忘れられた巨人

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制作 : Kazuo Ishiguro  土屋 政雄 
  • 早川書房 (2015年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152095367

忘れられた巨人の感想・レビュー・書評

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  • カズオ・イシグロは大好きな作家だが、新作をリアルタイムで読むのは、これが初めてのことになる。結論から言えば、『わたしを離さないで』『日の名残り』の二作に優るとも劣らぬ素晴らしい傑作だ。
    ただし最初のうちは戸惑った。舞台は、アーサー王が死んでから数十年後のブリテン島。鬼やドラゴンや妖精が当たり前のように跋扈し、騎士が重要な登場人物となり、『薔薇の名前』を思わせる修道院まで出てくる。設定だけ見れば、完全な中世ファンタジーの世界だ。これまでのイシグロ作品のイメージとあまりにも違うので、何か入れ小細工のような設定になっているのではと疑いながら読んでいたが、最後まで設定は変わらない。主人公の老夫婦はどことなくホビットを思わせるし、これはカズオ・イシグロ版『ロード・オブ・ザ・リング』なのかと思った。しかし拡散気味に見えた様々な要素がドラゴン退治に集約される終盤に至ると、神話的であると同時に限りなく現代的なテーマを持った物語の全貌が明らかになる。

    「記憶と忘却」「捏造された記憶」はイシグロ作品にいつも出てくるテーマだが、今回はそれが個人だけでなく民族の問題にまで発展する。「忘却に基づく平和」が正しいのか「真実の記憶に基づく戦争」が正しいのか…その対立の果てに、憎しみの連鎖(視点を変えればそれは「正義」と呼ばれる)が壮大な悲劇をもたらす。このあたりの展開には、明らかに21世紀の世界が重ね合わされている。ブリトン人とサクソン人の歴史に詳しいイギリス人なら十分に予想出来た結末かもしれないが、知識が乏しい日本人としては、次第に明らかになっていく各人の行動の真意や終盤の劇的な展開に、手に汗握る思いだった。
    そして本作は、民族の興亡を描く叙事詩であると同時に、ある老夫婦の愛を描いた抒情詩でもある。主人公のアクセルは一体何者なのか? 彼と妻ベアトリスの間に本当に息子はいるのか? 二人の過去に一体何があったのか? 記憶、忘却、愛、憎しみ、そして赦し…様々なテーマがぶつかり合い溶け合っていく最終章は限りなく美しく、一つの世界の終わりと新たな世界の誕生を同時に見ているかのようでもある。悲劇を乗り越えるためのかすかな希望も、そこには感じられる。
    舞台設定こそ『ロード・オブ・ザ・リング』のようだが、途中から強くイメージが重なったのはテオ・アンゲロプロスの映画だった。当初ホビットのように見えた老夫婦は、それ以上に、父親を探して旅をする『霧の中の風景』の姉弟のようであり、ラストは『シテール島への船出』を彷彿とさせる。アンゲロプロスは、民族の歴史と個人の人生を共に描くことに成功した映画作家だったが、同様に、イシグロも本作において叙事詩と抒情詩の融合に成功した。一貫して描き続けてきたテーマをさらに深化させ、同時に全く新しい物語世界を構築した、カズオ・イシグロの見事な傑作。予想とまったく違う形で期待に応えてくれたのが、何よりも嬉しい。

  • うーん、これはどう読んだらいいのだろう。

    アーサー王がほんの少し前までまだ生きていた時代のイギリス。マーリンの魔法がまだ残っている頃。

    アクセルとベアトリス夫妻は、村はずれの家で夜にろうそくを使うことも許されず、村の人に一線を引かれたような暮らしを送っている。
    文字はなく、全てのことは口伝えで残されるというのに、ここの人たちの記憶はいつもすぐに消えてなくなってしまう。
    何か大事なことを忘れているような気がする…。そんな思いも、いつしか忘れ…。

    人々の物忘れの原因は、辺りに立ち込めている霧のせいではないか。
    身のまわりも頭の中も、もやもやとしてつかみどころのない登場人物の視点で語られる物語は、やっぱりつかみどころがなくて、手さぐりで読み進めるしかない。
    ただし、読み手のほうには記憶力が多少なりともあるので、余計に悩ましいともいえる。

    忘れたり思い出したりを繰り返しながら、夫婦は遠く離れて暮らしている息子の元を訪ねていくことにする。
    今と違って公共の乗り物どころか道すらも満足にないなかを、老夫婦は息子の元へと歩き続ける。

    旅の途中で若い戦士や鬼に襲われた少年、そしてアーサー王の甥である老騎士と、出会ったり別れたりを繰り返しながら、彼らは伝説の雌竜の元へと集結する。
    雌竜こそが、この霧の大元なのだから。

    ストーリーにするとこんな感じ。
    けれど文字になっているよりも多くのものごとがこの小説には含まれているようで、考えれば考えるほどに物語に捕らわれていくよう。

    最初にアクセルとベアトリスが住んでいた村の様子を読んでいた頃は、アイヌの人達を思い浮かべてしまった。
    荒涼とした土地。連なる丘。文字を持たず、共同生活のようにかたまって住む人たち。(でも、農業を営んでいましたね)
    何よりも、先住民でありながら追いやられたようにひっそりと暮らす人々の姿が。

    けれどもそれは、世界中のどこでも行われている光景なんだなあと、読み進めていくうちに気が付く。
    アクセルとベアトリスと老騎士はブリトン人。若き戦士と少年はサクソン人。
    本当は侵略する側とされる側で対立しているはずなのに、混じりあい、互いを尊重しながら暮らす人々。
    それは善きことのはずだけれど。

    “あなた方キリスト教徒の神は、自傷行為や祈りの一言二言で簡単に買収される神なのですか。放置されたままの不正義のことなど、どうでもいい神なのですか”

    個人の記憶と、民族の情念。
    今、日本に暮らしている日本人にはあまりピンとこない民族の情念が、現実社会ではいつも大きな諍いの種になる。

    雌竜の放つ霧のように、詳細を見えないようにしたまま持ち続ける情念は恐ろしい。
    だがしかし、全てをクリアにすることで問題は解決できるのか。却って重荷を背負うことになってしまうのではないか。

    “これまでも習慣と不信がわたしたちを隔ててきた。昔ながらの不平不満と、土地や征服への新しい欲望―これを口達者な男たちが取り混ぜて語るようになったら、何が起こるかわからない”

    常に寄り添って生きてきたアクセルとベアトリスが最後に選んだ道は、一体どう意味なのか?
    考えた時に気づいてしまった。
    アクセルの、戦士の、少年の、騎士の視点で語られたこの物語は、一度もベアトリスの視点に立っていなかったことを。

    彼女は何を思い、何を考えて生きてきたのか。
    時に子どものように頑固に、今という時間しか持たなかった彼女は、最後に記憶を取り戻すことができたのか。
    それともどこかで記憶を取り戻していたのか。

    アクセルとベアトリスの違いの大きさに、何か読み落としているようで不安なのである。

  • カズオ・イシグロ、『わたしを離さないで』以来、実に10年ぶりの長編小説である。
    舞台は伝説のアーサー王時代のブリテン島。6~7世紀で、ローマ人やサクソン人との争いも遠い日のことではなく、竜や悪鬼、小妖精も出没する。
    世界は霧に覆われている。不穏な霧は視界を遮るばかりではなく、どうやら人々の記憶を奪う力も持つらしい。
    年老いた夫婦、アクセルとベアトリスは、沼のほとりの小さな村に住む。愛し合い、支え合う夫婦だが、ほかの村人たちとは必ずしもしっくりとはいっていないようだ。なぜそんなことになったのか、「霧」のせいで誰もよく覚えてはいない。あるとき、2人は長年の懸案であった旅に出ることにする。夫婦にはどうやら息子がいたようなのだ。確か、少し離れた村にいたはずだ。息子を訪ね、出来るならばともに住もう。
    かくして、靄に霞む世界の中、覚束ない足取りの2人の旅が始まる。

    旅の途中で、体に不安を抱えるベアトリスのため、2人は薬師や修道士の元を訪ねる。
    道中、2人はさまざまな人に会う。小島に渡る人々を運ぶ義務を持つ船頭。竜を退治する使命を帯びた老騎士。サクソン人の逞しい戦士。悪鬼に掠われ、何とか救い出された少年。怪しげな儀式を執り行う僧たち。
    旅を続けるうち、「霧」の正体や、息子の居場所、2人の過去、多くのことが徐々に明らかになっていく。
    老夫婦が最後にたどり着く場所はどこか。

    茫漠とした印象を与えつつ、非常に注意深く構築された物語の骨格を感じる。
    忘れられた巨人(The Buried Giant)とは何者か。
    巨人が掘り起こされ、目を覚ますとき、世界は、人々は、何に直面することになるのか。
    人は何を絆とし、何のために闘うのか。
    過去の出来事が薄れていくとしたら、最後に残るものは何か。
    憎しみや怒りを乗り越えて、なお残る愛はあるのか。
    争い。宗教。民族。誇り。絆。
    白い霧の中に、多くの難問が黒くごつごつと横たわる。

    霧が晴れたとき、どのような世界が見えるか。
    その答えは読者に委ねられる。

  • 前情報のないまま読む。
    「わたしを離さないで」のときのように、さぁこれからどうなるんだ!とソワソワしながら読み進める。

    そして、中盤、思い出す…

    そうだった、イシグロさんの作品に明確な救いを求めちゃだめなんだったことを。

    あとは、ひたすら、これ以上悪いことが起こりませんように、と思いながら読んでいました。

    どすーんときます。読み応えがあります。


    物語の舞台は、アーサー王が亡くなった後のブリテン島。(巻末の解説によると六、七世紀らしい)

    人の記憶を奪う霧が立ち込め、鬼や妖精も出てくるファンタジーだけれど、冒険をするのは老夫婦。

    老夫婦でも手加減なしで、魔物が襲ったり険しい山を登ったりします。

    個人的には、エドウィン少年の存在がつらい。
    せめて老夫婦に出会えたことは救いなのかな…

    この小説をどういう風に受け止めればいいのか、迷う。

    過去や幻影が入り混じり、忘れられていた記憶を手繰り寄せながら真実が立ち上がってくる。

    自分がイギリス(と書いていいのかわかりませんが)の文化に疎すぎて、重要なことを見逃している気がする。

    侵略の歴史を扱って、いるんですよね?(誰に聞いているんだか)
    でもこれは物語や過去の話ではなくて、今の、話だと感じた。

    恨みは残っているのか?


    登場人物の誰もが迷い続けている。

    誰もが旅の途中で、心許ない。

    ラストがそれでよかったのかわからない。


    それと、神様(キリストさん)に祈る場面が割とあるのだけど、揶揄してるのかなーと思った。

  • カズオ・イシグロの 日本人ルーツゆえなのか?

    「忘れる」ということの両面が使われている。

    また「忘れる」ということと 永きの平和 との関係も問うている。通常、「忘れる」ことは信頼関係をゆるがす。大事なことを覚えていることで、人間関係は強化される、と考えるものだろう。

    忘れ去ることを良しとする発想は、日本の「水に流す」という言葉に込められているが、同じような感覚は英国にもあるのだろうか?

    逆に、アーサー王伝説をモチーフにした作品であることは、むしろ彼の文化との距離を感じる。
    竜を守る側のガウェインやマーリン、サクソン人のウィスタンは 竜退治のトリスタンのようだ。モチーフが何かはわかるが感覚的に呑み込めないのはもどかしい。
    彼らは これらの登場人物にどんなイメージをもって読むのだろうか?

    “わたしを離さないで” では イシグロ氏が何人であるかなど考えもせずに読んだ。
    “日の名残り”は英国的色彩一色だった。

    この作品は、混じり合うことのないグローバリズムや、信頼を支える孤独に当惑させられた。
    哀しいですね。。

  • 『昔ながらの不平不満と、土地や征服への新しい欲望---これを、口達者な男たちが取り混ぜて語るようになったら、何が起こるかわからない』

    イシグロ・カズオの新作は相変わらすどこかファンタジーのようでいて実際には現実の社会を色濃く映し出したような手触りがする。「わたしを離さないで」もそうだったように。穿ち過ぎであるかも知れないけれど、少なくとも自分にはこの作品が、基本的にはラブストーリー、とは思えない。憎しみの負の連鎖。ハムラビ法典の時代から絶えず繰り返されてきた、それをどこで絶ち切るのが正しくどこからが過ぎた報復であると言えるのかというテーマ。アーサー王の時代のイングランドに舞台を設定したためか、遠すぎず近すぎず、現代を重ね合わせることができるように思えてならない。またその時代であれば、宗教的な対立の構図に拘泥しすぎることもない。その舞台の中で、許しに対する問い掛けが通奏音のように響き続けている。

    ある民族と別な民族の争いと融和。そしてその和平協定に対する裏切り。大きな物語としてはそんな構図の上で繰り広げられる伝説的な一匹の竜を廻る冒険譚。すらすらと読んでしまうと、これはイシグロ・カズオによる指輪物語のプロローグかとも見えてしまうような話であるけれど、ここにあるのは勧善懲悪の物語等では決してなく、弱った竜に託されていた幸福と、その息の根を止め為されようとする正義との相容れないものの対立の物語なのだと思う。そして、そんな大きな正義の物語の直ぐ隣で、忘れられた過去を恐れお互いの許しという問題に向き合う老夫婦の物語が並走する。この一つのテーマを全体レベルと個人レベルの両方から描いて見せるところにも、どこかしら現代社会の縮図のような隠喩めいたメッセージを読み取ってしまいがちだ。

    忘れられた巨人の意味するものは最後に明かされるが、その巨人が深い眠りから目覚めるか否かは明かされることなく物語は幕を閉じる。同胞の少年に負わされた重荷は単純にその巨人の怒りの中で解消するようには見えないし、擬似的なものであるにせよ、幾つかの家族的な関係を全体正義の中でどう捉えるか、読むモノ一人一人に考えて見るように問われてもいる。そして、最後に老人は許しを得たのか否か。その謎を残して物語を終える巧みさが、自分がイシグロ・カズオを鋭い社会批評家であると思う理由なのである。

  • ファンタジー色がとても強い。個人的にはあまり合わなかった。

  • 忘却の霧に支配された土地で、人々は過去が不確かなまま生活をする。
    アクセルとベアトリスは仲のいい老夫婦だが、失くした記憶の向こう側に見える過去から、自分達には息子がいることを知る。そして息子の村へと二人は旅立つ。
    二つの国の対立と、強引に解決した過去。
    忘却の霧によって二つの国の国民は隣人への憎しみを忘れていたが、やがてその霧を払うために遣わされた男と、老夫婦が出会う。

    面白かった。
    忘れることで麗らかな関係を築いていたとしても、当然許しにはなっていない。
    しかし、全てを思い出したあげくに発生するだろう対立の果てに何が待っているのかはわからない。
    老夫婦は人生の終わりを見据えて全てを思い出す道を歩んだのだろうけど、若者にとっては悲惨な結果かもしれないと思う。

  • カズオ・イシグロの新作。なんと10年ぶりの長編らしい。『わたしを離さないで』からもうそんなに経っているのか……。
    その『わたしを離さないで』はSF、『わたしたちが孤児だったころ』はミステリと、ジャンル小説の手法を用いるイシグロだが、今作はファンタジー。『新作は単なるファンタジーではない』という発言でやや物議を醸したらしいが、純粋にファンタジーかと言われるとちょっと首を傾げる。ご本人がおっしゃっている『本質的にはラブストーリー』が一番ぴったりなんじゃないかなぁ……。

  • 日本名だが、魂はイギリス人。翻訳物は意訳が難しいため、分かりにくい。

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奇妙な霧に覆われた世界を、老夫婦は息子との再会を信じてさまよう。ブッカー賞作家が満を持して放つ、『わたしを離さないで』以来10年ぶりの新作長篇! 著者来日、ハヤカワ国際フォーラム開催

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