女のいない男たち

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163900742

感想・レビュー・書評

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  • 「ただその時の僕にはそうする必要があった」とか「そういう機会もなくはなかったが、とくにそうしたいという気持ちは起きなかった」系の春樹構文を読むと、自然とウフフとなりますね。久々に懐かしい人に会えた感覚。

    自分が傷ついたことをその時にうまく受け止められず認めなかったせいで、あとから向き合う必要に迫られる「木野」はよかった。無事逃げおおせたと思っていたのに全然傷は癒えてなかった、ってことは人生の至るところで十分起こりうる。

    抽象的な存在がどんどん感覚的にせまってきて、
    いや今これは一体何言ってんだ...?
    私この世界で迷子?
    いや、合ってるか...
    となる感覚そのものが私にとっての村上春樹。

    「独立器官」「シェエラザード」も面白く読めた。


  • 映画がとても良かったので読んでみました。
    女のいない男たちが主人公の短編集でした。
    全て謎が謎のままで終わる感じがあって、村上春樹らしいお話でした。好みではありませんでした。
    逆に、謎が謎のままで終わる各小説を繋ぎ合わせてあの映画をまとめたことが凄いなと再認識しました。

  • プライベートの忙しさで途中、読書習慣を絶っていたので、実質1冊読み終えるのに数カ月かかってしまいました。そのせいか1冊としての感想や重みがあまり残らず。短編ひとつひとつが村上春樹らしい官能混じりの深みを持った内容。村上春樹の作品は、いつも真剣に読んでいても時間軸がズレるような独特な感覚があります。それにしても最後の作品を読む頃には、この「女がいない男」という設定に飽きてしまったのか、最終短編は理解に苦しんだ。端的に言えば、昔の不倫相手が自殺してしまい考える物事があったんだろうが、表現の言葉の数々が、余計に頭を悩ませる内容でした。

  • 村上春樹の短編集。2014年の近作です。
    女がいない、というか女を失った後、そのことばかり考えている男たち?
    かなり読みやすい方でした。

    「ドライブ・マイ・カー」
    俳優の家福は、専属のドライバーとしてある女性を雇うことになる。美人ではないが若くてそれなりに魅力はある女性。
    つれづれに、妻に浮気された話なども聞かせるようになる‥

    「イエスタデイ」
    20歳の頃の思い出。友達の木樽は、関西出身ではないのに関西弁を喋る男だった。妙なこだわりのある男で、理想の女性だという自分のガールフレンドを紹介し、僕に付き合わせようとしたのだ。

    「独立器官」
    美容整形外科医の渡会は、裕福でモテモテ。女性とは長く付き合わないのをモットーとしていた。ところがある日、本気になった女性というのが‥
    女には独立器官がある、と語る‥

    「シェエラザード」
    ハウスから出られない男に、世話係としてやってくる女性。淡々とセックスをして、時には昔の思い出を語る。
    好きだった男の子の家に忍び込んだ話などを。

    ほかに「木野」「女のいない男たち」
    浮気される話が多いので、ちょっと印象がごっちゃになってきて、みんな作家がバーで聞いた実話みたいに思えてきたり。
    いやそこまで現実味はないんだけど、でも何となくありそう。
    理屈っぽくてスタイリッシュで、冷静にも見えるけど‥じつは失恋にはこれほどの破壊力があるらしい。
    めんどくさい語り口には、女性としては、それがどうしたの?みたいな気持ちも一瞬浮かびますね(笑)
    現実味がないのは、すべて失われたことだからか!
    喪失感をいつまでも抱きしめているのも、男性は失恋体験にも名前をつけて保存、している状態ってことなんでしょうね。

  • なぜ「まえがき」があるのだろう。
    騒がれた北海道のあれのせい?
    すっかり「女を失う」ことに囚われつつ読んでいる。
    こうやって続けて失っていく男性たちを読むと、春樹の主人公の「かっこ良くて情けない」がしみてくる。
    亡くなった妻の浮気相手と友人になる家福。
    幼馴染から恋人になった彼女と上手く距離のとれない木樽。
    身を削る恋に突然落ちた渡会。
    彼女の寝物語に引き込まれていく羽原。

    「僕はたしかに決めの台詞を口にしすぎるかもしれない。」

    「紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです」

    女性はとても現実的で「嘘をつくための特別な独立器官」を巧妙に使い、男性はどこかボンヤリ霞がかかっているよう。
    「どこまでも冷ややかな複数形」。
    どの話もそういう視点か!と楽しんだけど、ラストの書き下ろしはいらなかったなあ。
    「木野」の余韻で終わりたかった。
    柳と猫と女と喪失。

  • 短編集。最後にいくにつれ内容が頭にうまく入っていかなくなる。
    私の頭じゃ理解ができない。
    「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」はいいと思います。
    何回も読んだら理解できるのかな~

  • 初めて村上春樹を知ったのは今から30年以上前、大学生だった頃にアルバイトをしていた書店で、平積みされた「風の歌を聴け」を手に取った時だ(それは完全に「ジャケ買い」だった)。それ以来、20代、30代は新刊が出るのを待ちわびたり、雑誌のインタビューをスクラップしたりとすっかり村上春樹にハマってしまった。

    でも、実はここのところ村上作品が退屈に感じるようになっている。本作も、前半はなんだかちょっと退屈だった。おもしろいと思ったのは、後半に載せられている「シェエラザード」と「木野」かな。特に「木野」はピリピリと緊張感があって私好みだった。

    「風の歌を聴け」だったか「羊をめぐる冒険」だったか忘れたが、「僕」が「鼠」の書いた小説を評価する点として、登場人物が「女と寝ない」ことと「死なない」ことだ、と言う場面がある。人は誰でも女と寝るし、いつかは死ぬ。当時これを読んで、いたく感銘を受けたのだが、本作には男女の交わりと死が溢れている。というか、それが中心の作品群となっている。

    この本はおもしろいのだろうか?退屈なのだろうか?想像力の乏しい私には少し退屈に感じた。でも、売れるんだろうな。

  • 人の痛みが判るか判らぬかは、その人の人生の意味の重さと深さを決めてしまうと言ってもいいのではないだろうか。
    それと同じに、この物語のテーマである「喪失の痛み」をくみ取るだけの感性を持ち合わせているか否かが、本作を含む村上作品のなかのある作品群の重さと深さを受け止める為に不可欠な素養である。

    最初にお断りするが、私は村上春樹の研究者ではないし熱心な読者でもない。まだ『1Q84』も『海辺のカフカ』も『羊をめぐる冒険』も読んではいない。だから、村上春樹の全作品をアルプスのような大山脈にたとえるならば、私は万能な山岳ガイドではない。けれどもあるひとつのルートからひとつの峰に至る道筋だけは踏破したことがあって、人にもその道筋だけなら示すことができる。いうなればワンルートガイドにすぎない。そういうつもりで以下をお読みいただきたい。

    短編『蛍』→長編『ノルウェイの森』→短編集『女のいない男たち』
    私が案内できるのはこのワンルートだ。
    村上山脈には遭難者や迷子が多い。この当代随一の流行作家を嫌悪する人たちの批判口や、膨大な愛読者たちの大半はワンルートガイドたる私の眼から見ると皆誤って樹海に迷い込んだり谷底に落ちる一歩手前の誤りに陥いっているように見えてならない。
    毒舌が売り物で一応知性派と思われているお笑いタレントが、
    「村上春樹には人間が書けていないだよな」
    と、テレビで発言しているのを見て目が点になったことがある。
    また、若い愛読者が二三行のレビューで「またあのおっさんがキモいエッチの描写してて」
    とか、ツイートに毛が生えた程度の短いコメントを書き込んでいるのをみて私はやはり辟易する。
    彼らには、なぜ自分たちが春樹作品を読まずにいられなかったか、作品について何か発言せずにいられないのか、自分でも判っていない。
    人間の内奥の深いところに潜んでいる「痛み」を感得する感性がなければ、この書き手が村上ワールドなどと称される筆致の底に密かに忍ばせた物語の真の意味を捉えることはできない。それを捉えることができなければ、物語は「浅さくて軽い」ものでしかない。

    私がお示しするルートは、必ずしも山脈の最高峰を極めるものではない。最も安全なルートでもないかもしれない。その可能性は最初にお断りしした。しかし、ひとつだけはっきり言えるのは、『女のいない男たち』で描かれているのは軽くもなければ浅くもないテーマだ。真摯な文学者が正面から取り組むべき真っ当な主題であって、受け止める素養のない人たちに揶揄されたり軽く扱われたりされるべきものでは断じてない。
    冒頭の『ドライブマイカー』では、妻を失った夫と不倫相手を失った男が、同じ一人の女性を失ったという「喪失の痛み」故になぜだか通じ合ってしまう。そうして夫は、妻が死ぬ、つまり妻を失う遙か以前から自分は妻を失ってしまっていたことに気づく。そうしてそれは、妻もまた抱えていた「喪失の痛み」をともに抱えるこができなかった過去につながってゆく。
    ひとつの例外を除き、六編すべての「男たち」は、その痛みとともに生き、あるいはそれに気づかずにいて思いがけず気づいたときには手遅れで命を落とし、やはり気づかずにいて遠い遠い回り道をしたあげくにその痛みと出会って初めてしずかに泣く、そうして初めて物語の中の「男」は救われ、ともに涙する読んでいる男(あるいは女)も救われる。

    そんなそれぞれの「痛み」の深さと重さをしずかに丁寧に村上春樹は描いている。いきなり『ノルウェイの森』を読んだのでは見過ごしてしまう危険のあるその道を、その代表的長編作の予告編でありエッセンスが漏れなく凝縮された『蛍』をあらかじめ読んでおくことでくっきりと見えてくるひとつの道がたしかにある。
    ワンルートだけを辿ってみてもその高いところには到達できる。
    そこから見渡すとまだもっと高いところがありそうでもある。もしかしたら世界の最高峰である可能性もある。

    くれぐれも冬山ならぬ『女のいない男たち』を舐めてかかってはならない。

  • 面白かった話と、よくわからなかった話が半々であるから星三つ。
    「独立器官」は真の「恋煩い」だと思った。学生が恋をした際に引き起こすような軽度の恋煩いではなく、実際に命をたってしまうほどの恋煩い。一種の病気として認めてもいいんじゃないかと思った。渡会は彼女に出会うまでに真剣な恋愛をしたことがなかったから、あそこまでのめり込んで命を落としてしまった。ちょっと重すぎるようにも思えるが、渡会にとってはすべてだったのだろうなと思った。
    「シェエラザード」は私もシェエラザードの話にのめり込んだ。彼女が最後に言いかけた話の続きがすごく気になる。私ももう彼女の虜になっている。

  • 感想 全体イメージ昭和臭なおしゃれなおじさん な感じ。自分も昭和なおばさんだけど。ちょっと印象薄い話しが多くて、きっとすぐ忘れるな。

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著者プロフィール

1949年京都府生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。79年『風の歌を聴け』で「群像新人文学賞」を受賞し、デビュー。82年『羊をめぐる冒険』で、「野間文芸新人賞」受賞する。87年に刊行した『ノルウェイの森』が、累計1000万部超えのベストセラーとなる。海外でも高く評価され、06年「フランツ・カフカ賞」、09年「エルサレム賞」、11年「カタルーニャ国際賞」等を受賞する。その他長編作に、『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』、短編小説集に、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』『一人称単数』、訳書に、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』『ティファニーで朝食を』『バット・ビューティフル』等がある。

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