忘れられた巨人

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制作 : Kazuo Ishiguro  土屋 政雄 
  • 早川書房 (2015年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152095367

忘れられた巨人の感想・レビュー・書評

  • 問いから始まる此の物語は、とある老夫婦の旅路から始まる。記憶と忘却をテーマに「私達は何かを忘れてはいないか?」と問い掛けながら話は進む。
    「分かち合ってきた過去を思い出せずにどう夫婦の愛を証明したら良い?」
    巨人の意味を理解した時鳥肌が立った

  • なかなか解釈が難しい作品でした。
    人間、忘れていた方が幸せなのかそれとも全てを記憶していた方が幸せなのか・・・
    もし、嫌なことも苦しいことも、全てを覚えていなくてはいけないとしたら、それはとても辛いのではないかと思います。
    例えば、人間関係を通して嫌な目にあったとして、その記憶を薄めることができないとしたら相手をいつまでも許すことが出来ない気がするので・・・
    誰かを恨み続ける人生ほど辛い人生はないと私は思います。

    物語のクライマックス、この老夫婦は最後これで良かったのだろうかと考えました。
    読後、言い様のない切なさと寂しさが押し寄せて来る感覚が何とも言えない。

  • カズオイシグロ初挑戦。静謐な文章とイングランドの淋しい風景が脳裏に浮かんで良かった。結局人はわかりあえないということか。本のタイトルが英語では「The Buried Giant」なので、実際には『埋葬された巨人』になるのだが、埋葬の方がテーマにはあってるよね。「忘れられた巨人が浮かび上がる」ところには震えた。

  • 中世を舞台に描かれた記憶についての物語

  • とりあえず読了。
    評価が難しい…。
    自分としては「わたしたちが孤児だったころ」を読んだときの、もやもやぁっとした、虚しくて重たい気分を味わった。
    ただの、わけがわからない話しならこんな気持ちは残らないと思う。
    竜が死んだあと引き起こされるであろう憎しみや苦しみや、老夫婦の過去のすれ違い、そういったものに普遍的な、違うもの同士が争いながら生きていかなければならない現実を見るからかもしれない。
    余談だけれど、兎にナイフを突き立てようとする老婆、エドウィンを惑わし続ける母親の声、ガウェインを苛む黒後家集団、決して語り手にならないベアトリス、と女性たちがなかなか怖い(笑)
    完全な融和や和解がテーマではないからだろうか。

  • 著者の作品は「私をはなさないで」を読んだだけなので、あのイメージが強烈であった。
    今回はどんな話なのか、期待しながら読み進めるとなんとファンタジー。
    「指輪物語」的な世界観というか、本作の舞台がどうもイングランド的な感じからすると、「Q」(ルーサー・ブリセット著)に近いか。
    アーサー王のことなどほとんど知らずに読んでいたが、サクソン人とかブリトン人などこの辺りの知識を持っていれば、さらに面白さが増したかも。

    巻末『解説』によるそ、スコット・ルーディンというプロデューサーが本作の映画化権を獲得したとのこと。映画化されたらみてみようか。

  • カズオ・イシグロの話題作…と言っても話題になったのはもうずいぶん前だけれど。忘却の霧に覆われたファンタジー的な世界における老夫婦の冒険と愛情を描いた作品だが、『充たされざる者』ほどの非現実感は無い。『わたしたちが孤児だったころ』の探偵小説的世界、『わたしを離さないで』の SF 的世界と並べてみると、いろいろなスタイルを模索している中での習作とも言えるが、それにしても前二作よりはやや劣る印象。

  • 記憶を消してしまう霧とか、強い力を持った竜とか、アーサー王に関わる騎士とか要素はすごく良いんだけれど、中身は中途半端というか浅いというか。文体、翻訳、キャラクター、どこに問題があるのかわからないけど、全体的に勿体無い作品だと思う。

  • カズオ・イシグロと分かって読んでなかったら最後まで読み通してなかっただろう、というくらい取っつきにくい。なかなかハードルの高い本でした。

  • 「わたしを離さないで」のイメージを持って読み始めたので、舞台が古きイングランド、アーサー王の時代から地続きの、竜も妖精も住まう半ば神話の中の物語・・・というのにまず面食らった。

    主人公は互いを労わりあう仲睦まじい老夫婦。
    なぜか、彼らをはじめとしたこの国の人々は健忘症にかかっていて、ほんの数日前のことをすぐに忘れてしまう。
    夫婦は顔も忘れてしまった息子を訪ねるための旅に出る・・・よたよたとした足取り、繰り返されるちょっとまだるっこしいくらいの会話。
    冒険のはずなのに胸が膨らむような期待感はなく、なんともさみし気で、読み続けている間、びょおびょおと強い風の吹き荒れる荒野がずっと続いているのを眺めているような気持ちになった。
    少しずつ解きほぐされていく記憶の果てが悲しくて寂しくなる。
    共に生きていくということは思い出や記憶を共有するということなんだろうけれど、そのことと、いまただ傍にいるということの価値は等価なんだろうか、それともどちらかのほうが価値が高いんだろうか。
    人は、記憶のなかにある人と、目の前にある人と、どちらをより信じ、必要とするんだろう。
    そんなことをふと考えた。

  • アーサー王がアヴァロンに去ってから数十年後のブリテン島。そこでは、ブリトン人とサクソン人が平和に共存している。
    人々から記憶を奪う不思議な霧に覆われたこの世界で、年老いたブリトン人農夫アクセルとベアトリスの夫婦が息子の住む村を探して旅に出る。
    途中、悪鬼に噛まれて村人から忌み嫌われるサクソン人の少年エドウィン、彼を庇護し騎士として育てようとするサクソン人の騎士ウィスタン、そして円卓の騎士の生き残りガウェインらと出会いながら、旅はいつのまにか悪竜クエリグ退治につながって行く。
    どうやら人々を忘却に導く霧はクエリグの息であるらしい。
    アーサー王その人からクエリグ退治を命じられたというガウェインは、ついにその使命を果たせるのか?
    なぜ、彼は同じ使命をもつウィスタンを排除しようとするのか?
    はたしてクエリグの死は人々に幸福をもたらすのか?
    ただの農夫であるはずのアクセルをなぜウィスタンやガウェインが見知っているのか?
    忘れられた巨人とは?
    多くの謎と寓意と象徴をはらみながら物語は進行し、最後は記憶が蘇った後の年老いた夫婦の真の愛情が試される。

    中世騎士物語の世界を舞台装置としながらも、極めて現代的な夫婦愛の物語である。
    そのまま映画や舞台の脚本にできそうな構成は、作者の他の作品にも共通する。
    是非、映画化してほしい作品である。

  • 「私を離さないで」は自分がここ10年読んだ小説の中で断トツ一番!と思うくらい本当に偏愛している。というわけで、久しぶりのカズオイシグロのこの最新長編、発売日を指折り数えて楽しみにしていたわけだが。。。

    舞台設定はアーサー王の時代。自分たちの記憶が失われているのではないかと疑った老夫婦が旅に出る。戦士、鬼、竜、妖精など、ファンタジー(幻想)小説の枠組みを借りつつ、人・歴史にとっての記憶、忘却の意味、愛を真正面から語っている。最後の数十ページは流石に面白いし、印象的なシーンはいくつもある。題材や語り口は悪くはないし、全体の薄ぼんやりとしたベージュグレーのような世界観は捨てがたい。

    とはいえ、「私を離さないで」のような全編、主題と世界観が一体となって、読み手の心を圧倒的に揺さぶるような何か、は残念ながら感じられなかった。いつも興味のある本は発売日に読み切る自分がここまで時間がかかってしまったのが何よりの証左だ。逆説的ではあるが、「私を離さないで」が本当に奇跡のような小説であったことを思い知らされた。

  • カズオ・イシグロの10年振りの長編は、記憶と忘却をテーマにしている。例えば「東京物語」の老夫婦が家族の思い出を語り合うように、そもそも誰かが何かを憶えていなければ物語は始まらないのだが、アクセルとベアトリスは大事なことを忘れてしまっている。自分たちの息子がどこにいるのかも覚束ない。

    大事なことを忘れているところからスタートする。この設定をクリアするために、筆者は「私を離さないで」に続いてファンタジーの採用に踏み切ったのだろう。「人の心には竜が棲んでいる」といえば隠喩にすぎないが、竜を物語の中に登場させればそれも隠喩なのだけどファンタジーになる。そのファンタジーが違和感なく受け止められるための仕掛け、それがアーサー王伝説だろうか。

    ゲルマン系サクソン人がケルト系ブリトン人の土地に侵攻していた時代、侵略者に颯爽と立ち向かったのがアーサー王である。しかしローマ人がブリタニアを放棄した後のことでもあり、残念ながら史書にその記録は残されていない。アーサーはそもそも敗者の側であり忘れられていたのに、後世思い出されて英雄になった。それはキリスト教化していたブリトン人と未改宗のサクソン人という構図、つまり宗教戦争の英雄と位置づけられたからだ。歴史は時に勝者に都合の良いことのみを語り平然としているが、神話であればなおさら恥じる必要はない。アーサーだけでなく当時の西欧各地のローマ側の将軍たちは数に勝るゲルマン人を何度となく包囲殲滅しているが、やがて防御網を分断され敗れていった。ブリトン人もそうだったのだとすると、そこにどのような感情があったのか、神話に書かれていないけれども想像することはできる。

    こうして、「記憶と忘却」「神話の中の宗教戦争」「民族間の憎悪」という道具立てが整った。ボスニア・ヘルツェゴビナの惨事を記憶に留めようとするのであれば、現地を取材してドキュメンタリーとして書き上げることもできたはず。しかしそれでは彼の壮大な想像力は現実の凄惨さの前に色あせてしまうかもしれない。彼が想像力を駆使する舞台に選んだのは、イギリスの古い血塗られた記憶、アーサー王の時代だった。

    そもそも、人間は都合の悪いことを忘れたり、政治的な必要性から記憶を留めようとしたりする動物である。日本人は被爆の記憶を留めようと原爆記念公園を作り、そこに70年の間に記憶の薄れた敵方の大統領が訪問したと喜ぶが、一方で慰安婦像をソウルに建てて忘れまいとする人々には眉を顰める。竜の息は過去を正当化する悪なのか、人々が平和に暮らすための正義なのか。正義と悪だけでなく記憶と忘却も相対化してしまったところに、私は筆者の思考力の凄さを感じた。

  • うーん、これはどう読んだらいいのだろう。

    アーサー王がほんの少し前までまだ生きていた時代のイギリス。マーリンの魔法がまだ残っている頃。

    アクセルとベアトリス夫妻は、村はずれの家で夜にろうそくを使うことも許されず、村の人に一線を引かれたような暮らしを送っている。
    文字はなく、全てのことは口伝えで残されるというのに、ここの人たちの記憶はいつもすぐに消えてなくなってしまう。
    何か大事なことを忘れているような気がする…。そんな思いも、いつしか忘れ…。

    人々の物忘れの原因は、辺りに立ち込めている霧のせいではないか。
    身のまわりも頭の中も、もやもやとしてつかみどころのない登場人物の視点で語られる物語は、やっぱりつかみどころがなくて、手さぐりで読み進めるしかない。
    ただし、読み手のほうには記憶力が多少なりともあるので、余計に悩ましいともいえる。

    忘れたり思い出したりを繰り返しながら、夫婦は遠く離れて暮らしている息子の元を訪ねていくことにする。
    今と違って公共の乗り物どころか道すらも満足にないなかを、老夫婦は息子の元へと歩き続ける。

    旅の途中で若い戦士や鬼に襲われた少年、そしてアーサー王の甥である老騎士と、出会ったり別れたりを繰り返しながら、彼らは伝説の雌竜の元へと集結する。
    雌竜こそが、この霧の大元なのだから。

    ストーリーにするとこんな感じ。
    けれど文字になっているよりも多くのものごとがこの小説には含まれているようで、考えれば考えるほどに物語に捕らわれていくよう。

    最初にアクセルとベアトリスが住んでいた村の様子を読んでいた頃は、アイヌの人達を思い浮かべてしまった。
    荒涼とした土地。連なる丘。文字を持たず、共同生活のようにかたまって住む人たち。(でも、農業を営んでいましたね)
    何よりも、先住民でありながら追いやられたようにひっそりと暮らす人々の姿が。

    けれどもそれは、世界中のどこでも行われている光景なんだなあと、読み進めていくうちに気が付く。
    アクセルとベアトリスと老騎士はブリトン人。若き戦士と少年はサクソン人。
    本当は侵略する側とされる側で対立しているはずなのに、混じりあい、互いを尊重しながら暮らす人々。
    それは善きことのはずだけれど。

    “あなた方キリスト教徒の神は、自傷行為や祈りの一言二言で簡単に買収される神なのですか。放置されたままの不正義のことなど、どうでもいい神なのですか”

    個人の記憶と、民族の情念。
    今、日本に暮らしている日本人にはあまりピンとこない民族の情念が、現実社会ではいつも大きな諍いの種になる。

    雌竜の放つ霧のように、詳細を見えないようにしたまま持ち続ける情念は恐ろしい。
    だがしかし、全てをクリアにすることで問題は解決できるのか。却って重荷を背負うことになってしまうのではないか。

    “これまでも習慣と不信がわたしたちを隔ててきた。昔ながらの不平不満と、土地や征服への新しい欲望―これを口達者な男たちが取り混ぜて語るようになったら、何が起こるかわからない”

    常に寄り添って生きてきたアクセルとベアトリスが最後に選んだ道は、一体どう意味なのか?
    考えた時に気づいてしまった。
    アクセルの、戦士の、少年の、騎士の視点で語られたこの物語は、一度もベアトリスの視点に立っていなかったことを。

    彼女は何を思い、何を考えて生きてきたのか。
    時に子どものように頑固に、今という時間しか持たなかった彼女は、最後に記憶を取り戻すことができたのか。
    それともどこかで記憶を取り戻していたのか。

    アクセルとベアトリスの違いの大きさに、何か読み落としているようで不安なのである。

  • 本の概要をどこかで読んでから読み始めた方が良いかも。第1章がすごくわかり辛く、世界に入れませんでした。

  • 人間の本質の探求と対話という体験をこのような形で経験することになるとは。
    読み終わって時間が経過するにしたがって、ジワジワと思考が活性化してくる。
    そして、圧倒的な筆力に圧倒される。

  • 『わたしを離さないで』はSFで、この『忘れられた巨人』はファンタジー、とカテゴライズされている。
    でも、読んでいる間に、心の奥に不穏なさざ波がずっとたち続けているような感覚は一緒。

    何かが起きている。
    所詮は本の中の出来事だと、タカをくくることができないようなことが書かれている。
    なんだろう、この警告を受けているような切迫感は。

    過去の記憶なしに人は今を生きて行けるのか。
    忘れたい過去もあり、忘れたくない過去もある。
    老夫婦の旅路の果てに何が待っているのか――怖いけど読まずにはいられない。

    胸に残るもやもやした読後感にも、妙に納得してしまう一冊。
    うーん、説明が難しい。

  • ★ファンタジーの必然が?★地域全体で人の記憶に霧がかかる。良いことも悪いことも曖昧になって平和に暮らすなか、霧が晴れてしまうと・・・。嫌なことを思い出しても乗り越えて、長年連れ添った夫婦の愛情を保ち深めるラブストーリーなのだろう。ただ、もしかしたら自分はファンタジーという分野が不得意なのかもしれない。邦題も「忘れられた」とやってはあまりにも直截すぎる。

    島に渡るくだりの解釈が分からなかったが、三途の川ではと指摘されて納得した。もしそうだとしたら、息子を巡る厳しい内容を最後に思い出すのは、それが記憶の本源ということなのか。

  • たまたまチャンスがあったので読んだものの、ちょっと長かった…。記憶を消す霧、鬼、騎士、竜、妖精、修道士などファンタジーは嫌いじゃないけど、終盤はなんだかわからなくなり眠いままページを進める始末…。

  • カズオ・イシグロの長編。アーサー王の時代の少し後、鬼や竜、騎士や魔法が登場するので、読んだ印象はファンタジー。ただ、序盤から全てが霧に包まれているようなモヤモヤした話。主役は誰?タイトルの巨人はいつ出てくるの?それでもぐいぐい引き込んでくる。終盤やっと霧が晴れたと思いきやまた霧の中・・・モヤっとしたラスト。すっきりしない。でも悪くない。

  • イシグロの10年ぶりの新作はファンタジーということで期待。アーサー王、円卓の騎士ガウェイン、魔術師マーリン、竜とくれば、嫌でもわくわく。息子が住むという、あるいは老夫婦が渡ろうとする島はアヴァロンか?しかしそれらは外側だけであり、ファンタジーというのも形だけ。人間は怒りや悲しみや恨みを忘れたほうが世の中が平和になる。特に夫婦は忘却と許しが必要。そういう事が書かれていたのだろうか?どういう結末なのか、最後の部分の意味が分からない。本質的にはラブストーリーであるとされながら、私には最後の部分でどうしてもラブストーリーには思えない。また翻訳の土屋さんは好きだが、これに関しては今いち。老夫婦の会話がしっくり来ない。ファンタジー関連の事柄は知識や慣れも必要だから、得意分野ではなかったかも?高い評価を得ている本作だが、ファンタジーとして期待した私には退屈だった。

  • アーサー王伝説をうまく使い、どこか遠くの物語を描く。時代は初期中世あたり。謎だらけの始まり。霧が晴れていくかのように、非常にゆっくりと老人の歩みのペースで、少しずつベールが上っていく。最後にまた霧の中に消えていく結末も美しい。
    愛と記憶と自立。老年期の主人公に焦点を当てつつも、人生のすべてがエッセンスとして入っている。

  • 異色の作品。愛の物語。

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