- Amazon.co.jp ・本 (495ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150503680
感想・レビュー・書評
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読み始めると著者らのバックボーンの違いか時代背景の違いなのか、本編と違うところが気になって集中出来なかった。
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漸く出会えたという喜びが、読み終わる頃には冷めている一冊。
てっきり物語の系譜というものを人類の歴史に密接な神話になぞらえて分析している作品なのだと思っていた。しかし本書の内容は、神話というかまんま宗教の話がメイン。
それが悪い訳ではない。宗教が大好物な私としては願ったり叶ったりの話である。
しかし、なんだ。
本書は間接的に私に色々なことを考えさせてくれた。
まずはプロローグの文章が非常によかった。
そして前半部分も、私が長年宗教について考えてきたものに符合する部分を多く記してくれていた。
【神話は人間の内に潜んでいる精神的な可能性の隠喩です。】
この言葉は気に入った。他にも神話における一元的な世界からの脱却、そして二元性への関与、もしくは認識の開始。これも一つの説としてはなかなか面白い神話の読み解き方だと思った。
とはじめはよかったのだが、途中からじわじわとやってきた違和感。
学問に論理は欠かせない。むしろそれがあって成り立っているとも言える。
だが本書は後半に進むにつれてどんどんファンタジー、いやスピリチュアルな方面にと進んでゆく。
根本的に本書の形式が対話形式を取っているために、文章としての論理的な成り立ちがうまく行われていない、というのもある。キャンベルとモイヤーズのやりとりで所々に設問と回答の不一致が見られた。口頭ではありがちなそれだが、紙の上で再現されてもこちらは講演会に参加しているようにそれを聞き流すことなんてできない。
モイヤーズがおそらく切り込みたいことを、キャンベルは意地悪でかわしているのではなく、彼の頭の中では成立している結論へと誘う答えでかえす。気持ちはわかるが、直接的な回答としてはそれではまったく問答が成り立たない。
確かに、キャンベルが達観しているのだろうと言うことは彼の年齢を考えれば察しがつく。すばらしいことだが、それ故に彼は学者ではなくてある種の伝道師然としてしまっている。だからこその言葉、だ。言いたいことはわかるのだが、そうじゃない。
はっきり言ってしまうと”話を逸らしすぎ”なのだ。
わからんな。
正直言って、キャンベル入門に本書を選んでしまった私が悪かったとも言える。
キャンベルの主張を知っていてこの本を読むのには新しい発見があるかもしれないが、入門編としては、随一の宗教学者に聞いた信仰の意義についての”主観”の書物と写る。学説よりももっと私的な会話、それも人と成りに即した、ということだ。だからこそ出る、『幸福の追求』なる言葉。どうやら主張の要のようだが、そうじゃない。そこを聞きたいのではないのだ。
この本を読んで私は意識・無意識は別として特定の宗教影響が強い場所で人格形成を行ったものに宗教を学問として平等に扱うのは不可能なのではないか、と痛感した。
ひとつの宗教の教義の元に生活を送れば、社会全体に形は違うともその教義は必ずや根付いている。だから、信仰のあるなしは別としてもその人格形成にはおのずと宗教に影響された部分が見られる。
それが良い・悪いというわけではない。ただ今回のキャンベルのように、様々な宗教を横断して見ると言うことをするには、社会的環境が影響を受けた宗教教義がどうやっても邪魔をするように思う。
キャンベルも自分がキリスト教徒として教育を受けたことを確かに認めているが、それで免除される問題でもない。3大宗教を「キリスト・イスラム・ユダヤ」といわれて随分なアメリカ目線だなっと思わず笑ってしまった。本書を”アメリカナイズされたお手軽宗教入門本”なんて揶揄した人もいたが、うなずけないこともない。
しかし、少し冷静に眺めてみる。私は宗教が生み出す副産物にも、神の存在の是が非にも正直あまり興味がない。私は冷静な宗教の解明を期待している。宗教というものと人間の精神の関連を、だ。しかしそれは日本人が信仰に疎い存在であるがゆえにとれるスタンツだともいえる。私は本書を読んで、その特徴をして、日本人こそ様々な宗教を横断した比較宗教学にふさわしい存在になれるのではないかとも思った。
しかしどうだろう。日本人から見たときと、キャンベルをはじめとした宗教影響の強い国とはスタンツが違う。神の存在に揺るぎがなく、長らく強い影響を受けた歴史を抱えている国の人々と、宗派をごちゃ混ぜにしたよろずの神を抱える私たちでは宗教の置き場所が違うのだ。
そう考えれば簡単なくくりで言うが西欧の保守的ではないクリスチャンには本書は非常に革新的に見えるのだろうな。
とはいえ比較宗教学にはかなり興味が向いた。
まだ初心者なので、キャンベルだけで判断するのは惜しい。私が望んだとおりの冷静な比較宗教学も探せばあるかもしれない。時期を見てその辺を掘り起こすのも一興かもしれない。
くさしたけれども様々な神話を載せてくれているのは非常に良かった。
特にガーター勲章の話はかなり気に入った。 -
本文の「現代の若者は、ただ有名になりたいという人が増加している」みたいな文章から、現代の人には英雄の精神が不足していると感じた。英雄は、社会のために自己犠牲してこそ英雄になるわけで、「ただ有名になりたい」は自己犠牲せずに社会から称賛されたいというもの。
フォロワーが何万人いてもなお、承認欲求に飢えて幸福になれていない人を見ると、人は他人や社会のために自己犠牲することで満たされるのではないかと仮定した。
自己犠牲なくした承認欲求には幸福は訪れない -
物語の原点でもある神話。
その第一人者であるキャンベルさんが書いており、その対話集。 -
スターウォーズや鬼滅の刃など、現代でもヒットする作品は世界のあらゆる文化の中で生まれた宗教や神話を参照しながら作られていると言われている。「神話」と聞くと普段の生活に馴染みがないように思うけれども、意外と普段意識しないところまで浸透しているのかもしれない。
世界各地の神話を比較して研究してきた著者が、「男女」「結婚」「生死」「英雄・冒険」など、重要なキーワードをもとに様々なエピソードを紹介。キリスト教やイスラム教、仏教などはもちろん、南米の山奥で根付いている宗教からアフリカの村に伝わっている神話など、世界の端から端まで網羅されていて、その情報量に圧倒された。国だけでなく、神話がユングなどの心理学や哲学といった普遍的な学問とも密接な関係もあり、神話はただの作り話ではなく、ある程度の根拠をもとに作られ、社会の規範になるものなのだということは気づきだった。特に、神は自分の中にいるということ、神話は個人の夢に対して言わば「社会の夢」であることなど、神話に対する見方が変わった。(ただ、色々なエピソードから別のエピソードに飛ぶので、たまにわかりづらくなることもあったが…。)
東洋の思想と西洋の思想が根本のストーリー、時代が似ていることもとても興味深かった。発見が多い一冊だった。 -
神話の冒険の構造と精神的な意味は、原始的な部族社会の思春期儀礼やイニシエーション儀礼に先取りされている。[5章265頁]
おとぎ話は子供のためのもので、大人の女性になりたくない女の子の話が多い。グリム童話は、あらゆる障害を乗り越えてやってきた王子様が、向こう側の世界もなかなかよさそうだと思わせてくれるまで待つ行き詰った女の子を描いている。龍退治や入口をまたぐ話は、行き詰まりの打開と関係している。[5章291頁]
大河の流域に文明が生まれたが、そこは女神の世界だった。BC4000年頃、羊飼いのセム族や牛飼いのインド=ヨーロッパ民族が侵略した。どちらも元はハンターで、殺すものがいるため、他の人々と抗争し、攻め入った地域を征服する。この侵略者たちがゼウスやヤハウェのような戦いの神、稲妻を投げる神などをもたらした。[6章360頁]
エーゲ海からインダス川まで、母なる女神が支配的な存在だった。その後、インド=ヨーロッパ民族が入ってきて、男性中心の神話が広がった。BC7世紀頃に女神が復活する。ウパニシャドでは、ヴェーダの神々に力と存在の究極的な基盤と源泉がどこにあるかを教える教師として、生命付与者たる女神にして形象の母という意味のマーヤ=シャクティ=デヴィが現れる。[6章381頁] -
元々は6回シリーズで製作されたテレビ番組であり、日本でもNHK教育テレビで90年代半ばに放映されている。そしてこの本はその”ノーカット版”といえるものだ。ところどころ断定的で納得の行かない部分もあるが、とても面白く読めた。機会があったら元の番組をもう一度見たいとすら思った。巻末の解説では翻訳された飛田氏のキャンベル氏への思いが伝わる興味深いものなので、あわせて読んでみたら良いと思う。
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スターウォーズもこのキャンベルの神話のストーリーから生まれている。すべてのストーリーの元型を求めた著者が、スカイウォーターランチというスターウォーズの聖地でおこなった対談。興味深い話が多い。