ニンテンドー・イン・アメリカ: 世界を制した驚異の創造力

  • 早川書房
3.51
  • (9)
  • (29)
  • (26)
  • (6)
  • (2)
本棚登録 : 310
感想 : 36
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152092656

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • スーパーマリオブラザーズをプレイしたくなった!

  • 子供を惹きつけるーマリオについて

     ゲームはほとんどしないのですが、任天堂という企業に興味があり読み始めました。
    もっとも印象に残ったのは、マリオを作った宮本さんは、ゲームを作るためのプログラミングより、ピアノが得意だったということ。ジョブスの言う「コネクティング・ドット」を思い出しました。
     一企業としての任天堂は、ジレット社のように本体ではなく、ソフトを販売することで利益を出すビジネスモデルにこだわったり、ジョンソン&ジョンソン社のように一部不良が出た場合、ファミコンを全部回収したりと、他社のいいところを真似てきたようです。
     マリオも含めて歴史に残るキャラクター達の名付けが実はテキトーという点も遊びがあり面白かったです。マリオネタは子供達とクイズをするのに役立ちました。
     最後に、某アーティストのMVに使われたシーンは、ジャクソン・ポロックから使われた?!と推測しました。(P116)

  • ニンテンドー視点で見るゲーム史って感じ。SFCなど、自分が触れていた時代を懐かしみながら読めた。ただ、私はセガ派だったのでそこまで感慨深くも無かった。

  • ・アメリカ人から見た任天堂の成長、家庭用ゲーム機の歴史、ゲームソフトの変遷が語られている。
    ・マリオのキャラクター変遷も本書の大きな軸となっている。
    ・マリオブラザーズは当初、ドンキーコングの悪役キャラだった。しかも大工。

  • 「枯れた技術の水平展開」史上最強のゲーム機を目指すPS3と画質を誇るXBOX360に対抗するために任天堂がとった手はブルーオ−シャン戦略の見本、ライバル達が血眼になっている競争から任天堂は意図的に遠ざかろうとした。スペックを落とし、低価格で対向、オンラインプレイも無料。wiiの成功は1970年にマジックハンドを開発した横井軍平以来の伝統的な思考法に則ったものでもあった。そしてマリオのためについてエンターテインメント以外の分野に進出できない任天堂の目指したものは最大でもなく、最速でもなく、最良のゲームだ。

    任天堂のゲームが生まれたきっかけは電車の中で電卓で遊ぶサラリーマンを見たことから。ここからゲーム&ウォッチが生まれDSに発展していく。1978年にインベーダーゲームが誕生しナムコのギャラクシアンが79年、ギャラガが81年に発表された。ニンテンドー・イン・アメリカ(NOA)に山内溥の娘婿荒川實が赴任したのは1980年、任天堂が販売したのはインベーダーやブロック崩しの亜流で売れなかった。満を持して投入した「レーダースコープ」も製造と輸送コストは回収できたがまだ2千台売れ残っている。荒川の裏技は今では当たり前のように思えるROMの交換だった。それにしても新しいゲームがいる。

    新しいゲームをデザインしたのが宮本茂。2006年にタイム誌が選んだアジアの英雄にムハマド・ユヌスやジェリー・ヤン、安藤百福とともにビジネス部門で選出され、同じ年サンフランシスコのエンターテインメント私設メトレオンにウォーク・オブ・ゲームが出来た際、最初に星を与えられた4本のゲームをマリオ、ゼルダの宮本とヘイローとソニックのアタリのノーラン・ブッシュネルが分け合った。宮本が目指したのはポパイのゲーム版で胸板の厚いヒーローに毛むくじゃらの敵に救いを待つヒロイン、そして生まれたドンキーコングからは複数の場面をクリアするひな形が生まれた。ドンキーコングに置き換えられるキャビネットの倉庫の賃料の支払いが遅れており、そこのオーナーがドンキーコングのヒーロー「ジャンプマン(またはオッサン)」の名前をどうしようかと言う会話に割って入り飛び上がらんばかりの勢いで怒ってまくしたて帰っていった。オーナーの名前はマリオ・セガール、そして誰かが言った「マリオ」という名前はどうだろう。ゲーム市場世界で最も知られているキャラクターが誕生した。

    ドンキーコングは大ヒットしたがユニバーサル映画がケチを付ける。キングコングの著作権を侵害している、金を払えと。ドンキーコングのキャラクターを使った小さな企業は早々に降参したが任天堂は法廷闘争に出る。弁護士のなはジョン・カーヴィー、法廷闘争で圧勝した彼には「ドンキーコング」号というヨットが送られ彼の名は星のカーヴィーに使われた。結果はこうだ。そもそもユニバーサルはキングコングを所有していない。さらにドンキーコングはコピーではない。仮にコピーであったとしてもパロディであり合法である。しかも、ユニバーサル傘下で作ったキングコングゲームがドンキーコングのパクリであり逆にライセンス料を払わないといけない。しかし、この勝利に味を占めたのか後の任天堂はサードパーティや小売業者にとってはえげつないパワーを振るうようになる。

    1984年にはアメリカの家庭用ゲーム機市場は粗製濫造が元で崩壊し一方日本では83年にファミコンが生まれた。そして3年間で4作目のドンキーコングの続編「マリオブラザーズ」が生まれていた。任天堂はマリオに次から次へと仕事をさせていたが任天堂の代名詞にしたいなら彼の世界がいる。配管工ではなくマリオの世界が。任天堂はNESと名付けたファミコンを85年にアメリカ市場に投入した。86年シーズンの秘策は130ドルのNESを買うと「スーパーマリオブラザーズ」がついてくる。マリオの世界はここから広がり後には映画も作られた。この93年の失敗作で唯一良かったことは任天堂が儲かる俳優ではないと言う理由で500万ドルで契約した俳優を切ったことだ。彼はこの年「フィラデルフィア」そして翌年「フォレスト・ガンプ」で2年連続アカデミー主演男優賞を取ることになるトム・ハンクスだ。

    その後ゲーム機は発展しCDーROMを使ったゲームの開発でソニーと組んだ際にソニーのライセンス使用を認めたために強力なライバルを生み出してしますことになる。サードパーティへの締め付けが厳しすぎたためFFのスクウェアやドラクエのエニックスをPSと言う約束の地へ離脱させるというおまけ付きだ。任天堂は累積で従業員一人当たり100万ドルを越える利益を上げ山内はポケットマネー7500万ドルでマリナーズを買う日本の大富豪だが、従業員給与は低いと何度もこの本では書かれている。(2009−13の平均年収は900万を越えているが)ちなみに日本人がオーナーになることに反対された山内のマリナーズ買収を後押ししたのはテキサス・レンジャーズの共同オーナーだったジョージ・w・ブッシュだ。

    ゲームもやらず、野球も見ない山内の唯一の趣味は囲碁。任天堂が囲碁ゲームを出すためには山内に勝つのが条件と言う暗黙のルールがあったらしい。ちなみにアタリのノーランも囲碁初段で「アタリ」も囲碁用語だ。現在最も普及している囲碁ゲームはアプリの囲碁クエストで登録は2万を突破したらしい。日本の囲碁人口が2013年280万人なので普及率は非常に高い。9路盤だとbotとの対戦も黒番では必ず勝てるわけではなくこれなら山内も楽しめたことだろうに。

  • ニンテンドーインアメリカとはいっても、結局のところ任天堂通史になっている。これはいかにニンテンドーのビジネスが日本という国にとどまらないユニバーサルな物であるかを示していると言えるだろう。

  • ビデオゲームの歴史。いわゆる世界一有名な配管工の歴史。彼はいかにして生まれ、どんな運命を背負ってきたか。
    企業が生き残っていくためのシビアなところや、詰まるところ、ゲームってなんなんやろ、といった内容も踏み込んだ一冊。

  • 日本のゲームメーカというイメージがあるので、世界に影響力のあるグローバル企業である事をついつい忘れてしまう。
    特にアメリカ市場に挑戦するところから、ドンキーコングの著作権裁判など、知らなかったことがあったので、楽しく読めた。
    ビジネスとして考えると、すごい企業だと改めて感じた。

  • 京都の名だたる企業の中でもひときわ個性的かつ閉鎖的な、この会社の歩みを軽妙な文体で語っていて、面白い。
    タイトルの通り、まだアーケードゲームを作っていた頃の任天堂がアメリカに進出したころの試行錯誤の様子と、隆盛期を支えた技術者、横井氏、宮本氏の人となりが特に生き生きと描かれている。
    横井氏の開発思想、『枯れた技術の水平思考』という言葉が印象的だった。「新しい技術を追い求めるのではなく、コストも安く実績もある既存の技術を新しい知恵で活用する」というこの発想が、任天堂のイノベーションを支えてきたんだと思う。

林田陽子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×