忘れられた巨人

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制作 : Kazuo Ishiguro  土屋 政雄 
  • 早川書房 (2015年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152095367

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忘れられた巨人の感想・レビュー・書評

  • カズオ・イシグロは大好きな作家だが、新作をリアルタイムで読むのは、これが初めてのことになる。結論から言えば、『わたしを離さないで』『日の名残り』の二作に優るとも劣らぬ素晴らしい傑作だ。
    ただし最初のうちは戸惑った。舞台は、アーサー王が死んでから数十年後のブリテン島。鬼やドラゴンや妖精が当たり前のように跋扈し、騎士が重要な登場人物となり、『薔薇の名前』を思わせる修道院まで出てくる。設定だけ見れば、完全な中世ファンタジーの世界だ。これまでのイシグロ作品のイメージとあまりにも違うので、何か入れ小細工のような設定になっているのではと疑いながら読んでいたが、最後まで設定は変わらない。主人公の老夫婦はどことなくホビットを思わせるし、これはカズオ・イシグロ版『ロード・オブ・ザ・リング』なのかと思った。しかし拡散気味に見えた様々な要素がドラゴン退治に集約される終盤に至ると、神話的であると同時に限りなく現代的なテーマを持った物語の全貌が明らかになる。

    「記憶と忘却」「捏造された記憶」はイシグロ作品にいつも出てくるテーマだが、今回はそれが個人だけでなく民族の問題にまで発展する。「忘却に基づく平和」が正しいのか「真実の記憶に基づく戦争」が正しいのか…その対立の果てに、憎しみの連鎖(視点を変えればそれは「正義」と呼ばれる)が壮大な悲劇をもたらす。このあたりの展開には、明らかに21世紀の世界が重ね合わされている。ブリトン人とサクソン人の歴史に詳しいイギリス人なら十分に予想出来た結末かもしれないが、知識が乏しい日本人としては、次第に明らかになっていく各人の行動の真意や終盤の劇的な展開に、手に汗握る思いだった。
    そして本作は、民族の興亡を描く叙事詩であると同時に、ある老夫婦の愛を描いた抒情詩でもある。主人公のアクセルは一体何者なのか? 彼と妻ベアトリスの間に本当に息子はいるのか? 二人の過去に一体何があったのか? 記憶、忘却、愛、憎しみ、そして赦し…様々なテーマがぶつかり合い溶け合っていく最終章は限りなく美しく、一つの世界の終わりと新たな世界の誕生を同時に見ているかのようでもある。悲劇を乗り越えるためのかすかな希望も、そこには感じられる。
    舞台設定こそ『ロード・オブ・ザ・リング』のようだが、途中から強くイメージが重なったのはテオ・アンゲロプロスの映画だった。当初ホビットのように見えた老夫婦は、それ以上に、父親を探して旅をする『霧の中の風景』の姉弟のようであり、ラストは『シテール島への船出』を彷彿とさせる。アンゲロプロスは、民族の歴史と個人の人生を共に描くことに成功した映画作家だったが、同様に、イシグロも本作において叙事詩と抒情詩の融合に成功した。一貫して描き続けてきたテーマをさらに深化させ、同時に全く新しい物語世界を構築した、カズオ・イシグロの見事な傑作。予想とまったく違う形で期待に応えてくれたのが、何よりも嬉しい。

  • うーん、これはどう読んだらいいのだろう。

    アーサー王がほんの少し前までまだ生きていた時代のイギリス。マーリンの魔法がまだ残っている頃。

    アクセルとベアトリス夫妻は、村はずれの家で夜にろうそくを使うことも許されず、村の人に一線を引かれたような暮らしを送っている。
    文字はなく、全てのことは口伝えで残されるというのに、ここの人たちの記憶はいつもすぐに消えてなくなってしまう。
    何か大事なことを忘れているような気がする…。そんな思いも、いつしか忘れ…。

    人々の物忘れの原因は、辺りに立ち込めている霧のせいではないか。
    身のまわりも頭の中も、もやもやとしてつかみどころのない登場人物の視点で語られる物語は、やっぱりつかみどころがなくて、手さぐりで読み進めるしかない。
    ただし、読み手のほうには記憶力が多少なりともあるので、余計に悩ましいともいえる。

    忘れたり思い出したりを繰り返しながら、夫婦は遠く離れて暮らしている息子の元を訪ねていくことにする。
    今と違って公共の乗り物どころか道すらも満足にないなかを、老夫婦は息子の元へと歩き続ける。

    旅の途中で若い戦士や鬼に襲われた少年、そしてアーサー王の甥である老騎士と、出会ったり別れたりを繰り返しながら、彼らは伝説の雌竜の元へと集結する。
    雌竜こそが、この霧の大元なのだから。

    ストーリーにするとこんな感じ。
    けれど文字になっているよりも多くのものごとがこの小説には含まれているようで、考えれば考えるほどに物語に捕らわれていくよう。

    最初にアクセルとベアトリスが住んでいた村の様子を読んでいた頃は、アイヌの人達を思い浮かべてしまった。
    荒涼とした土地。連なる丘。文字を持たず、共同生活のようにかたまって住む人たち。(でも、農業を営んでいましたね)
    何よりも、先住民でありながら追いやられたようにひっそりと暮らす人々の姿が。

    けれどもそれは、世界中のどこでも行われている光景なんだなあと、読み進めていくうちに気が付く。
    アクセルとベアトリスと老騎士はブリトン人。若き戦士と少年はサクソン人。
    本当は侵略する側とされる側で対立しているはずなのに、混じりあい、互いを尊重しながら暮らす人々。
    それは善きことのはずだけれど。

    “あなた方キリスト教徒の神は、自傷行為や祈りの一言二言で簡単に買収される神なのですか。放置されたままの不正義のことなど、どうでもいい神なのですか”

    個人の記憶と、民族の情念。
    今、日本に暮らしている日本人にはあまりピンとこない民族の情念が、現実社会ではいつも大きな諍いの種になる。

    雌竜の放つ霧のように、詳細を見えないようにしたまま持ち続ける情念は恐ろしい。
    だがしかし、全てをクリアにすることで問題は解決できるのか。却って重荷を背負うことになってしまうのではないか。

    “これまでも習慣と不信がわたしたちを隔ててきた。昔ながらの不平不満と、土地や征服への新しい欲望―これを口達者な男たちが取り混ぜて語るようになったら、何が起こるかわからない”

    常に寄り添って生きてきたアクセルとベアトリスが最後に選んだ道は、一体どう意味なのか?
    考えた時に気づいてしまった。
    アクセルの、戦士の、少年の、騎士の視点で語られたこの物語は、一度もベアトリスの視点に立っていなかったことを。

    彼女は何を思い、何を考えて生きてきたのか。
    時に子どものように頑固に、今という時間しか持たなかった彼女は、最後に記憶を取り戻すことができたのか。
    それともどこかで記憶を取り戻していたのか。

    アクセルとベアトリスの違いの大きさに、何か読み落としているようで不安なのである。

  • カズオ・イシグロ、『わたしを離さないで』以来、実に10年ぶりの長編小説である。
    舞台は伝説のアーサー王時代のブリテン島。6~7世紀で、ローマ人やサクソン人との争いも遠い日のことではなく、竜や悪鬼、小妖精も出没する。
    世界は霧に覆われている。不穏な霧は視界を遮るばかりではなく、どうやら人々の記憶を奪う力も持つらしい。
    年老いた夫婦、アクセルとベアトリスは、沼のほとりの小さな村に住む。愛し合い、支え合う夫婦だが、ほかの村人たちとは必ずしもしっくりとはいっていないようだ。なぜそんなことになったのか、「霧」のせいで誰もよく覚えてはいない。あるとき、2人は長年の懸案であった旅に出ることにする。夫婦にはどうやら息子がいたようなのだ。確か、少し離れた村にいたはずだ。息子を訪ね、出来るならばともに住もう。
    かくして、靄に霞む世界の中、覚束ない足取りの2人の旅が始まる。

    旅の途中で、体に不安を抱えるベアトリスのため、2人は薬師や修道士の元を訪ねる。
    道中、2人はさまざまな人に会う。小島に渡る人々を運ぶ義務を持つ船頭。竜を退治する使命を帯びた老騎士。サクソン人の逞しい戦士。悪鬼に掠われ、何とか救い出された少年。怪しげな儀式を執り行う僧たち。
    旅を続けるうち、「霧」の正体や、息子の居場所、2人の過去、多くのことが徐々に明らかになっていく。
    老夫婦が最後にたどり着く場所はどこか。

    茫漠とした印象を与えつつ、非常に注意深く構築された物語の骨格を感じる。
    忘れられた巨人(The Buried Giant)とは何者か。
    巨人が掘り起こされ、目を覚ますとき、世界は、人々は、何に直面することになるのか。
    人は何を絆とし、何のために闘うのか。
    過去の出来事が薄れていくとしたら、最後に残るものは何か。
    憎しみや怒りを乗り越えて、なお残る愛はあるのか。
    争い。宗教。民族。誇り。絆。
    白い霧の中に、多くの難問が黒くごつごつと横たわる。

    霧が晴れたとき、どのような世界が見えるか。
    その答えは読者に委ねられる。

  • 前情報のないまま読む。
    「わたしを離さないで」のときのように、さぁこれからどうなるんだ!とソワソワしながら読み進める。

    そして、中盤、思い出す…

    そうだった、イシグロさんの作品に明確な救いを求めちゃだめなんだったことを。

    あとは、ひたすら、これ以上悪いことが起こりませんように、と思いながら読んでいました。

    どすーんときます。読み応えがあります。


    物語の舞台は、アーサー王が亡くなった後のブリテン島。(巻末の解説によると六、七世紀らしい)

    人の記憶を奪う霧が立ち込め、鬼や妖精も出てくるファンタジーだけれど、冒険をするのは老夫婦。

    老夫婦でも手加減なしで、魔物が襲ったり険しい山を登ったりします。

    個人的には、エドウィン少年の存在がつらい。
    せめて老夫婦に出会えたことは救いなのかな…

    この小説をどういう風に受け止めればいいのか、迷う。

    過去や幻影が入り混じり、忘れられていた記憶を手繰り寄せながら真実が立ち上がってくる。

    自分がイギリス(と書いていいのかわかりませんが)の文化に疎すぎて、重要なことを見逃している気がする。

    侵略の歴史を扱って、いるんですよね?(誰に聞いているんだか)
    でもこれは物語や過去の話ではなくて、今の、話だと感じた。

    恨みは残っているのか?


    登場人物の誰もが迷い続けている。

    誰もが旅の途中で、心許ない。

    ラストがそれでよかったのかわからない。


    それと、神様(キリストさん)に祈る場面が割とあるのだけど、揶揄してるのかなーと思った。

  • カズオ・イシグロの 日本人ルーツゆえなのか?

    「忘れる」ということの両面が使われている。

    また「忘れる」ということと 永きの平和 との関係も問うている。通常、「忘れる」ことは信頼関係をゆるがす。大事なことを覚えていることで、人間関係は強化される、と考えるものだろう。

    忘れ去ることを良しとする発想は、日本の「水に流す」という言葉に込められているが、同じような感覚は英国にもあるのだろうか?

    逆に、アーサー王伝説をモチーフにした作品であることは、むしろ彼の文化との距離を感じる。
    竜を守る側のガウェインやマーリン、サクソン人のウィスタンは 竜退治のトリスタンのようだ。モチーフが何かはわかるが感覚的に呑み込めないのはもどかしい。
    彼らは これらの登場人物にどんなイメージをもって読むのだろうか?

    “わたしを離さないで” では イシグロ氏が何人であるかなど考えもせずに読んだ。
    “日の名残り”は英国的色彩一色だった。

    この作品は、混じり合うことのないグローバリズムや、信頼を支える孤独に当惑させられた。
    哀しいですね。。

  • 『昔ながらの不平不満と、土地や征服への新しい欲望---これを、口達者な男たちが取り混ぜて語るようになったら、何が起こるかわからない』

    イシグロ・カズオの新作は相変わらすどこかファンタジーのようでいて実際には現実の社会を色濃く映し出したような手触りがする。「わたしを離さないで」もそうだったように。穿ち過ぎであるかも知れないけれど、少なくとも自分にはこの作品が、基本的にはラブストーリー、とは思えない。憎しみの負の連鎖。ハムラビ法典の時代から絶えず繰り返されてきた、それをどこで絶ち切るのが正しくどこからが過ぎた報復であると言えるのかというテーマ。アーサー王の時代のイングランドに舞台を設定したためか、遠すぎず近すぎず、現代を重ね合わせることができるように思えてならない。またその時代であれば、宗教的な対立の構図に拘泥しすぎることもない。その舞台の中で、許しに対する問い掛けが通奏音のように響き続けている。

    ある民族と別な民族の争いと融和。そしてその和平協定に対する裏切り。大きな物語としてはそんな構図の上で繰り広げられる伝説的な一匹の竜を廻る冒険譚。すらすらと読んでしまうと、これはイシグロ・カズオによる指輪物語のプロローグかとも見えてしまうような話であるけれど、ここにあるのは勧善懲悪の物語等では決してなく、弱った竜に託されていた幸福と、その息の根を止め為されようとする正義との相容れないものの対立の物語なのだと思う。そして、そんな大きな正義の物語の直ぐ隣で、忘れられた過去を恐れお互いの許しという問題に向き合う老夫婦の物語が並走する。この一つのテーマを全体レベルと個人レベルの両方から描いて見せるところにも、どこかしら現代社会の縮図のような隠喩めいたメッセージを読み取ってしまいがちだ。

    忘れられた巨人の意味するものは最後に明かされるが、その巨人が深い眠りから目覚めるか否かは明かされることなく物語は幕を閉じる。同胞の少年に負わされた重荷は単純にその巨人の怒りの中で解消するようには見えないし、擬似的なものであるにせよ、幾つかの家族的な関係を全体正義の中でどう捉えるか、読むモノ一人一人に考えて見るように問われてもいる。そして、最後に老人は許しを得たのか否か。その謎を残して物語を終える巧みさが、自分がイシグロ・カズオを鋭い社会批評家であると思う理由なのである。

  • ファンタジー色がとても強い。個人的にはあまり合わなかった。

  • 忘却の霧に支配された土地で、人々は過去が不確かなまま生活をする。
    アクセルとベアトリスは仲のいい老夫婦だが、失くした記憶の向こう側に見える過去から、自分達には息子がいることを知る。そして息子の村へと二人は旅立つ。
    二つの国の対立と、強引に解決した過去。
    忘却の霧によって二つの国の国民は隣人への憎しみを忘れていたが、やがてその霧を払うために遣わされた男と、老夫婦が出会う。

    面白かった。
    忘れることで麗らかな関係を築いていたとしても、当然許しにはなっていない。
    しかし、全てを思い出したあげくに発生するだろう対立の果てに何が待っているのかはわからない。
    老夫婦は人生の終わりを見据えて全てを思い出す道を歩んだのだろうけど、若者にとっては悲惨な結果かもしれないと思う。

  • カズオ・イシグロの新作。なんと10年ぶりの長編らしい。『わたしを離さないで』からもうそんなに経っているのか……。
    その『わたしを離さないで』はSF、『わたしたちが孤児だったころ』はミステリと、ジャンル小説の手法を用いるイシグロだが、今作はファンタジー。『新作は単なるファンタジーではない』という発言でやや物議を醸したらしいが、純粋にファンタジーかと言われるとちょっと首を傾げる。ご本人がおっしゃっている『本質的にはラブストーリー』が一番ぴったりなんじゃないかなぁ……。

  • カズオ イシグロを読むのはこれが初めて。わたしを離さないでのほうが有名だけど。

    アーサー王全く知らないけれど、Wikipedia によると彼の功績(伝説)の一つは、サクソン人の侵略からブリテン島を守ったことらしい。

    少年漫画みたいだなー、というはじまりから、それぞれの謎の解決がわりかし早かった。
    主語述語がきちんとある文章で、読みやすいというかよみにくいというか。くせがある文章のほうがもっと読み続けやすいかも。
    わたしの理解が足りてないのかもだけど、Beatriceは文句ばっかりでどこがいい奴なのかわからなかったし、Axlは徒労の多い人生だな、というかんじで。ドラゴン倒したあとも、これで悲劇が、、、とみんなで言ってたけどそれSir Gawainが散々言ってたやん!何を今更!と。
    知らぬが仏。

  • カズオ・イシグロの話題作…と言っても話題になったのはもうずいぶん前だけれど。忘却の霧に覆われたファンタジー的な世界における老夫婦の冒険と愛情を描いた作品だが、『充たされざる者』ほどの非現実感は無い。『わたしたちが孤児だったころ』の探偵小説的世界、『わたしを離さないで』の SF 的世界と並べてみると、いろいろなスタイルを模索している中での習作とも言えるが、それにしても前二作よりはやや劣る印象。

  • 「わたしを離さないで」のイメージを持って読み始めたので、舞台が古きイングランド、アーサー王の時代から地続きの、竜も妖精も住まう半ば神話の中の物語・・・というのにまず面食らった。

    主人公は互いを労わりあう仲睦まじい老夫婦。
    なぜか、彼らをはじめとしたこの国の人々は健忘症にかかっていて、ほんの数日前のことをすぐに忘れてしまう。
    夫婦は顔も忘れてしまった息子を訪ねるための旅に出る・・・よたよたとした足取り、繰り返されるちょっとまだるっこしいくらいの会話。
    冒険のはずなのに胸が膨らむような期待感はなく、なんともさみし気で、読み続けている間、びょおびょおと強い風の吹き荒れる荒野がずっと続いているのを眺めているような気持ちになった。
    少しずつ解きほぐされていく記憶の果てが悲しくて寂しくなる。
    共に生きていくということは思い出や記憶を共有するということなんだろうけれど、そのことと、いまただ傍にいるということの価値は等価なんだろうか、それともどちらかのほうが価値が高いんだろうか。
    人は、記憶のなかにある人と、目の前にある人と、どちらをより信じ、必要とするんだろう。
    そんなことをふと考えた。

  • カズオ・イシグロの10年振りの長編は、記憶と忘却をテーマにしている。例えば「東京物語」の老夫婦が家族の思い出を語り合うように、そもそも誰かが何かを憶えていなければ物語は始まらないのだが、アクセルとベアトリスは大事なことを忘れてしまっている。自分たちの息子がどこにいるのかも覚束ない。

    大事なことを忘れているところからスタートする。この設定をクリアするために、筆者は「私を離さないで」に続いてファンタジーの採用に踏み切ったのだろう。「人の心には竜が棲んでいる」といえば隠喩にすぎないが、竜を物語の中に登場させればそれも隠喩なのだけどファンタジーになる。そのファンタジーが違和感なく受け止められるための仕掛け、それがアーサー王伝説だろうか。

    ゲルマン系サクソン人がケルト系ブリトン人の土地に侵攻していた時代、侵略者に颯爽と立ち向かったのがアーサー王である。しかしローマ人がブリタニアを放棄した後のことでもあり、残念ながら史書にその記録は残されていない。アーサーはそもそも敗者の側であり忘れられていたのに、後世思い出されて英雄になった。それはキリスト教化していたブリトン人と未改宗のサクソン人という構図、つまり宗教戦争の英雄と位置づけられたからだ。歴史は時に勝者に都合の良いことのみを語り平然としているが、神話であればなおさら恥じる必要はない。アーサーだけでなく当時の西欧各地のローマ側の将軍たちは数に勝るゲルマン人を何度となく包囲殲滅しているが、やがて防御網を分断され敗れていった。ブリトン人もそうだったのだとすると、そこにどのような感情があったのか、神話に書かれていないけれども想像することはできる。

    こうして、「記憶と忘却」「神話の中の宗教戦争」「民族間の憎悪」という道具立てが整った。ボスニア・ヘルツェゴビナの惨事を記憶に留めようとするのであれば、現地を取材してドキュメンタリーとして書き上げることもできたはず。しかしそれでは彼の壮大な想像力は現実の凄惨さの前に色あせてしまうかもしれない。彼が想像力を駆使する舞台に選んだのは、イギリスの古い血塗られた記憶、アーサー王の時代だった。

    そもそも、人間は都合の悪いことを忘れたり、政治的な必要性から記憶を留めようとしたりする動物である。日本人は被爆の記憶を留めようと原爆記念公園を作り、そこに70年の間に記憶の薄れた敵方の大統領が訪問したと喜ぶが、一方で慰安婦像をソウルに建てて忘れまいとする人々には眉を顰める。竜の息は過去を正当化する悪なのか、人々が平和に暮らすための正義なのか。正義と悪だけでなく記憶と忘却も相対化してしまったところに、私は筆者の思考力の凄さを感じた。

  • 人間の本質の探求と対話という体験をこのような形で経験することになるとは。
    読み終わって時間が経過するにしたがって、ジワジワと思考が活性化してくる。
    そして、圧倒的な筆力に圧倒される。

  • 忘却の霧が晴れたとき、良い思い出とともに悪い思い出もよみがえる。
    長年愛し合ってた夫婦の絆が壊れるかもしれない。
    昨日までの隣人が、敵に変わるかもしれない。

    人の記憶が年月とともに薄れていくのは、幸せな思い出だけを胸に旅立てるように、という神さまの配慮なのでしょうか。忘れることは、許すこと。けれども、それは誰かに強制されてできるものではないのだと思います。たとえその記憶が人を縛り、不幸にするものだとしても、人はやはり向かい合っていかなければならないのでしょうね。

    島へと旅立つとき、船頭の「一番大切に思っている記憶は何か」という問いに、自分だったら何と答えるかな…いろいろなことを考えさせられる良い本でした。

  • こういうレビューって、基本的な情報を提供するのがいいのか、個人的な思い入れを書き込めばいいのか、難しいところがある。
    まあ、イシグロほどの作家であれば、作品の評価そのものにはあまり意味がない。傑作以外ありえない。
    そうした場合、その作品世界への読み手の内省の仕方こそが問われなければならないはずで、そういう作品をわれわれは「古典」と呼ぶのだろう。
    今作も、新作にしてすでにクラシック。

    「buried giants」
    自分の心の奥底に眠る決着のつかない記憶が呼び覚まされる時…
    現実とファンタジーの区別など無意味だ。
    何が起きてもおかしくない。

  • 「それに、一番大切に思っている記憶を話すとき、人は本心を隠すことなど不可能です。愛によって結ばれているという二人の中に、わたしたち船頭は愛でなく恨みや怒り、ときには憎しみすら見ることがあります。あるいは、大いなる不毛とかね。ときには孤独への恐怖だけがあって、それ以外には何もなかったりします。」

    NHKの文学白熱教室で、カズオ・イシグロ氏自身がこの作品を語るのを聞いた。
    未読だったけれど、その言葉だけで涙が出そうになった。
    彼の創作への真摯な態度は、この作品の一文字一文字に込められている。
    素晴らしい書き手だ。
    しかし、まさかアーサー王絡みとは…!
    アーサー王の話をまるで知らない私でも充分楽しめたけれど、知っていたらもっと楽しかったのだろうなと悔しくも思う。
    まるでずっと冒険小説を書いて来たように、スリリングな展開が非常に上手い。
    その中に、彼らしい繊細な心理描写が織り込まれ、絶妙な引き方で謎が解かれていく。
    翻訳も見事。
    読み終えると胸が満たされた。
    また読み返したい一作。

  • 巨人はどこに出て来るのだろうか…と思って読んでいましたが、直接は登場しませんでした。ブリトン人とサクソン人が隣人として暮らすのは、竜という共通の恐怖から身を守るためだった。その竜を退治してしまった今、恐怖の霧が晴れ、かつての隣人を歴史を振り返れば敵であったことを思い出すのか、その大きなうねりが巨人。巨人が立ち上がることのないよう、息子のいる村まで助け合って旅する老夫婦の絆が、立ち寄った村々に良い影響を及ぼしてきたことを願うばかりです。

  • 鬼やドラゴンが登場するファンタジーな世界観で読みやすいが、戦争や宗教や死を扱った重めのテーマも見え隠れする、カズオ・イシグロらしい書き方だと感じた。

    なにもかも忘れて幸せに生きることを選ぶか、たとえ辛い過去でも思い出して前に進むことを選ぶか。その葛藤を陰に陽に描きながら物語は進んでいく。物語の終盤で描かれる、倒れた騎士と倒れたドラゴンのエピソードは忌まわしい過去を敢えてほじくり出すことを象徴し、とうとう世界は動き出す。だが、これからどうなるかは誰にもわからないし、どうにでもなる世界なのだ。社会のレベルにせよ個人のレベルにせよ、「記憶によってつなぎとめられる絆」と「忘却によって保たれる平和」のバランスが要となる。そして、クライマックスで暗示される「死」は、究極の忘却であり最大の安定なのかもしれない。

    具体的には、戦争が民衆の心に残す傷や宗教のあり方を問うのがテーマなのだろうが、これは老夫婦の愛の物語として読んでいいと思う。世界を語るには、少々お話が薄っぺらい気がするので。

    「いるの、アクセル」「いるよ、お姫様」という老夫婦のかけあいが霧の中でこだまするようなラストがとても悲しかった。

  •  舞台となるのは、六世紀か七世紀ごろのイギリス。この地域を300年ほど支配したローマ帝国が勢力衰退によって引き上げ、土着のケルト系民族であるブリトン人と、新しく今のドイツあたりから移住してきたサクソン人がそれぞれ別々に村をつくって住んでいる。川や沼地には冷たい霧が立ち込み、鬼の隠れ家になっている。地面は耕すに固く、病気も流行する、厳しい世界だ。
     主人公はアクセルとベアトリスというブリトン人の仲むつまじい老夫婦。村からはろうそくさえ取り上げられるほど冷遇されているが、二人で懸命に助け合って暮らしている。この二人が、長らく会っていない息子の住む村を目指し、旅に出るところから物語は始まる。とはいえ息子の顔や声さえさだかではない。この国は「健忘の霧」に蔽われていて、二人だけではなく、みな数日前のことさえ忘れてしまうのだ。
     旅が進むにつれ、じょじょに世界の広がりが見えてくる。かつて大きな戦争があったらしいこと。悪鬼や獰猛な烏が増えて、どうやらこの国はだんだんと悪いほうに傾いていること。そして、クエリグという雌竜が吐く息こそが「健忘の霧」の正体であるらしいこと。
    そしてサクソン人の旅の戦士ウィスタン、故アーサー王からクエリグ退治を命じられた老騎士ガウェインとの出会いにより、二人の「息子を訪ねる旅」はいつしか「クエリグ退治の旅」へ、すなわち「世界の謎」にかかわる活劇へとスライドしていく。
     ファンタジー要素が注目されているが、本書の本質はミステリーだ。戦士にも、騎士にも隠された本当の使命がある。アクセルは昔、二人に出会っていて、ただの農夫ではなかっただろうこともほのめかされる。しかし、なにしろこの国には「健忘の霧」が立ちこめているのだ。「信用できない語り手」しか登場しない世界を、読み手は老夫婦とともにさまよい歩かなくてはならない。
     謎は、老夫婦の間にももちろんある。そもそも二人が「息子を訪ねる旅」から寄り道するきっかけになったのは、ある船頭の話を聞いたから。長年連れ添った夫婦でも一人ずつしか渡してくれない不思議な島。その島で二人で幸せに過ごすには「一番大切に思っている記憶」について、別々に答えなければならない。この話を聞いて不安になったベアトリスは、どうしても記憶を取り戻したくなったのだ。しかし、思い出したくない記憶だって、長年連れ添った夫婦のなかにはある。時折、不実の影が顔を出し、不穏な空気を漂わせる。
     一方、世界最大の謎は、かつての大戦争に関わること。「わが敬愛するアーサー王はブリトン人とサクソン人に恒久の平和をもたらした」と語るガウェイン卿に、「偉大な王はどのような魔法で戦の傷を癒やされたのですか」と尋ねる戦士ウィスタン。もしかしたら「忘却の霧」こそが、その要にあるのではないか――。
     歴史というものを「民俗の記憶」ととらえたとき、「思い出したくない」ことを忘れてしまっていいのか、その忘却が何をもたらすのか。ファンタジー仕立てになっていることで、かえって「現代」を思わせる物語になっている。

  • カズオ・イシグロの作品は、シニカルさを感じるものが多いが、この物語では作家のメッセージが直球で届いた。

    我々は、平和や愛を求めながら、憎しみや復讐を繰り返す。今も昔も変わらない。
    真実と向き合い、時間がかかっても、問題を乗り越えられる時が来ますように。

  • ★2015年7月4日読了『忘れられた巨人』カズオ・イシグロ著 評価B-B+
    長崎県出身で5歳から英国に滞在する日本人作家の作品。海外では大変評価が高いらしく、長崎出身と聞いて興味を持ったので、読んでみました。ノーベル賞を村上春樹よりも先にとるのではないかとの噂もあるらしい?!

    様々な作風の著作があるようですが、今回は英国のアーサー王没後の時代の物語で、ファンタジー系。

    翻訳のために、その作風は本当に日本語訳の通りかどうかは原作に目を通さないと何とも申し上げられませんが、うーん 評価は難しいところ。

    ファンタジーとしての物語の出来は、上橋菜穂子さんの方がずっと上のような気もするし、雰囲気、書き込みの表現はイシグロ氏の方が数段上の感じ。おそらく、イシグロ氏はネイティブの英国人と同等の感性で、書いておられるので、日本人の私には理解出来ない世界、背景がやはりあると考えざるを得ません。そう、作品全体にイメージで言えば、英国の荒涼とした原野とどんよりした雲と氷雨という雰囲気が重く感じられると申し上げればお分かりいただけるでしょうか?

    ブリトン人の老夫婦のアクセルとベアトリスは、村ではつまはじきにされて苦しい生活を送っていた。ある日、家を出て他の村に住む息子を訪ねようと夫婦は旅立つ。
    その旅の途中で、若きサクソン人の戦士、ウィスタンと鬼に襲われて胸に傷を負い、村人から鬼に変わると怖れられ殺されそうになっている少年エドウィンと出会う。
    国中を覆うクリエグという雌竜の吐く奇妙な霧によって、皆が昔の記憶を失う状況に、そのクリエグを追い求める旅になってしまう。その旅の道すがら、アーサー王の騎士で年老いた老騎士ガウェインに出会い、危ない目に遭いながらも、クリエグを遂に見つける。そして、、、

  • 記憶の問題、かみ合わないコミュニケーション、信頼と憎しみ。読み進めるのは、決して楽ではない。しかし、象徴と寓意を考えずにはいられない。「お姫様」という呼びかけが、優しさに満ちている。

    ゆれる主人公が最後、きちんと待てる人になれる、というのが、まさに象徴的。

  • これまで邦訳されたものは全て読んでいるカズオ・イシグロの最新作。作品ごとにテーマが異なるのは彼の作品の一つの特徴だが、今回はイギリス中世を舞台にした歴史ファンタジーという点に驚かされた。鬼や竜が登場し、アーサー王伝説を下敷きにした騎士が活躍するというこれまでの彼の作品世界からはかけ離れたものであったが、読み進めればいつもの彼の文学世界に浸ることができる。

    彼が得意とする「信頼できない語り手」の文学技法は、登場人物数名の一人称で語られる本作でも健在であり、主人公の老夫婦の語り口を怪しみながら、どのような結末になるのかを期待するのは、彼らの作品の大きな楽しみ方であるように思う。

    大傑作『私を離さないで』のような衝撃的な結末ではないが、序盤に張られた伏線が結末で解きほぐされ、じんわりとした暖かさを与えてくれる佳作。

  • カズオイシグロ+ファンタジー、ということで非常な期待をしてしまった。ドラゴンや妖精、鬼が登場し、著者の作品につきものの「ぼんやりとした不安」みたいなのも感じさせつつ、解説にあるようにテーマは「恋愛」。思ったほどでもなかったなあ、というのは、読みながらなんとなくつっかえてしまう和訳のせいでしょうか…。

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忘れられた巨人の作品紹介

奇妙な霧に覆われた世界を、老夫婦は息子との再会を信じてさまよう。ブッカー賞作家が満を持して放つ、『わたしを離さないで』以来10年ぶりの新作長篇! 著者来日、ハヤカワ国際フォーラム開催

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