- Amazon.co.jp ・本 (301ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200021
感想・レビュー・書評
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■ Before(本の選定理由)
戦争をテーマとした世界的人気の小説らしい。村上春樹がエッセイで、著者の文体を自身のそれに重ねていたことも興味を持ったキッカケ。
■ 気づき
小説内では記述されないが、ドイツによるハンガリー侵攻が描かれているようだ。どこまでも客観的で、感情は排除されている。戦時下の出来事を描くだけでなく、それを天才の双子というキャラクターを通じて語ることで、こんなにシニカルでエンターテインメントになるなんて。率直に言って、著者を恐いと感じた。
■ Todo
グロテスク・エロティックな描写も多い。でもそれが剥き出しの人間というものなのかもしれないな、と感じた。続きの巻も読んでみよう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんだか読んだ後に身震いしてしまったみたいだ。
「悪童」というモチーフは、まま用いられるが、
物語の「双子」は「悪意のない悪魔」のようだ。
この小説には固有名詞がでてこない。
自分たちのことを「僕ら」として日記風に一人称視点で描かれているものの、「僕らのうち一人は〇〇、もう一人は〇〇」と第三者視点のように客観的に描いている。
他の登場人物や地名・国名にも「名前」はない。
その雰囲気は一種独特。
童話のような教訓を示すものでもなく、ミステリーのような論理的思考もない。
しいて言えば、戦争自体の情報もまったくない中で表現される、異色の戦時小説。
淡々とした「ホラー」とも思えるストーリーを読み進めると、ラストは思いもよらない展開となる。
読後は、なんと表現したらいいかわからない、でも確かに作者の意図は伝わった。
アゴタ・クリストフはこのあと続編のようなものを「固有名詞」を用いて作成した。
読むかどうか……きっとものすごく幸せか、ものすごく不幸な時に読みたくなるかも。 -
19かそこらの時に三部作一気読みして、二週間引きずった忘れられない一冊。
秋の自律神経ぐちゃぐちゃ期になぜか無性に読みたくなって何回か読み返してるんだけど、その度にうまく言い表せなくてもどかしい。
今回は「双子、純粋だよな」と思った。
回りの不条理に対する反応が澄みすぎていて、常識だとか倫理とかで濁らない。それ故の残酷さというか怪物感があるというか。生肉みたいな文体もすごい。何よりも素材(感情)に近くて、だからこそ生々しいって感じ。
このまま一生定期的に読み返す本なんだろうな。 -
悪童、と皮肉じみたタイトルにしているが、この子供たちはただ物事の本質をつかんでいて、学ぶサイクルを繰り返しているだけだ。
たしかに行為だけを取ると、一般的に悪とされてしまう。
感情的や常識を排除して、やりたいこと、やるべき事を成すためのレールを自分たちで敷いて、そこをまっすぐ歩いている。
とても強靭な精神の持ち主で、それと同じくらい感情豊かであるだろう。 -
文句なしの傑作。
文学youtuberベルさんの動画を見て気になったので手に取ってみた。
面白くて一気読み。小説の体裁も項が細かく分かれていて、短くサッと切れる。
海外文学にありがちな、訳が分かりづらいという事もなく読み易い。
あっという間に読み終えた。
アンモラルハード文学?(そんなジャンルは無いか)として「ファイトクラブ」が想起されるが原書はファイトクラブより10年先だった。
ラストがあっけに取られたという感想があったのだが確かに -
簡単に人が死に、簡単に残酷な行いが為される。簡潔な文章だからこそ伝わってくる恐ろしさ。
「ぼくら」として最強な二人は、一人のアイデンティティは持たない。無機質な二人の間には愛情があるのか、それとも生き残るための協力なのか… -
二人の少年の日記を覗き見しているような感覚で読むことができた。
戦争の恐ろしさ、生きていくために考えて行動していく二人。
どんな状況であっても、自分にできることを考えて生きることって素晴らしいと思った -
双子の男の子が、戦争中の国で逞しく生きていくお話。他人からの悪口に傷つかないよう、お互いに罵詈雑言を浴びせあったり、目が見えない、耳が聞こえないふりをしたり…。2人のトレーニング風景にくすっとしつつ、戦時下の不穏な空気が漂って不気味だった。
三部作らしいので続きがどうなるか楽しみ。 -
【感想】
“絶対にそうする必要がある”という倫理に貫かれた双子のハードボイルドな暮らしが、戦争とそれがもたらす暴力によって研磨されていく。戦時下で、道徳や親切心が無用の長物になってしまったなかで、生き抜くために育まれていく倫理を目の当たりにした。
都会から疎開してきて、意地悪な親類の下で暮らすこども達に「火垂るの墓」を思い出しながら読んだ。恵まれた家庭で暮らしてきた清太と節子は、所得も低く労働に明け暮れ、食べるもののままならない叔母の家での生活に戸惑う。叔母さんが、洗い物をしながら、鍋のそこにこべりついた食べかすを口に運んでいたシーンが印象に残っている。
小さな頃、憎んだ「火垂るの墓」の叔母さんに意地悪としか思えなかったのが、振り返ってみれば、全く違った見方をしていることに気づく。そこ、で生きてくための手段としての在り方だった。
「ぼくら」が叔母さんの家で重ねる経験に通ずる。自分たちの所持品は勝手に売られてしまい、働かなければ食べられない。清太たちは家出と、盗みをして自活を始めたが、「ぼくら」は順応を始める。ここでの現実に慣れ、自衛手段を身に着けていく。
「ぼくら」の書くものは真実のみ。これこそ本書の最大の魅力だと思う。彼らは注意深く、真実とそうでないものを選り分ける。真実を突き詰めていけば自ずと必要に行き当たる。動物を殺す、向かってくるものを倒す、ゆすりや恐喝をかける、金を得る、労働する、人を殺す、報復する。彼らが生きる目的のためにした練習全てが彼らの必要なときに必要な行為をためらわずに起こせるように訓練していった。
考えさせられるのは行為に善悪などないことだ。おばあちゃんを殺すとき、それは彼女の願いで彼女との約束だった。女中を手にかけたのは報復だった。父を殺したのは生存のためだった。兎っ子の母親を殺したのも彼女の願いだったからだ。
おばあちゃんは同じように、もう動くことのできなくなったおじいちゃんを殺したんじゃないだろうか?
とまあ真実のみを語ってはいても、語られていない真実もある。真実しか語られないということは、語られていないことのなかには真実とそうでないものが入り乱れていることにもなる。“銃声と強姦される女たちの悲鳴”のなか、強奪と暴力のなか、彼らの足跡は次第に深く地面に刻み込まれていく。
再読再考のため手元に残していく一冊。 -
中途半端なところで終わるなと思っていたら、何と3部作だった。続きが楽しみです。