ひとりでは生きられないのも芸のうち

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163696904

感想・レビュー・書評

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  • 『cancam系ファッションが、エステティックな趣味を共有する排他的な集団の記号ではなく、【私は排他的な人間ではありません。私、受け入れて欲しいんです】というメッセージを発信している』
    『中国において、子どもは社会的リソースの十分な分配を妨げるネガティブファクターであり、日本では親の自己実現や自己決定を妨害するネガティブファクターである』
    『結婚と育児が高い人間的能力を涵養する機会であることを感じ取って、自分自身の心身のパフォーマンスを高め、幸福な大人になるために結婚し、子どもを産もうとする新しいタイプの女性が出現してきた』
    『人間は【フェアネス】の実現と、【信頼】に対する応答のために働くときにその能力に限界を超える』
    『働きたいのになかなか仕事に就けない若者は自分に向いた仕事という条件に呪縛されているように思う』
    『労働は達成感を容易に得ることが出来る。芸術はそれに比してはるかに要求が苛烈である』
    『求職者が【やりがいあるしごと】を求めるほどに、それはモジュール化し、彼らを雇う仕事は安くなる』
    『メディアは日本語の語彙を減らすことに全力を尽くしている。それは最もリテラシーの低い読者の読解力に合わせて無制限に下方修正を繰り返す。読者を増やそうとすれば、宿命的によりリテラシーの低い読者に向かうしかない』
    『フランスでは、【自分の属しているシステムの構造や機能がわかっている人間】と【わかっていないけどそのことに気づいていない、あるいは気づきたくない人間】の間に超えがたい階層差ある。そのようにシステムについての知という文化資本を経由して、階層は拡大再生産する』
    『ナショナリズムを彼らが選ぶのは、原子化された個であることの不利を共同体に帰属することで解消したいが、共同体に帰属することで発生する個人的責務や不自由さについてはそれを引き受ける気がない』
    『自立を煽るとマーケットサイズは拡大する。これが80年代バブル期の商売による確信だ。この時期からメディアは家を出てひとりで暮らすことをうるさく推奨したのだ』
    『自我の縮小、自我の鈍化は市場が我々に要求したもの。最後の工程の1パーセントだけ違う殆ど同じ商品がまったく違う商品として認知されているという消費者サイドの差異コンシャスネスの高さは生産者からすればこれほどありがたいことはない』
    『自我というのは他者とのかかわりの中で、環境の変化を変数として取り込みつつ、そのつど解体しては再構築されるある種の流れのよどみのようなものである』
    『現代人は自分自身を愛する仕方をわすれた。その理由はおそらく、【ほんとうのじぶん】という幻想的な【中枢】を想定して、それに他のすべてが従属している状態としての自我をイメージしているから。そのせいで雑多な人格要素が星雲状態でぐちゃぐちゃと混在している現実の自分をそのまま愛することができなくなっている』
    『自分自身を愛するというのは、自分自身の中にあるさまざまな【不快な人格要素】となんとか折り合って暮らしていくということ。隣人を愛するとうのも同じこと』

  • 働くことと生きること

  • (読みかけ)目から鱗って話ではないけども…おもしろい。

  • 非婚・少子化・メディア・教育・いじめ・ナショナリズムなど、
    幅広い題材を自由自在に操る内田樹先生は占い師のような人。
    <p>
    一見哲学書の様に思えるが、実は「自分らしい生き方」・「自分探し」・「自己決定」・「自己利益」などへの根本的な批判である。これらの追求は、特定の条件下でのみ有効性を持つのであって、人間はこれまで自己利益よりも共同体を優先することによって生き延びてこられたのだ。
    <p>
    「自分らしく生きる」ということは自由で良いと思われがちだが、実は違う。
    著者はそれを、フランスのユダヤ人哲学者・レヴィナスの根本テーゼ「pour l’autre(他者のために/他者の代わりに/他者に向けて/他者への返礼として)」にのせて「ひとりでは生きられないのも芸のうち」という共通コンセプトを掲げている。
    <p>
    ポップ調で書かれているが、記憶に残る一冊。

  • 2008.12.30. 著者のインタビューをどっかの雑誌で読んで、おもしろいなぁと思って読んでみたら、やはしおもしろい。柔軟な考え方に、びんびん触発されそう。知らないカタカナ語が出てくるんだけど、そんなのにもめげずに、ぐんぐん読める。こんなに、柔軟に考えられる人が、あ、人になりたいです。

  • この本のタイトルが気になって読んでみました。

    今の時代をどう生きるか。
    自分の考え、思想を持って現代を生き抜く指針となるのではないでしょうか。

    内田樹哲学をお楽しみください。

  • なんでだろう、内田樹の本を読んでいると、いつも自分が物凄く若い人になったような気がする。大分、内田先生の教えが個人的には浸透してきて、どんな展開になりそうか予想が付くようになってきたけれど、それにしても余りも反発を感じることなく、ふんふん、と頷いてしまう。余りいいことではないけれどもね。でもいつもむくむくと頭をもたげてくる、何言ってんのかねえ的気概が湧かないからこそ、自分が物凄く幼いもののように自分自身で感じてしまうんだろう。

    物質と場、あるいは、般若心経の色と空、陰と陽。それらは常にどちらかだけでは意味を成し得ないし存在すらできない。白地に白が存在できないように、図と地がお互いを補完し合うこと、それが内田流の説話には常に流れている考え方だと思う。何かが強く主張される時、その言葉は単独で存在している訳ではなくて、発せられた世界との対で意味をなす。だから、言葉になっていないところの意味というのを捉えなおす必要があるよね、と内田先生はいつも言う。その通り、と思うことしきり。

    上手い例を思いつかないけれど、お土産を渡す時「つまらないものですが」という口上をその言葉が直接指すもので理解する人はいない。そういうことが世の中にはごまんとあるなら、大人になるって大変だなあ、と子どもの頃には思っていた。でも気付いてみると、そういう言葉にしないニュアンスというのがいつの間にか通じにくい世界になっても来ているような気がする。

    「けれども『実体としての象』が先行していなければ『記号としての象』はそもそも生まれてくるはずのないものである。とはいえ、ソシュールが教えるように、『象』という獣が示差的に分節されるのは『象』という記号の発生と同時的である。記号がなければ、概念はない。他者と主体の関係もそうなのである。主体と他者の関係に構造的にいちばん近いのは『シニフィアン』と『シニフィエ』の関係である。他者が主体の出現を要請し、主体がなければ他者を『他者』として表象するものはいない。この相互に基礎づける関係はエロス的関係でも同じである。」

    ということは、物凄く根源的ということだよね。こんな風に引き籠り気味に感想文を書いているのは、自分を他者として見たいからなんだけれども、そういう自己完結は無限退行する、あるいはラッキョウの皮むき、猿のナントカのように、出口がないことでもあると気づいている。一方、自分以外の他者を容認すること、そのことで、一気に世界は色を持つ。そこのところを飲み込みなさい、と説く内田先生の話を読むと、いつも世界がじわじわ色を取り戻すイメージが湧いてくる。

    とはいえ、自分もそろそろいい歳なので、今時の若いもんはーっ、とか無慈悲なことを言いつつ、内田先生のようにびしっと本質的なことを言って若者が覚醒するのを見てみたい、という面ももちろんあって、そんなに素直な悩める若者を演じているばかりではいられない。そこで自戒を込めて冷静に考える。いかんねえ、答えを知りたがり過ぎるのは、と。もしかすると、明快な答えがわんさかと提示されていること、そこが内田樹を読む上での落とし穴かも知れません。

  • 初めて読んだ内田樹の本。頭の中で形にならなかったことが「なあるほど そうだったのか」と腑に落ちてしまう。「そうでなっくて」と思うところはあるけれどね。ブログも登録し、チェックしている今日この頃です。

  • 贈りあうこと、そして未来の不確実性。同じことを述べていると感じるということは、軸がブレていないということ。常に。

  • こういう語り口大好き。
    時々意味がわからない単語があるけど読み飛ばす。それでも、子供のような私にもわかりやすい文章で現代社会の現象や問題を解説してくれる。
    ふざけているのか本気なのかわからないし、内容は正しいのか正しくないのかわからない。でも、どんどん読みたくなるし、著者自身を知りたくなる。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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