みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (462ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163903460

作品紹介・あらすじ

東と西が出会ったとき、一体何が起きたのか多くの謎が潜む、キリシタンの世紀。長崎からスペインまで、時代を生き抜いた宣教師や信徒の足跡を辿り、新たな視点で伝える。

感想・レビュー・書評

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  • 『転がる香港に苔は生えない』の星野博美である。自らのルーツに探究心を燃やしながら、しかし、それは殆どこじ付けで、かと言って信仰心が強いわけでもない出発点から、天正遣欧少年使節団に引き込まれ、気付くと、リュートという楽器を習い、キリシタンに関係する土地を巡る。だが、丁寧な取材と自ら体験してみよ、というようなスタンスが分かりやすく歴史を解説し、時々、キリシタンに感情移入する。

    しかし、元来、宗教の増殖欲求に対して、私はあまり良い印象を持っていない。布教の必要性が理解できず、イデオロギーの内発的成長欲求、領域拡大欲求を苦々しく見てしまう。著者もその点では冷静である。

    ー 2013年3月に教皇フランシスコが就任して以来、教皇の記事が新聞に登場する機会が格段に増えた。宮殿住まいや教皇専用の豪華なリムジンを拒否したりするからこそ、教皇はメディアの注目を集める。清貧を貫き、率先して貧しい人々と言葉を交わす姿には、カトリック信者でなくとも好感を抱く。就任以来、精力的に仕事をしている印象がある。教皇フランシスコには確かに人間としての魅力もあるが、メディア戦略が巧みだなと言う印象も一方では強く受ける。広報重視の姿勢は教皇がイエズス会出身だからだろうかと思ったりもする。

    ー 雲仙温泉では、小さな穴をいくつも開けた柄杓に温泉の熱湯を入れ、棄教しないキリスタンの体にかけることを繰り返し、息も絶え絶えになったところで、煮えたぎった谷底に突き落とすと言う筆舌に尽くしがたいキリシタン責めが行われた。

    ー カトリック教会は回心の物語を好む。聖書の記述者として知られ最後は逆さ磔で殉教したパウロもまた元はキリスト教の迫害者だった。全く正反対の価値観を持ち、世俗的な生き方をしていた人間が神の道に入るからこそ、その信仰は強固なものとなると言う信念が、信者には強い引力を発揮するのだろう。それはカトリックに限った傾向ではなく、宗教と言うものの本質が回心を好むのかもしれない。

    信仰が分断や悲しい結果を齎すならば、そこには救いはない。キリシタンの悲運を巡り、抗争と惨劇に改めて触れる事で強く思う。

  • 少しずつ 噛みしめるように感動しながら読んだ 旅行記 かと思ったが日本とキリスト教をふかんする貴重な 物語だった

  • 東西の出合い、少数者への温かい眼差し、自分の感情を簡潔表す文章、星野氏の著作で、先ず私が好感を覚える点である。

    自分の感情を簡潔に表すことは、やってみると意外と難しい。どうしても着飾ろうとするのが、人間の性だからだ。

    しかしそれ以上に、彼女の関心の広げ方には、畏敬の念すら覚える。
    とにかく、気になったことは知りたいと突き進む様子が、ページを繰るごとに手にとるように伝わってくる。だから、まだ読み終わらぬうちに、別の著作を入手したくなってしまう。

  • 日経新聞 夕刊 1/23/2020
    こころの玉手箱 星野博美

  • #星野博美 「 #みんな彗星をみていた 私的キリシタン 探訪記」読了。星野さんの本は「転がる香港に苔は生えない」から時々に読んできた。星野さん自身と題材が骨絡みになっていく印象がありある意味、私小説作家なのではないか。美を削るように書いておられるようで、そこが少し気になる。

  • 私的キリシタン探訪紀という副題が本書をひとことで的確に表しているが、丁寧な取材からなる日本におけるキリスト教史に著者の日常や感性が絶妙に織り交ぜられて、彼女の数年間が手にとるように感じられる。500ページの大作だが飽きさせることがない。すごい筆力だと思う。リュートの”まろりんまろりん”という音色、長崎やスペインの風景と人々の描写がいい。

    [more]<blockquote>P209 昔はどれほどすばらしいことやひどいことがあろうと、ぽんぽん感情を切り替え、次に進んでいた。旅が下手になったというより、旅の必須条件である感情の切り替えが不得手になったのだ。旅の仕方に優劣などないけれど、あのころのような旅ができなくなったことだけは確かだった。

    P237 人の認識は、物量に圧倒的に左右される。情報量が多いことを重視し、少ないものを無意識のうちに軽んじてしまう。「都崩れ」は情報量の少なさで存在が埋没してしまった一つの例と言える。

    P287 キリスト教をファーストフードに例えるなら、日本に最も大きな影響を及ぼしたという点で、イエズス会はさしずめマクドナルドといったところだ。【中略】日本で起きた迫害には、日本側の思惑と各修道会の勢力争いが複雑に絡み合っている。それをできる限りひもといていきたいのだが、新しい味を広めたイエズス会の功績がとてつもなく大きいことを忘れるわけにはいかない。

    P429 はるばる遠くの異国からやってきた、肌も瞳の色も異なるこのパードレに、なぜ自分の言葉が通じるのだろう。【中略】そしてパードレもまたキリシタンから影響を受けていた。【中略】彼らはみな地上から姿を消し、天上の星となった。私は彼らが最後に迎えた殉教という惨い結末ばかりにとらわれていた。しかし天に召される前、互いに心を通わせる幸福な瞬間があったはずだと、その時思えたのだった。</blockquote>

  • 日本とキリスト教の関わりを、江戸初期、現代、長崎、東京、千葉、スペイン、香港など行ったり来たりしながら描く随筆。からりとした語り口であるが、客観的、冷静に事実を捉え共感を持ちやすい。キリスト教という、もっとも身近で、歴史や社会など学校の授業にもよく主要人物や事件が取り上げられるものありながら、実はよくわからないものを、ぐっと個人に近寄らせてくれるもので一読の価値あり。例えば現代人は長崎を「殉教の地」などと半ば美化して表現したりするが、殉教とは「異教徒として処刑されること」であり、もっと史実・事実に目を向けなければならないだろう。

  • 著者の足取りを追えるように書かれているのがとてもありがたい。おそらく、こういう話題だと追いつけないのだろうなあ。悲惨な話が多いので読むのはなかなか大変。最後がスペインなのはよかった。一度行って見たい。

  • 個人的興味をつのらせ過ぎて中世の楽器リュートを習い、長崎のキリシタンの足跡をとことん辿る旅。仏教の家庭に育ち、ミッションスクールに通った星野さん。歴史家でもなく宗教家でもない彼女ならではの、極めてフラットな視点から深く掘り下げた話がとても面白い。

  • レビュー省略

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著者プロフィール

1966年、戸越銀座生まれ。ノンフィクション作家、写真家。著書に『転がる香港に苔は生えない』(2000年、第32回大宅壮一ノンフィクション賞)、『コンニャク屋漂流記』(2011年、第2回いける本大賞、第63回読売文学賞随筆・紀行賞)、『戸越銀座でつかまえて』(2013年)、『みんな彗星を見ていた』(2015年)、『今日はヒョウ柄を着る日』(2017年)、『旅ごころはリュートに乗って』(2020年)など多数。

「2022年 『世界は五反田から始まった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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