それをお金で買いますか (ハヤカワ文庫 NF 419)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150504199

感想・レビュー・書評

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  • 世の中には金銭で買えないものが確かに存在する。だが、近年の市場主義経済の加速に伴い、その領域は確実に狭まってきているように思われる。例えば、イヌイットの代わりにセイウチを撃つ権利、インドの代理母による妊娠代行サービス、市民ホールや球場、そして都市自体の命名権。経済学の理論に基づけば、双方の合意を得てなされるこれらの取引により誰も損をせず、双方の効用が最大化する限りにおいて、これらの取引は正当なものとみなされる。しかし、どこかしら道徳的な気持ち悪さを感じるのはなぜだろうか?

    経済学の理論は、こうした市場が満たす嗜好についての道徳的判断はカッコに入れて扱う。そこで問題になるのはあくまで社会全体の効用が最大化されるかどうかであり、道徳的な問題というのはカッコに入れられ、不問に付される。本書でマイケル・サンデルが論じるのは、まさにその点であり、リーマン・ショックで市場主義経済の問題点が明らかになったにも関わらず、その流れが止むことのない市場主義への懐疑である。

    本書では、行列への割り込み、インセンティブ、生と死を扱う市場(HIVに感染した患者の生命保険を買い取り、患者が早く死ぬ程、多くの利得を手にすることができるバイアティカル投資等)、など、市場主義と道徳がぶつかり合う様々な問題に焦点を当てつつ、なぜそこに問題が生じるかの考え方を2つに収斂させる。

    1つはその取引が実は自由取引ではなく何らかの強制力に基づくものである故に問題である、という考え方である。市場経済の取引が成立するためには、複数の選択肢を持つ自由な2人の主体が対等な関係の元に取引に合意する必要がある。しかし、ある種の取引においては、自由で対等に見える取引が実質的にはそうなっていない場合がある。このケースの例としてサンデルが挙げるのは、アメリカの薬物中毒者向けの不妊治療プログラムである。このプログラムにおいて、薬物中毒者の女性は自ら不妊治療を受けることで300ドルの現金を手にすることができる。その結果として、社会全体は薬物中毒の子供が生まれるリスクを下げることができ、薬物中毒の女性と社会全体の双方の効用が最大化される、というものである。一見自由に見えるこの取引だが、薬物中毒の女性が多くのケースにおいて貧困層であることが多いという事実を踏まえて考えると、300ドルという現金収入は極めて魅力的であり、彼女がそのプログラムを拒絶することは実質的に難しいのではないか、故に何らかの強制力に基づいている点が問題である、ということになる。

    もう1つは腐敗に関するものであり、サンデルが本質的に問題視するのはこちらの方である。ここでの腐敗という言葉は一般的な役人や官僚の腐敗という意味よりも広いものとして扱われる。すなわち、ある種の取引において、金銭に還元されるべきではないものを金銭で取引することにおいて、そのものが持つ道徳的な価値を毀損している、という意味を持つ。例えば、売り飛ばして儲けるために子供を産むとすれば、それは子供を愛されるべき存在として扱うべきであるという道徳的価値を卑しめているし、裁判官が賄賂により不正な判決を出すとき、国民から託された裁判官の権限を自らの個人的利益の道具として扱うことで、職業的規範を卑しめている。

    ただし、この後者の場合に、一体何が社会的に広く認められた道徳的価値であるかのコンセンサスを構築することは容易ではない。コミュニタリアンとしてのサンデルが主張するのは、市場主義経済が道徳的判断から中立であるという幻想を打ち壊し、社会全体の議論において、個々の取引における道徳的価値は何であり、それは金銭の取引により毀損することが問題になるのか否かを明確化していくというプロセスである。その点で、どんな場合にも役立つ道徳的価値観の物差しを提供する訳ではないが、社会全体で様々な利害を有する構成員が、民主主義というプロセスの中で道徳的価値観の議論をすることにこそ意味がある、というのが結論であろう。

    20世紀の経済が、市場と国家の両軸のバランスを取りながら発展したのに対して、21世紀の経済はリーマンショックという失敗例はあれど、市場サイドの傾きが強くなっていることは否定し得ない。そのような状況下で、市場主義万能説に対する健全な懐疑精神の表れとして、本書は理解されるべきではないか。

  • マイケル・サンデルの2冊目の本。今回は正義ではなく、お金に関する哲学。この本を読む前は、世の中はすべて市場経済を導入することで上手くいくのではと思ったが、その考え方を改めさせられた。罰金を設けることで逆に子供を迎えに来るのが遅くなったイスラエルの保育所の話や、血液の売買を認めているアメリカと認めていないイギリスの話など、モラルや自尊心に訴える部分に市場は関与してはいけないと切に感じた。

  • ■ここ10年くらいの間、「この価値にいくら出すか、その物差しを自分で持っておかないとえらいことになる」と感じることが何度かあったので、非常に興味深く読みました。お金を出せばいろんなものを手に入れられて(おそらく寿命も、もうそうなってる)、逆に安く手に入れる方法を探せばタダで入手できる方法も見つかる(特に本とか映像とか音楽とかね)イマドキの世の中だからこそ、考えておきたい話題。
    読み終えて、自分の中でひとつ増やした物差しの目盛りは、「尊厳と義務は売り買いできないし、してはいけない」でした。
    ■テーマパークのファストパス…。実質有料のものがあると聞いたときに、私も何か幻滅のようなものを感じたのですが、それが何故なのかうまく言葉にできませんでした。でもその理由がクリアになった気がします。
    ■テンポよい文体で、文字の大きさもちょい大きめ?でさくさく読めました。いかにもアメリカっぽい実例のうちいくつかは読み飛ばしましたが、「うげーもうそんな売り買いが実際にあるのかぁ」と衝撃も受けました。よくも悪くもアメリカは先を行ってる…

  • 回答を与えるのは宗教、回答を探す道を示すのが
    哲学と感じているのだけど、
    なににしろ、なんでも、金儲けの対象や
    問題を金で解決できる、金さえ払えば何でもOK
    という風潮に感じるザラついた不愉快な感覚へ
    「もしかしたらその原因はこれ?」という投げかけが
    ややもすると当たり前になりつつある現在の世界へ
    考えるきっかけになって心地よい。
    (命名権(の一部)は、受け手の感情・ノスタルジーが
    大きく働いているような気がするけど)
    善とか正義という言葉は使わなくても、
    なんとなく金・数値で解決してしまうことに
    下品さを感じるところに、もっと他の方法をとるか、
    その方法をとらないことで、自らを人間として
    高めてくれか維持される何かがあるような、
    経済性に支配されない人間性があるような、
    綺麗な理想を求める自分が
    まだ死に絶えていない感覚を覚える。

  • これも超速読ベースで目を通しただけなので、要再読。
    市場化によって締め出される道徳的規範、美徳の衰弱。
    アンチ新自由主義の流れの本。
    内田樹氏がなんでもかんでも「消費」の対象になっている社会について書いてたことを思い出した。

  • 市場主義と倫理や道徳の対立について考えさせられる本。ここに書かれている事例を読んでいくと、あと10年も経てば倫理や道徳意識が後退する分野ができてくるのだろうな、と思わずにはいられない。電車やバスの吊り広告のようなものが旅客機の壁一面にはられる日がくるのだろうな、と思わせる。それも私が生きている間にね。

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著者プロフィール

1953年、アメリカ合衆国ミネソタ州ミネアポリス生まれ。アメリカ合衆国の哲学者、政治学者、倫理学者。ハーバード大学教授。

マイケル・サンデルの作品

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