺大福でいっぱいでも、内容がまるごとかわっていても、そして自分のほうさえも変わってしまって、黒猫のことを空気みたいに意識しなくなっても、やはり一緒にいるのではないか。そんな気がした。』

    これに続く、この言葉たちが刺さった。

    「それはーーーたぶん、もう切り離せないものだからなのかもしれない。惰性でもなく、ましてや情でもなく、日々変わっていく自分の、自分自身が何者であるかということの証明だから』

    切り離せないもの。なんか、自分とダーリンのことを言葉にするとこんな感じ、という言葉に初めて出会って、軽い衝撃だった。何度も読み返した。

    贋作と偽物の解釈も興味深かった。

    これもまた、興味深い黒猫の考え方だった。

    『法律は人間を律するためにあるもので、芸術を律するためにあるものじゃない。芸術は人間の世界から完全に切り離されていなくてはならない。テクストの自律性ってやつだね。よく作品には罪はないって言うけど、あの言い方自体がすでに罪深いんだ。あたかも作品に罪が被せられようとしているような錯覚を与えて、そこから作品を守るヒロイズムを感じさせる。でもそんなのまやかしさ。作品に罪なんて初めからあるわけがない。罪は人間に固有の概念で、作品には適用しようがないんだから。』

    薬物使用にによって生まれた産物だったとしても、作品の価値が変わったりはしない。
    なんとも深い考え方だわー。

  • 『娯楽』★★★☆☆ 6
    【詩情】★★★★★ 15
    【整合】★★★☆☆ 9
    『意外』★★★★☆ 8
    「人物」★★★★★ 5
    「可読」★★★★☆ 4
    「作家」★★★★★ 5
    【尖鋭】★★★★☆ 12
    『奥行』★★★★★ 10
    『印象』★★★★☆ 8

    《総合》82 A-

  •  現代アートをめぐる謎について、黒猫と付き人が迫る。1つの話で、付き人がシャーロックホームズ・灰島がワトソンとして書かれていた。ワトソンである灰島が、気づかずにヒントを出しすぎていて、シャーロックホームズである付き人に指摘されるところが面白かった。アートに含まれる意味が、大衆に伝わるものもあれば、本人にしか分からないものも多く含まれている事を知っておく必要がある。

  • 現代アートとは何なのか。前作での私の感想に一部答えてくれるような本作だった。

    ▼シュラカを探せ
    でも、落書きとアートもしくは芸術との違いは結局分からないまま。日本でも最近、NFTアートと称して小学生の落書きに100万円以上の値がついたそう。個人的には、そういうのは芸術じゃないように感じるけど、じゃあその境界線はなんなんだろう。長い経験や修行の果てのアウトプットかどうかか?新しい視点を齎すものなのかどうかか?人の心をどのくらい深く揺さぶるかなのか?思想や信念の有無?シュラカは「中心などない」という、その意味も結局きちんとは理解出来なかった。気が向いたら参考文献に目を通してみる。

    ▼贋と偽
    贋作と、偽物と、本物の違い。黒猫の主張には激しく同意。そういえば、よく企画美術展で、モネが来るフェルメールが来ると皆浮き足立つけれど、一体その中のどれくらいの方々にとって、本当にその目の前にある作品が本物でなくてはならないのだろうか、と他の鑑賞者の様子を見ていてよく思う。勿論、鑑賞の仕方は人それぞれ。皮肉ではなく素朴な疑問。

    ▼本が降る
    こちらも黒猫の主張には激しく同意。
    ところで、詩の鑑賞の仕方が未だに良く分かっていない。黒猫の出世論文のテーマであるマラルメとか難解すぎ。勿論アルチュール・ランボーも良く分からない。外国語による詩はハードル高いよな。といいつつ、日本語の詩だって、島崎藤村の「椰子の実」の切なさとか谷川俊太郎の「卒業証書」の優しい眼差しくらいしか味わえないけど。

    ▼群衆と猥褻
    トリックが無理矢理感強いなあ。

  • 不穏な展開だった第2部スタートの前作が、視野が狭くなる孤独な「夜」だっただけに、並んで歩く「昼」の今作はたとえ迷宮であってもやはりどこかに光を見出せる感じだった。また、黒猫と付き人の関係の変化に伴い、作品内に漂う空気も少し柔らかくなってきたようで、読者としてはその雰囲気を彼らと一緒に味わえるのが嬉しい。

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著者プロフィール

1979年、静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。日本大学大学院芸術学研究科博士前期課程修了。ライターとして漫画脚本などを手掛けながら小説の執筆活動を続け、『黒猫の遊歩あるいは美学講義』で第1回アガサ・クリスティー賞を受賞(早川書房刊)。同作は続刊も刊行され、「黒猫シリーズ」として人気を博している。ほか、『名無しの蝶は、まだ酔わない』(角川書店)の「花酔いロジックシリーズ」、『ホテル・モーリス』(講談社)、『偽恋愛小説家』(朝日新聞出版)、『かぜまち美術館の謎便り』(新潮社)などがある。

「2021年 『使徒の聖域』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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