選択の科学

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163733500

感想・レビュー・書評

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  • 選択の科学/シーナ・アイエンガー
    
    これは面白い。
    最近気になった本で、7年前からAmazonの欲しいリストにあって、即購入。
    
    膨大な研究結果から、人が選択することによる幸福度、達成度、罪悪感等あらゆる結果を考察する。
    
    人は選択肢が多すぎると、困惑して何もしないという選択をしてしまう。人が満足のいく選択をするには適度な選択肢の中から選ぶことが
    重要になってくる。
    
    他にも自由婚と親が決める結婚とどちらが幸せなのか、子どもがおもちゃで遊ぶことを禁止したときの心理的影響等、興味深いことばかりだった。
    
    人は起きてから寝るまでずっと何らかの選択をしている。aを選ぶかbを選ぶかで結果は異なる。時にその選択を人に託してしまうことも一つの有効な手。
    
    選択を力に変えることが学べる良い本でした。

  • 『感想』
    〇ジャムの実験は、人の行動心理をよく表している。選択肢が多ければいいって話じゃない。

    〇ひねくれた考えかもしれないが、仕事で上司に今後の方向について提案するとき、多くの選択肢から自分が選択した数個の枠から、自分の本命が選ばれないと内心がっかりする。しかし大部分の可能性を自分で閉じて表にださないでいられるのだから、それができるだけ自分が認められていると思えば悪くはないか。

  • 1.人間が選択するうえで何を考えているのかを知りたくて購入しました。

    2.選択することはどんな力をもたらすのか?という大きなテーマを掲げ、状況に応じて人間が選択する理由について実験を交えながら述べている一冊です。
    人は他人とは違う選択をしたがったり、豊富な選択肢が不幸にしたり、自分の選択に後悔がつきまとう理由だったり、身近に感じるようなことが述べられています。
    また、選択をする背景には、自分の意思とは違う力が働くことがあり、当初の目的とは異なる決断を下す理由についても述べられています。自分の生活と照らし合わせながら、読んでみると面白いです。
    かなり内容が濃く、科学的根拠も多いので、内容が重いですので、気になる章だけ読むのもアリだと思います。

    3.人間は常に選択を迫られながら生きているのですが、自分の意思で選択しているとは限らないということを改めて思い知らされました。情報過剰の現代では、選択疲れを起こさせない努力が必要だと思います。例えば、SNSをみているだけでも常に情報に触れていることとなり、様々な選択を迫られています。インターネット広告が広がっている今では、企業が様々な手段を使って自社を選んでもらう方法をとっています。この本を読んで理論がわかっているとはいえ、選択を間違えることは多くあります。この本を読んだことをきっかけに、「なんでこの選択をしたのか?」という問いを常に繰り返し、自分の選択に後悔がないようにしていきたいです。

  • 普段の買い物から職業、結婚に至るまで選択肢に溢れた今の世の中は、とても恵まれているとわかっているけれど、優柔不断な私には生きづらくもある。

    「多すぎる選択肢は必ずしも人を幸せにしない」と言われて久しいが、本書ではどのような研究からそのことが明らかになったのか、わかりやすく説明されている。

    更にそこから踏み込んで「難しい選択を迫られたとき、その場になってから考えたのでは最良の選択が難しい。普段から準備を」と具体例を添えて提言しているのが素晴らしいと思う。

    特に老後のことや病気になったときのことなど、自身に想定問答を重ねていくことで「自分にとって大切なことは何か」が見えてくると思うので実践したい。

    選択についての文化間比較の話も面白い。良著!

  • 『わたしたちはどんな状況であっても、選択の自由を手放すことを嫌う。それはなぜかと言えば、選択を通じて自分の人生をより良いものに変えられるという信念があるからだ。

    だがその反面、どの道を選んでも自分の幸せを必ず損なうような選択が存在することを、わたしたちは経験的、本能的に知っている。

    これがあてはまるのは、選択が避けられない上に、どの選択肢も望ましくないという状況、特に自分の大事にしているものを、「絶対的価値」(worth)ではなく「相対的価値」(value)という観点から考えることを強いられるような状況だ。』

    「選択」というものをいろいろな角度から考察していて面白い。「選択出来るということ」「選択すること」「選択を強いられること」「選択させられるということ」「選択したと感じること」とにかく「選択」のあり方がよく分かる。

    「自由」と「選択」はセットで語られるが、自由の中にどれだけの選択があるのか、また逆に、選択の中にどれだけの自由があるのか、考えさせられる作品。

  • 「選択」という文脈の中に置かれたときにこそ、一人一人の物語は初めて意味を持つようになるのだ。選択》とは、自分自身や自分の置かれた環境を自分の力で変える能力のことだ。選択するためには、まず、「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。そこでまず、集団主義、個人主義といった文化、社会、規範が個人に及ぼすパラダイム検証しその影響を分析する。人が幸せをどのように定義し、どのような基準で結婚の成功を判断するかは、親や文化から受け継いだスクリプトによって決まるという。思考が個人の態度、そしてもちろん、個人の選択、その結果としての成果に強力な影響を与えていることになる。多数の文献、検証、研究、宗教的価値観、文化的価値観が扱われており、目まぐるしく非常におもしろいので脳からドーパミンが放出される内容だ。また日本がこんな風に客観的に語られていると、自分がいかに社会的な生き物だったかということに目を覚まさせられた気がする。

  • 読みやすい。選択することの意味

  • 著者は選択についての研究では第一人者である。スーパーで24種類のジャムと6種類のジャムを店頭試食販売した場合、どちらが良く売れるのか。なんと圧倒的に6種類のジャムを販売した時なのだ。ジャムの販売コーナーに立ち寄る買い物客人数は24種類60%・6種類40%だが、立ち寄った人で実際に購入したのは6種類が30%、24種類はわずか3%であった。人間は同時に処理できる数は7つが限界で、それ以上になるととたんに判断力が落ちてしまう。世の中には七不思議とか七つの海とか七つの顔などの言葉があるし、一週間は7日になっている。これらもそのことと関連が有るのかも知れない。そのほかアジア人は欧米人に比べ選択の満足度に母親の影響が強く出るなど、興味深い構造が明らかにされる。なかなか面白い研究だと思った。

  • テレビなどでも大きく取り上げられている、元シーク教徒で盲目の「選択」についての専門家。あの、品揃えが多すぎるジャムの実験をした人だったのか!

    ・わたしたちが「選択」と呼んでいるものは、自分自身や、自分の置かれた環境を、自分の力で変える能力のことだ。選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。
    >>/> 「選択」とは能動的なものである!

    ・理想化された資本主義体制では、社会での地位を高める機会に外側から課される制約「からの自由」が、何にもまして強調される。
    人は、少なくとも建前上は、自分の能力を頼りに成功する機会、あるいは失敗する機会を、平等に与えられている。だが制約のない世界とはすなわち、競争の世界であり、そこでは有能な人、勤勉な人、また単に幸運な人が有利になる。多種多様な商品やサービスが提供されるが、だれもが入手可能なすべての選択肢を手に入れられるわけではなく、生きていくのに最低限必要な食料、住居、医療さえ賄えない人がいるかもしれない。
    これに対して理想化された共産主義、社会主義体制は、十分な生活水準を獲得「する自由」をすべての成員に補償することで、機会の平等ではなく、結果の平等を目指す。だが問題は、困窮者に分け与えられる資源を、どこかが、いやもっとはっきり言えば、だれかが負担しなくてはならないことだ。つまりだれかが「からの自由」を減らされ、国家に財産を徴発され、経済活動を指図されることになる。
    …こうくれば、自然な疑問が湧いてくる。「総合すると、どちらのアプローチが優れているのだろうか?」。
    だがこの疑問に答えを出すのは、事実上不可能だ。
    なぜなら、どちらの自由を信奉するかによって、支持する政策だけではなく、その政策の影響を受ける人々が幸福度を計る尺度までが変わってしまうからだ。
    「からの自由」の信奉者は、一人当たりGDPといった尺度を使うことが多い。この尺度から、一人ひとりに潜在的な機会がどれくらい開かれているかが、大まかに分かる。たとえば2008年時点でのアメリカの一人あたりGDPは4万7000ドル、これに対してEUの平均は3万3400ドルだった。
    他方「する自由」の信奉者は、ジニ係数といった尺度を使うだろう。ジニ係数とは、国家の所得分配の(不)平等さを測る指標である。ジニ係数が計測されている134ヵ国のうち、富と資産の分配において最も平等な国はスウェーデンだ。また旧ソ連の構成諸国や衛星国の多くが、一人当たりGDPは低いが、最も平等な30ヵ国に含まれる。アメリカは93位で、カメルーンやコートジボワールなどと大差ない。アメリカ民主主義の壮大な実験は、未曽有の国富とともに、不平等のはびこる社会をも生み出したのだ。
    >>/>  東ドイツ国民がのちに東西合併前を懐かしがったそう。昔は医者は割り当てられている一人だけだったっけど、今は誰にもかかれるけれどどの医者も高いとか。うーん、難しい。社会主義だと皆さぼるように一律に思うけど、資本主義の会社でも手抜きできれば人は手を抜くしなぁ。しかもそれぞれの主張を支持する為にまたそれぞれ別の調査データを持ってこれるとは。

    ・「羊の群れの中でひとりぼっち」現象。
    一つめの調査では、学生にいくつかの法案を読ませて、それぞれへの賛否を尋ねた。このとき考慮材料として、共和党と民主党がこれらの法案について、それぞれどのような立場を取っているかという情報を与えた。
    はたしてほとんどの学生が、支持政党の考え方を反映した判断を下したのだが、それだけでは話は終わらなかった。
    どの学生も、自分は法案のメリットを考慮して判断し、ほかの学生はただ支持政党の方針に同調しただけと考えていたのだ。
    次の調査では、今やどこでも見かけるiPodの持ち主に、購入の決め手について尋ねた。はたしてかれらは、“自分は”他の人のように流行に流されず、むしろ小型、記憶容量の大きさ、洒落たデザインといった、実際的理由を基に決定を下したと主張したのである。
    >>/> “それ”を、流行と呼んでいるという事だ。個々人のそれぞれの購買意欲を刺激して。
    「流行り」を主体性のある何かと思っている認識の誤認。この実験の主体はそちらでは勿論無く、他人を概ね自分より軽薄と見る一般的な傾向について語っていますけれど。人の主体も尊重しないと。でも多分、自分の考えと世界から自分に伝わるメッセージの情報量の格差が誤謬の原因なんだよな。。

    ・イソップ物語の「すっぱいブドウ」の話を思い出してほしい。キツネはどうにかしてブドウを取ろうとして、しばらくの間頑張ってみるが、どうしても届かない。
    そこでキツネはあきらめ、こんな負け惜しみを言って立ち去るのだ。「あのブドウは、どうせすっぱいに決まってるさ」。
    キツネの心変わりは、わたしたちが不協和を軽減するために本能的に取る方法の典型例だ。わたしたちは自分の信念と行動の矛盾に気づくとき、時間を巻き戻して行動を取り消すことはできないため、信念の方を、行動と一致するように変えるのだ。
    もし物語の筋が変わって、キツネがブドウをとうとう手に入れ、食べてみたらすっぱかったなら、キツネは努力が無駄になったと感じないために、自分はすっぱいブドウが好きなんだと、自分に言い聞かせることだろう。
    …どうやらわたしたちは、過去の感情を思い出すのも、将来の自分の感情を言い当てるのと同じくらい、下手なようだ。
    しかし前項で見たように、わたしたちは自分自身が一貫性のある、分かりやすい人間だと思いたいという欲求を持っているため、自分の感情や意見について、意味のある物語を組み立てるのだ。
    …このようにしてわたしたちは、一貫性に欠けることの多い、本当の気持ちや好みのギザギザの端を滑らかにしていく。
    >>/> 「すっぱいブドウ」の別ver。こっちも有りがち。自分の作った創作料理の評価とか(笑)。
    父親が小さい頃、形が残っているバナナカレーを作り大変家族には不評だったのに、「そんな言うほど悪くないじゃん?」みたいな事を言っていたのを思い出した!バナナがドロッとして不味かったなあ。

    ・毎年わたしは、自分が受け持つMBAの学生に、コカ・コーラのCEOを務めたロベルト・ゴイズエタの、ほとんど伝説化した物語を聞かせることにしている。
    就任まもない頃、上級副社長たちとの会合に出たゴイズエタは、全世界のソフトドリンク市場で同社が45%ものシェアを獲得したといって、経営陣が浮かれ騒いでいることを知った。
    経営陣は現状に安住し、株主価値を今後2、3年で5%から10%程度高めれば十分だと考えていた。だがゴイズエタにとってそれは、あまりにも無難な戦略だった。そこでかれは、「何をもって成長とするか」という概念に、異議を唱えることにした。かれはこう尋ねた。
    「人間の一日の水分摂取量はどれだけだね?」それからこう言った。
    「世界の人口は?」。
    最後に、最も重要な質問をした。
    「ソフトドリンク市場ではなく、飲料市場全体で見た場合、わが社のシェアは、何%かね?」
    答えはわずか2%と出た。
    >>/> 自分の現状に満足する事があれば、これを教訓にすべし。まずはそこまで行かないと。

    ・わたし自身の経験から言えば、コーラは自由を象徴する。わたしがベルリンに行ったという話は前にした。1989年11月のベルリンの壁崩壊に続く祝典では、缶コーラが無料で配布された。
    それから何年も経った頃、コカ・コーラのマーケティング・キャンペーンについて研究しているとき、初めて無料のコーラのことを思い出したのだった。
    そうだ、自由の勝利として讃えられたあの日、わたしはたしかにコーラを飲んだのだ。壁から削り取った色とりどりの破片を左手に持ち、右手にはコーラ缶を握っていた。もしかしたらわたし自身のコーラ好きも、そのとき動かぬものになったのかもしれない。わたしの中ではこのとき、コーラが、自由やその他のアメリカの理想と結びついたのだ。
    >>/> アメリカのいやらしさと底力。でも、逆に言えばアメリカがあって、コカ・コーラがあったから、ベルリンの壁が崩れたのかも、知れないよね。

    ・(イギリス王室御用達のジャム会社ウィルキン&サンズの売り子に化けた、高名なジャムの実験)
    店内の通路を練り歩けば、15種類のミネラルウォーター、150種類のビネガー、250種類のマスタードに250種類のチーズ、300種類のジャム、500種類の農産物が揃っていた。…店(ドレーガーズ)は圧巻の品揃えでまちがいなく注目を集めていた。だがその注目は、売り上げに結びついていただろうか?
    種類が豊富で品質が高く、ジャムなら試食しやすくほとんどの人が嫌いではないであろうと思われた。
    数時間ごとに、試食に供するジャムの種類を、大きな品揃え(ウィルキン&サンズの全レパートリー28種から一般的なイチゴ、ラズベリー、ブドウ、オレンジ・マーマレードを省いた)と小さな品揃え(キウイ、ピーチ、ブラックチェリー、レモンカード、レッドカラント、スリー・フルーツ・マーマレード、の6種)を切り替えた。
    まず、24種類の時は買い物客の60%が試食に立ち寄ったが、6種類の時は40%しか訪れなかった(別の研究助手が張り込んで計測する)。
    試食コーナーでは、24種類の時も6種類の時も試食した客は平均二種類程度試食した。立ち寄った客全員に、どのジャムでも使える一週間有効の1ドル引きクーポンを渡した。試食コーナーではジャムを販売しなかったので、顧客はジャム売場に行き、ジャムを選んでレジで支払いする必要があった。
    さて、ジャム売場で。24種類のジャムを見た試食客は、ビンを次々手に取り戸惑っていた。長いときには10分も迷い、多くの人は手ぶらで去ってしまった。6種類しか見なかった客は、1分程で目当てのジャムのみすぐに取って購入するという行動が多かった。
    クーポンを集計した結果、驚くべき事実が判明した。6種類の試食に立ち寄った客のうち、ジャムを購入したのは30%だったが、24種類の試食の場合、実際にジャムを購入したのは、試食客のわずか3%だったのだ。大きな品揃えの方が、買い物客の注目を集めた。それなのに、実際にジャムを購入した客の人数は、小さな品揃えの方が6倍以上も多かったのである。
    この結果を店長に伝えると、かれはその意味について考え込んでしまった。ドレーガーズでのお買い物体験が圧倒的だということには、文句のつけようがなかった。しかしこの結果は、店の運営方法にどんな意味を持つのだろう?豊富な品揃えを見て圧倒されることことが、ドレーガーズに行く目的だという人が多かった。ドレーガーズへ行くことは、単なる買い物ではなく、娯楽でもあったのだ。でも店が繁盛するには、ただ訪問客や見物人を集めるためだけではだめだ。
    …一つの対策として、ただ品揃えをするだけに終わっていた。試食コーナーの使い方を変えようと、店長は考えた。品揃えが豊富なのは、店内の陳列を見ればわかることだ。むしろ、特定の商品やブランドの選択肢を厳選して紹介するために利用すべきだ。このようにして試食コーナーは、ただの見せ物ではなく、選択のプロセスを補助する役割を担うようになったのだった。
    >>/> この実験は知っていたけど、こんなに、こんなに結果に違いがあるとは知らなかった。

    ・これらの401kプランは株式の占める割合が最も高く、しかも選択できるファンドの数が多いプランほど、株式の配分が高い傾向にあった。したがって、普通に考えれば、たとえファンドをランダムに選んだとしても、選択肢が多いプランほど、株式の配合は高くなるはずだった。
    しかし、実際には正反対のことが起こっていた。プランで選択可能なファンド数が10本増えるごとに、株式にまったく投資しない人の割合が2.87%増え、しかもそれ以外の人たちの株式組み入れ比率も3.28%低下し、代わりに債権や公社債投資信託(MMF)の比重が高まったのである。
    なぜわたしたち研究者は、この結果を憂慮したのか?それは、401kが長期的な資産運用を前提としており、株式投資が本領を発揮するのが、まさにその長期投資だからにほかならない。過去25年間の平均投資収益率を見ると、株式は確実に債権とMMFを上回るリターンを上げており、特にMMFは物価上昇率にも追いつかず、インフレで目減りするおそれさえある。
    それなのにわたしたちの調査では、本来大きなリスクをとる余裕があるはずの、10代後半から20代前半の加入者にさえ、プランのファンド数が増えるほど株式の配分が低くなる傾向が見られた。
    これは憶測だが、全部のファンドを検討するのがあまりに煩雑だったため、最も大きな分類である株式を頭の隅に追いやることで、選択肢の数を減らそうとしたのではないだろうか。
    >>/> えーと、あっさり長期投資では株式がいいのが普通でしょ、という感じが参考になりました(笑

    ・「一つの扉が閉じれば、もう一つの扉が開く」。
    このヘレン・ケラーの名言は、だれかの願いが惜しくもかなわなかったときなどに、長い目で見ればいいこともあるさと慰めるために使われることが多い。だが夢破れた瞬間にそういわれても、なんの慰めにもならないかもしれない。
    この名言には、実は続きがある。「しかし閉ざされた扉ばかり、いつまでも未練がましく見つめていると、開かれている扉に気づかないことが多いのだ」。
    わたしたちが失われた選択肢を未練がましく見つめ続けるのは、すべての扉を大きく開け放っておきたいからなのだ。
    >>/> そうか。確かに、失敗した後の未来はもう一つの扉。何か選択して選びとって来た自分の人生に対して、切り捨ててきた自分の可能性のことをユング心理学では「コンプレックス」または「シャドー」と呼ぶ。そのような形で自分に影響を与えるが、失敗して閉まってしまった扉の先の可能性は、自分の中の「シャドー」に落ちるが、逆にそこに行かなかった可能性の方が残るのか。

    ・フランスの数学者、科学思想家のアンリ・ポアンカレはこう言った。
    「発明とは、無益な組み合わせを排除して、ほんのわずかしかない有用な組み合わせだけを作ることだ。発明とは見抜くことであり、選択することなのだ」。
    わたしなら後の文をちょっと変えて、違う説を唱える。「選択とは、発明することなのだ」。選択とは、創造的なプロセスである。
    ・われわれは探究をやめない。そして探究のはてに出発した場所に戻り、初めてその場所を理解するのだ。―T・S・エリオット
    >>/> 引用の引用。コメントが難しい(^^
    青い鳥も、月の人(イナガキタルホです)も、旅した後でしか見つけられない。旅した後なら、生まれ持っていた不公平も愛でる事ができて、でも不足と思っていないと旅にでない。

  • HONZ代表の成毛氏がこの「選択の科学」の著者シーナ・アイエンガーに会いに行って話しをしている。
    盲目の女性教授であるが、数々の実験を繰り返し、「選択」を分析している。コーラとサンタクロースにまつわる話など、おもしろい話が満載だった。

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